ゴミ収集車の中へGO!
谷口という男は、朝だというのにすでに疲れ果てていた。それでも出勤しなければならないのは、彼が会社員だから。そして、その疲れの理由もまた、会社員だからだ。
夜遅くに帰り、朝早く出社する。家に帰れない日もある。そんな生活は、社会人としては珍しくない話なのかもしれない。だが、谷口はすでに限界を感じていた。
とくに、ある朝のこと。ふと、こんな衝動が脳裏をよぎったとき、彼ははっきりとそれを自覚した。
――飛び込みたい。
目に優しい薄緑色のボディ。まるで海外のアイスクリームトラックのようにポップで愛らしいメロディ。電動マッサージ器のように肌をビリビリと刺激するエンジンの振動。そして後部に搭載された巨大な圧縮機。その中には、クッションのように膨らんだゴミ袋たち……。
――あの中に飛び込みたい。
ゴミ集積所の前で停車しているゴミ収集車を見た瞬間、谷口の唇の端から、つうっと涎が垂れた。それから、はっと我に返り、小走りでその場を離れた。
「馬鹿な、ありえない……馬鹿っ、馬鹿っ……」
声に出して自分を戒めるものの、脳裏には圧縮機の滑らかな稼働音がこびりついて離れなかった。
――だって、あんなに気持ちよさそうじゃないか……。
ハンバーグのひき肉だって、こねられて気持ちよさそうだ。こねこね、こねこねこね……。
そんな妄想が、気づけば毎日繰り返されるようになっていた。柔らかく、温かく、すべてを受け入れてくれるようなゴミの山。収集員たちは、さながら夢の国のキャスト。彼らに笑顔で見守られる中、あの巨大な機械で圧縮されていく。分厚い毛布に優しく包まれるかのような圧倒的な幸福感。
なぜ、こんな妄想と衝動が消えないのか。上司から「お前はゴミだ!」と毎日のように叱責されているせいだろうか?
どうかしてる――そう思いながらも、通勤途中に目にするゴミ収集車は、彼にとって癒しであり続けた。
見かけるたびに立ち止まり、圧縮機の音を聞きながら目を閉じ、甘美な妄想に沈む。涎を垂らして我に返ると、いつの間にか下半身に手が伸びていることもあった。
通行人の怪訝な視線に気づき、慌てて歩き出す。だが、視線はまた自然とゴミ収集車を追っていた。
そんな日々が続いたある朝、谷口はついに決意した。
スーツにするか、ジャージにするか。正装としてスーツで決めるべきか、それとも潰されやすさを重視して柔軟性のあるジャージか……。
検討の末、彼はスーツを選んだ。ネクタイをきっちり締め、鏡の前で髪を整える。今日という日は特別だ。胸の高鳴りは、初めて異性に告白したときのそれに似ていた。
一度ゴミ収集車の前を通り過ぎ、振り返る。後部の圧縮機、その美しいフォルムをじっと見つめ、谷口は微笑んだ。
周囲に人影はない。収集員も警戒していない。いや、もはや誰にも止められない。谷口はクラウチングスタートの姿勢を取り、一気に走り出した。
跳躍。腕を胸の前で交差させ、自分を抱くようにして――頭からの、イン。その瞬間を目撃した者はいなかった。電柱のカラスさえ、別の方向を見ていた。だが、その一連の動きはあまりにも美しかった。
内部は暗く、鼻をつく腐敗臭が立ち込めていた。極限まで研ぎ澄まされた集中力で、谷口は瞬時にそれを嗅ぎ分けた。
ピザの空箱、ヨーグルトのカップ、バナナの皮、カレーの残り……そして、ふいに混じる花の香り。
ゴミは谷口を受け入れ、優しく包み込んだ。谷口もまた、全身でそれを受け入れた。目は閉じ、痛みを感じたのはほんの一瞬。すぐに、あたたかな幸福感が全身を満たしていった。ふと、初めての性行為の記憶が脳裏をかすめた。ともすれば、自分はさながらペニス。圧迫され、果てていく……。
花の香りと心地よさが強まり、やがて柔らかな光を感じ、谷口はゆっくりと目を開けた。
そして、驚いた。
「天国……?」
「はい、そうですよ」
気づけば、そこは一面に花が咲き誇る野原だった。空は青く、風は甘やかで、どこか夢の中にいるような温かくも現実味のない感覚。
ぼんやりとした頭で声のほうを振り返ると、そこには天使のような姿の者が立っていた。
「順番が来たらお呼びしますので、しばらくお待ちくださいね」
そう言って、天使は去っていった。
谷口はしばらく、天国での生活を満喫した。すべてが穏やかで、何もかもから解放されたような感覚だった。
しかし、心の奥に一つだけ疑問が残っていた。
――なぜ、自分はあれほどまでにゴミ収集車に惹かれたのだろう?
鬱病だったのかもしれない。いや、それは疑いようがないだろう。傍から見れば壮絶な自殺だったに違いない。ただ、あの異常なまでの吸引力。当時の自分は、本気であの中が楽園だと信じていた。死ぬとさえ思わなかったほどだった。
考えても答えは出なかったが、その理由は、天使に呼ばれたときに明らかになった。
案内された先にあったのは、魂を押しつぶし、砕き、再構成する――巨大なリサイクル機だった。