変わりゆく形
そんな、大変だけれど楽しさもあった、国境への遠征。それも、だんだん形を変えていく。エイシアが王太子妃としての勉強に忙しくなって、一緒に来られなくなったからだ。その代わりにくるようになったのが、フォティという女性だった。
彼女は、この雪深い地では珍しく、火を使う"火の魔女"だった。
確かに魔力量も魔法の強さも、エイシアにひけは取っていない。けれど、俺は初対面から不安だった。
「あなたが奴隷王子ね。わざわざ魔女が同行しないと魔物と戦うこともできないなんて、出来損ないなのね」
「……は?」
「感謝なさい。出来損ないの隊長と隊のために、この私が一緒に行ってあげるのだから」
蔑まれて、見下されていることは、確かだった。この人と一緒に遠征することになるのかと思ったら、一気に憂鬱になった。
俺の隊長という地位は、将軍の下位の地位で、さらには隊にも序列というものが存在する。
俺が隊長を務めているのは一番下の序列。配属されている兵士も下級貴族や平民出身だったり問題児だったり、そんなのばかり。そして、国境へ遠征しての魔物退治、という大変な仕事を全部押しつけられている。
奴隷から生まれた王子の待遇なんて、それで十分だと思われているのが、分かりすぎるくらいに分かる。だけど別に良かった。誰かがやらなければならないのだから、俺がやったっていいのだ。
そんな俺は意外と兵士たちからの評判はいい。「威張らない上司サイコーっ!」ということらしいが。問題児と言われた兵士たちも、どこが問題なのか俺にはさっぱり分からない。
そして、俺の副官にのし上がってきた男。他国からの流れ者らしいが、詳細は分からない。なぜそんな奴が兵士になれたのかさえ不思議だ。そんな話を本人にポロッと言ったら、笑われた。
「そんな怪しい奴を、副官にする隊長も大概ですけど」
「別にいいよ、他にいないし。だけど、裏切るときに殺すのは俺だけにして、他の皆は見逃してやってくれよ」
「もしかして僕、疑われてます?」
「一応、正体不明だから。でもいいんだよ、俺がお前を嫌いじゃないんだから」
「……それはどうも、光栄です」
照れたらしい副官に、こいつが裏切るのは想像がつかないな、と思ったものだ。それから数年がたつが、今のところ裏切る様子は見られない。
*****
さて、遠征の際にフォティが一緒に来ることになったけれど、俺の不安は悪い方向に外れた。
まず、着ている服はまさかのドレスだった。次に、豪奢すぎる馬車に乗ってきた。最後に、侍女たちを引き連れてきた。
魔物の出現が頻繁な国境地帯に、道らしい道などあるはずがない。馬車など無理。馬ですら無理なときだってある。歩くときだってあるのだから、服装もそれでは無理。守れるかどうか分からないから、人数は最小限に。
至って常識的だと思う内容を俺は言ったのだが、フォティにとっては違ったらしい。
何も言わずに去っていったと思ったら、一緒に行ってあげるのに無理難題を押しつけてくる、と国王や王太子に言ったらしい。呼び出された俺はこっぴどく怒られ、フォティの望むように対応するよう命令された。
歯がみしながらも、受け入れるしかなかった。彼女の我が儘で行軍は思うように行かなくなり、馬車が通れるように道を作らなければならなくなった。
それでも、まだ魔物との戦いで役に立ってくれるなら良かったのだが。
確かに魔法の威力だけなら、エイシアと変わらない。けれど、フォティの魔法は火だ。エイシア以上に制御ができなければ、周囲への被害も大きくなるし、周囲に燃え広がってしまうこともある。
エイシアのその制御は完璧だった。狙った魔物以外、凍らせたことがない。というか、過去の魔女の記録なんかを見た限りでは、それは"できて当たり前"のことっぽかった。
だが、フォティはできない。魔物以外にも火が飛び散る。兵士に当たったこともある。大火事になりかけもした。威力が大きいだけにその被害も甚大だ。言ったところで、「奴隷の王子が偉そうに」と言われるだけ。
正直、俺の隊の兵士たちがよく我慢したと思う。表情には出していたし、本人のいないところで文句も言っていたけど、本人に向けて直接何かを言ったりしたりする奴はいなかった。
俺の立場がますます悪くなるから我慢していた、とは王都へ戻ってから聞いた話だ。
二度も三度も続けば違ったかもしれないが、俺自身も一度で懲りた。フォティが同行するくらいなら魔女の同行を求めない方がマシ、という隊員全員の同意を得て、国王に魔女の同行は今後は必要ないと言ったら、あっさり許可された。
*****
俺がエイシアと会う機会は激減した。久しぶりに王城で姿を見たとき、ずっと短くしていた髪を伸ばしていたから、違和感があった。
でもそれ以上に、あれだけ表情豊かで、言いたいことをズバズバ言っていた彼女が、王太子の側にいるときには"氷の魔女"と聞いて持つイメージそのままに、氷のように冷たい表情をしているのが気になった。
俺と目が合ったとき、ほんの少し表情が動いたような気もしたけれど、すぐ目を逸らされた。
噂話を集めてみたけれど、怖いとか高圧的だとか、あまり良くないものばかりだ。別に好き勝手に我が儘放題しているわけではないけれど、誰が何を言っても笑わず怒らず、表情を変えることがないらしい。
というか、王太子に「少しは笑え」と言われたとき、「面白くもないのになぜ笑わなければいけないのですか」と返したとか何とか。それを聞いて、すごくエイシアらしいと笑ってしまった自分は、良くないかもしれないけれど。
けれど、王太子妃ってそういうのが必要な仕事でもあるわけだから、エイシアははっきり言って向いていないんだろう。魔力があればいいってものじゃないのだ。
――だから、これを聞かされたとき、どこか納得してしまった自分もいた。
俺は今、国境の遠征から戻ってきて、国王に報告をしている。その場には兄である王太子もいた。それ自体は別にいいけれど、問題は王太子の隣にいる女性が、エイシアじゃなくてフォティだったことだ。
それに対しての疑問が、顔に出たのだろう。国王が淡々と言ったのだ。
「氷の魔女との婚約は、破棄となった」
「はき……?」
何のことか分からず、呆然とその単語を繰り返す。そして、ようやく理解しても、意味が分からなかった。
「な、ぜ……」
そう言う自分の感情が何なのか分からない。悲しいのか怒っているのか……喜んでいるのか。最後に浮かんだ思いに、それだけはないと感情に蓋をする。王太子とフォティの、ニヤニヤした笑いが目に入った。
「我が国に必要なのは火を扱うフォティだ。魔力量があるだけで何もできない氷の魔女は不要だ」
国王の言葉に、俺は唇を噛んだ。ここで何を言ったところで意味はないし、余計な反論は俺自身の首を締め付ける結果にもなりかねない。
雪深いこの地で、火の力が必要だというのは分かる。だからといって、その力が国全体に行き渡るわけじゃない。確かにこの城でエイシアにできることはなかったのかもしれないけど、それでも"魔女"として優秀なのは、エイシアの方だ。
何も知らないくせに、エイシアが蔑まれるのが、悔しかった。
「分かったら下がれ。ご苦労だった」
一応、俺もこの人の息子であるはずだけど、俺を見る目は道具を見る目と変わらない。奴隷と蔑む兄とどちらがいいのか、と言われたところで、答えが出る日はないだろうけど。
「訓練、サボんじゃねぇぞ」
「……分かっています」
分かりきったことを告げてきた王太子に、俺は声を絞り出すように答える。深く頭を下げて、言われたとおりに下がったのだった。
*****
国王との謁見を終えて、剣の訓練場に行くために外へ出てみれば、雪が降っていた。どおりで寒いはずだと思う。
「氷の、魔女か……」
結局、国王も兄もエイシアのことをちゃんと見ようとしなかったんだな、と思う。
エイシアが兄の婚約者になったのは、彼女が幼い頃から天才的とも言える氷魔法の才能を見せていたからだ。でも、性格的に国王や兄との相性は良くなかったようだし、王太子妃に向いているとも言えない。
でも、本当の彼女はとても優しい人だ。"雪の魔女"であり続けたエイシアを、皆の笑顔を見たいと言ったエイシアを、国王も兄も知ろうとしてくれなかったのだ。