いつもと何も変わらない日でした。
その日、リラージュ・グーリエは夫人教育のため婚約者の家であるゼリア侯爵家の屋敷にいた。
リラージュはグーリエ伯爵家の長子だ。本人の気質を表したような髪はふわふわの淡い金髪で、まあるい大きな瞳は優しい色合いのライラック色だ。可愛らしい顔をしており、十五歳という年齢のわりにはやや小柄だが本人はまったく気にしていない。
今日の夫人教育も終わり、義母になる予定のゼリア侯爵夫人とお茶をしていると軽やかなノックの音が響き、「母上、入ってもよろしいでしょうか?」と婚約者の声がした。
「まったくあの子は」
ゼリア侯爵夫人は額に手を当て嘆息する。
「母上?」
「……入っていいわ」
使用人の開けた扉から青年が入ってくる。
切れ長の澄んだ水色の瞳と光を弾く癖のない銀髪を持つすらりとした背の高い涼やかな美貌の青年。
ゼリア侯爵家嫡男フェラルード・ゼノア、リラージュの婚約者だ。年齢はリラージュの二つ上の十七歳だ。
フェラルードは二人のいるテーブルに歩み寄り、リラージュの隣で歩みを止めた。
「母上、夫人教育は終わったのでしょう? そろそろリラを返していただいても?」
「そもそも貴方のものではないでしょう」
「リラは僕の婚約者ですよ?」
だから当然の権利だと主張する息子に再びゼリア侯爵夫人は溜め息をついた。
「ごめんなさいね、リラ。息子が我が儘で」
「いいえ」
リラージュは笑顔で首を振る。
「また今度フィアと三人でお茶にしましょう」
フィアことフィアニカはフェラルードの妹だ。
時々、ゼリア侯爵夫人とフィアニカと三人でお茶を飲むことがある。
「はい。楽しみにしています」
「母上」
「フェル貴方は駄目よ。女子会ですからね」
「リラ、母上がごめん」
「女子会も楽しいわ」
本心だ。
ゼリア侯爵夫人もフィアニカもリラージュに親切にしてくれる。
最早もう一つの家のようなものだ。
それなのにフェラルードはへにょんと眉を下げた。
「リラ、母上に気を遣わなくていいよ」
「いいえ、本心よ」
何故かゼリア侯爵夫人はフェラルードに勝ち誇ったような微笑みを向ける。
フェラルードは悔しそうな顔をしていたが、すぐに溜め息をついた。
「わかりました。その時はリラをお貸ししますよ」
途端にゼリア侯爵夫人は呆れた顔になる。
それを取り合わずにフェラルードはリラージュに手を差し出した。
リラージュはその手に手を重ねて立ち上がった。
「お義母様、こちらで失礼させていただきます」
リラージュはゼリア侯爵夫人から"お義母様"呼びを許されている。
ちなみに婚約者の段階で"義父上/お義父様""義母上/お義母様"と呼ばせるのは、関係が良好でこの婚約は揺るぎないものだと周囲にアピールする意味合いもある。
リラージュは早い段階で"お義父様""お義母様"呼びの許可をもらったが。
ゼリア侯爵夫人はリラージュに笑顔を向ける。
「リラのせいじゃないから気にしてないわ。ええ、リラのせいではね」
その元凶たる息子は涼しい顔をしている。
「それでは母上、失礼しますね」
「お義母様ありがとうございました」
「ええリラまたね」
軽く手を振るゼリア侯爵夫人に見送られながら、リラージュは彼女の前を辞した。
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