復活、ゴミ捨て場より 前編
「――せよ――」
誰かが耳元で囁いた気がしたが、それは意味のないノイズとして闇に消えた。
寒い。
なんでこんなに寒いんだろうか。そして臭い、肉が腐ったような臭いだ。なんでこんな、寒くて臭い最悪なところにいるんだろうか?こんなところにいるのは何だ?……なんだじゃない、ここにいるのは自分だ。
自分って誰だ……ニラティだ。それに気づいた瞬間、ニラティは覚醒した。
「うおっ……!うわ、くっさ!」
体中に垢、あるいは腐肉のようなものが纏わりついていた。あろうことか服の中までびっしりとだ。
「ああもう!気持ち悪い……ッ!一体何が起きてるんだ?」
体中を掻き毟って腐肉をこすり落とす。ああもう吐きそうだ。衰弱しているのか、酷く体が重く、全身の関節が一気にさび付いたようにぎしぎしする。
一体ここはどこだと周りを見ると、周辺はスクラップだらけである……どうやらごみ捨て場らしい。頭の中がぐちゃぐちゃで、自分がどうしてこんなところでこんな目にあっているのか、まるで判らない。更に周辺には、自分が愛用していた銃や手帳、タンブラーといったの身の回りのものが落ちているではないか。
「誰か!誰かいないの?!」
しかし、返事はない。一体何が起きているんだ?
ポケットをまさぐるとライターが出て来た。タバコをやめて暫く経つというのに、それでもこれを手放さなかったのには理由がある。
ポケットのコインで裏側をこじ開け、その下にあるスイッチを押した。随分と長いコール音が鳴り続けた後、ノイズ交じりの男の声が返ってきた。
『誰だ?この回線を知ってるやつなんてもう……』
「助けて……」
『は?』
「アタシだ、ヴィヤーサン……」
ニラティにとって、助けを求められる相手は、この世に一人しかいないのだ。
『その声は……ラティか?本当に君なのか?今どこにいるんだ?』
「わかんない……ごみ捨て場みたいな……寒くて……体中が痛いんだ……」
『今迎えに行く!通信切るなよ』
混乱と衰弱と悪臭で、ニラティは再び意識を失った。
次に目を覚ました時、ニラティは清潔なベッドの上にいた。
清潔な小部屋で窓もある。ナイトテーブルには洗濯された自分の服と、スポーツドリンクが置かれていた。それを見て急激に飢えと渇きを自覚したニラティは、飛びつくようにキャップを開け、喉を鳴らして一息に半分を飲む。勢いがつきすぎたか、気管に入り込んで大袈裟にむせ返った。喉鼻の痛みに耐え、咳き込みながらあたりを見渡した。
「げぇっほ、げほ……どこだ?ここ」
見回していると扉が開いた。入って来たのは顔見知りの闇医者、ナヤンであった。
「ナヤン!……あんたが助けてくれたのか。
……暫く見ないうちに随分いい病院になったね、建て替えたのかい?」
ただの世間話のつもりなのに、ナヤンはぎょっとしているようだ。
「……なんで、俺の名を知っている?」
「は?何言ってんだあんた、ウチの人間は殆どあんたにかかってるじゃないか?そうだ、ロインの痔がまた悪くなったみたいだから、ついでに薬を――」
と、そのセリフは掌で制された。
「これをよく見て、頭を動かさずに」
左右するペンライトで目の奥を覗き込む。
「名前は言えるか?」
「は?……ニラティだよ、忘れたのか?」
「ここはどこだかわかるか?」
「……あんたの病院じゃないのか?あの裏路地のどん詰まりの。三軒隣の汚い揚げパン屋はまだやってるかい?あんたも好きだったろ?あの店の甘ぁいきな粉揚げパン」
そうして喋っているうちにも、ナヤンは脈を取ったりなんだりをテキパキとこなし……頷いた。
「ふむ……お嬢さん、本当にニラティなのか?」
今度はニラティが怯む番だった。お嬢さん呼ばわりなんて二十年ぶりだ。
「お嬢さん?なんだよ急に気持ち悪いな。
しかも変なこと聞いて」
「はい、手を握って、開いて。もう一度」
「おいおい、リハビリかい?流石に本気のババア扱いはまだゴメンだね」
「体のどこにも異常なし……記憶の混乱……にしちゃ妙にリアルだな」
どうにも話がかみ合わない。顔見知りの闇医者になんでこんなに他人行儀に、しかも重病人みたいなことをされねばならんのだ。
「……何言ってんだナヤン。
そんなに疑うなら、あんたのカミさんが好きなコーヒー屋のカスタム教えてやろうか?アルカディア・ホットセラムだろ?発酵ウーロン茶エスプレッソにオーツミルク。少しのローズマリーシロップに豆乳スチームと焼きシナモンパウダー。横にドライフルーツピールだ、違うか?」
「……正解」
「こんなの他に何人知ってる?それとも、アタシがコーヒー屋のバイトに見えるか?」
「……うーむ」
言葉を失い腕組みするナヤンの後ろで、またドアが開いた。ナヤンが振り向く前に、入ってきた男が切り出す。
「ナヤン、もういい。こりゃ間違いなさそうだ」
入ってきたのは五十過ぎの男だ。白髪交じりの髪と整えた口髭、鋭い目つきと深いシワが渋い……ギリギリイケオジと呼んでもいいといった所だ。
「ヴィヤーサン……やっぱり、あんただったのか……!助かったよ……」
それを聞いてナヤンは諦めたように鼻から息を吐いた。
「……本当に、これでいいんだな?何かあったら、すぐ呼んでくれ」
「ああ、ありがとう」
ナヤンが出ていくと、ヴィヤーサンはベッドの傍の椅子に腰を下ろした。
「どうだい、調子は。どうだ、何か食えそうかい?」
「あー、お腹は空いてるんだけど……なんか消化の良い物が欲しいね」
「わかった、用意しよう」
内線をかけるヴィヤーサンの背中を眺めているうちに、ニラティは色々な事を思い出して噛み締めていた。
ヴィヤーサンは、かつてニラティの相棒だった。一緒にレアメタルハンターを始めたのは三十年以上前。数えきれない死線を潜り、冒険を繰り広げ、お互いに背中を守って日銭を稼いだ戦友であり、なんでもやった悪友であり、なんでも知っている親友である。
袂を分かったのは二十年ほど前だろうか。ヴィヤーサンが浄水ビジネスに本腰を入れる為に、足を洗いたいと申し出たのだ。それでニラティは、レアメタルハンターを組織化するために一味を立ち上げたのだ。
彼にはニラティ以上の才覚があったらしく、今ではこのサンジーヴァナで、少し名の知れた実業家……それどころかフィクサーに成り上がっていた。裏社会ではMrクレンズとかいう、御大層な名前で呼ばれているそうだ。
「ビジネスは順調?ノンアルコール水商売おじさん」
「……まあね。人間は、水がなきゃ生きられない生き物だからね。そのおかげで……まあ、大概のことは出来るようになった」
「へへん。あのドライブ狂いのヒョロガリが、随分偉そうになったもんだ」
「顔が広くなると、頼まれごとは嫌でも増えちゃうのさ……。あーこの言い草、やっぱり本当に、二ラティなんだよな?」
ずっと妙なことを疑われて、遂に二ラティは嫌気が差してきた。
「あんたもそんなこと言うのかい?アタシが二ラティじゃなきゃ誰が二ラティなのさ?」
ナイトテーブルの上に畳まれた革パンとジャケットをバシバシ叩く。その上には助けを呼んだライターも置かれていた。
「五十過ぎてこんなカッコしてる女が他にいる?このライターなんて、二十年前にあんたがハンターから足を洗うときにくれたモンじゃないか」
シンプルなデザインのライターであるが、その裏には”友の成功を祈って V”と刻印がある。
「タバコ辞めても持ち歩いてるライターが、まさか男からの贈り物だなんてさ……あんたの知ってる二ラティは他人に言えるような女だったかい?」
二ラティの言葉に、ヴィヤーサンはふぅむと唸ってしまった。
「ああ、まさかまだ持ち歩いてたとはね……贈り甲斐がある。
じゃあ、話を変えようか……何があったんだい?」
そうだそうだ、それでいいんだと二ラティは頷き……あのゴミ捨て場を思い出した。
「気が付いたら……腐った肉と垢の混ざったようなモンに塗れてゴミ捨て場にいた」
「ああ、そりゃあ僕が見たとこだな。
今聞きたいのは、その前だ」
ヴィヤーサンの言葉に、二ラティは目を瞬かせた。
「その前?えっと……なんだっけ。なんか……酷い目に遭った気がするんだけど……あれ?思い出せない」
首をひねる二ラティに、ヴィヤーサンは納得したように深いため息をついた。
「なるほど、何かとんでもない事があったんだな。まあ、狩猟じゃ何があってもおかしくなきか」
「何かって……なにさ?」
「君は今、割と気分良かったりしないか?異常に寝覚めが良い感じというか,身が軽いとかさ」
「……よくわかるね。アタシそんなに長く眠ってたのかい?」
実際そうなのだ。目が覚めてから、気力体力ともに完全回復したような気がする。こんなに寝起きがしゃっきりしたのは何年ぶりだろうか。
「ああ、寝てたのは三日くらいさ。
だが、体調が良い原因はこっちだろうな……説明するより見たほうが速い」
差し出された手鏡を覗き込むと、そこには若い女がいた。主張の強いパーツを見れば美人と言っていいが、気の強さと太々しさが顔に出ている、そんな顔だ。
「へ?」
この顔は見覚えがある。見間違えるものか、三十年前、二十代のころの自分だ。
「いやいやいやいや……え?え?」
顔を、体を撫で回す。そう言えば肌に潤いとハリが戻っている。シワがない。重力に負けていた胸や尻が再び上を向き、腰回りもすっきりしている。ああ、こりゃ確かに、お嬢さん呼ばわりされるわけだ。
「なんか……若くね?」
「なんかじゃない。僕はよく覚えてる、二十歳くらいのラティと殆ど同じだ……それと……もっとよく見ろ」
これ以上、一体何に驚けと言うのか。
「なんだコレ……?」
右前髪が白い……というか銀髪である。インナーカラーをしたことはあっても、こんなメッシュを入れた覚えはない。
「ん?んん?」
前髪をめくってその下を見ると、右目とその周辺、顔の四分の一ほどがつややかな、磨き抜かれたような銀色である。触ってみると金属である、あようことか目玉まで。感覚もあるし、自由に動くのだが、堅い。更に恐ろしいのは、目蓋を閉じても右目の視界が変わらないのと、瞬きする度に、小銭を打ち合わせるような微かな金属音がすることだ。
「え?これって……金属生命体?」
「ああ……そう見える」
「うっそだろ……なんだよそれ」
目が覚めたら若返って、頭の四分の一が金属生命体に置き換わっていた。その事実に最も驚いていたのは、もちろん当の本人であった。そりゃあ、誰もが二ラティだとすぐには認められないわけだ。
「アンチエイジングに興味はあったけど……サイボーグはやり過ぎだよ。
はは……笑うしか……いや、笑えねぇ……」
驚きを通り越して、まず納得してしまった。その次に来たのは恐怖だ。自分が別の存在になってしまったのではないかという、生涯全ての前提が崩壊することへの恐怖であった。
「アタシは……どうなっちまったんだ……ヴィヤーサン……アタシは、バケモノになっちまったのか?……クソッ……震えてきやがる……」
声が震える。頭を抱えて混乱する二ラティだが、ヴィヤーサンはその肩に手を置き、目を覗き込んで力強く言い切った。
「大丈夫だ、僕が付いてる。安心するんだ、ラティ」
ラティ、その呼び名はごく一部、親しい人間しか知らない呼び名である。今はただ、震えながらも頷くしかなかった。
気に入ったらぜひお気に入り、ブックマーク&拡散お願いします。泣いて喜びます。
この作品はフィクションです。実在の人物、団体、出来事とは一切関係ありません。
実在する人物、団体、出来事、思想には一切関係ございません。またそれに対する批判、意見する意図は一切ございません。娯楽作としてお楽しみ下さい。