真夜中の影と音
「美味しい」
「体があったまるわね」
夕食時、宿の一階の食堂に来た俺たちは、さっそく食事を食べていた。到着した昼間に比べて、さらに気温が下がってきた今現在、出されたのは素朴なシチュー。だけど、エイシアの言う通りに、体の中から温まる。
「口に合ったんなら、良かったよ」
女将さんに言われて、俺たちは頷いた。
「俺たちのいた所も寒いと思ってましたけど、ここはそれ以上なので」
「そうね、起きたら本当に寒いんだもの。驚いたわ」
エイシアも言うと、女将さんは少し首を傾げた。そして俺の方をチラッと見る。……何だ?
「お嬢さんは寝てたの? 君は元気に街中を散策してたみたいだけど」
「え、あ……」
「あんたの赤い髪は、ここじゃ目立つよ。街中の噂さ」
「……そうなんですね」
笑うしかないとはこういうことか。確かに、この街の中を見ると、色素の薄い髪色の人が多い気はしたのだ。銀髪のエイシアならとけ込めそうだけど、俺の髪色は確かに目立つ。
あまり話をしている余裕はないのだろう、去っていく女将さんの背中を見ていたら、エイシアのすごい不機嫌な声がした。
「どういうことよ。あんた一人で出かけたわけ?」
「いや、一応ノックはしたんだよ。でも反応がなかったから、寝てるんだろうなって思って……」
「起こせばいいでしょっ!」
「……そんなことしたら、怒るくせに」
「当たり前でしょっ! でも、一人で勝手に動かれるのも腹立つのよっ!」
じゃあ一体、どうすれば良かったんだ。フンッとそっぽを向いてしまったエイシアの横顔を見ながら、俺は悩む。
魔物のことが気になってしまって、街の様子を見て回ったのだ。一見、何ともなさそうな街中だったけど、いくつか壊れた建物が見つかった。これが魔物とやらの仕業なんだろうかと思ったけど、詳しい話は何も聞けず、見て回っただけで帰ってきたのだけど。
さっき言ったように、エイシアの部屋もノックはした。でも部屋の中に入るなんて真似はしない。ゆっくり休めるときに休んだ方がいいと思ったから、俺も必要以上にノックはしなかった。
……のだけど、それを言っても、納得しそうな雰囲気じゃないんだよな。
理不尽だと思うけど、こういう場合は俺が下手に出るに限る。「俺一人じゃ話を聞けなかったから、明日一緒に行ってほしい」と言えば、「しょうがないわねっ!」と機嫌を直してくれるはずだ。
けれど、俺がそれを口にする前に、大きな笑い声が耳に入って、俺は口にし損ねた。
「ガッハッハッハッ! いやぁ兄ちゃん大変だねぇ! うん、若いうちは苦労しなきゃな! 女の機嫌を取るのは大変だが、それを乗り越えてこそ、真の男になれるってもんだ!」
「はぁ……」
俺の肩をバンバン叩きながら言ったそのおじさんは、明らかに顔が赤くて酔っ払っている。動きを見ると結構鍛えてそうな感じの人に叩かれると、結構痛い。
さて、酔っ払いはどうやって回避すればいいのか。エイシアを見ると、なんかとても面白そうなものを見たような顔で、おじさんを見ている。俺のフォローを望むのは無理か。
「ああ、ちょっと隊長! なに一般客に絡んでるんですかっ! ホントに酒癖悪い……って、あれ君は……」
「あ、昼間はお世話になりました」
俺は酔っ払いのおじさんを止めに入った人に、頭を下げる。昼間、街中を歩いているときに見つけた警備隊の詰め所で会った人だ。
「なんだ、知り合いか?」
「この人ですよ。魔物のことを知りたいって、警備隊を訪ねてきた人」
「……ほぉ」
酔っ払いのおじさんの目が、俺を品定めするかのようにわずかに細くなる。それに臆せず見返せば、ほんのわずかに驚いたように目が見開いた。けれどそれは一瞬で、すぐ笑い出す。
「ガッハッハッハッ! まあいいや、今は仕事外! 仕事の話はしないのが鉄則!」
「仕事の愚痴はしょっちゅう言ってるじゃないですか。それだって仕事の話ですよ」
「細けぇんだよ、お前は!」
隊長と呼ばれた人は、またガッハッハと笑う。そして赤い顔ながら目だけは真剣に、俺を見据えた。
「話聞きたきゃ、明日昼前に警備隊に来い。時間空けといてやる」
「ありがとうございます」
俺は素直に頭を下げた。
街中の散策中にたまたま警備隊を見つけて、魔物の話を聞きたいと言ったら、今は不在だけど隊長に聞いた方がいいと言われたのだ。だから明日また来ますと伝えてその場を辞した。
「一つだけ。言われたかどうか知らんが。夜の半ば、真夜中に大きな足音と大きな影が見えるだろうが、窓のカーテン閉めて絶対動くな。声も出すな。間違っても外を見ようとするな。一時間もたてばいなくなる。いいな?」
「……分かりました」
エイシアと顔を見合わせた。おそらくそれが"魔物"なのだろうけど、魔物相手にそれが対策になるというのが、俺の常識ではあり得ないことだ。それに一時間でいなくなるというのは、どういうことなのか。
疑問は疑問だけど、また席に戻ってさっさと酒を飲み始めてしまったから、これ以上言うつもりはないんだろう。ひとまず、今晩どんな感じなのか、見てみるしかなさそうだ。
*****
「まったく、あんたって体力底なしなわけ?」
「そんなんじゃないよ。疲れたって思ったけど、魔物のことが気になっちゃって」
「それで動けるんだから、底なしなのよ!」
夕食後、俺の部屋に来てエイシアは不満をぶちまけている。やっぱり俺が一人出かけたことが気に入らないらしい。
不満と言えば宿の女将さんもで、俺たちが夕食を食べ終わった後に、しようと思っていた魔物の注意事項を先に言われてしまったことを、非常に不満そうにしていた。ちなみに、隊長がチクチク言われてた。
「明日は一緒に行こうよ」
「当たり前でしょっ!」
俺の誘いに、いかにも不満ですという風を装いながらも、顔がニンマリした。これで機嫌は直ったと思いたい。
「でも、"隊長"って響きが懐かしかった。どんな人かなって思ってたんだ」
「酔っ払いのおじさんだったわね。でも油断ならなそう」
「うん」
かつて、俺自身が隊長と呼ばれていたからか、勝手に親近感を持ってしまった。でもエイシアの言うように、あの時俺を見た目は鋭かった。ただの酔っ払いじゃないのは確かだ。
俺は、カーテンを開けたままの窓から外を見た。
「エイシアは、部屋のカーテン閉めてきた?」
「ええ、一応ね。中にいなくても閉めた方が間違いないと思ったから」
「そうだね」
そう言うということは、魔物が現れる時間まで俺の部屋にいるんだろう。窓の外は、昼間ほどじゃなくても月明かりが氷や雪に反射して明るくて、幻想的な雰囲気だ。ずっと見ていたい気もするけど、俺はカーテンを閉めた。
*****
そして、真夜中。
たわいない話をして時間を潰していた俺とエイシアだけど、背中にゾクッとしたものを感じて、同時に二人、押し黙った。その数秒後、ズンと足元から響く音がした。
エイシアと目を合わせて、頷き合う。間違いない、これのことだろう。
ズンというその音が、魔物の歩く足音なのだろう。その音が重なることはないから、おそらく二本の足で歩く魔物。人型の魔物か。歩く音以外は聞こえない。壊れた建物もあったけれど、あれは魔物がやったわけではないのだろうか。
遠くに聞こえた音は、だんだん近づいてくる。俺の剣の持つ手に力が入った。そこにエイシアの手が重なる。緊張した顔だ。でも俺もきっと似たり寄ったりだ。
二人で息を詰めて、その足音を聞く。やがてカーテンの向こう側に、"何か"の影が映った。
「「…………っ……!」」
俺が息を呑むのと同時に、エイシアのそれも聞こえた。でも声は出さない。
そこに映ったのは、太く真っ直ぐ伸びるものと、細く動くもの二本。魔物が人型だとすれば、それは胴体と腕だと考えるのが自然だ。
そして、ここは宿の二階だ。二階にいて、胴体と腕が見えるということは、この魔物は相当な巨体だ。それだけじゃない。こいつは、強い。かつて戦ったドラゴンと同じか、それ以上か。
思わず身構えてしまったけれど、その魔物はカーテンの向こう側から消える。足音も遠のいていき、やがて聞こえなくなった。背中のゾクッとした感じも消える。
「「はあぁぁぁぁあぁぁぁぁ……」」
それを確認して、俺とエイシアは大きなため息をついた。どんな魔物なのか、現時点では想像もつかないが、思った以上に強すぎる。
「夜中に一時間うろつくだけなら、いいのかしら」
「本当にそれだけならいいんだろうけど、壊れた建物が気になるんだよね。あれ、人の手によるものじゃないよ」
顔を見合わせて、そして同時に苦笑した。ここで話して解決する問題じゃない。
「じゃ、私は休むわ。お休み」
「うん、お休み、エイシア」
部屋へ戻っていくエイシアを見送って、俺はベッドに横になった。考えても仕方がない。明日話を聞いてからだ。