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56:読み筋という名の底なし沼

「はっ!」


 先手はこちらから。


 羽月との距離を一瞬にして詰め、下から刀を掬い上げる。


「いきなり足狙い?」


 羽月の振り下ろしに、簡単に受け止められた。


「まだまだ!」


 狙いはそのままに、重心をギリギリまで下げてひたすら攻撃を仕掛ける。


「姑息な手を!」


「当たり前だろ!」


 この日が来ることを想定して、ずっと羽月の剣を研究していたのだから。


「はあっ!」


 羽月の間合いの奥まで踏み込んで、剣を振るい続ける。


 羽月には、孤風や蒼天をはじめとする遠隔斬撃と、朧──“起こり”のフェイントで、こちらの読みを撹乱させる技がある。


 故に羽月に対抗する最もシンプルな回答が、クロスレンジでの戦闘。


 ただし、羽月と俺との剣の間合いはほぼ互角、刀を取り回す速度もほとんど同じ。


 つまりこの接近戦は、純粋な剣の腕比べ。


 お互い笑いながらこの斬り合いを楽しんでいるのは、離れていた五年という時間を埋めるように感じているからだろう。


「そこだっ!」


「っ!」


 刀の先が、初めて羽月のシールドウェアに触れる。


 まだたったの一撃、それもかすり傷でしかないが、わずかに均衡はこちらに傾いている。


 それは男女の間ではどうあがいても埋めようがない筋肉量などの体格差と、こちらが機動力が優れているから。


 自分の魔力を少しずつ足に流すことによって、常人よりも速い速度で動く。


 そのために、羽月に対して半歩、こちらが早く踏み込め剣を振うことができる。


 今羽月が防戦一方となっている要因だ。


 しかし……。


「粘着質な男は──」


 羽月がこの状況を黙っているわけがない。


「──嫌われるわよ!」


 大きく後ろに飛び退きながら、四つの突きが飛んでくる。


「速翼!」


 足を踏ん張れない以上、その突きの速度は通常より遅い。


 故にこちらの一薙ぎで、全ての刺突を無効化。


「その程度!」


 こちらが対応している間に、羽月の腕がすでに上段へと上がっている。


「──雷電!」


「アクセラレーションッ!」


 羽月の本気の袈裟懸けを、大きく距離をとって回避する。


 羽月の使う剣技のなかで、雷電だけはどうしても受けられない。


 重力に逆らわない、上から下へと振り下ろされる豪剣、それが雷電だ。


「ようやく離れてくれたみたいね」


「チッ!」


 攻守逆転、今度は羽月の遠隔斬撃が存分に振るわれる。


「スツールジャンパー! アクセラレーション!」


 手をこまねいて見ているわけにはいかない。二つの移動魔法を駆使して、再び接近を試みる。


「相変わらず速いっ!」


「はあっ!」


 羽月の背後へ回って、すかさず背中に剣を突く。


「甘いわよ」


「……この程度は受けられるか」


 刀ごと腕を背中に回して、俺の突きを器用に受け止める。


 羽月の強さ、それは圧倒的に受けが上手いという点だ。


 四尺の長刀を俺と同じ速度で取り回せるのは、羽月の刀に使われている刀身の素材が軽いものだからだ。


 その分耐久力は失われるし、相手の攻撃を下手に受ければ負担がかかり、最悪折れてしまうだろう。


 しかしこれだけの剣戟を受け、かつ羽月の剣技を使っても刀が悲鳴を上げないのは、羽月が衝撃を受け流しているから。


 俺の繰り出す剣も、ほとんど全てが羽月の受けによって流されている。


「それでも!」


 さっき見せたように、機動力に訴えれば、再び羽月のシールドウェアに痛撃を与えられるだろう。


 そして、そのための経路は──すでに見出した。


(まだ使うには速いかもしれないが)


 この十分間の斬り合いで、想定外に消耗している。


 この戦いを長引かせるのはまずい。


経路追跡(Traceroute)開始(Start)──」


 クロスレンジでの斬り合いを続けながら、脳内で組み上げた経路へと入っていく。


 一手目、敵方の右斜からの振り下ろし。


 二手目、敵方の剣戟をこちらの刀身で、滑らせながら受けつつ、空いた胴へと剣を打ち込む。


「ぐっ、まさか──」


「まだまだ!」


 三手目、背後からの攻撃。


 四手目、敵方飛び退きながらの回避。


 五手目、敵方時雨の連突へ移行。


「速翼!」


 六手目、時雨の前に速翼を差し込み牽制。


 七手目、敵方速翼を回避。


 八手目、九手目、十手目────。


(……やっぱり羽月はすごい)


 こちらの計算上の経路を、羽月は恐ろしい反応速度で、半分以上受け流してみせた。


 経路追跡(Traceroute)を編み出してから、これほど経路とブレることは初めてだ。


(けれどもッ!)


 二十三手目詰めの未来は変わらない。


(これで終わらせる!)


 二十一手目、敵方の右薙。


 二十二手目、こちらの掬い上げで敵の剣を弾く。


「秘剣・隼──」


 二十三手目、掬い上げで持ち上がった状態の刀をそのまま振り下ろし、羽月の目にも捉えきれない最速の二連撃を──


「……待っていたわその剣を!」


「っ──連歌!」


「──羅刹‼︎」


 一の太刀が、確実に羽月の身体を捉えた。


 しかしそこへ続くはずの二の太刀が、羽月の突きによって軌道を逸らされる。


 しかもその突きが、そのまま俺の身体にまで伸びて。


「「っ──⁉︎」」


 俺も羽月も、相手の剣技を受けた反動で地面を転がった。


 今の攻防で、二人ともシールドウェアの半分くらいが削れる。


「今のは……」


「二撃目を防げても、この威力で弾き飛ばされるなんて……」


 お互い立ち上がって、再び剣を構えた。


「羅刹……」


 構えは蒼天に似た、突きの一撃。


 けど刀をまっすぐに突き出す蒼天と違って、さっきの剣には若干の振り下ろしがあった。


 その分、蒼天よりも速度と力が乗った一撃になっているということか。


 ただ、振り下ろしが入る分、蒼天よりも使用できる場面が限定されるだろうが。


「……ご名答。まさか一度見ただけで、剣のなんたるかを見破るなんて。流石の観察眼と記憶力ね」


「そりゃどうも」


「ついでに言うと、ワタシがこの技をちゃんと扱えたのは、今日が初めて。師範から見たら、きっとまだモノになってないって言われるだろうけど」


「初めて、だって……?」


 じゃあ俺の隼連歌は、羽月の未完成技に破られたって言うのか?


 いくらなんでも、冗談が過ぎる。


「けど……やっぱりそうなのね」


「……?」


 一瞬、なぜか羽月の威武が薄れたように感じた。


「あなたとなら、もっと高みを目指せる……」


 遠くで小さく呟く羽月の声は、俺まで届かない。


「……けど、それができないのなら」


「っ──」


 羽月の纏う殺気が、今まで以上に湧き上がる。


「あなたを倒すことしかできないのなら」


「来る……!」


「ワタシの全霊で、あなたを倒す!」


 手にしていた刀を、中段に構えて。


「──幻映」


 小さく、しかし確かにそう呟いた。


「っ⁉︎」


 瞬間、俺の全身に鳥肌が立った。


「なっ、なんだ……⁉︎」


 身体がぴたりと地面に張り付いて、まったく動かない。否、動けない。


(いや……)


 俺が、羽月のことを怖がっているのか?


 離れたこの場所から一歩も動かず、ただ対峙しているだけなのに。


(……これは)


 数秒見て、気がついた。


 羽月は、ただ立っているわけじゃない。


(刀の鋒を微妙にずらして、つま先を一センチ右へ。首を左に傾けて、重心を左足から右足へ。刀を握る強さ、肩の位置、刀の傾き──)


 口で喋るにはとても追いつかない、微細な動きを不規則に繰り出している。


 要するに、羽月がやっていることは、“起こり”のフェイント。


 けどこれまでに見てきたものとは、全くの別物だ。


(なんだよ、このフェイントのラッシュは……!)


 剣の達人になればなるほど、相手の起こりから次の動作を完璧に把握することができる。


 それがいわゆる、読み筋と呼ばれるものだ。


 そして羽月は今、俺の読み筋に莫大な量の偽情報を差し込んできているのだ。


「匠はすごいわ。ワタシには、匠のような精密無比な読み筋は再現できない」


「っ……」


「だから、ワタシがどれだけ策を講じても、きっと全て匠の手のひらの上」


 一歩、また一歩、羽月がこちらに踏み出してくる。


「そんなの理不尽じゃない。……そんなこと、ワタシは絶対に認めない」


 それに対して、俺はただ退くことしかできない。


「……これがワタシの本気よ。完璧な読み筋を作り出せるあなただからこそ、あなたはこの底なし沼からは決して抜け出せない」


「う、くっ……」


 まずいなんて、陳腐な言葉で言い表せないくらい、この状況はまずい。


 羽月の構えを見るだけで、脳が悲鳴を上げ始めた。


(羽月を見なければ、こんなことにはならないんだろうけど……)


 そんなことしたら、勝負を放棄するのと同義だ。


 でも羽月を見れば見るほど、頭の痛みが増していく。


 なにが一番まずいかと言えば、俺が羽月の手順を全て記憶してしまうこと。


 その量が膨大すぎるせいで、経路を組み上げられない。


(それでもやるしかない……!)


 頭痛を無理矢理抑え込んで、拾い上げた羽月の情報から、最善手を探索する。


(……嘘だろ⁉︎)


 どこへ打ち込んでも、俺の一手目はフェイクによってかわされ、羽月の二撃目によってこちらが敗北する。


 そんな経路しか見えてこない。


 その間にも、フェイントの雨あられによって脳の情報処理能力が勝手に酷使されていく。


(こんなこと……)


 俺は見たもの全てを記憶できるという力を、万能だと思ったことは一度もない。


 ただ、万能に限りなく近づくために編み出したのが、経路追跡(Traceroute)


 それでさえ、弱点は明確に存在する。


 炎蛇ラクと初めて戦った時のように、知らない情報を差し込まれることによる経路破綻がそのいい例だ。


 でも、()()()()()()()()()()()()()なんてこと、ただの一度も考えたことがなかった。


 逆説的に、俺はこの力をどこかで過信していたということだろう。


「……まったく、胸糞悪い技を思いつくな」


「褒め言葉よ」


 皮肉めいた言葉も、冷たい微笑に流されてしまう。


(どうする、どうすればいい?)


 少しずつ、自分の中から冷静さが失われていく。


 不用意に踏み込めば、さっき脳で描かれた経路の通りに敗北する。


 けど、打開策を考えようとしても、頭が思うように動いてくれない。


 脳が限界を訴えている。


(これは……詰んだかもしれない……)


 視界がだんだんと狭く、暗く、遠くなっていく。


 脳内に心臓の鼓動が響き、呼吸が少しずつ浅く早くなっていく。


 絶望に屈しかけたその時。


『それは、お前が羽月ちゃんのことを見てないからさ』


 フッと、脳内に親父の言葉が蘇った。


最後まで読んでいただき、ありがとうございます!

この作品の連載のモチベーションとなりますので、

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