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いい湯だなー

夕暮れの山道に、枯葉を踏みしめる三人の足音だけが響いていた。

沈みゆく陽が山の端に赤くにじみ、空を薄紫に染めていく。

ローズはほとんど口を開かず、うつむいたまま歩いていた。

数時間前、泰也と久志に語った自分の過去——

泰也もまた、険しい表情のまま黙っていた。言葉にできない苛立ちと、どこか信じたい気持ちが綱引きしているようだった。

久志だけが、後ろから二人を見守るように歩いていた。


村に戻ると、家々にはぽつぽつと灯がつき始めていた。美幸の旅館の暖簾が風に揺れていた。

玄関の戸を開けると、香ばしい出汁の香りがふわりと鼻をくすぐった。

囲炉裏の火が暖かく揺れている。美幸は台所で味噌汁をかき混ぜていたが、ローズを見るや手を止めた。

その目が一瞬、驚きに見開かれる。

だが、次の瞬間にはふっと穏やかな笑みを浮かべ、

「……うちは狭いけど、遠慮せんといてね」と言った。続けて「あなたお名前は?」

「・・・ローズ・・・です」

「あら 薔薇(バラ)ね! 素敵な名前やね、私はミユキ。あなたはこっちよ。」

ローズは返事ができなかった。ただ、そっと会釈をして、美幸の後についていった。

泰也は鋭い表情になりとっさに2人を追いかけようとしたが、久志がそれを制止した。

「大丈夫だ」久志は微笑みながら小さく呟いた。

泰也は表情を曇らせたまま黙って2人が廊下の角を曲がっていくのを見ていた。


湯気立つ露天風呂に、久志と泰也の二人がいた。風呂は二人の貸し切り状態である。

「ふぃ〜……あったけぇなあ」

泰也が湯船の縁の岩に肩を預け、ぽつりと呟いた。

そして洗い場から来た久志の裸の身体に目が止まった。細身だが鋼のような体だ。

肩、腹、背、腕、両足——無数の傷跡。切り傷、火傷、弾痕のようなものまで、身体中に走っていた。

「おっちゃん……この傷、戦争のときのけ?」

久志は黙ったまま、湯に顎まで浸かっていた。両腕をゆっくり伸ばし、目を閉じ、静かに息を吐く。

「まあ ね・・・」


「10年前か……自衛隊はな、最初の攻撃でほとんど壊滅した。全国の基地や宿舎にピンポイントでミサイルの雨だった、主要基地は跡形もなかったよ。自衛官の八割が、あの日で死んだ」

と久志は語り出した。

久志の声は静かだった。ゆっくりとした語り口でいて熱を持っていた。

「その穴を埋めるために、国は進化した国民から兵士を“選んだ”。DNA適性検査ってやつで、な」

久志はかつて市役所勤めの課長だった。それが突然、兵士として最前線に送られることになったのだ。

一年間の軍事訓練は地獄だった。眠れず、食えず、仲間が倒れていく中で、久志は生き残った。

そして送られたのは、本当に“地獄”だった。

「北海道の夜の雪原で、マイナス20度の中50人の敵に囲まれてなんとか切り抜けた事もあった。廃墟になった東京で、もう死んでるのに仲間の死体を抱えて走ったり」

敵は人間だけじゃなかった。異形の兵士たち。

聞いたこともない薬物と改造技術で作られた“兵器”が、夜の闇に潜んでいた。

「大勢殺したよ。でもな、……あいつらの中には、人間の目をした奴もいた。たぶん……ホムンクルスだった」

その言葉に、泰也がぴくりと反応する。

「ひょっとしたらローズも……」

久志は黙った。そして、小さく首を横に振った。

「いや、わからない。誰が誰だかわからないよ。だけどな、敵と味方が入り乱れている時、そこにミサイルぶち込まれてな。」

「どっちがやったんだ?」

「それはわからないんだ。どっちの兵士も混乱してたよ。手足が千切れて、そこから這い出すのに皆精いっぱいだった。若いホムンクルスも "母さん 母さん” と言いながら、うずくまって震えていた。俺はそいつの手を引っ張って無理やり弾幕から引きずり出したっけ。あれは酷い状況だった。戦争になると兵士は皆お偉いさんの道具なんだよ。戦闘が膠着すればそれだけロスが生まれる。それをリセットするためなのか、あるいはその場所に戦局を左右する人物がいたのか。そういうもんさ。」


木の壁一枚挟んだ向こう、女湯に浸かっていたローズは、その会話をずっと聞いていた。

「誰も入ってこないから ゆっくり入っておいで」と美幸が言ってくれた美幸の気遣いが染みる。

湯に肩まで沈み、息を潜めながら。

——“人間の目をした奴もいた”

その戦場には、ローズの“仲間”たちもいた。共に育ち、訓練され、ある日突然「前線へ」と告げられた、名も知らぬ彼ら。

彼らを殺したのが久志かもしれない。

それでも、久志を責めることはできなかった。

「……」

ローズは、熱い湯の中で拳を握った。

しかし、ローズには、任務がある。

久志を連行せよ、というCIAからの命令。

今や穂見村を人質に取られたかたちで、それは拒否できない状況になった。

しかし、穂見村やこの村の温かさ、美幸の優しさ、久志の哀しみ、泰也のまっすぐさ——

「池内のおじいちゃん……どうしたら、いい……?」

湯気の向こうで、涙があふれた。


風呂を出て

「おっちゃん……生き残って、よかったんけ?」

泰也のその問いかけに、久志は少しだけ笑ってこう答えた。

「さあね、生き残った意味は……これから見つけるよ。」

「……そっか」

泰也は小さく頷いた。

ローズの事には、まだ納得していなかった。

旅館に戻る道すがらも、彼女に対する口調はどこかとげとげしかった。

「別に信用しとらんがや。けど……今は、一緒におるしかねぇんやろ」

その言葉に、ローズは何も言い返さなかった。

ただ、泰也の視線をしっかりと受け止めていた。


ローズは囲炉裏の端で膝を抱え、泰也は湯上がりの髪をタオルで拭きながら、無言でテレビの黒い画面を見つめていた。久志は柱にもたれ、静かに湯呑みを口に運ぶ。

そんな中、美雪がちゃぶ台にお茶を並べながら口を開いた。

「衛星回線スイッチは入れとらんよ」

「……衛星回線?」ローズが返す。

「なんで、入れんがけ?便利やろ、監視カメラも安全やし」と少し半笑いで泰也が言った。

「便利すぎるのが、怖いんよ。今の時代、うちらの暮らし、全部“誰か”が見とるようになる。音も、熱も、顔も……寝言まで聞かれそうでね」

「日本中、もう見えてる。あの戦争のあと、政府は1万個の衛星ばら撒いて、道一本、畑の境界まで全部データで記録してる。でも、それを個人個人“オンラインにするかどうか”は、強制してない。」

「……なぜ?自国を守るためなら、むしろ監視は義務じゃないの?」

「実際にはわからないけどな 見られてる可能性は十分あるが・・・進化して()()としては個人を尊重する考え方になった」

「この町も、建前としては見られとらん。だからあんたらが来ても、すぐ誰にも知られんかったんやろね」

「……」

「その通り。自由の代わりに、命の保証は無い。けど、美幸さんみたいに“それでも、信じて暮らしたい”って人もいて。それが、この国の今の姿かな」

久志はそう言って湯呑のお茶を飲みほした。


「はいはい、机の上片づけて。泰也、あんた手伝ってよ。ぼーっとしてないでさ!」

そう言って美幸は煮えたぎった鍋を持って鍋敷きの上にどんと置いた。

「ほほーー」久志はニコニコしながら舌なめずりした。

ローズはいたたまれず「あ 私も何かお手伝いします」

「そう? じゃあ 田嶋さんにお酒出して。熱燗ね お猪口と徳利は上の開きね」

「あつ・・・?おちょ・・・?」

「これだよ!新米!」と言って泰也が食器棚の上の開きを開け、有馬焼の徳利とお猪口を取り出し

テーブルの上に置いた。

「これが徳利、これがお猪口 っていうんや」と、ぶっきらぼうに説明した。

「泰也、教え方ってもんがあるやろ!」美幸が泰也の頭をはたいた。

「・・・・・」

「でよ、この"立山”って酒をこの徳利に入れる」

「はい、はい・・・」

ローズは真剣に聞いている。先輩風をふかす泰也。

「ホールなめんじゃねーぞ」

少し離れたところで久志はニヤニヤしながら見物していた。

すると美幸がやってきて「ローズちゃんの分も上乗せしとくわね!安くしとくわ!」とウインクして

厨房へ戻っていった。

「強いな・・・女は」


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