日本人の進化
2020年5月、日本はゴールデンウイーク真っ只中。新型のウイルスにより全世界が混乱していた。日本も同様に日常の様々な事を大きく変えなければならない事態になっていた。しかし別の理由でその日、日本は静かに、しかし決定的に変わった。
天候も経済も政治も、一見平穏であったが、人々の身体と心には明らかな異変が生じていた。目覚めた瞬間、体は羽のように軽く、視界は驚くほど鮮明で、五感が覚醒していた。肩こりも、頭痛も、慢性的な腰痛すら消え去り、「体調が良い」などという言葉では到底片づけられない感覚が、国中を包んでいた。
そしてウイルスの話はどこかに消えた。
その変化は老若男女を問わず、広範囲に、しかも均一に起こった。視力の劇的な回復、反射神経や運動能力の向上、記憶力と集中力の飛躍──ある者は一夜にして楽器を習得し、またある者は数式を「見た瞬間に理解する」ようになった。
これは一時的な現象ではなかった。そして、ただの健康ブームや心理的錯覚などでもなかった。それは、「日本人という種の進化」であると、やがて誰もが認めざるを得なくなる。
科学者たちは、すぐにその兆候を“神経系と細胞構造の複合的な再構成”と表現した。だが、進化は単なる肉体の変化ではない。知性、感情、倫理観、直感力までもが高まり、人によっては未来を“予見”するような第六感すら持つようになっていた。
平均IQは150を超え、肉体の耐久性と再生力はかつてのアスリートや医療技術を超越。身体の老化は著しく遅れ、寿命は200年を超えると試算された。病気の自然治癒、記憶力の保持、ストレス耐性──日本人の身体と心は、新たな段階へと進化していた。
ただし、その進化は“日本人だけ”に起こった。
他国に類似の変化は確認されず、この一点が世界を大きく揺るがせる要因となった。
世界各国は、この特異な現象を「人類に対する脅威」と見なし始めた。経済は歪み、政治は揺れ、国際世論は日本に対する疑念と不安に傾いていく。やがて、日本に対する封鎖と監視、スパイ活動、そしてテロ行為が活発化する。
次第に、国境を越えて日本の“進化”を奪おうとする動きが顕在化した。進化を利用した兵器開発、人体実験、進化因子の密輸──世界は日本を標的とし、日本は徐々に追い詰められていく。
進化をもってしても、防ぎきれない暴力があった。ある日、某国による島嶼部への侵攻が現実のものとなり、九州や北海道では散発的な戦闘が始まった。首都圏ではサイバー攻撃が常態化し、交通と通信網が断絶された。やがて列島全体が、第二次大戦以降最悪の混乱に呑まれていく──。
しかし、それでも人々は生きていた。
廃墟のような街角でも、耕された田畑でも、子どもたちは笑い、年寄りは火鉢を囲み、誰もが自分の「日常」を再建しようと努めていた。
開戦から15年―
この物語は、そんな新たな時代を生きる一人の男(ただの50歳のおっさん)の旅の記録である。
名を、田嶋久志という。 彼は進化した日本人の中では「平均的な進化」を遂げたにすぎない。天才でも英雄でもなく、特権階級でもない。 だが、彼はただ静かに、日本中を旅していた。焼けた街を、再生を待つ村を、失われた文化と、時折心の奥に届く「呼ぶ声」を求めて。
進化とは、果たして幸福か。それとも呪いか。
人間とは、進化することで何を得て、何を失ったのか。
今日もまた声のする方角へ次の町へ向け歩き始める。