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91:避けられない戦い

「……失礼します」


 剣道場の戸を開けて、中へと一歩踏み込む。


 懐かしい匂いが香ると共に、壁際に並んで座る門下生の視線が突き刺さる。


「な、なんだかすごく剣呑な雰囲気……」


 白久さんも、この異常な空気を感じ取っているようだ。


「こればかりは仕方ないわ……」


 そう、仕方ない。


 俺はこの道場を破門になったのだから。


 それがこうして舞い戻ってくるなんて、普通では絶対にありえないことだ。


 当時のことを知る門下生たちから批判の視線を受けることは、至極当然。


 それをわかった上で、こうして戻ってきたんだ。


 この状況になにか言うつもりはない。


 それに、批判の視線を受けること自体は、もう慣れきってる。


「晴未さんはこっち」


「え……」


 羽月に引っ張られて、白久さんは道場の端っこに連れて行かれる。


「ふー……」 


 唯一入口に取り残された俺は、ゆっくりと息を吐いて、入場の儀式を始める。


 道場に入る時に必ずしなければならない、入場の儀式。一種の作法のようなものだ。


 最奥の神棚まで進んで、拝礼。


 手にしている竹刀を一度納めて、正座して礼。


 再び竹刀を手にして、今度は師範の前に正座。


 深く頭を下げてから、顔を上げて口をひらく。


「……お久しぶりです、麓郎師範」


「久しぶりだな、三峰匠」


 目の前にいるだけで、怖気づいてしまいそうなほどの圧を放つ師範。


 奥歯を噛み締めて、なんとかこの場に踏みとどまる。


「今更なにかを語るつもりはない。今日ここへ来たのは、私の招きでもないのだからな。しかしここに踏み込んだ以上、それに相応しい実力を見せてもらおう」


 やはりそういう流れになるか。


 この人に認められない限り、俺がここにいられるはずがない。


「蓮夜!」


 師範が名前を呼ぶ、すると一人の門下生が立ち上がって、前に出てくる。


「お前が相手をするんだ」


「承知いたしました」


 大野蓮夜、年は俺の二つ上の、兄弟子。


 俺が初めてこの道場に来た時に、初めて戦った相手。


 なんの因果か、この状況で再び手合わせをすることになるとは。


「お久しぶりです、大野さん」


「黙れ、規律違反者。みだりに舌を動かすな、森口道場の恥晒しが」


「…………」


 ……あぁ、そうだった。


 俺、この人にめちゃくちゃ嫌われてるんだった。


 俺がこの道場に初めて来た日に負かしてからというもの、俺のことを心底恨んでいるらしい。


 道場にいた八年間、俺が羽月に負け続けたのと同じように、彼も俺に負け続けていたからな。


「三峰匠、防具は自前のものがあるのか」


「いえ……できればお貸し願えますか」


「いいだろう、翔」


「はい。匠君、こっちに来て」


 翔さんの後について、道場に置いてある予備の防具を身につけた。


「……重いな」


 普段は身軽な状態で戦っているせいか、防具がやたら重く感じる。


「それに、やっぱり動きが制限される」


 普段の剣は使えなそうだ。


 さらには、五年間のブランクで剣道の戦い方を完全に忘れてしまっている。


(全く嫌になるな)


 公平であると見せかけて、実は圧倒的に不利な戦いだ。


 けど、それは最初からわかっていた。


 この程度の理不尽さに文句を垂れるわけにもいかない。


 だから昨日半日かけて、羽月と猛特訓してきた。


「いつも通りの、一本勝負だ」


「……わかりました」


「はっ!」


 面をつけて、竹刀を向けあう。


「それでは……始めッ!」


「いやあああああああッ!」


 開始の合図の瞬間に、道場に轟く咆哮。


「っ……」


 五年前にはなかった、大野さんから発せられる剣士としての圧に、一瞬圧倒される。


「はああああッ!」


 その圧を保ったまま、一気に攻め込んでくる。


「く……」


 一瞬、遅れた。


 なんとか竹刀を間に合わせることができたものの、戦いの流れは完全に向こうに渡してしまった。


「これは……」


 元々大野さんは、攻めに定評があるスタイルだ。


 以前はただがむしゃらに攻撃を仕掛けてきた分、隙も多かった。


 けれども今は、記憶のうちにある隙が全く見当たらない。


 それでいて、攻めっ気は以前と変わらないどころか、はるかに激しくなっている。


 おかげでこちらの、反撃のタイミングを見出せない。


「その程度かァ!」


「チ……」


 正直、ギリギリだ。


 羽月の受けの技術を盗んでなければ、かなりやばかった。


「やはりお前は半端者だ」


 鍔迫り合いになった時に、大野さんの方から話しかけてくる。


「師範の言いつけを破り、破門を言い渡されたにもかかわらず、未だ剣を持って戦おうとする。腕を鍛えることを怠っているくせに、ダンジョンに挑んで、有名になっているらしいな。いい気になりやがって、痴れ者め!」


「…………」


「俺がこの場で、引導を渡してくれるッ!」


(……はぁ)


 頭の中で、深いため息が出る。


 アレコレ言われることには、慣れきったつもりでいた。


 俺の剣は、これまで不特定多数の人に散々なじられてきたからな。


 けど、剣を志す人間に言われるのは、正直頭にきてしまう。


 ダンジョンのことを知っているのなら、俺の戦いを一度でも見ているってことだろ?


 それでもまだ、あれだけのことが口にできるなんて……随分と舐められたものだ。


「スゥ……ハァッ!」


 小さく息を吸って、吐くと同時に振り下ろされた竹刀を受け返す。


「ぐっ⁉︎」


「悪いですが、気が変わりました」


「なんだと?」


「あなたにはキッチリ負けていただく」


「驕るなよッ!」


 再び攻めに入る大野さん。


「……そろそろ終わりにしましょう」


 こんな戦い、門下生が見てもなんのためにもならない。


 それに、もう彼の今は大体“わかった”。


 剣術、技のタイミング、攻撃の密度、予備動作、戦術パターン、およびそれらの組み合わせ。


 大野蓮夜という人間を構成する、おおよその情報が脳内に蓄積された。


 十分ではないけれど、この戦いを終わらせるには十全。


「……経路追跡《Traceroute》、開始《Start》」


 勝利までの道筋を、脳内に描き始める。


 今この瞬間から、敵はどう動くのか。


 その次は、さらにその次は。


 彼の動きの全てを掌握していく。


 けど、勝ちを描くのに、複雑な経路はいらない。


 これはあくまで、剣道の試合。


 必要なのは、最小手で、敵を斬ること。


 そう、必要なのは……たった二手。


 回避し、命中させる。ただそれだけで勝敗は決するのだから。


 そこに全精力を傾け動き出す。


「ふっ」


 大きく後ろへと飛び下がった。


「大層なこと言っておいて逃げるだけか!」


 距離を空けたところで追いかけてくる大野さん。


「終わるのはお前のほうだ──」


 左斜めからの袈裟懸け、大野さんが最も得意とする剣。


「そこだァッ!」


 その剣に、こちらも左から剣を合わせて、流す。


「なっ⁉︎」


 鋒を地面まで流され、立て直す時間はない。


 そのコンマ数秒の間に竹刀を動かすことができるのは、俺だけだ。


「せいああああああッ!」


 ガラ空きの左胴に向かって、竹刀を振り抜いた。


「一本! それまで!」


 中央に戻って一礼。


「ふぅ……」


 防具を外して、一息つく。


「……ん?」


「ぐぐぐ…………!」


 うわぁ……めちゃくちゃ睨まれてる。


 流石にバレるか、俺がどんな計算をしたか。


「…………」


 師範にも睨まれてるし、バレバレだ。


 けど、これでわかってもらえただろう。


 俺の剣が決して中途半端でも、止まったままでもないということは。


「……まぁいい、退場しなさい」


「失礼致します」


 師範と神棚にそれぞれ一礼して、道場を後にした。



     *



「あちゃー……」


「どうかしたの?」


「あの勝ち方はヤバかったかもしれないなって」


「どういうこと?」


「あのやり方は、ワタシの戦い方の真似なのよ」


 あえて隙を作り出して敵を誘って、攻撃を受け流して仕留める。


 ワタシの一番得意なやり方。


 匠は経験したものを全て、自分の進化へと変えてしまう。


 だからこそ、ワタシの剣道の戦い方を応用したのだろう。


「でも、それはつまり師範おじいちゃんへの挑戦とか挑発にもなりかねない」


「あ……」


 ワタシの戦いのスタイルを教えたのは、他ならぬ師範おじいちゃんなのだから。


「ワタシも失礼します」


「うむ……」


「行くわよ、晴未さん」


「え、うん……えっと、失礼しました」


 晴未さんも頭を下げて、道場を後にした。


「はぁ……」


「お疲れ様」


「やっぱり、匠君はここに居場所はないんだね……」


「仕方ないわ。ここではそれほど、匠のしたことは重罪なのよ」


「でもそれは……!」


「しっ!」


 彼女の口を手で塞ぐ。


「ここではそのことは、秘密になっているの。だから静かに、ね?」


「…………(コクコク)」 


 あの裏山で起こったことは、門下生にも秘密だから、誰にも話すわけにもいかない。


「でも、それじゃあ匠君は……」


「わかってるわ、ちゃんとわかってる。それは、ワタシたちの罪。だからワタシは……もう匠のそばを離れないって決めてるの」


「そっか……そうだよね」


 もう彼が一人になるようなことにならないように、側にいなくちゃいけない。


「それよりも晴未さん、覚悟はできてる?」


「え……?」


「今から語られる事実を受け入れる覚悟よ」


「……うん、大丈夫」

最後まで読んでいただき、ありがとうございます!

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