将軍の実力
「「う……うわああぁぁぁああぁぁぁぁっ!」」
辺りに悲鳴が響いた。
そりゃそうだろう。ドラゴンなんて滅多にお目にかかれない。こちらから何かしない限り、わざわざ人間を襲ってくることなんかない奴だ。それ故に、最強ではあっても"危険"ではないのだ。……その縄張りを、横切るような真似さえ、しなければ。
俺は手を動かして、隊員たちに指示をする。何を言ったわけでもないのに、俺の指示通りに俺を中心に隊員たちは陣形を組んだ。エイシアは俺の隣に立つが、構えはしない。そして、俺も隊員たちも剣は抜かない。
ドラゴンが狙っているのは、あくまでも自らの縄張りを無遠慮に荒らした奴……つまりは王太子や将軍の一味だけ。俺たちは対象外だ。
魔物なのに知能が高いという話は本当だったか。これが他の魔物なら、本能のままに俺たちまで襲っていただろうに、きちんと区別をつけている。
「し、しししし、し、しょうぐんっ! な、なな、なんとかしろっ!」
「は、ははは、は、は、か、かか、かしこまりましたっ!」
裏返った声の王太子と、それに答える動揺しまくった将軍の声がした。精鋭の兵士たちも含めて、完全に腰が引けている。元々碌に魔物と戦った事がないのに、最初に戦う相手がドラゴンじゃ、それも仕方がないか。
「……でも将軍、自分ならもっと早く対処できるって言ってたしな。初めての魔物との戦いってことも含めて、戦術たてられるんだろうな」
どちらかというと、俺の苦手分野だ。一応勉強はしているが、そういうのはフィテロの方が得意で、頼ってしまうことも多い。一度くらい将軍の指揮ぶりを見てみたいと思っていたから、こんな場合ではあるが、これはチャンスかもしれない。
「……あのー隊長、本気で言ってます?」
「何がだ?」
「……いえ、そのですね」
「ほっときなさい、フィテロ。そのうちこいつも分かるわよ」
「……そうですね」
「何の話だ?」
聞いても、フィテロは曖昧な顔で笑って、エイシアには呆れた笑いを向けられるだけだ。何なんだ、と思いつつも、視線を将軍に戻す。そして、疑問に思う。
とっくに整えていると思った兵士たちの隊列が、バラバラのままだ。あんなんで戦えるのだろうか。あれも策なのだろうか。
将軍がドラゴンを指さして、裏返った声で叫んだ。
「ど、どどどど、ど、どらごんよっ! いますぐ、きさまをせいばいしてくれるっ!」
「は?」
思わず声が漏れた。将軍の裏返った声はまあいいとしても、わざわざそれを言う必要があるのか、と思ったのだ。相手は知能の高い魔物、挑発なんかしたら逆効果になるんじゃないだろうか。いや、わざと怒らせるという手もあるか。
「みなのもの! とつげきだ!」
「……は?」
もう一度、声が漏れた。
精鋭の兵士たちが、歓声とも悲鳴とも似つかない声をあげながら、剣を抜いて言葉通りに突撃していく。これが、隊列を整えた上でのものであれば、まだ分からないでもないが、一人一人がバラバラに突撃したところで、何の意味もない。
ドラゴンは身動きもしない。そこに兵士の剣が当たるが、怪我をした様子もない。話に聞いただけだが、ドラゴンの皮膚は固く、並みの攻撃ではまったく歯が立たないということだが、それは本当だったか。
けれど、俺が知っているような情報だ。将軍が知らないはずがないと思ったのだが……。
「ば、馬鹿な、なぜ当たっているのにっ!」
驚いているあたり、もしかして知らなかったのだろうか。
その間も、兵士たちが攻撃を仕掛けているが、やはりというか、ただ剣を振るっているだけだ。そこに策らしいものはなく、当然ながら攻撃が通った様子もない。
その時、それまで黙って攻撃を受けていたドラゴンの、右前足が動いた。
「危ないっ!」
叫んだ俺だが、それに全く意味はなかった。軽く振り払ったように見えたのに、たった一振りで一気に数人が弾き飛ばされる。そしてもう一振り、さらに兵士たちが倒される。
「ギャアアアァァァアアァァッ!」
ドラゴンがその長い首を伸ばして、咆哮した。その先にいるのは王太子だ。王太子は真っ青な顔をして後ずさる。
「ヒ、ヒィィッ! フォ、フォティ! 何とかしろっ!」
「かしこまりましたわ」
一方のフォティは何だか余裕そうな表情だ。俺としては、そっちの方が心配なんだが。
ドラゴンに右手を出して、そこに炎が灯る。そして、そのまま腕を横に振ると、かつて俺たちが見たよりもさらに巨大な炎が現れて、ドラゴンとその他大勢に襲いかかった。
「うわっ!?」
「や、やめ……っ!」
「ヒイィィッ!?」
案の定、ドラゴンに倒されていた兵士たちにも炎が命中した。ついでに、王太子にも火が向かっていた。
「お、おいっ! フォティっ! 危ないだろうっ!」
「何がですか?」
王太子の非難も何のその、フォティが炎を放ち続けている。
俺は舌打ちしたかった。倒れている兵士たちの様子を見た限りでは、命を失ってはいないようだ。けれど、このままでは兵士たちがどうなるのか。そう思ったとき、背中にゾクッとした感覚が襲った。
「……………っ!」
フォティの放つ炎に包まれているドラゴンが、大きく口を開けた。――その瞬間。
「ギャアアァァァッ!」
ドラゴンの口から放たれた炎が、フォティの炎を蹴散らした。あっと思ったときにはもう遅かった。フォティがドラゴンの火に包まれた。
「っ! ――っ!! …………っ!!」
何かを叫んでいるようにも見えるが、声は聞こえない。ただ、火に包まれたまま、王太子に助けを求めるように手を伸ばしている。だが、王太子は。
「ヒィッ! 寄るなっ! 寄るんじゃないっ!」
フォティの求めから逃げた。そして、将軍の背中に張り付くように隠れて、フォティを見ようともせずに、声を張り上げた。
「将軍っ! 何をやっている! 早くっ……!」
「そ、それは……」
将軍が狼狽えて辺りを見回している。いるのは、火に包まれているフォティと、倒れている兵士たち。……そして、少し離れた場所にいる、俺たちだ。
「ど、奴隷王子っ! 早く何とかしろっ! これは上官命令だっ!」
「……俺、あなたから先ほど解任されたはずなんですけどね」
「か、かいにんはとくっ! だからっ……ヒィッ!?」
ドラゴンが口を開けた。その奥に、炎が灯っている。それが、将軍と王太子に真っ直ぐ向けられている。
「……しょうがないか」
とりあえず、将軍がどうにかするのは無理であることだけは理解した。人の嘘には敏感なつもりでいたけれど、あっさり騙されてしまったみたいだ。
色々言いたいことはあるけれど、このまま見捨てるのはさすがに寝覚めが悪い。剣の柄に手をかけて、ドラゴンに向けて足を一歩踏み出した。
「待ちなさい。あんた、助ける気?」
「このままってわけにいかないでしょ」
エイシアに俺は少し笑って返す。そして、剣を抜いた。
「エイシアはフォティを、フィテロたちは倒れている兵士たちを助けるんだ。ドラゴンは、俺一人でいい」
後ろで驚く声が聞こえる。が、俺は無視して走る。そして、王太子と将軍の前に立って、ドラゴンと相対した。
「王太子殿下、俺がドラゴンを倒したら、俺と皆の罪を許すと言って下さい。そして、俺たちを自由にすることを約束して下さい」
「な……こ、こんなときに、なにをほざくっ!」
「こんな時だからです。いくら俺でも、ドラゴンとの戦いは割と命がけですよ。ですから、その褒美を下さい」
「ふ、ふざけるなきさま……」
「嫌なら、ここで逃げるだけです」
わざとらしく、剣を下ろしてみせる。これは俺にとっても危険な行為だが、ドラゴンは俺を警戒するように見たままで動こうとしない。……やはり、頭のいい奴だ。自分にとっての危険というものをきちんと分かっている。
「どうしますか?」
だが今は王太子だ。ここで約束を得られなければ、エイシアにもフィテロたちにも迷惑がかかる。
ここで、ドラゴンが動いた。口の炎が大きくなっていく。あるいは退くかとも思ったが、やはりそう簡単にはいかないか。最強の魔物であるだけに、縄張りを侵略した者を簡単に許すこともしない。
「わ、わかったっ! やくそくするっ!」
「ちゃんと言葉にして下さい」
「……っ、貴様とエイシアと隊員全員を許して自由にすればいいのだろうっ!」
「その通りです。将軍閣下も聞きましたね?」
「……聞いた」
「よし。では、違えないで下さいよ」
現時点で口約束に過ぎないが、それでも約束は約束だ。
俺は剣を構えて、ドラゴンを見据えた。ドラゴンの瞳も、まっすぐ俺を睨んでいる。そして……。
「ギャアアァァァッ!」
炎が放たれた。先ほどのフォティへの攻撃よりも、さらに強い。だが、俺は口の端をあげて笑う。
――俺の持つ剣が、赤く輝いた。