氷の意思
起こったのは、猛吹雪だった。その影響で、まさに目の前がホワイトアウトした。クルスタロスが吹雪で氷の矢や俺の剣を防御したのを、空間全体に広げた感じだ。
「すごいな」
これをエイシアが起こしたんだと思うと、笑みがこぼれる。
猛吹雪が氷の礫を巻き込んで、爆発するような音を聞きながら、俺はその場で片膝をついた。
これで終わりじゃない。この間に呼吸を整える。ほんの少しでも体を休める。とどめの一撃のために、力を溜める。白い空間の中で、次々と礫が消えていくのが分かる。これらが消えて、視界が開けたときが、勝負だ。
*****
白く染まった視界が、だんだん開けてきた。次第に他の色が見え始める。氷の礫が爆発する音はもうほとんどしない。
呼吸は整った。剣を持つ手に力が入る。視界の先、クルスタロスの姿がボンヤリと見えた瞬間に、俺は走った。
近づくごとにその姿がはっきり見えてきた。
眉をひそめる。
クルスタロスの全身が、凍り付いていた。凍り付いたまま、動く様子がない。エイシアが放った吹雪の影響なのだろうか。もしかして、俺がトドメを刺す必要もなく、勝負はついたんだろうか。
……いや。
本当に勝負がついたのなら、俺たちにもそうと分かるはず。決して油断することなく、剣を振るった。
その瞬間、クルスタロスの全身を覆っていた氷が、砕けた。何事もなかったかのように、クルスタロスの目は俺を捉える。同時に、その頭の角の上に大きな氷塊ができていて、まさに俺に向かって放たれようとしていた。
至近距離であんなものを食らったら、ひとたまりも無く押しつぶされる。もしも倒したと油断していたら、躱せなかった。けれど、俺は慌てることなく、剣を振り下ろす。氷塊が放たれる前に、俺の剣は命中した。
――パリィン
「え?」
剣が命中して斬った瞬間、クルスタロスの体が軽い音を立てて砕けた。斬っただけなのに、体そのものが砕けて崩れ落ちた。そして、元から何もなかったかのように、風に飛ばされるようにして消えてなくなる。
「……どういうことだ?」
「命中、したわよね?」
エイシアも俺に近づいてきた。若干、息が乱れているのは、猛吹雪の魔法の負担がそれだけ大きかったからだろうか。
エイシアと二人で、クルスタロスの消えた空間を見つめていると、突如凄まじい気配とプレッシャーが出現した。
『これにて終了。そなたらの勝利だ』
俺たちの目の前に、再びクルスタロスが現れた。
エイシアがペタンと座り込んだ。俺も立っていられず、何とか剣を杖代わりにして片膝をつく。今のクルスタロスからは、最初に会った時と同じ、死を目の前にした恐怖を感じる。
『ふむ。気配は抑えているのだが、それでも感じるか。強き者ほど、相手の強さにも敏感だからな』
向けられる強いプレッシャーとは裏腹に、クルスタロスは嬉しげで満足そうだ。
『そなたらと戦っていた我は、そなたらの強さに合わせて作った、いわば分身のようなもの。敗れればあのように砕け散るのだ』
「……解説はありがたいけど、もう少し気配を抑えてくれないか」
元々の背中の怪我もあるし、戦いの中でかなりのダメージも負った。満足そうにしてくれているのは結構だけど、このプレッシャーに晒され続けるのが辛い。だからせめて、と思って提案してみたけど、返ってきた答えは無情だった。
『耐えられぬほどでもあるまい。耐えきれぬのなら、最初に顔を合わせた時点で逃げてゆく』
「……辛いものは辛いんだよ」
『そう言うな。せっかく久方ぶりの挑戦者なのだ。もう少し我の解説に付き合え』
どうやらおしゃべりしたいらしい。だったら気配を抑えてくれればいいのに、それをしてくれるつもりもないらしい。
『分身を作るとき、挑戦者よりわずかに強めの分身を作る。だがそれは所詮、個々の力の強い部分を抜き取り、作るだけに過ぎぬ』
「…………?」
『個々の力では破れぬが、協力し力を合わせれば、そう勝つことは難しくない。作る分身は、その程度のもの』
クルスタロスは、俺を見て、エイシアを見る。
『そなたら二人は強いな。合わさったときの力が見事だった。つい、我も必要以上に力を入れてしまったが、それでもそなたらは勝った』
「ついって何だ」
思わずツッコんだ。
ツッコんだことで、それができるくらいプレッシャーが柔らかくなっていることに気付いた。表情と声が優しくて、意外な気持ちで見る。
『氷というのは、固く冷たい。だから一人でいれば、その固く冷たい中に閉ざされて、身動きが取れなくなる。故に、"氷の意思"ともいうべきものが望むのだ。一人ではないことを。誰でもいい、心と力を通わせられる者がいることを』
「氷の意思……?」
そう疑問をつぶやいたのは、エイシアだ。クルスタロスが頷いた。
『そうだ。とはいっても、明確な意思があるわけではなく、何となく感じるという程度であるがな』
そう言ってフッと笑うと、クルスタロスの体が輝いた。それと同時に、俺たちを囲むように地面が円形に光り出す。
『回復するから、動くな』
言われて、息を呑んだ。回復の魔法も存在するらしいけど、実際のところ使える人は存在しないという、幻と言われる魔法だ。それを、まさか。
光が消えたとき、俺の怪我は治っていた。背中の痛みまでも消え失せている。エイシアも、驚いた顔で、怪我があった場所を見ている。
しかし、クルスタロスは俺たちの驚愕は完全に無視して、エイシアの前に立った。
『手を出せ』
「え、ええ……」
理由も分からず、それでもエイシアが両手を出すと、クルスタロスが上を向いて声を出した。
いや、それは果たして本当に声なのか。歌っているようにも聞こえるけど、俺には何を言っているのか分からなかった。しかし、すぐ気付いた。
「氷の花が、光ってる……」
クルスタロスの声に合わせるように、床に咲いている多数の氷の花が明滅している。そして、氷の花からクルスタロスに向かって力が注がれている。
それらは一点に集中して、やがて、手のひらサイズの氷の花へと姿を変えた。
「氷の、結晶……?」
エイシアがつぶやいた。その氷の花は、エイシアの手の上に静かに降りてきた。
『左様、それが氷の結晶だ』
「これが……」
エイシアの唇が震えていた。
『普段は、その結晶は自らの内側に入れておくが良い。それだけでも十分に氷の力の恩恵を受けられる』
「内側に入れる……」
エイシアがクルスタロスの言葉を反芻した。俺には意味が分からないが、何かを感じているのか、氷の結晶をジッと見ている。そして、その手の上の氷の花……ではなく、結晶がいきなり消えた。
俺は驚いたけど、エイシアは納得したような顔をした。
「これでいいのね?」
『うむ。そして、より強い力を求めるなら外に出せ。ただし、その分体に負担がかかるし、その後しばらくは、受けられる恩恵が減ることになる。使う際には注意せよ』
「分かったわ」
エイシアが返事をすると、クルスタロスは満足そうに頷いた。
『では、これにて氷の結晶の授受を終了とする。さらばだ』
その言葉と共に、クルスタロスの姿が消えた。同時に、強烈なプレッシャーも消失する。
エイシアが弾んだ声を出した。
「セルウス。私、やったわ!」
「うん、おめでとう。エイシア」
エイシアの会心の笑みを見れば、俺も自然に笑顔が浮かんだのだった。




