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89:忘れていたこと、忘れてはいけないこと

『ねぇ、お母さんって、どこにいるの?』


 幼い頃、親父にそう聞いたことがある。


 二人で散歩している時、四人家族が横を通りかかった。


 その家族の母親の姿を見て、つい聞いてしまったんだ。


 幼い頃の、純粋な疑問。


『────っ!』


 それを聞いた父親は、目を見開いてその場に立ち尽くした。 


 眉間にシワが寄り、奥歯を噛み締めて。


 繋いでいた手に、とてつもない力がこもる。


『いたいいたいいたい!』


『っ、すまない。大丈夫か』


 痛がる俺の声を聞いて、すぐに我に返って俺を抱きしめてくれたが。


 結局、俺の質問にはついぞ答えてくれることはなかった。


 その時のことは、今でも忘れられない。


 俺の厄介な力があるからというだけではなく。


 悲しそうで、悔しそうで、辛そうで。


 その感情が親父から現れたのは、そのたった一度きりだったからだ。


 けど、俺はどうしても自分の母親について知りたかった。


 父親のいない時に、徹底的に家の中を探してみたりもした。


 結局、写真の一枚も見つからなく、存在していた形跡すら見つけられなかった。


 どうしてかはわからない。


 親父が意図的に隠しているのか、あるいはこの家には最初から痕跡が存在していなかったのか。


 少なくとも、母親のことについては、親父にとっては禁忌で。


 俺は、母親の顔すら知らない。


 だから俺は──


「……応えられない、んだろうか」


 ベッドに寝転がって、天井を見上げながら、独りごつ。


「はは、なに言ってるんだろうな……」


 厨二病じゃあるまいし。


 でも、本当にわからないんだ、恋愛感情というものが。


「好きになることに、意味なんてあるのか……?」


 母親の顔さえ知らず、親父でさえ共に過ごした時間はわずか。


 親の愛、というものが理解できない。


 まして、別れるものなら、好きになって一緒にいる意味なんて、本当にあるのだろうか。


 親父に、あんな顔をさせるようなことを。


「なら、今のままでいいじゃないか」


 白久さんは、自分の大切な人を見つけるため、共に戦う仲間。


 羽月は、剣の腕を高め合うライバル。


 その関係が、永遠に続けばいい。


「……あ、れ?」


 羽月はともかく、白久さんは。


 もし、俺の親父と、彼女の母親を見つけたら?


 俺たちの目標は、そこで終わり。


 それ以上、一緒にいる意味も、理由も無くなってしまう。


 彼女と、一緒にいられなくなる?


「っ──」 


 想像しただけで……否、想像さえしたくない。


「じゃあ……」


 もし彼女の気持ちに応えれば、その心配はなくなる。


 けど、そんな不純な考えで、彼女の想いに応えてしまっていいのだろうか。


 そもそもこれは、好きという感情なのだろうか。


 それに羽月のことは?


 もし白久さんの気持ちに俺が応えてしまって、羽月の気持ちを無為にしたら。


 これまで通りの関係でいられるのだろうか。


「……わからない」


 どうすればいいんだ…………。



     *



「三峰君には、母親がいない?」


 夏祭りから数日経ったある日、羽月さんの宿題を見ている休憩の時に、そんな話になった。


 理由は、夏祭り以降匠君の元気がないから。


 ダンジョンに挑む時はいつも通りの斬れ味を見せてくれるけれど。


 それ以外の時は、無口になって難しい顔をして考え込んでいるのがほとんど。


「そう、彼には母親がいない。顔さえ知らないって、匠は言ってたわ」


「顔さえ……。ってことは、写真とかも残っていないってこと?」


「そう見たいよ。探したこともあるみたいだけど、見つからなかったって」


「そう、なんだ……」


 ダンジョンに消えてしまった三峰君の父親のことはともかく、母親は……すでに鬼籍に入ってしまっているのだろうと、薄々は気づいていた。


 けど、まさか顔さえ知らないなんて……。


「そのせいなんだと思う。匠が、人の恋愛感情に全く興味を示そうとしないのは」


 恋愛感情に全く興味を示さない……。


 思春期を迎えているはずの男の子として、それは致命的な欠陥なのかもしれない。


 でも……。


「……少しだけ匠君の気持ちがわかるかもしれない」


「どういうこと?」


「実を言うとね……私もこれが初恋、だから」


 お母さんと一緒にいた時は、二人で生きていくことに必死だった。


 同時に、私たちを見捨てた父親のことを、恨んだりしたこともある。


 そして、お母さんが行方不明になってからは、お母さんを見つけることに必死になって。


 挙句、自分の父親が、あの人だったと知って……。


「男の人って、身勝手なんだって、思ってたから……」


「……なんだか、ごめんなさい。嫌なことを思い出させたみたいで」


「ううん、大丈夫」


 匠君のことを好きになったおかげで、このことにはもう色々と整理がついてる。


「羽月さんがあの時の告白以来、この話題にあんまり触れなかったのって、匠君が決断するまで待ってたからなんだね」


「えぇ、こればかりは匠が自分で答えを出さなくちゃいけないことだから」


 その意見には賛成だ。


 私たちがどう彼にアプローチをしたとしても、結局は彼の気持ちで全てが決まるのだから。


「でも匠って頭がいい分、考え込んで答えを出せなくなるのよ。多分今頃、布団に寝転んで天井を見ながら、あれこれ頭を悩ませてるに違いないわ」


「あはは……」



     *



「……ハックションっ!」


 何故か急に寒気がした。


「風邪でも引いたかな?」


 健康には気を使ってたと思うけど。


「今日はゆっくりして、早めに寝るとするか」


 風邪は、引き始めが肝心って言うしな。



     *



「……あれ、そういえば」


「?」


「匠のお父さん、一度だけ道場に女性を連れてきたことがあったわね」


「え……」


 そ、それってもしかして……。


「いえ、彼の父親が言うには、友人で仲間って言ってたわね。かなり昔だから正直顔は思い出せないのだけれど……」


「そ、そうなんだ……」


 お父さんと一緒にいた時に羽月さんが会ってるってことは、当然匠君も出会ってるってことだよね。


 心中複雑だっただろうことが、容易に想像できる。


「そうだ、顔を思い出せないと言えば」


「?」


「ワタシ、あなたの母親の顔、知らないと思って」


「そっか、そうだったね」


 まだ羽月さんには、あの写真を見せたことなかったな。


 ダンジョンに挑む以上、ちらっとでも姿を見かけた時に、顔がわからないとどうしようもない。


 それに、羽月さんなら信頼できるし。


「ちょっと待ってね」


 本棚の奥にしまってあるアルバムを取り出して、羽月さんの前で広げる。


 幼少期の私と、お母さんが写っている写真のあるページを。


「あ、れ……?」


「え?」


「この人、どこかで────」


「羽月さん?」



     *



「さてと……」


 相変わらず、何もすることがない。


 こういう、何もない時にできる趣味でもあればいいんだけどな。


 まだ昼過ぎだし、いっそどこかに遊びにいくか?


 たまにはそういうのもいいだろう。


 ──バタバタバタ。


「ん?」


 ──ドンドンドンッ!


「は?」


 廊下の向こうでドタバタと走っている音が聞こえたかと思えば、俺の部屋の扉をドンドンと叩く。


「羽月か? 一体なんだよ……」


 仕方なくベッドから起き上がって、扉を開ける。


「わっ⁉︎」


「うおっと⁉︎」


 ドアに張り付いていたせいか、扉を開けた途端に部屋に雪崩れ込んできた。


 倒れ込むギリギリのところで、羽月の身体を支える。


「っ!」


「──⁉︎」


 その時に……羽月の胸が、手に当たる。


「ご、ごめっ!」


「う、ううん……大丈夫……」


 羽月をちゃんと立たせるけれど、胸を触られたせいで、顔を俯けたままになってしまった。


「羽月さん?」


「あ、うん。ごめんなさい。大丈夫」


 その後ろにいた白久さんの一声で、ハッと我に返った羽月。


 かと思えば、急に顔色を変えて俺に迫ってくる。


「なっ、なんだよ一体」


「あなた覚えてないの、この人のこと!」


 目の前に出してきたのは、アルバムの見開き。


 そこにあったのは、いつか白久さんが見せてくれたあの写真があった。


「白久さんの母親だろ、それがどうしたんだよ」


「どうしたって、覚えてないの⁉︎」


「覚えてないって……」


「この人、前に匠のお父さんが連れてきた人じゃない!」


「………………あ」


 羽月に言われた瞬間、忘れてた記憶が、思い出せなかった映像が一気に頭の中を駆け巡っていく。


「あ、あぁ……」


「……匠?」


「匠君?」


「あああぁぁっ!」 


最後まで読んでいただき、ありがとうございます!

この作品の連載のモチベーションとなりますので、

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