一緒なら
俺は"自分"という存在に、興味がなかった。
冷たい目をする父である国王に、「奴隷」と呼んで嘲る兄である王太子。蔑んでくる将軍。
母が亡くなってからは、それらが全て俺に向けられていたから、自分のことなんか考えていられなかった。深く考えず、ただ黙って受け入れるのが、一番良い方法だった。
それでも、一度も自らの死を願ったことはなかった。俺に、優しさや気遣いが向けられていることも知ったからだ。
母が亡くなった日。
国王はゴミでも見るような目で見て、兵士たちにその"処分"を命令した。俺はそれに何も言えず何もできず、運ばれていく母の遺体を見ることしかできなかった。
その日、母の遺体を運んでいった兵士たちとすれ違ったとき、わざとらしく体をぶつけられた。そんな嫌がらせも、別に珍しいことじゃなかったから、俺はただ耐えるだけだった。
でもこの時は違った。ぶつかった瞬間に、手に何かを握らされた。何だろうと思って、部屋へ戻ってから見たら、それは手紙だった。「夕刻、共同墓地へ」というメッセージと、簡単な地図が書かれた、手紙というよりメモといってもいいもの。
驚いた。そして、何かまた意地悪されるんだろうかと思った。俺が無断で城を抜け出すなんてことをしたら、何をされるか分からない。でも、無視することもできなかった。
だから、地図を頼りに共同墓地へ向かった。そこにはその兵士たちがいて、俺の姿を見るとホッとした顔をした。
『この共同墓地に葬ってもらえるように、話をつけました。これから埋葬します』
『エルトリア様にはお世話になったんです。恩返しと言えるほどでもないんですが、自分たちにできることはしたかったから』
母の名前を出して笑って、俺を埋葬に立ち会わせてくれた。ちゃんと死に化粧を施されていて、最期のお別れをさせてくれた。
とても嬉しかったけど、国王からの命令に違反したことになる。それを気にした俺に、兵士たちは笑顔を見せた。
『ご心配なさらず。もう退役しましたので。年を取って、兵士を続けるのは難しいんです』
『辞めた人間にわざわざ罰を与えませんよ。我らのような一兵士を気にかけてくれて、ありがとうございます』
母の遺体を王宮から運び出したことが、自分たちの最後の仕事だったんだと。もう辞めたんだから、命令も関係ないと、笑った。
この時、俺は初めて母以外の人の優しさに触れた。気遣ってくれている人がいたことを知った。
この後、俺が城から抜け出したことはすぐにバレた。食事を抜きにされて剣の訓練時間を伸ばされて、ついでに早々に兵士の一人として働くようにもなったけど、おかげで俺は心を保つことができた。
優しさを向けてくれた人たちのために、何もかもを諦めてしまうことはできなかった。
それでも、いつかは限界が来たかもしれないけど。
でも、そうなる前にエイシアに出会った。副官や隊の皆に出会って、気付けば俺に色々大切なものができていた。
「大丈夫。エイシアが思ってるほど、俺は自己犠牲の精神に溢れてないから。大切な人たちが相手じゃなきゃ、守りたいなんて思わないよ」
俺が自分より他人を優先させるのは、大切な人に対してだけだ。大切だから、自分が損したって守りたいと思う。力になりたいって思う。
でも、エイシアにジトッと睨まれた。
「本当にそうかしらね。だったらドラゴンと遭遇したときだって、王太子なんて放っとけば良かったのに」
「い、いや、だってあれはさ、目の前で殺されるのを見るの、あまり気分良くないしさ。助けられるんなら助けようかなぁって……」
アタフタと弁解を試みる。あれは別に自己犠牲を発揮したつもりはない……んだけど。
「――もういいわよ! どこまでいったって、あんたはお人好しなんだから!」
俺の、自分でも説得力の欠片もないと思う弁解を、エイシアがバシッと遮った。
「どうせあんたは、どんな嫌な奴だって助けようとするんでしょ。そのくらい分かるわよ。だから覚えておきなさい。私はあんただけを助けるわ。絶対に死なせてなんてあげないから」
その宣言に、俺は一瞬キョトンとして、そして笑った。
「うん。頼りにしてるよ」
やや憮然とした顔をされたけど、すぐまた俺に手を伸ばしてきて、気遣うような表情を見せた。
「……寒い?」
「そうだね。ちょっと寒いかな」
答えると、エイシアが俺の隣に横になる。
「抱きしめてれば、寒くないかしら」
「……そうだね。そうしたら、暖かいかもね」
一瞬、答えに悩んだけど、素直に答える。すると、エイシアの手が、本当に俺に伸びてきた。だから、俺もエイシアに手を伸ばす。
「あ、あんたは、しなくていいのよ。怪我してるんだから」
「俺がしたいんだよ」
少し慌てたようだけど、俺の返事に首を傾げた。
「このまま私まで寝ちゃったら、良くないわよね」
「そうかもしれないけど……。案外、大丈夫だったりして」
俺は剣に手を触れる。これは炎の力を宿す剣だ。これのおかげで、俺たちはここまで何ともなく来れてるんじゃないかと、思うときもある。
「そうね」
エイシアもフフッと笑う。エイシアの、俺に回された腕に力が籠もった。俺はエイシアを見て、エイシアが俺を見る。
目と目が合って、見つめ合う。吸い込まれるように、顔の距離が近づく。
――そして、唇が重なった。
それは、多分ほんのわずかの時間だったけれど、とても長く感じた時間。
名残惜しくも感じながら唇を離して、またエイシアと目が合った。そして、同時に笑い合う。
「アハハ」
「フフッ」
そうして、俺はエイシアを抱きしめる腕に力を込める。
目を閉じた。大丈夫だ、エイシアと一緒なら。




