表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
地蔵探し  作者: 上代朝哉
2/2

 地蔵探しは続くが、見つからない。倉希は最初こそ積極的に活動して雰囲気も明るかったが、次第に俺のもともとの印象通りの地味めな女子になっていき、口数も減り、いっしょに町の隅から隅まで歩き回った仲だったけど、だんだん俺も楽しくなくなってきて、二人で探す意義は薄いかなと感じ始める。別に俺は俺、倉希は倉希でそれぞれ探せばいいのだ。そもそも俺と倉希ではこの世界に対する考え方も異なるため、俺は倉希に合わせて意見交換したりするけど、そういうのも疲れてきた。追跡者に関しても、倉希は依然いると主張するが俺はその気配をどうしても掴めない。


 倉希を泊めた夜、俺がけっきょく倉希の申し出を断ってしまったからなんだろうか? 俺の断り方が少し厳しすぎた? でも森葵と通話したあとも倉希はなかなか引かなくて、どうしても俺に触らせようとしてとうとう服を脱ぎ始めたとき、さすがに俺はちょっと大きな声を出したのだ。まあ倉希からしてみれば、さっきまで触る気満々だったのに通話を終えて戻ってきたらどうして賢者みたいになっているんだよという感じだろうし、倉希自身の気持ちも、俺が通話をしている間にさらに高まっていたんだろうから仕方ないと言えば仕方ない。可哀想だと言えば可哀想なのだ。俺は倉希に悪いことをしてしまった。でも倉希に対する態度は別に変えなかった。引き続き仲良く地蔵を探せたらと思っていたし、大きく変わってしまったのは倉希の方だった。変わったというより、俺への幻想が消えて、当初の興奮も冷め止み、本来の倉希が顔を出してきた感じだった。地蔵探しにはついてくるけれど、喋らないし、表情も暗かった。早々に探すのをやめて帰宅する日もあれば、とうとう姿を現さない日も出てきた。


 そうして、夏休みを利用して隅々まで探したものの見つからず、倉希の熱意も明らかに落ちていたので、俺は秋から真面目に部活動をやり始める。放課後を地蔵メインではなく部活メインにする。俺はなんとソフトテニス部だった。ちょくちょくサボっていたため、罰としてランニングばかりやらされることになったが、それで許してもらえるならいい。


 罰を与えるなら赦さなければならない。小日が持ってきた地蔵は俺達に罰を与えて、それで俺達を赦してくれたんだろうか? そのわりには俺は今だに別世界での生活を余儀なくされている。戻してもらえそうな兆しは皆無だ。あるいは、この世界で一生を終えるところまでが罰で、死んだあとにようやく俺達は赦されるんだろうか? たしかに、どこまでを罰とするかは罰する側が決めることなんだろう。中学校に拉致して机に置いて晒し者にするという行為は、地蔵からすると重罪に当たるのかもしれない。


 一方で、地蔵なんて実はまったく関係ない可能性だってあるのだ。あの日、小日はたしかに地蔵を学校に持ち込んだが、そんなことをしなくても俺はここに飛ばされていたのかもしれない。罪や罰なんてなくて、初めからただそう決まっていて、こういう現象が起きた……と考えることもできなくはない。別にできる。倉希に対しても思ったが、こんなのなんだってありなのだ。常識的に起こり得ない事柄なんだから、それが起こったのであればどんな理由も原因になるだろうし、理由も原因もなかったとしてもまた不思議じゃない。


 地蔵が唯一の希望だったから地蔵を探したわけだが、その地蔵もよくわからないままだ。だらだらと歩いていただけではない。俺と倉希は町役場を訪ねたり、小日の家にも足を運んだのだ。小日の母親に「この家に地蔵はありませんか?」と訊いたら激怒されて危うく親を呼ばれそうになって焦ったが……。地蔵は子供を供養するためのものでもあるらしいので、息子を亡くした母親からすれば俺達の質問が何かの侮辱に感じたのかもしれない。


 この世界の小日もやはりアホだったんだろうか? 小四で死んだのならば、ヤンキーかぶれになる前だったかもしれなくて、だったら比較的まともだったんだろうか? だけどあの橋から落ちて死ぬのは普通ではないし、やっぱり無茶苦茶な奴だったのかもしれない。人間が誤って転落するような橋ではないのだ。


 それに、世界は違っても、個人個人の性格はほとんど変わらないように感じる。話してみると、あ、もともとの世界にいた奴とおんなじような受け応えだなと感じる。ただ、ほんのわずかな展開・物語のずれで、人間関係に少し差異があるといった程度だ。仲良くなる相手が微妙に違ったり、仲が悪くなっていたり。仲が悪くなってしまっている奴らに関しても、そういう原因でならたしかにケンカしそうだなと納得できる。もともとの世界ではそういうイサカイがたまたま起きなかったってだけの話なのだ。


 だからぶっちゃけ、雪村東子に関しても、俺が奮起してアプローチを再開すれば順当に親密度を上げなおすことは難しくないと思う。もともとの世界の雪村とほとんど大差ない雪村を俺が同じように攻略していくんだから、たぶん同じような結果になる。いや、それも条件次第か? 実際に俺がアプローチしていた期間は四月から六月で、まだクラスの人間関係が安定していなかった時期だ。だからもしかしたら今から開始するとまったく異なる結果が返ってくるおそれもなくはない。例えば既に別の奴が雪村にアプローチしていたとしたら、そこから俺が巻き返すのは簡単じゃないし、そういうところで争いが生まれて人間関係に変化が生じたりするのだ。


 この世界の雪村に関してはあきらめるしかない。条件が悪いし、どちらにせよ、一度やったことをなぞるようにもう一度やるのはあんまり好きじゃない。乗り気になれない。


 もともとの世界の雪村はどうしているんだろう? 俺と同様に別の世界へ飛ばされたか、それとも俺とは違いあの世界から動いていないのか。もしももともとの世界が維持されているとしたら俺の代わりの『俺』が送り込まれているはずで、そいつは雪村へのアプローチを続けてくれているだろうか? 小日によって地蔵が持ち込まれたのが六月だから、そこからもう半年近くが経過しようとしている。『俺』が雪村への果敢なアプローチをやめていたら、当然ながら親密度は下降し、あっちの雪村もこっちの雪村も実質あんまり変わらなくなってしまう。だけど、俺という人間は間違いなく雪村みたいな子が好きだから、『俺』は必ずや俺の野望を引き継いでくれているはずだ。そうだとしたなら、俺がもとの世界へ帰還するときも安心できる。希望を持って帰ることができるだろう。


 冬が来て、一年が終わり、俺達は中学三年生になる。俺は桃岡高校に行くために勉強を始める。もとの世界へはいずれ帰れるはずだ、なんだかんだ帰れるに違いないと思いながら、けっきょく手がかりすらわからないままに春が訪れ、俺は当たり前みたいに受験勉強なんかを頑張っている。倉希はいつの間にか学校に来なくなっていた。心配だったが、俺と倉希の友情はとっくに消滅していたし、「学校来いよ」と声をかけて、じゃあ来ますって来られたところで、俺はもう倉希と仲良くやれる自信がなかった。倉希とはあの夜に決定的に終わり、その残り火みたいなものも徐々に小さくなって知らぬ間に消えていたのだ。


 もとの世界に戻れたなら、そのときに気付けるだろう。倉希の親友達が呼びに来てくれるか、もしくは倉希の母親が「あんた昨日までちゃんと学校行っとったがいね。どうしたんよ」とでも言って知らせてくれるだろう。


 だいたい夜の十一時前くらいまで勉強をする。中三になると急に意識が高くなる。俺は勉強なんて授業くらいでしかやっていなかったので、まずは中一や中二の内容を復習しなければならない。こんなの習ったっけ?ってのが多い。時間になり、適当にキリのいいところで片付けをして寝る準備を始めるとスマホが鳴る。森葵だ。出る。「なんや? トイレかあ?」


「トイレもやけど、起きとった?」


「おう。ちょうどさっき勉強し終わったとこや」


「すげー。真面目や」


「桃岡高校行きたいしな」


「うん」


「ほんで、トイレか?」


「トイレもやけど、トイレトイレ言わんといてや」


「なんじゃ」


「今日、ピンクムーンなんや」


「えっ、なに?それ」


「満月や。四月の満月はピンクムーンっていうんやってさ。いま外見れる?数規」


「おう」ピンクムーンって何かと思った。女子がエロい気分になる日のことかなとか一瞬思って焦った。生理のときに性欲が溜まるとかなんとか聞いたことがある。それかと思った。満月かよ。部屋へ行き窓を開けて覗くと、たしかに満月だ。空は晴れており、月明かりが眩しい。でも満月にそこまで興味がない。「見たわ。ホントや」


「反応薄」


「はは……綺麗やね」


「そうやろ?」


「ピンク色ではないんやね」


「そういう名前なだけやから」


「なるほど」


「ねえ、ちょっとだけいっしょに見ん?」


「ん? 見とるよ」


「いや、今から直接会って、いっしょに」


「ふうん」

 微妙に面倒臭い。勉強疲れもあるし、眠たい。満月はここで見ても外で見ても何も変わらないし、こうして通話しながら眺めていればいいんじゃないかな?


 俺のものぐさはすぐ気取られる。「面倒臭ぁって思っとるやろ」


「思っとらんよ」


「いいけど」


「思っとらんし」


「前は数規から会いたいって言ってくれたのになあ」


「はは」自分が会いたいときは遠慮なく言うクセにな、と自分で可笑しくなる。もう一年近くも前の話だ。「今から会うか?」


「いいよ面倒臭いんやろ?」


「面倒臭くないよ。そっち行くさけ待っとれや」


「え、ホントに来るん?」


「は? 冗談やった?」


「いや、来んやろなーと思っとったし。無理せんでいいよ」


「行くし待っとって」なんだか目も冴えてきた。「十分以内に行くさけ」


 通話を終了し、俺は一階に下りる。パジャマ姿だが上着を羽織れば問題ないだろう。親は既に寝室へ引っ込んでいるので、静かに玄関から出ていく。少しの間なので鍵はそのままで平気だろう。


 駆け足で大通りまで行き、そこからは息を整えつつ歩く。四月の夜はまだまだ寒い。


 十字路の一角に、周辺のみんなが車を置くための駐車スペースがあるのだが、森葵はそこで俺を待っていた。森家は大通りから一本入った路地の先にあるのに。


「おま、危ねえんな。一人でこんなとこまで来て。家で待っとれや」


「大丈夫や」と笑う森葵は私服姿だ。ブラウスに、つなぎみたいなスカートを穿いている。「ここの方が見やすいし」


「ああ……」そうだった。満月を見に来たのだ。「プラネタリウムみたいに首痛くなりそうやな」


「ここに寄りかかればいいよ」と森葵は停めてある車のボンネットに体を預ける。


「おい、人様の車!」


「これウチの車や。大丈夫やさけ。数規も来てや」


「他人の車には触れられんな」俺は森葵の隣まで行くけど、もちろん車には触らない。


「他人じゃないやろ。アホ」


「そういう意味じゃないわ。とにかく自分ちの車じゃない車には指一本触れれん」


「いいのに」


「このまま見るわ」もう充分に見た満月を改めてぼけーっと眺める。


「来てくれると思わんだ」と森葵が言う。


「来るよ。別に近いし」


「数規、パジャマやん」


「別にいいが。お前はなんでわざわざ着替えとるんじゃ」


「着替えとらんよ。もともとこの格好です」


「嘘つけや」


「……パジャマ姿は見せれんやろ」


「見せれんか」


「見せれんていうか、マナーやマナー。だらしないと思われたくないし」


「俺は思いきりパジャマやけどな」


「男子はいいんや」


「そういうもんかな」

 夜に女子と二人きりなのも一年近く前の話だ。倉希と二人で寝た思い出。けっきょく何もしなかったけれど、ことあるごとに俺はあのチャンスを逃すべきじゃなかったのかもしれないとの後悔に苛まれる。受験勉強といっしょで、知識を得ることは大事なのだ。知識があるかないかでできることは違ってくるし、想像力という点だけにおいても広がり方がまったく異なる。倉希の胸と体。倉希の出血大サービスな申し出。あれ以来、俺にエロい幸運は舞い降りてこず、あそこで命運をだいぶ使い果たしてしまった感が強いのだ。今夜は隣に森葵がいるけど、並んで突っ立っているだけだ。俺は中二から中三になっているはずなのに色気という面ではランクダウンしている。倉希との夜が中二で味わうには刺激的すぎたのかもしれないが。たしかに高揚しながらも俺はびびっていた。


 満月を見上げていたと思ったら森葵を眺めていた。森葵は「ん?」とこっちを向く。


「首痛いわ」


「ほやね。ずっと上見とると疲れてくる」


「満月は充分に見たけど、どうする?」


 森葵は一度俺から目を逸らし、少し夜空を仰いでからまたこちらを見る。「どうする? 帰る?」


「ええ……せっかく来たのに?」


「ほんなこと言っても、寒いやろ?」


「まあ……」帰るしかない。この状況から森葵がおっぱいを触らせてくれたりするような展開になるはずがない。そもそも森葵におっぱいはあまりない。俺は夜のテンションと、家を抜け出してきた大胆さの余熱と、やり場のないムラムラ感をバネに訊いてしまう。「葵って一人エッチしたことある?」


「は? 知らん」


「…………」


「びっくりしたあ。いきなりなんなん? したことないし。やり方わからんもん」


「そっか」

 訊いてどうするんだという質問だった。でも森葵はなんとなくやっていそうだ。これも最初の台詞こそが真実にもっとも近しいという例のひとつで『知らん』ってのは限りなく黒いグレーだろう。そのあとの『したことないし』『やり方わからん』なんて無理矢理付け足された言葉じゃないか。


「数規はやっとるん?」


 いきなり反問されて、俺は「やっとらんわ」と嘘をつく。


 やはり「嘘ついとる」とすぐ指摘される。


「なんでそんなことわかるんじゃいや」


「男子はみんなやっとるんやろ」


「なんでお前がそんなこと知っとるんやって」


「ほんなもん、みんな言うとるもん。男子は猿やってさ」


「ひでえんな」


「数規は猿じゃないん?」


「俺は猿じゃねえよ」


「誰のこと考えながらしとるん?」


「え」

 エロ。なに?その質問。唐突に驚かされる。そういう発想ができるってだけでいやらしいし、俺にとっては不意打ちすぎて少し恥ずかしい。俺がよくお世話になる雪村の顔が浮かんできて、この場をなんだか雪村に見られているみたいに感じて余計に居心地が悪い。


「聞いとる?」と腕をつつかれる。


「聞いとらんわ」


「あはは。誰を思い浮かべとるんやー?数規は」


「知らん。お前」と俺は言ってみる。


 案の定、森葵は閉口する。「……また嘘ついとる」


「…………」

 俺の方が恥ずかしくなり喋れない。こんな反撃、全然有効じゃない。森葵さん、いつもお世話になってます!とお礼しているのと変わらないじゃないか。バカだ。


「……別にいいんやけど」


「……冗談やしな」


 森葵は笑って、俺の腕をバシッと叩く。「男子やし仕方ないんじゃない? あたしは嫌じゃないし、いいよ。好きにすればいいやん。そんなの自由やしな?」


「…………」


「なんでこんな話ししとるんけ?」


「わからんわ」


「数規が変なこと訊くからやろ」


「すまん」


「全然。いっしょに満月見てくれて楽しかったわ。来てくれてありがとう」


 森葵が締めに入っているので俺は焦る。「あれ? もしかして俺って今ドン引きされとる? キモいしはよ帰ろとか思われとったりする?」


「あはは! アホか! 全然嫌じゃないよって言っとるやん。寒いやろうし帰った方がいいやろ? もっといっしょにおりたい?」


「いっしょにおりたい」


「無理せんでいいから~」森葵が俺の半身にくっついてきて、ぎゅーっとしてくる。五秒ほどで離れる。「帰ろ? また明日話そうさ」


「…………」

 俺の方からも抱きついていいんだろうか?と思うけど勇気が湧いてこない。森葵に嫌われてないかな?とだけ不安だ。


 森葵の方は普通というか、むしろだんだんテンションが上がってきている気さえする。「数規、よかったら家まで送ってほしいんやけど。そこの道メッチャ不気味」


「……いいけど、来るときは大丈夫やったんか?」


「来るときは、数規もこっち向かっとるさけと思ったら平気やった」


「ほうか」

 帰ろう。森葵が車のボンネットから離れて歩きだすのに合わせて俺もエスコートを始める。森葵が俺の上着の袖を指で摘まむので、それを振り払って、俺の方から森葵の手首を握る。森葵は一瞬ビクッと体を固くするが、そのあとすぐに手と手で繋ぎなおすようにしてくれる。嫌われてはいないみたいだ。森葵がぶんぶんと夜なのに元気よく繋いだ手を振るので、俺もそれに倣う。


 三年生として迎えた六月のある日、別のクラスになってしまった雪村東子がウチの教室に入ってくる。入るなりから既に俺と目が合っていて、あ、俺に用事があるんだなと本能的にわかるが、すぐに凍りつかされる。雪村は見たこともないようなニヤニヤ笑いを浮かべており、でもそんなことが気にならないほどの衝撃を胸元に抱えていた。雪村は赤ちゃんを抱くみたいにして地蔵を持ち運んでいる。あの地蔵だ。一目見た瞬間に全身の毛が逆立つ。小日賢義が持ってきた地蔵とまったく同じものだった。おんなじ顔立ちだったし、表情だったし、風雨に削られているところも苔むしているところも同一だった。俺は雪村の胸に抱えられている地蔵から視線を逸らせない。地蔵もずっとこちらを見つめている気がする。


 俺が微動だにできないでいる間に、雪村はクラス中の注目を集めながら地蔵と共に前進してくる。俺の席の真ん前まで来た雪村は止まり、それが一連の動作であるかのように地蔵を俺の机に置く。亡くなった生徒に対する献花みたいに。


 何度見てもあのときの地蔵そのものだった。それは間違いなく俺と倉希が探していた地蔵だった。世界に影響を与えうる地蔵。


 目線を地蔵からさらに上へ向けると、さっきと同じように目や口をニヤニヤさせたままの雪村が立っている。「暮葉くん、これが欲しかったんやろう?」


「な、なんで……?」どうして雪村が地蔵を俺のもとへ持ってくるんだ? 「どこにあったんや?これ」


「秘密」


「…………」

 俺と倉希が何日もかけて必死に探したのに見つからなかった代物だ。雪村がいとも簡単そうに持ってこれるはずがない。マジでどうやって手に入れたんだ? そういえば小日もけっきょくどこにあったのか白状しなかった。


「喜んでくれんのん? せっかく持ってきたのに」雪村はまだ笑ったままだが、同時に困る。「暮葉くんのためになると思って持ってきたんやよ」


「なんでそんなことを知っとるんじゃ」訊いて、ハッとする。俺が地蔵を探しているのを知っている奴は、倉希しかいない。でも倉希を信じるなら、俺達は追跡されていた。「お前か。俺らのこと後ろから見とったのは」


 だが、なぜ雪村が? 次々と疑問が湧いてくる。この世界はパラレルワールドなんかじゃなくて、倉希の言う通り塗り変えられた世界なのか? そして雪村は俺や倉希といった地蔵を探す者を見張って害する存在なのか? 違う。それなら俺に地蔵を献上するはずがない。あんなに探し回って見つけられなかった地蔵を容易くプレゼントしてくれるわけがない。


「気になっとったんや」と雪村が言う。


「はあ……?」


「暮葉くんのこと」


「え……?」


「二年生のとき、話しかけてくれたやろ?」


「え、話しかけたっけ?」それは俺がこの世界に来る前の話かもしれない。


 違った。「私の名前呼んだやろう? 私は『なに?』って言ったけど、そのまま無視して行ってもうたやん?」


「ああ……」あのときだ。雪村と俺がどれくらい親密なのかを確かめたときだ。雪村の態度が明らかに他人向けっぽかったから俺はショックを受けてその場を離脱したんだ。「無視したわけじゃないんやけど……ごめん」


「いいんや。あのときは『なんやあいつぅ』って思ったんやけど、私たぶんもともと暮葉くんのこと気になっとったんやと思う。それから暮葉くんのこと頭から離れんくなって、あのときの会話の続きをずっとしたくて……ずっと見とったんや」


「み、見とらんでも話しかけてくれればよかったんや……」

 そうしてくれたら当時の俺はどれほど喜んだか。地蔵だって探さなかったかもしれない。でもそういう話をする段階じゃない。


「暮葉くん、浅井さんと仲良さそうやったし、これくらいせな振り向いてくれんと思ったんや」雪村は地蔵の頭にポンと手を載せる。「私、役に立てたやろう?」


「どこで見つけたんや?」と俺は再度問う。


「それは秘密」


「返してこい。いや、いっしょに返しに行こうさ。ほんでごめんなさいしよう」

 地蔵の底から冷たい空気が放たれているのがわかる。六月で、もう暑いのに、ときどきヒヤリとした気流が俺の頬や首筋や手を掠める。そして俺がもっとも不気味に思うのは、雪村が持ってきた地蔵……雪村は俺や倉希と違って求める地蔵の姿形を知らないはずなのにどうして寸分違わぬこの地蔵を俺の目の前に置くことができるんだ? 絶対におかしい。地蔵に誘い込まれている。


「もう無理やよ」と雪村が言う。「もう返せん。返す場所がない」


 地蔵の表情が変わる。どこが変わったのかわからないほどの些細な変化だ。でもはっきりと顔が動いたのを俺は見た。そして、些細な変化なのに明確に、地蔵が鬱屈とする。


 やっぱり全部が地蔵の仕業なのだと俺は悟る。席を立ち、教室を出る。雪村から逃げる。地蔵から逃げる。罰が来る罰が来る罰が来る。対抗する手段を俺は知らない。まさか地蔵を叩き割るわけにもいかないだろう。より強い罰があるかもしれない。逃げるしかない。


 隣のクラスを覗き、これまた中三になってクラスが分かれた森葵を呼ぶ。「葵! ちょう来て!」


 森葵は机に腰かけて女友達と駄弁っていた。「はあ、どしたん? もうホームルーム始まるよ?」


「それでも来てほしいんや」俺はマジな顔で言う。


「なんじゃいやー」森葵が机を降りる。「旦那が呼んどるし行ってくるわ」


 廊下まで小走りでやって来た森葵の手を取り、俺は走る。階段を駆け下り、生徒玄関を抜けて外に出る。地蔵の罰はどこまで届くだろう? 中学校の敷地からも出て、県民体育館の隣に広がる芝生まで来て座り込む。雪村は追ってきていない。追う必要がないと思っているのか、追えない理由があるのか。なんでもいい。「……くそ」


「なんやってー」と森葵は俺の突然の行動を非難するように言うが、顔は笑っている。「駆け落ち?」


「駆け落ちできるんならしたいわ」

 思いもよらなかった。地蔵を見つけ出せたとき、俺は自分がもっと喜び踊るもんだと思っていた。だけど目の前に地蔵を置かれたとき、俺は甚だ迷惑な気分になったのだ。迷惑どころじゃない。怒りすら湧いてきた。俺はこの世界にいたいからもう地蔵に飛ばされるわけにはいかないんだよと思った。俺はどこへも移る気はない。自分のはっきりとした意思に気付いたとき、森葵の顔が浮かんだ。俺はこの子と離れたくなかったのだ。どこの世界に行っても森葵はいるだろうし、たぶん声をかければ普通に仲良くなれると思う。でもその森葵は森葵だけど、この子じゃない。だから嫌で、俺はこの子がいいのだ。


「それって告白?」


「わからん」

 掴んで引っ張ってきた森葵の手をまだ離さないでいる。


 森葵もその手を眺めている。「まああたしもどっちでもいいんやけどー」


 寄りかかってくる森葵を、俺は右肩で受ける。「葵。ちょっと怖いことしていいけ?」


「え、なに? あたしを襲うとか?」


「そんなんじゃねえわ。お祈りさせてほしいんや」俺は説明する。「いま俺の机の上に地蔵が置いてあるんやって。その地蔵にここからお祈りする。謝罪する」


「あは、なんで地蔵が数規の机にあるんやってー。いじめ?」


「ご好意なんやけど……ありがた迷惑やったわ」


「ふうん。よくわからんけど、ほしたら祈りね」


「すまん」


「まだ明るいし怖い話も許してあげるわ」


「トイレんときは通話に付き合ってやっとるやん」俺は改めて地蔵の方角に体を向け、手を合わせる。「無礼をお許しください。作法がわからず、間違っていたら申し訳ございません。おもてなしの知識もなく、ぞんざいな扱いになってしまっており心苦しく思います。どうか怒りを鎮めて、罰だけはご勘弁ください。僕はこの場所から、どこへも行きたくないです。この場所を離れたくないです。好きな人といっしょに成長して、この世界で寿命をまっとうしたいです」


 目を閉じてつぶやいていると、「数規と同じ高校に入れますように」と隣から森葵の声がする。ついでに祈っているみたいだ。「数規とできるだけ長くいられますように」


 俺は目を開ける。「できるだけかいや」


「え、いや、ずっとって言ったら重いかなと思って。数規にも途中で好きな人とかできるかもしれんやん」


「アホか……」


「数規とずっといっしょにいられますように」と森葵が言う。「数規に女性が一人も寄りつかず、ずっとあたしにだけ優しくありますように」


「お前なあ……」


「遠慮せんかったらこんなんやよ? あたし、ホントは卑しい女やから。嫉妬もあるし不安もあるし、普通に重いよ」


「いいよ」


「いいよって」


「百通りの世界に百通りの葵がおったとしても、俺はお前がいい」


 森葵が吹き出す。「そんなプロポーズ聞いたことないわ。あたしの対戦相手って全部あたしなん? 他の女は?」


「プロポーズじゃねえし……」受験も経験してない中三なのだ。「他の女は眼中にないよ」


 だけどそれくらいじゃないと、ホームルーム前にこんなところまで連れ出して、こんなところで地蔵に向かって本気で赦しを乞わない。

 俺は地蔵の反応を遠くから待つが、隣の森葵の手は絶対に離さない。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ