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地蔵探し  作者: 上代朝哉
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 大昔、この国には宇羽県なんてなくて、神様があとから創ったという話だ。神様は六体の地蔵を国内各地に設置し、その地蔵に様々な出来事を見聞きさせた。地蔵の知見が充分に蓄積された折、神様はそれらを砕き、蓄えられていたエネルギーを用いて宇羽県をこの国に付け足したらしい。なので、宇羽県は国内においても特別で、その内側で生を営む人々の物語は、地蔵のエネルギーに支えられているんだとか。


 もちろんそういう伝説ってだけだ。宇羽県が存在しないと仮定したときのこの国の地形はどう考えても歪だし、あとから増えたなんてありえない。神様が六体の地蔵を砕いて云々……というこじつけができそうな書物とか石碑とか、なんかそういうものがたまたま宇羽県に残っていたってだけの話だろう。


 中二の社会の授業でそれを習った。でもそんなことは教科書に書いてなかったので、先生がどうしても他人に言いたい豆知識を披露したってところなんだろう。あるいは授業に飽きて唐突に適当な嘘をついたのかもしれない。それも可能性としてなくはない。そういう先生なのだ。


 タイムリーにも、というかそういう話を聞いたからなのかもしれないが、ある日、小日賢義(こびさかよし)が地蔵を持って登校してくる。またあいつはアホなことをしてやがる……と俺は思ったし、二組の奴はみんな思っただろう。小日は問題児のアホで、授業中に音量最大でゲームをしたり、ポケットにいつも折り畳みナイフを忍ばせている。迷惑で危険な奴なのだ。今回は自分の度胸というか狂気というか、アウトローなところをアピールしたくてどこからか地蔵をパクってきて教室に持ち込んだわけだ。罰当たりな奴。


 地蔵はそんなに大きくない。サイズ感は、よくある茶色いビール瓶くらいだ。ちょうど抱えて持ってこれるくらいの大きさと重さ。古めかしい意匠で、所々が風雨で削り取られてしまっている。苔もむしており、一体どこから盗んできたのやら。婿鵜町だけでも至るところに地蔵はあるが、昔から町中でよく遊んでいた俺ですら見覚えのない姿形のものだった。置かれている場所をパッと連想できない。


 岩尾(いわお)っていう一年生の頃からずっと不登校の生徒がいるんだけど、小日は岩尾の机に地蔵を置いた。亡くなった生徒の机に花瓶で献花するときみたいなビジュアルになり、何人かのクラスメイトが笑った。見た感じの雰囲気はそれらしいなと俺は思ったけど笑わなかった。別に面白くはない。


 朝のガイダンスで担任がそれを見留めて怒るが、小日はどこ吹く風。「どこから持ってきたんだ?」と詰め寄られるものの「知らんわ」などととぼけていた。


 地蔵はもとあった場所に返さなければならないだろう。小日が白状しないんであれば、先生方が町を見回って地蔵の空きがある箇所を探し出してこっそり返却しなければならないんだろうか? それとも周辺住民に事情を話して協力してもらうのか。でも一番厄介なのは小日が誰も知らないようなわけのわからない場所から拾ってきている場合で、そうなったら小日自身にしか返却不可能だ。


 どこにいた地蔵なのかは少し興味がある。小日に尋ねてみようかな? でもウザい奴だしあんまり喋りたくないな。教えてくれない可能性も普通にあるし、虫の居所が悪いといきなり蹴ったりしてくるし、マジでクソ……などと逡巡していると、いつの間にか岩尾の机から地蔵が消えている。先生が回収したのか、その前に小日が隠したのか……しかし俺はその瞬間を目にしていない。誰かが岩尾の席に近づいて地蔵を弄れば気がつくと思うんだけど……。


 昼になり、そういえば地蔵どころか小日の姿も見えない、と気付く。先生に怒られて地蔵を返しに行ったんだろうか? だけど先生に怒られたくらいで悔い改める小日じゃない。あいつは逆に先生に殴りかかっていくようなアホだ。


数規(かずき)」と後ろの席の森葵(もりあおい)に背中をツンツンされる。


「え、なに……?」

 びっくりする。森葵は婿鵜(むこう)小学校からの幼馴染みなのだが、話しかけられたのなんて小三以来とかじゃないか? 全然仲良くないし、少なくとも中学校に来てからはまったく口を利いていない。名前で呼ばれてたっけ?とも思う。名字呼びじゃなかったっけ?


 森葵は首を傾げる。「なんか今日、元気なくない? 大丈夫?」


「…………」なに?それ。優しい。気持ち悪い。なんだか毎日俺の元気をチェックしてくれているみたいな口振りだけど、そんな心配は今だかつてされたことがない。繰り返しになるが昨日も一昨日もそれ以前も俺は森葵とは喋っていない。目すら合わせていない。もちろん俺はいつも通り元気だ。なので「ほんなことないよ」と答える。


「そう? 全然喋らんくない?」


「普通やけど……?」


「そうかなあ」


「森こそ大丈夫ぅ?」と訊き返してみる。


 森葵は瞬間的にものすごく悲しげな顔をする。「……もしかして怒っとる?」


「俺? え? 怒っとらんよ、全然。なんで?」


「いや……」


 マジでなんで? そんなに普段と雰囲気が違うのかな?俺。体調は悪くないし、悩み事もない。地蔵がどうなったのかは気になるものの、別にわからないならわからないで構わない。


 森葵が不安そうにしているので、今ちょうど気になっていることを仕方なく森葵に訊いてみる。「なあ、地蔵どうなったか知っとる?」


「地蔵って、なんの?」


 いま地蔵って言ったらアレしかないだろ。「今朝、小日が持ってきた地蔵よ。小日もいつの間にかおらんくなっとるし……」


 難しい顔をされる。「コビって誰?」


 は? 「小日賢義よ」


「誰やって」と笑われる。


 いや、笑い事じゃねえよ。「小日賢義じゃ。二年二組のクラスメイトの。あの問題児のアホのことよ」


「小日なんてこのクラスにはおらんよ」と言われる。「大丈夫ぅ?数規。やっぱなんか、変やよ」


「変じゃねえよ」俺は小日の席に目をやる。やはり今は不在だ。三時間目くらいまでは確実にいた気がするんだけど、そのあとが曖昧だ。俺は隣の席の荻原貴水(おぎはらたかみず)に尋ねる。「なあ貴水。小日ってどうしたん? どこ行ったあ?」


 貴水はぎょっとして俺を見る。「数規って小日と知り合いやったん?」


「知り合いって……」クラスメイトじゃん。「意味わからんわ。あいつどこ行ったん?」


「小日は小四のときに川に落ちて死んどるよ」


「は?」

 なに言ってんだ? 小四のときの話はどうでもよくて、今朝地蔵を持ってきたアホの小日賢義がどうなったのか俺は知りたいのだ。死んでいるわけないだろ。


「日望丘んとこに橋あるやろ? あそこで遊んどるときに落ちて死んだよ。俺はそんときおらんかったけど。おらんでよかったわ。怖ぇ」


「いつ?」


「やから小四の……夏くらい? 数規は小日と知り合いやったん?」


「…………」俺は小日と違う小学校出身だから、小学生のときは小日賢義なんて奴の存在は知らなかった。小日が小四で死んでいたら俺は小日なんて一生知らないままだし、っていうか、じゃあ今朝、地蔵を持ってきて岩尾の机に置いた奴は誰なんだよ。「……貴水。地蔵は知っとるか?」


「地蔵は……お墓とか道の脇に立っとる石の像やろ? なんじゃ急に」


「…………」

 話が通じない。小日は二年二組にいないし、地蔵も持ち込まれていないっぽい。


「なんなん? 死んだ小日が地蔵になったってか? 怖ぇわ」


 森葵も俺の肩に手を置き心配そうにする。「数規、変なこと言わんといてや。怖いし」


「…………」

 俺の方が怖いよ。なんでさっきまでいた小日が遥か昔に死んだことになっているんだ? 地蔵のエピソードもなかったことにされているし。なんだ?これ。時間がおかしい? 俺、タイムスリップした?と反射的に思い確認するが、今日は今日だ。時間は狂っていない。それに、本当に小日が四年前に死んでいるんだとしたらこれはタイムスリップとかじゃない。だって俺はさっきまで小日ともいっしょに授業を受けていたんだから。


「保健室行くぅ?」と森葵が言う。俺の肩には森葵の手がまだ置かれている。「やっぱり数規、ちょっと疲れとるんじゃない? 休みねや」


 変だと言うなら、森葵も変なのだ。妙に馴れ馴れしいというか、優しい。フレンドリーなのだ。俺のことを本気で心配してくれている感じがする。それは俺のイメージの中の森葵とは全然異なる。俺と森葵の関係と言ったら……無だ。何もない。お互いに関心がない、赤の他人同士。


 世界がおかしくなっている……と無意識的に思い、マジでそうだよなと改めて思う。世界が俺を置き去りにして変貌してしまったかのようだ。小日賢義が四年前に死んでいて、森葵が俺にフレンドリーな世界があったとしたら、たぶんこんな感じなんだろう。じゃあ俺はそういう世界に迷い込んでしまったというのか?


 でも他にもいろんな可能性がある。例えば地蔵に悪さをした小日はやはり罰に当たり、強制的に四年前に死んだことにされたとか? いや、でもそうだとしたら貴水がその事実に順応しているのに俺だけがさっきまで生きていた小日を記憶に留めているのはおかしいか? 森葵がフレンドリーなのにも説明がつかない。


 それか、やっぱりタイムスリップがあったんじゃないのか? 誰かが四年前にタイムスリップして、そこで小日を転落死させた。そしたら歴史が変わって、今、小日は橋から落ちて死んだことになったんだとしたら? うーん……でも俺が小日を覚えているのはやっぱり道理に合わない? 俺だけが改竄された歴史からの影響を受けていないことになる。あと森葵の件も謎。


 たぶん、最初に直感的に思ったことが真実に近しい。世界が俺を置き去りにして変貌している。世界自体がおかしくなっている。でもそうなると、俺以外の人間がみんな体や心、記憶を操作されて変化させられてしまったってことになる。俺だけが無事なのも腑に落ちない。


 可能性としての世界が無数に存在するんだとしたら、こういう世界も当然あり、俺がふとした拍子に間違えて迷い込んでしまった……と考えた方がありえそうか? パラレルワールドみたいな。


 でもどうして俺? 俺は車に轢かれそうになったり屋上から落下したりなどしていないのに。ただ授業を受けていただけだ。地蔵に悪さをした小日が世界に置き去りにされるんだったら天罰っぽくてちょうどよかったのに、俺がこんな目に遭うのは納得いかない。地蔵を笑ったり地蔵に触れたり、一切していないぞ俺は。


 あるいは二年二組の生徒全員が別々の世界に飛ばされた可能性はありえるか? 俺一人が飛ばされるよりは現実的かもしれない。地蔵が怒り、二組の生徒全員を無差別に罰し、散り散りにしたのかもしれない。そうだとしたらマジで小日賢義は最低のアホだ。俺のもといた世界の小日も小四のときに死んどいてくれればよかったのに。


 まあとりあえずわかった。俺は今までとは少しずれた世界にいるのだと自覚しておこう。小日が死んでいたり森葵がフレンドリーだったり……他にも微妙に異なる箇所があるのかもしれない。それを受け入れて、あまり大袈裟に騒がないようにしよう。変人だと思われてしまう。


 俺は森葵を見遣る。「保健室、行く?」


 森葵は少し目を大きくする。「行くか? そしたらついてくわ」


「あんがと」

 俺は小学生の頃から小日を知っていたのだということにし、それを貴水に伝えて、それから森葵といっしょに保健室へ向かう。


「やっぱ調子悪かったん?」と歩きながら森葵が訊いてくる。


「うーん……なあ、俺と森って仲良しなん?」


 ストレートに尋ねるのは当然リスクがあったが、はっきりさせたくて俺は敢えてストレートだ。


「……なんやそれ。ねえ、やっぱり怒っとる?数規。あたしなんかしたけ?」


「怒っとらんて。違う違う。仲良しやんな?って確認しとるだけや」


「なんで森って言うん?」


「ああ……」そういうことか。「葵ちゃん! たまには新鮮でいいかなと思ったんや。そんな、俺が葵ちゃんに怒るわけないやん」


「……ぷ。キモ」と森葵は笑ってくれる。「『ちゃん』もキモいし。普通にしてや」


「葵……」


「うん。びっくりするやん。変な冗談はやめて」


「わかったわかった。すまん」葵か……すごい違和感。数規、葵……って、本当に俺達は仲良しみたいだった。「……もうひとつ冗談いいけ?」


「嫌」


「あっそう……」


「いいよ。なんや?」


「……俺らって付き合っとる?」


 森葵が腕を組んでくる。「それって告白?」


「いや……」付き合ってはないのか。わかりました。把握した。「……まあ、付き合わんでもいいんじゃない? 俺ら、仲良しやさけ。な?」


「あたしも今のままでいいけど」


「うん」

 ぶっちゃけ、昨日まで赤の他人だった幼馴染みと恋人関係なんだとしたらたまらなかったが、そこまでの進展はないみたいだった。助かる。世界に置き去りにされた俺は、さらに周回遅れにされるところだった。


 保健室に着く。おばさん先生は不在で、俺はまあせっかく来たんだしとベッドに腰かける。森葵はまだ腕を組んでいて、俺と並んで座る。


 たぶん俺と森葵はメチャクチャ仲がいいんだろうなと想像する。どうしてそういうことになったのかはさっぱりだが、数ある世界の中にならそういう可能性もありえたりするんだろう。


 森葵の横顔。髪は短くて目は小さくて唇だけ少し発色がよくてふっくらしている。背格好は普通で胸は全然ない。綺麗でもないし可愛くもないけど、女子としてそこまで嫌いじゃないって感じの子だ。なんだろう。雰囲気は悪くない。ちょっとエロそう。くっつかれているとムラムラしてくる。


「寝んでいいん?」と森葵。


「あー……」森葵と話がしたくてここまで歩いてきただけなので、保健室自体に用はないのだった。昼休みが終わる前には教室に戻るつもりでいる。「いっしょに寝る?」


「いいけど」


「いや」よくない。「先生に見つかったら怒られるし」


「大丈夫やあ」


「また今度な」


「ほん、わかったよ」


「なあ、誰か学校に地蔵持ってきたことなかったっけ?」


「ねえ、その話怖いし、せんといて。あたし怖い話嫌いや」


「あーそうなんけ? わかったわかった。ごめん。怖い話ではないんやけどな……」


「トイレ行けんくなる」


「トイレぐらいついてってやるわ」


「あは。家のトイレや」


「トイレしたくなったら呼んでや。行くわ」


「アホー。ホントに来てくれるんか?」


「いいよ」


「来るわけないやん。いいわ。ほしたらトイレ怖いとき電話するさけ」


「いいよ」


「ふふ」と森葵はちょっと笑って俺に体を傾けてくる。「なんか今日の数規、変やなー大丈夫かなーってマジで心配やったんやけど、いつもの数規やわ。安心した」


「ほうけ」

 何事も最初の違和感が正しかったりするんだろうか。森葵の確信は間違っていて、俺はいつもの俺ではない。でも今までの俺は森葵とこんなふうにコミュニケーションを取っていたんだろう。だとしたら、俺はやっぱり俺みたいだ。


 何かが少し違うだけで、おんなじはずの子と仲が良かったり赤の他人だったりするのだ。でもこうして話してみてわかる。どちらの可能性だってありえるのだ。俺は今まで森葵になんて話しかけようとも思わなかったけれど、話してみると案外と楽しい。そんなもんなんだろう。


 ほどなくしておばさん先生が戻ってきて「清いお付き合いをしてくださいね」と釘を打たれて教室に帰され、午後からの授業を受け、その最中に俺はとんでもないことに思い至る。やばい。やばすぎるよ。マジで。世界が変貌したということは、俺が攻略中だったクラスメイト、雪村東子(ゆきむらとうこ)はどうなってしまったんだ? 理科や家庭の移動教室で同じ班になれた追い風もあって俺は雪村に果敢なアプローチを続け、かなりの親密度を稼いできたのだ。授業中限定だけどたくさんの雑談を交わせるようになり、雪村もたくさん笑ってくれるようになり、そろそろ休み時間に話しかけてよりいっそうお近づきになれないかと考えていたところだったのだが、俺の頑張りはこの世界に引き継がれているんだろうか?


 俺は右斜め前方で授業を受けている雪村を見つめる。後ろ姿がもう既に美少女。髪は染めていないけど薄茶色で綺麗で、白いブラウスが透けてブラの紐が浮かんでいる。雪村は胸もしっかりあって、キャミソールとかスポーツブラじゃない、ちゃんとしたブラジャーを着けている。すごい。


 そんなすばらしいけれど少し神経質そうな雪村の氷を俺はコツコツと削って溶かして、関係性をかなり進展させたはずなんだけど、どうですかね? まさか?


 我慢できずに次の休み時間に雪村東子の席へ行く。雪村はちょうど今ノートを書き終えたようで授業道具を片付け始めていた。


 俺は意を決して声をかけてみる。「雪村……」


 雪村が顔を上げる。まつ毛が長くて大きな瞳。かっわいらしい顔。それがすぐに怪訝そうなものに変わる。「……なに?」


 もうリアクションひとつでわかる。俺が攻略した雪村東子は絶対にこんな反応しない。「あ、暮葉(くれは)くんや。なんやあ?」くらいは確実に言ってくれる。わかっちゃいたけど、やっぱりこの世界の雪村は俺の知らない雪村で、俺には何の興味もなさそうだった。絶望感。俺は四月から積み上げてきた二ヶ月ほどの努力が水の泡になったことを悟り、何も言えずにその場を立ち去る。


 最悪だ。小日賢義のクソ野郎はマジで何をしでかしやがったんだよ。俺は心の中で唾を吐く。世界の変貌が小日のせいだとは確定していないが、あんなの絶対に小日のアホのせいだろう。今日、何か変わったことがあったとすれば、あのアホが地蔵を学校に持ち込んだことくらいなのだ。マジふざけんな。なんちゃってヤンキーが。くそったれ。


 雪村の白くて愛らしいお顔や、同じくきっと白いはずでふわふわのおっぱいはいずれ俺のものになるはずだったのに。廊下で嘔吐してしまいそうでやばい。こんな形で台無しになるなんて誰が想像するだろう。ありえなさすぎる。本当にバカらしい。


 小日の持ってきた地蔵はこの世界の婿鵜町のどこかにも存在するはずで、それを学校に持ってくればまた何かが起きてもとの世界に帰れないだろうか?なんて俺は考えてしまっている。地蔵のせいかもわからないし、地蔵を学校に持ってくることが条件なのかもわからないのに。


 でも恐ろしいのは、小日が死んでいる世界が存在するということは、俺が死んでいる世界もあるかもしれないってことで、そういうところへ誤って飛ばされてしまったら一巻の終わりだ。ひょっとすると、地蔵から重い罰を受ける者はそういう『自分が死んでいる世界』の自分に確定で成り代わらされてしまうのかもしれない。今回の場合、小日はそういうろくでもない世界へやられてしまっているおそれがある。地蔵を笑った奴らにしても、次くらいには嫌な世界に回されていたりして……。


 わからないことしかないので何を試すにしても躊躇われる。でも雪村の攻略を続けたい。あの可愛らしい子とまた笑顔で会話がしたい。すごくバカみたいな欲望だけど、今の俺の望みなんてそれくらいしかない。


 放課後、社会の先生に訊きに行く。「先生、質問いいですか?」


 職員室の奥で、じいさん先生が顔を上げる。「お、なんだい?」


「先生、この前地蔵の話ししたじゃないですか」


「地蔵?」


「あ」もしかしてこの世界ではしていないのか? していなさそうだ。「あのー……宇羽県は六体の地蔵で創られたって話」


「おお、よく知っとるな。ワシ話したっけな? その話がどうかしたんか?」


「いや、それと関係があるんかはわからないんですけど、婿鵜町に特別な力を持つ地蔵ってあったりします?」


「なんじゃ?そりゃ。わからん。言い伝え的な話か?」


「人を別世界に飛ばしてまう地蔵とか……もしくはこの世界をちょっと歪ませてずらしてまう地蔵とか」


「わからん」じいさん先生は考える気もないみたいだった。「ワシは婿鵜町出身じゃないさけ。婿鵜町の言い伝えは全然わからん」


「婿鵜町じゃなくてもいいわ。県内でそういう言い伝えとかってありますか?」


「知らん。聞いたこともないわ」


「…………」


「そもそも地蔵は宇羽県を創るときに壊しとるから、特別な力を持つ地蔵はまた全然別の話じゃないんかな」


「まあ……たしかに」

 地蔵っていうキーワードが重なるだけで、宇羽県伝説と今回の件は別かもしれない。エネルギーを蓄えた六体の地蔵はもうこの世にないのだ。


「また調べとくわ」とじいさん先生は言うけど、たぶん調べないだろうなと思う。


 俺は一応「はい」と頷く。「ありがとうございました」


 部活の時間が始まる。この世界の俺は何部に所属しているんだろうか? もともとの俺は陸上部で、俺に陸上以外のスポーツなんてできる気がしないんだけど、交遊関係が変われば部活にもまた影響が出ていたりするかもしれないし一概には言えない。森葵に訊くとまた不安がらせてしまうし誰に確認しようかなと悩んでみるも、俺が職員室から戻ってきたときには教室は既に閑散としていた。


 怪しまれそうだけど担任に尋ねた方が無難だろうと判断し再び職員室へ向かおうとすると、廊下で呼び止められる。「暮葉くん」


 ハスキーで低いけれど女子の声。誰かと目をやると……誰だっけ。ちょっと大柄な女子。太っているんじゃなくて骨格が大きい感じ。髪はボサボサパーマで、猫背で、なんか野暮ったい。クラスメイトなのだが、名前を思い出せない。クラキ。倉木なんとかだったかな。そんな気がする。「……倉木?」


 小声で確かめると「浅井倉希(あさいくらき)です」と名乗られる。


 あー……倉希は名前なのか。名字みたいな名前しやがって。まあいいや。「なんや?」


「暮葉くん、休み時間に地蔵の話ししてたよね?」


「お……」地蔵に反応する奴がいた。「しとったよ。なんや?倉希、地蔵に興味あるん?」


「朝、小日くんが地蔵を持ってきたこと、覚えてる?」


 地蔵どころか小日賢義のことも覚えているじゃないか。俺はテンションが上がる。「お前、あの世界の倉希なんか!?」


「あの世界の……?」


「ほうや! 朝、小日が地蔵持ってきて岩尾の机に置いたんやろ? でもこの世界やと小日は四年前に死んどるさけ。この世界はあの世界じゃないぞ」


「そういう考え方もあるか」と倉希はつぶやく。


「うん? 違う考え方もあるんか?」俺は訊き返す。「倉希はどんな考えなん?」


「……とりあえず帰らない?」


「俺、部活なんやけど」


「こんなときに部活してる場合じゃないと思うけど」


 たしかに。たしかに? どうなんだろう。そう言われればそうだと思うけど、部活をせずにじゃあ何をするんだって気もする。

「とりあえずこの世界で生活せないかんし。この世界で日常を送らないかんやろ」


「わたしはこんな世界認めない」倉希が俺の手を取る。「行こう」


「行こうって……」

 俺はなんとなく気迫負けして引っ張られる。倉希って似たような雰囲気の女子達と変な漫画の話をしたり絵を描いたりして盛り上がっているような地味めな印象だったんだけど……意外と積極的だ。いや、共通の記憶を持つ者を見つけて舞い上がってしまっているんだろうか? たしかに俺から見ても、倉希は貴重な存在だ。この状況を打破する何かを見出だすことができるかもしれない。だとしたら部活なんてやっている場合じゃないか。まずは倉希とゆっくり話し、情報や意見を交換するべきか。


 生徒玄関で靴を履き替え、外に出る。部活はサボるしかない。


「よかった。塗り変えられてない人がいて」倉希は歩きながら息をつく。


 早足の倉希に俺も歩幅を合わせる。「塗り変えられとらん人って、俺?」


「そう」


「記憶を塗り変えるってこと?」


「記憶だけじゃない。人間性とかも。……この世界は塗り変えられてしまってて、もうみんなおかしくなってる」


「…………」なるほど。俺は俺自身がパラレルワールドに移動してしまったと考えているが、倉希はあくまでも自分のいる世界が変えられてしまったと考えているわけか。「なあ、でも小日は四年前に死んだことになっとるんやぞ。これってもう別の世界やと思わん? 俺らが生活しとった世界じゃないやろ」


「そういうふうに世界が塗り変えられたんじゃない? 小日くんは地蔵を弄んだ罰として死んで、みんなには『四年前に死んだ』という記憶が植えつけられた」


 なんとでも言えるんだよなあ。「……でも例えば、森葵には俺とずっと仲良くしてきた記憶があるんやぞ? それって、森葵と仲良くしとった『俺』がここで生活しとったってことじゃねえ? 今は俺と入れ替わってもうたけど」


「森さんも塗り変えられただけだよ」


「ほしたらなんで俺のことは塗り変えんのん? 葵の記憶にガッツリ俺を加えるんなら、俺の記憶も塗り変えなおかしくならん? 俺の記憶を塗り変えんっていう選択を地蔵がしたんやとしたら、葵の塗り変えた記憶に俺をやたらと含ませるのは矛盾やろ」


「わたしの友達はみんないなくなったよ」と倉希が俺を見据える。隈の濃い目だ。日焼けしているわけでもないのに、倉希の顔はなんだか黒く見える。「わたしなんかとは仲良くしたことないし、今までに一度も話したことすらないって言われた」


「…………」


「ここがパラレルワールドだとして、そんなことになると思う?」


「……わからん」俺の友達関係はあんまり変化がなかった。貴水とも普通に仲がいいままだったし、強いて言うなら森葵と親友で、雪村東子と他人だったことぐらいが以前との差異だ。基本的に、この世界においても俺は俺で、性格に大差はないようだから、出来る友人も似通うのは当然だと思っていた。「……この世界の倉希は引っ込み思案やったんかもしれん」


「違う! みんなが変えられてもうたんや! パラレルワールドになったくらいでわたしがみんなと友達じゃなくなるなんて、信じられない。どんなパラレルワールドでも、わたし達は親友のはずだから……」


「そういうことか」今の友達が大好きなのか。だから、そいつらと友達になれない世界が存在するなんて認めたくない……という考え方か。それでパラレルワールド説を否定したいのか。でもだいぶ苦しい理屈だ。「ほんならわかった。で、どうする?」


 倉希を論破して俺の説を押し通してもたいした価値にはならない。俺は俺、倉希は倉希として、『小日が地蔵を持ってきた』記憶がある者同士、協力すべきだ。


「暮葉くん、あの地蔵がどこに行ったかわかる?」


「わからん」あの地蔵はたぶんあの世界に残されたままだと思うが、そう言うとまた話がこじれる。「婿鵜町にはああいう地蔵がまだあると思うんやって。とりあえず俺はそれを探したい。あの地蔵を小日がどこから持ってきたかなんやってなあ。倉希もわからんよな?」


「わからない。わたしは近くで見ることもしなかったから」


「俺は姿形ははっきり見たわ。でも見かけたことのない地蔵やったなあ。そのわりには古びた感じやったし……もしかして山奥とかから盗ってきたんじゃねえやろなあと思って。あっちにゴミ処理センターあるやろ? あれのさらに奥とか」


「地蔵がキーアイテムなのは間違いないと思う」と倉希も言う。「今日は町の地蔵を改めて見て回らない? もしかしたら暮葉くんが見落としてる地蔵があるかもしれない」


「まあ、ほやね」俺も全地蔵を把握しているわけじゃない。「小日って河下南小学校出身なんやろ? ほしたらそっちの地域中心に探してみんけ?」


「オッケー」


 俺と倉希は帰宅せずにそのまま地蔵探索を始める。四年前に小日が落下したという橋を渡り、日望丘を通り抜け、河下南町へと下る。


 いろんなところに地蔵はある。だけどサイズが大きかったり、小さくても土台と一体化していたり、そもそも造りが全然違ったり……小日の持ってきた地蔵に近しいものは見当たらない。地蔵の居場所の規則性もイマイチわからない。配置に基準があるんだったら探しやすいのだが……町と町の境いにあったかと思えば、普通に町中にあったりと俺達を惑わしてくる。現代の境界とはまた異なる、昔ながらの区分けに沿って配置されているのかもしれない。


 河下南小学校を横切りながら、倉希が訊いてくる。「暮葉くんはどのタイミングでおかしいって気付いた?」


「俺は……いつの間にか地蔵とか小日がいなくなっとって、あいつどこ行ったん?って訊いたら『小四のときに死んだよ』って言われて」


「怖くなかった?それ聞いて」


「いや、怖ぇよ。だってさっきまでアホみたいな顔して地蔵で遊んどったやん……って思ったよ」


「わたしは……友達のところへ行ったら『なに言っとるん?』て言われて。『一度も話したことないやん』って」


「それもショックやよな」と俺は少し笑いそうになるが笑い事じゃない。


「もうみんなおかしくなってしまって、わたしにはもう味方がいないんだって思ってたら、暮葉くんが地蔵の話をしてるのが聞こえてきて……」


「ああ……」


「それでなんとか正気を保てた。ありがとう」


「おう、別に」

 俺は友達がいなくなったわけじゃなかったから、そこまで孤独感はなかったけど。俺自身が違う世界に移ってきたんだという認識だったし、みんなが変えられておかしくなってしまったとも思わずに済んだ。ただ、雪村の件は残念で、その件だけでも地蔵を探す理由としては充分なのだ。


「暮葉くんだけがわたしの味方……」


「小日の地蔵、なんとか見つけ出そうさ」


「うん」


 お城の跡……ではないと思うんだけど、石垣が幾重にも繰り返す坂道がある。歴史のありそうな場所なんだが、地蔵の気配はない。だけど念のため、歩道脇の草むら地帯にも足を伸ばして覗いてみる。六月の気候で雑草は青々と育ち、普段だったら絶対に立ち入りたくない深淵となっているけれど、背に腹は代えられない。小日のあの地蔵が特別なんだとしたら、こういう場所にこそ落ちていたりしそうだ。


「なさそうや。なんか、埋められた井戸の跡みたいなのはあったけど……」


 石垣の一段下の坂道に立ち、倉希が俺を呼ぶ。「暮葉くん。そこからこっちに飛び降りれる?」


「降りれるけど、なんで?」


「飛び降りたら、走ってわたしについてきて」小声になる倉希。「いい?」


「あん?」なんかよくわからないが。「わかった」


 俺は言われた通り、草むら地帯から下の坂道へ飛び降り、膝への意外な衝撃におののきながらも倉希と共にダッシュする。坂道を駆け下りて、車道を渡り、別の集落に入り込み、適当な狭い路地で座り込んで休む。


 倉希は息切れしている。「はあ……はあ……つらい」


「なんなん? どうかしたん?」

 倉希が真剣そうだったので従ったが、俺は何も理解していない。


「誰かにつけられてた」


「えっ」


「いつからかわからないけど、誰かがついてきてた。もしかしたら最初から」


「マジで?」誰よ。怖。「捕まえた方がよかったんじゃねえ?」


「誰かわからないし、怖いよ。すごく遠くから見られてて、誰かいるのはわかるんだけど、姿が全然掴めないし」


「怖ぇ。撒けたかな」


「たぶん撒けた。一気に距離を取れたし、向こうもこっちを見失ったはず」


「なんで俺らをつけてくるんじゃいや」


「わからない。地蔵を探してるから……?」


「なんで地蔵探しとる俺らを監視するんよ」


「地蔵を見つけられると困るから?」


「てか地蔵探すこと、俺ら誰にも話しとらんやん。誰がつけてくるんやって」


「わからない」


「……地蔵の話自体は誰にしたあ? 俺は荻原貴水と森葵だけ。あとは社会の先生」


「わたしは、もともとの仲良しグループの子達三人に話した。地蔵のこと覚えてないか?って訊いただけだけど」


「ふうん……」

 でも、俺達が地蔵を探しているからって、それを阻止してやろうなんて思う奴はいないはずだ。だって、この世界のみんなにとっては、地蔵なんてただの地蔵に過ぎないはずだし、そもそも俺が今日地蔵を探すことだってさっき倉希と会って初めて決めたことだから誰にも知られようがない。


「わたし達がこの世界をもとに戻してしまわないように見張ってる誰かがいるのかも」


「…………」

 それはおかしい。倉希のその予想が正しいなら、この世界はパラレルワールドではなく、本当に塗り変えられた世界って線も出始めてしまう。でも判明している状況的にはパラレルワールドと見なす方が適切なはずだ。そうだ。俺は追跡者の姿なんて見ていないし、それは神経質になっている倉希が主張しているだけに過ぎないのだ。倉希は自身が悪意を持って攻撃されていると考えている節が多少あるから、どうしても過敏になりがちだ。俺まで感化されてしまってはいけない。


「でも、これでわかった」と倉希は確信的なトーンだ。「地蔵を見つけ出すのは意味のあることなんだ」


「うん……」見張られているんだとしたらもしも地蔵を見つけても妨害されてしまうから袋小路なんだけど、たぶんそんなことはありえないはずだから、俺もとりあえずは地蔵探しを続けようと思う。「……だいぶ冒険したし、今日はいったんここまでにして帰らん?」


「そうしようか」


「帰り道に怪しい奴がおったら、俺が捕まえてやるわ」


 倉希の勘違いなのかどうなのかをはっきりさせたい。実在するならするで、誰が、どうして俺達を追跡しているのか、必ず聞き出してやる。


 俺達は婿鵜町の中心に戻ってくる。追跡者の気配は少なくとも俺には感じられない。それぞれの家へ帰る段になって、倉希は一度俺と別れたものの、しかしすぐに戻ってきて暮葉家のチャイムを鳴らす。


「どしたん?」


「やっぱり怖い……」


「誰かつけてきとる?」


「そうじゃなくて、家に帰るのが怖い」


「なんでやって」


「わたしの親だって塗り変えられてるでしょ? 塗り変えられた家族に囲まれて夜を過ごすのが怖いよ。もしかしたら、わたしみたいな子供は知らないって言われるかもしれない」


「それはありえんやろ」俺は今さっき親と話したが、普通だった。どんな世界だろうと、俺は俺の親からしか生まれ得ないだろう。だから『お前はウチの子供じゃない』なんて言われるはずがない。あ、そうか。倉希は親の記憶が塗り変えられていると考えているんだったか。親が別物に創り替えられてしまっていると恐れているのだ。じゃあ何を言っても無駄か。「ほしたらどうするん?」


「暮葉くんちに泊めてもらうのって、ダメ?」


「え」えぇ……。「ウチの親も塗り変えられた人間やぞ?」


「でもここには暮葉くんがいるから。わたしにはそれだけで心強い」


「うーん……」


 しばらく押し問答して抵抗したけど無理そうだったので、親に頼んで倉希を泊めてやることにする。倉希には自宅へ連絡するよう言って、倉希もわかったと頷いたが、本当にちゃんと連絡したんだか。俺の親に迷惑がかかるのだけは勘弁だからな……。


 ごはんを食べ、お風呂に入り、リビングでしばらくテレビを見てから部屋へ行く。倉希はおとなしい落ち着いた奴なので、ウチの親からは「お姉ちゃんが出来たみたいなやな」などと皮肉を言われた。あと、部屋へ行く直前に小声で「あんた、倉希ちゃんに変なことしたらいかんよ?」とも。するか。


 俺は自分のベッド、倉希は来客用の敷き布団で寝る。ベッドの寝心地の方が断然いいことを俺は知っているけれど、自分を犠牲にして倉希に譲るなんてことはしない。泊めてやるだけでもけっこうな譲歩なのだ。消灯。今日は地蔵を求めて歩き回ったから日頃の部活よりも疲労していて、横になるとすぐに眠気が来てくれたのに、倉希が床から「暮葉くん」と呼ぶのでいい感じのところで起こされる。「いっしょに寝てもいい?」


 もう好きにしてください。俺はベッドの端に寄り、倉希の分のスペースを創ってやる。倉希に背中を向けて、まどろみを再開する。「おやすみ」


「おやすみ。ありがとう」と倉希も言う。悪い奴ではないんだけど、いかんせん顔が好みじゃない。「本当に、この世界で暮葉くんの傍だけが安心できる。暮葉くんはわたしの救世主だ」


「なあ」俺は話を逸らす。「なんで倉希って標準語なん?」


「標準語かな……?」


「標準語や」取り乱したときは方言が出ていたが。


「漫画とかたくさん読んでるから……?」


「ふうん」

 俺も漫画は読むけど標準語が感染したりはしない。


 倉希も静かになり、やれやれと息をついていると、腰辺りに何か小さいものが載ってくる。びっくりする。感覚的にそれは倉希の手だ。たまたま載るなんてことはありえないだろうから意識的にそこへ置いたんだろう。また『安心する』とかなんとか言うつもりなんだろう。放っておく。早く寝たい。


 しかしだんだん倉希は体ごと接近してきて、俺の背中の極々近くで体温や圧をひしひしと感じるようになる。腰辺りに置かれていた手も、いつの間にか俺を抱きかかえるように腹の方へ回されている。ちょちょちょ……雪村にも触られたことないのに。俺は「倉希」と牽制する。


「ごめん」と謝るが倉希は俺に密着したままだ。「わたし、泊めてもらったのに何もお礼できないから」


「別にお礼なんていらん」


「でも、明日も泊めてもらいたいし……」


「えっ」もしかして、問題が解決するまでずっと泊まるつもりなのか? でもそんなの、地蔵が見つかったとしてもまだ全然解決には至らないし、だとしたら倉希はいつまで俺の部屋で一夜を明かす気でいるんだろう? 「あの、さすがに毎日は泊めてやれんぞ?」


 喋っている間に倉希が俺のシャツに手を入れてきて、勝手に俺の腹部を触る。俺はさすがに体を反転させて倉希の方を見る。くすぐったいというより、反射的に逃げてしまいたくなる感覚。倉希の指は思ったより太くて、硬くて、指先がなんかざらりとしている。


「暮葉くん、わたしのことも触っていいよ」


「なに言っとんじゃいや……」


「泊まらせてくれるお礼……というか、わたしを助けて守ってくれたお礼」


「別に助けとらんよ」


「こんな世界で、暮葉くんだけが残っててくれたってだけで嬉しい。わたしは本当に、暮葉くんがいてくれて助かったって思ってる」


「たまたまやし。探せば他にもおるかもしれん」と自分で言い、たしかにと思う。小日が地蔵を持ってきた世界から飛ばされてきた人間が他にいないかどうかを探るのは意味のある行為だろうか? 何かの突破口に繋がるだろうか?


 せっかく考えているのに、倉希が喋ってきてうるさい。「わたしは暮葉くんだけでいい。わたし、暮葉くんって今までどんな人なのか知らなくて、ちょっと恐い人なのかな?って思ってたんだけど……わたしがいきなり話しかけても優しくしてくれて、いっしょに地蔵も探してくれて、本当に嬉しかった。助かった」


「ん、まあ、地蔵は探した方がいいやろうし……」


「だから、暮葉くんだったら全然いい。暮葉くん、よかったらわたしのこと触ってください」


「触るっつったって……」などとぼやきながら俺は倉希の腕をちょっとだけ指で押している。なんかだんだん、倉希と同じ空間で寝ているという非常事態にも慣れてきて、俺の下半身が冷静に反応してくる。倉希は暗闇でもシルエットがなんかでかくて、匂いもなんというか、木の削りカスみたいな匂いがしてあんまり魅力的ではないんだが、女子は女子だ。で、女子が目の前で寝ているというだけで俺は昂ってしまう。


「どこ触ってもいいよ」


「……嘘つけ」


「嘘じゃない。暮葉くんなら、本当にどこでも」


「…………」


「その代わり、優しく触って」


 興味がなかったから一切見ていなかったけど、そういえば倉希は体格と相俟って胸も大きい。「……胸も触っていいん?」


「どこでも大丈夫」


「なんでや」


「何が?」


「なんでそんなに気前いいんやって」


「だから、暮葉くんだから。暮葉くんには感謝してる。だからだよ」


「…………」


「あと、わたしも触られたいから」


「…………」エロ! 顔に似合わずエロいな。興味津々ってことか。でもこういう女子に限っていやらしいってイメージはなんとなくある。触るか? 俺の心臓も加速度的に荒々しい伸縮を始めるが、欲望に任せていろいろと触ってみたい俺と、ここはクールな紳士を演じたい俺が共存している。好きでもない相手を触っても仕方ないだろうという思いと、将来のために予習をしておきたい思いの葛藤。


 頭でいくら考えても、全身がもう倉希を求めて尖っているのだ。倉希というか、女子の体。順番に触らせてもらおう。倉希も望んでいるし全然大丈夫だ……という謎の確認を自分自身でしてから、倉希のお腹に手をやる。俺が貸したジャージを着ていて色気も何もないが、実物の女子の体があるってだけで充分にすごいことだ。


 俺のスマホが鳴り、驚きすぎて思わずベッドで立ち上がる。親か? 親が何かを察知して俺の邪魔をするべくスマホを鳴らしやがったのか? しかし、時刻を確認してみるといつの間にやら零時を過ぎており、だったら親はもう寝たはずだ。


 ディスプレイに表示されているのは森葵の名前だった。なんだよもう。今、お腹からそのまま北上して倉希の胸を揉む予定でいたのに……。


 倉希に断って部屋を出る。廊下を進み、それから通話を繋ぐ。「もしもし。なんじゃいや、こんな真夜中に」


「こんばんは。ごめん」とスマホの向こうで森葵の声がする。


「こんばんは。なんや?」


「あの……トイレ」


「は? なんやってか?」


「トイレについてきてほしいんやけど」


「はあ? ついてきてって、今から来いってこと?」


「あ、違う違う。トイレ行くさけ電話繋いどいてほしいってこと」


「あ、ああ……」そういえばそんな話、学校でしたな。「わかったよ。ほしたら繋いどいてやるさけトイレ行けや」


「ありがと」


「別に~」


「寝とった?」


 いや、今まさに倉希のおっぱいを触ろうとしていたんだけど「寝とった」と言っておく。「葵は? 今から寝るんか?」


「あたしも寝とったんやけど、おしっこしたくて目ぇ覚めてもうたんや。朝まで我慢できんそうやし、悪いなと思ったんやけど」


「おう。別にいいよ」


「いま階段下りとる」


「はは。別に実況せんでいいぞ」


「あは。いや、なんとなく」


「うん」


「……数規、先に言っとくけど、いま怖いこと言わんといてや?」


「言うわけねえやろ」


「うん」


 かといって黙っておくのもアレだし、質問してみる。「なあ、葵」


「なんや?」


「葵はなんで俺と仲良くしてくれようと思ったん?」


「えー? わからん。話しとって楽しいからとかじゃない?」


「そうなんか」


「もっと特別な理由がよかったあ? でもあたしら、ただなんとなくいつの間にかいっしょにおるようになったやろ?」


「まあな」

 俺にはその記憶がないからはっきりと同意できないけども。でも、そういうありきたりなエピソードは俺と森葵に似つかわしい気がして抵抗感なく自然と浮かんでくる。


「すごい物語があって絆が生まれたとかじゃないけど、その代わり、あたしらって何回生まれ変わっても仲良くなりそうじゃない?」


「…………」どうかな? 俺のもといた世界では全然仲良くなかったぞ?と思うけど、もちろん「そうやな」と俺は頷く。「……なあ、トイレ着いたあ?」


「あぁ……ははは。ごめん、いま階段に座って話しとった」


「なんじゃいや……」


「だって、数規が改まった話しするさけ」


「漏れてまうぞ」


「いま廊下歩いてます。で、トイレ着いたわ」


「トイレしてください」


「はーい」便座に腰かけたような音がし、直後、ものすごい水音が立つ。水が水面を打つ音。


「おお、出とる出とる」


「え、聞こえとるぅ!? ちょっと聞かんといてやーアホ」


「ほしたら電話切るか?」


「あーダメダメ。そのままでおって」


「はいはい」


「……別にいいんやけど。数規にくらい、なに聞かれたって」


「すごい心許しとるやん」と言ってみる。


「当たり前やん」


「そうけ」


「うん」


 なんというか、森葵の今の『うん』にはものすごい情報量というか感情が入っているように聞こえて、俺の耳毛がさわさわと揺らめく。温かい空気の塊が俺の耳の穴でやんわり渦巻いている。


 倉希の体に触らなくてよかった……と俺はなんとなく安堵している。お腹には少し触れたが、触れていないのと変わらない程度だったので触れていないことにする。


「トイレ終わった?」


「うん……終わった」


「ホントに終わったんか?」


「終わったって。いま拭いとったの!」


「ああ、はいはい。すまんすまん」


「……ほしたら戻るね」


「手ぇ洗えや」


「あ、洗うわ!」


「いつも洗っとらんのやろ」


「きょ、今日は数規が待っとるさけ早く済ませようと思ったんや!」


「ふうん」


「数規も洗わんクセに。いい気にならんといてや」


「男は洗わんくてもキレイやもん」


「男の方が汚いやろー」


「ふ。洗い終わったか?」


「……終わった。今から部屋戻るわ」


 俺は口走っている。「なんか葵に会いたいわ」


「は? なに?」


「葵に会いたい」


「今ってこと?」


「うん」


「…………」森葵は少し考えるようにしてから「あたしも会いたいよ」と言う。「でも朝になったらすぐ会えるやん?」


「まあな」


「……怖い話ししようとしとる?」


「アホか。なんでやって。会いたいって言っとるだけやん」


「あたしも会いたい」と森葵は笑っている。「そんなこと言ってくれるの嬉しいわ。どうかしたん? なんかあった?」


「別に」倉希に対するムラムラはもうないが、解消されないであろう妙な気分が俺の体内を漂っている。「なんもないけど。部屋戻ったあ?」


「まだ。あはは。また階段のとこで話しとる」


「はよ戻れや」


「数規が変なこと言うからやろ」


「気にせんといて。会いたいっつって会えるわけないし。はよ寝ようさ」


「うん……」階段を上る音が聞こえてくる。「ありがと。無事部屋に到着」


「よかったわ」


「ありがとうございました」


「ほしたら寝よ」


「はーい」


「また明日」


「うん。ありがとう。起こしてもうてごめんねえ」


「ううん。おやすみ」


「おやすみなさい。ありがとう」

 通話が切れる。俺も部屋に戻り、倉希には触らないし倉希も触らないでという旨を伝えて寝る。惜しいかな? もったいないかな?とまだ思うが、森葵と話したあとに倉希を触る気にはなかなかなれない。

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