逡巡を振り払い
それからもエイシアは、攻撃を続けた。
でも全く通じない。氷の矢は、氷球と同じように魔物の手前で砕け散った。上にツララを作って落としたときも同様。地面からのツララも、ほんの少しだけ尖った先端が見えたけど、すぐ砕けた。
挙げ句には、雪だるまとか雪兎も出していた。さすがに魔物も意表を突かれたのか、驚いた顔をしていた。すぐに砕けちゃったけど。
『終わりか?』
「――まだよ!」
エイシアは言い返すけど、動こうとしない。打つ手がないのだ。全く攻撃が当たっていない。どうしたら当たるのかすら、分からない。
『ならば、かかってくるが良い』
そう言われたところで、ここまで全く歯が立たなければ、そう仕掛けられるものでもない。
何かアドバイスをとも思うけど、俺に分かることがエイシアが分からないはずがない。……そう思ったところで、魔物の視線が、俺に向けられた。
「…………」
それはほんの一瞬で逸らされたけど。
初めてじゃない。何度か、魔物の視線は戦わずに後ろにいる俺にも向けられている。
いつか動くかもしれないと、警戒しているんだろうか?
だけど、エイシアに「手を出すな」と言われた以上、俺は動けない。エイシアの気持ちが分かるから、動けない。俺の力を借りて氷の結晶を手に入れて、納得できるエイシアじゃないんだ。
動かないエイシアに、魔物がまた口を開いた。
『来ぬのなら、我から行こうか』
「…………っ……!」
エイシアが息を呑んだのが分かった。これまで魔物は攻撃を受けてばかりで、攻撃をしてくることはなかった。だからこそ、色々と攻撃を繰り出せていたと言っても、過言じゃない。
それなのに、相手が攻撃をしてきたら……。
「エイシアっ……!」
「手を出すんじゃないわよっ!」
思わず叫んだ俺に、エイシアは同じことを言ってくる。
ギリッと拳を握る。気持ちは分かる。分かるけど、ここまでの戦いを見ていれば分かる。エイシア一人で勝てる相手じゃないのだ。
魔物が、またもや俺をチラッと見た。
「…………?」
さっきから何なんだろう。そんなに警戒しているのか? けれど、そんな様子でもない。現に、今は完全に俺を無視してエイシアを見ている。
まるでエイシアを真似するように、魔物の周囲に氷の球が現れた。それが、エイシアに向かって、一斉に放たれる。
エイシアは氷の壁を出して受け止める。でも、その顔が歪んだ。壁にヒビが入るのが、俺からも見える。
「エイシア!」
「うっさいわよ!」
叫んだ瞬間、壁が砕ける。でも同時に氷の球も消滅した。何とか防ぎきったらしい。ホッと息を吐こうとして、魔物の動きに吐こうとした息を飲み込んだ。
「エイシア……っ!」
魔物が前に出たのだ。右前足の鋭い爪が、エイシアに向かって振るわれる。
「この……っ」
エイシアは何とか後方に下がって躱す。でも魔物はエイシアを追い詰めるように、さらに前に出て、今度は左前足だ。エイシアは、振るわれる爪に手を出す。そこに小さな氷の壁ができて、爪を防ぐ。
一瞬で壊れてしまったけど、その一瞬で何とかエイシアは爪の攻撃を躱していた。
『ふむ、多少は近接戦も可能か』
「当たり前でしょ。戦場ではどんな危険があるか分からないもの。この程度はできるわよ」
若干息を切らせながら、エイシアは言い返す。俺をチラッと見た。
「それに、あいつと同じくらいの早さだもの、見慣れているわ」
『なるほど』
魔物も俺を見る。その返答には、どこか愉悦が混じっている。何なんだろう、何が楽しいんだろうか。
魔物の爪を振るう早さが、俺の剣を振る早さと同じくらいだというのは、俺も同意見だ。一緒に旅をしている分、エイシアが一番見慣れている早さだというのも分かる。
それだけの話に、何か楽しい要素でもあるんだろうか。……何かが、気になる。
『では、もう少し、このまま近接戦をやってみるとしようか』
「ちょっ……!」
振るわれた爪を、エイシアが慌てて避ける。けれど、今度は頭の角まで攻撃に加えてきた。
確かに、多少は近接戦もできる。それでもやっぱりエイシアは魔女だ。距離を開けて戦う方が得意だ。この速さの攻撃を、いつまでも凌ぐことは無理だ。
どうする。どうすればいい?
確かに氷の結晶を手に入れるのはエイシアだ。エイシアが一人で手に入れなければいけない。
……いや、違う。魔物はそんなことは一言も言っていない。単に、エイシアが手を出すなと言っただけ。それでも、エイシアの気持ちが分かるから、俺はここでこうして見ている。
でも無理だ。エイシア一人で勝つのは無理だ。二人で戦えば、勝てる可能性はある。爪や角を振るう早さは、俺と同じくらい。氷の球での攻撃は、若干エイシアより強かったけれど、それでも相殺しきれないほどじゃない。
エイシアの氷の魔法での攻撃は、なぜか全く通じないけど、それだって何かしらの理由があるはず。
「…………っ……!」
爪が、エイシアを捕らえた。ギリギリ避けきれず、左腕から血が舞った。そんなに深手ではなさそうだけど、そういつまでも躱し続けてはいられない。
そもそも、ここまで戦い続けていられるのが、奇跡だ。最初に感じた、強烈なプレッシャー。あのままであれば、俺が戦おうと戦うまいと、一瞬で勝負がついていた。
なぜ、魔物はわざわざ力を落としたんだ? 俺たちがギリギリ勝てるレベルまで、力を落とした理由は……。
「……まさか」
エイシアを見て、俺を見て、あの魔物は「挑戦者か」と言った。もしそうであれば。あの魔物の言う「挑戦者」の中に、最初から俺も入っていたとするならば。
また魔物の視線が俺に向いている。「お前は来ないのか」と挑発するかのように。
気のせいかもしれない。単に、俺がこのまま見ているのが嫌で、エイシアを失ってしまうかもしれないのが怖くて、自分の都合の良いように解釈しているだけかもしれない。
手を出せば、エイシアはきっと怒る。それでも、俺は剣の柄を握った。魔物の頭の角が、エイシアを貫こうとしているのが見えた。
「剣よ!」
抜きつつ叫ぶ。赤く光った剣がまっすぐ伸びて、魔物を貫く……前に、後ろに躱された。不意打ちだったはずだけど、俺の方を見ることもなく躱した。
でもこれで、エイシアとの距離は開いた。
伸びた剣を、そのまま横薙ぎに振るう。ズキンと背中に痛みが走って、顔をしかめた。魔物はヒラリと避ける。いつもなら捕らえられたけど、痛みが邪魔をした。
……いや、まさか。
「セルウス! なんで手を出すのよ!」
俺の思考を、エイシアの叫びが遮った。やっぱり怒ってる。あちこちから出血して、体を貫かれそうになったのに、助かったことを喜ぶんじゃなくて、俺が手を出したことを怒ってる。
「私は、氷の結晶を手に入れたいのよ! それなのに、なんでっ!」
「うん、知ってる」
頷いた。なんでエイシアが氷の結晶を手に入れたいのかなんて、言われなくても分かってる。俺のために、手に入れようとしてくれていることくらい。
――そう。だから、きっと。
「氷の結晶を手に入れて、その恩恵を得るのは、エイシアだけじゃない。俺だってそうだ。だから、俺だって挑戦者なんだよ。こいつは俺たちの力を見極めて、ギリギリ勝てるレベルに、自らの力を合わせたんだよ」
絶望的に差が開きすぎていたのでは、挑戦にすらならないから。ギリギリのところに自分の力を設定して、その上で俺たちを試している。多分、そういうことなんだと思う。
『一つ、訂正しようか』
魔物が、少し面白そうにして、口を開いた。
『ギリギリ勝てるレベルではなく、そなたらがギリギリ"負ける"レベルに、我の力はなっている。何もせず普通に戦えば、そなたらが勝つことはできない』
「俺の怪我の分まで考えて、強さを調整しているのか」
先ほど浮かんだことを口にすると、魔物は無言だが、ここでの無言は肯定と同じだ。
氷の魔法はエイシアより少し強いのに、爪や角を振るう早さが俺と同じくらいだった理由がそこだ。何もなければ同じくらいだけど、今の怪我だとどうしても早さが落ちてしまう。
よくそんなことまで分かるものだと思いながら、俺はエイシアを見た。
「エイシア、そういうことだからさ。――一緒に、戦おう」
どこか呆然としているエイシアに近づいて、前に立って手を差し出す。それは、俺が初めて「広い世界を見てみたい」と夢を語ったときと、同じ構図。だからきっとエイシアも。
「当たり前でしょっ!」
あの時と同じように笑って、元気に俺の手を取った。
「足を引っ張るんじゃないわよ。――シリウス」
「がんばるよ」
言われた内容と呼ばれた名前に苦笑して、俺は剣を構える。ピリッと背中に痛みが走ったけど、無視する。魔物を睨み付ければ、『ふむ』と満足そうに頷いた。
『かかってくるが良い』
その言葉と同時に、俺は斬りかかった。




