氷の聖域
嵐が去ったら、青空だった。
「まったく! ここは吹雪くか晴天かしか、天気がないわけ!?」
「まぁまぁ」
エイシアの言いたいことも分かるけど。風の音が止んできたと思ったら、あっという間に晴れてきた。俺もこの天気はどうなんだとは思うけど。文句を言ったってどうにかできるものじゃない。
それにエイシアが本当に怒ってるのは、そこじゃない。
「晴れてたら、すぐ分かったのに!」
エイシアの視線の先、おそらく十メートルくらい行った先に、ぽっかりと岩肌に開いている穴が見える。洞窟だ。あると分かっていれば、最初からあそこに避難できたけど、吹雪の中じゃ、こんな目と鼻の先にあったものさえも見えなかった。
エイシアの氷の壁で風は防げていたけど、それでも下の氷から来る冷たさはあったし、洞窟の中の方が間違いなく暖かかった。
……多分、怪我をした俺のために怒ってくれてるんだろうけど、今さらだと思って苦笑する。エイシアだって、どうすることもできなかったことくらい、分かるだろうけど。
案の定というか、一通り文句を言って満足したのか、俺をふり返ったときにはもう怒ってなかった。
「怪我はどう?」
「歩く分には問題ないよ。剣は……どうだろう、振れないことはないけど」
寝て起きてみれば、痛みは大分ひいていた。普通に動く分には問題なく動ける。戦うのはちょっと不安があるけど、魔物がいるわけじゃない。いつまた天候が悪化するか分からないから、動けるなら今のうちに動くべきだ。
「場所は分かるの?」
氷の結晶を求めて移動してきた俺たちだけど、崖から落ちてしまった。ということは、登れる場所を見付けないといけないのだろうか。
「ええ。多分、あそこ」
でも、エイシアが指を指したのは、その洞窟だった。
「多分、あの奥にあるわ」
「――そっか。じゃあ行こう」
無意識のうちに、左手で剣の柄を握っていた。洞窟の中は暖かい。しかし、逆に魔物がいる可能性もあるからだ。
――と、思ったんだけど。
「静かね」
「そうだね。……寒いけど」
魔物の姿はなかった。確かに静かだ。でも、正直外よりも洞窟の中の方が寒い。風が吹いているわけじゃないけど、純粋に気温が低いのだ。
「ええ。寒いわね」
同意したエイシアは、まっすぐ洞窟の奥を見た。その目に迷いがない。だから、俺も確信した。
この奥に氷の結晶がある。この寒さは、おそらくその結晶のせいだ。
フゥと息を吐く。
氷の結晶とは、どういうものなんだろう。手に入れるとはどういうことなんだろう。ただ何もなく、手に入れられるものなんだろうか。
ここにきて疑問が沸いてきた。エイシアは、果たして知っているんだろうか。聞いてみようかと思ったけれど。
「……………」
やめた。まっすぐ前を見て集中している。エイシアが知ってるかどうかなんて、どっちでもいいか。危険がないかだけ、俺は注意していればいい。
そして、特に分かれ道なんかもなく進んだ先に、通路が終わって前が開けているのが見えた。エイシアが手を握りしめて、緊張しているのが伝わってくる。だから、俺はその手を取る。
「エイシアなら、大丈夫だよ」
「――当たり前よ」
いつもの自信満々の返事……というにはちょっと緊張しているけど、それでもエイシアは不敵な笑みを見せたのだった。
*****
そこは、円形の大きな広場になっていた。床のあちこちに、まるで氷の花と言えるようなものが、たくさん咲いている。……植物じゃないだろうから、咲いているという表現は違うかもしれないけど、見た目は氷の床に広がる花だ。
でもその光景に見とれたのは、一瞬。突然湧き出た強い気配に、俺は反射的に剣の柄を握る。でも、握るだけで抜くことができなかった。理由は簡単だ。
――怖い。
ただその気配が怖かった。寒さではなく、体が震える。無理だと、ただそれだけが頭をよぎる。
エイシアが、ペタンと床に座り込んだ。顔色が真っ青だ。それに気付いてなお、動くことができない。
そして、その気配の主が、姿を見せた。現れたのは、四本足で歩き、頭に二本の長い角を持つ一体の魔物。姿を見せたことで、ますます強いプレッシャーが襲ってきた。
分かる。俺たちがこれまで戦ってきたどの魔物よりも、強い。ドラゴンよりも、氷の巨人よりも。
氷の結晶を手に入れるためには、こいつを倒さなければならないのだろうか。それとも純粋に、ただ洞窟に住み着いている魔物なんだろうか。判断がつかない。けれど、倒すのは絶対に無理だ。逃げたとしても、果たして逃げられるのか。そのくらい絶望的な差を感じる。
魔物の目が、俺たちを捕らえた。俺も座り込みたくなるのを、必死に堪える。こうなったら何とかエイシアだけでも逃がそう、と覚悟を決めたときだった。
『何用だ。ここは神聖なる氷の聖域。用無き者は、立ち去るが良い』
「……………!」
しゃべった。魔物が。鳴くわけではなく、音を発するわけでもなく。俺たちと同じ言葉を発した。
「用なら、あるわ」
エイシアが、絞り出すように声を出した。恐怖を隠しきれていない。それでも立ち上がる。
「ここに、あるわよね。氷の結晶。私は、それを、手に入れるために、来たのよ!」
恐怖を吹き飛ばすように、一言一言力を入れて、最後に叫ぶ。拳が握られるのが見えた。それに勇気をもらって、俺も震える手を押さえ込んで、柄を握った。
構える俺たちを、その魔物がどう思ったのか。エイシアを見て、俺を見る。その目がわずかに細められた。
『挑戦者か。久方ぶりだな』
――挑戦者。
ということは、こいつを倒せたら氷の結晶を手に入れられるということなんだろうか。けれど、体の震えは止まっても、現実的にそれが可能だとは思えない。
『かかってくるが良い。我に勝てば渡そう』
やはりそうなのかと思って、無理だと思った瞬間だった。突如、魔物から感じる恐怖が和らいだ。確かに強い。それでも、届くんじゃないかと思える程度には、和らいだのだ。
「え?」
エイシアもキョトンとしている。死を覚悟するほどの強いプレッシャーが、一気に弱くなったのだ。なぜ、と疑問に思う。
『どうした。来ぬのか?』
だが、魔物側はそれをどう思っているのか、淡々と告げてくる。魔物が意識したことではないのだろうか。
隠している可能性もあるけれど、もしそうなら最初から抑えておくはずだ。いいだけこちらに"死"を見せておいて、今さら隠すことに何の意味もないはずだ。
だとしたら、どういうことなんだろうか。――いや、いい。気にすることじゃない。届く、いや勝てるレベルになったことを、喜べばいい。
「待って」
剣を抜いて斬りかかろうとすると、ストップをかけたのはエイシアだった。
「氷の結晶を手に入れるのは、私でしょ。だから私だけで戦うわ。手を出さないで」
「でも……!」
「いいわね?」
念を押すように言って、エイシアは一人前に出た。
周囲に多数の氷の球が浮かんで、それが一斉に魔物に向かって放たれる。魔物は一歩も動かない。何をしたようにも見えなかったのに、氷の球は一つ残らず、魔物の手前で砕け散ったのだった。




