奴隷王子と氷の魔女
俺が初めて彼女に会ったのは、一人訓練場で剣を振っていた時の事だった。静かに、ただ雪が降っていた日。
「こんな雪の日まで、剣を練習してるの?」
突如声をかけてきたのは、薄い銀色の髪を短くしている、俺と同じ年くらいの女の子。纏っているドレスは上等なものだから、きっと高位貴族の令嬢だろうと思ったが、誰かは分からなかった。
その女の子の周囲を見る。その子だけで他に誰もいない。大抵、侍女を従えているものなのに、一人というのが珍しい。赤い髪の俺は敬遠されているというのに、気にした様子もなく話しかけてきたのも珍しかった。
「寒くないの?」
俺が無言でいるからだろうか、その子はさらに俺に問いかけてきた。
俺が剣を振っているのは、寒いとか寒くないとかの問題じゃないのだ。そんなこと、この城内にいる人なら大抵知っているから、話しかけられることはない。だから、どう答えていいか分からないでいると、その子はまた聞いてきた。
「ねぇ、雪は好き?」
「……嫌いじゃない、と思う」
答えに悩まない質問が来たから、すんなりと答えられた。俺が初めて答えたからだろうか。その子は嬉しそうにした。
「じゃあ、氷は好き?」
「……氷?」
何とも奇妙な質問だ。先ほどまでとは別の意味で答えに困る。少し考えて、素直に思ったことを言った。
「好きとか嫌いとかじゃなくて……冷たいなと思うけど」
雪の好き嫌いはあるだろうけど、氷の好き嫌いというのはないんじゃないだろうか。そんな気持ちも込めて答えると、その子はなぜか不満そうな顔をした。
「変なの! 雪だって元を辿れば氷なのに!」
「それは、そうかもしれないけど……」
だがそれは怒る要素なのだろうか。あまりコミュニケーション能力が高くない俺には、理解するのが難しい。
「ねぇじゃあどっちが好き?」
そう言ったその子は両手を手の平を上に向けて差し出す。何をするのかと思ったら、その子の手の平の上に氷が渦巻いた。そして、それぞれの手の平に現れたものを見て、俺はギョッとした。
「右手の子が雪兎。左手の子が氷兎。どっちが好き?」
「いやいやいや」
そこにあったのは、雪像と氷像だ。
それこそどっちが好きとかそういう問題じゃない。そんな簡単に作り出して良いものじゃない。同時に思い出した。俺と同年代の女の子の中に、氷魔法のすごい使い手がいるという話があったのを。
「……こっち」
結局、俺は素直に気に入った方……雪兎を指さした。人間、驚きすぎると、深く考えるのを放棄するらしい。
氷兎は透明に透き通っていて綺麗だと思うが、雪兎の方が可愛いし暖かいような気がしたのだ。
「ふーん」
俺の答えに、その子が何かを考えるような顔をした。出入り口から声がしたのは、その時だった。
「あ、エイシア様! こちらにいらっしゃいましたか……」
それは侍女の声だ。呼びかけたのは、目の前の女の子だろう。やはり侍女が誰もいないなんて、あり得なかったか。侍女が俺を見つけた途端に顔をしかめた。
「エイシア様、参りましょう。このような場所に来るものではありません」
「この人が雪の中で練習しているのが気になっただけよ」
「エイシア様、この方は……」
侍女の声が小さくなり、エイシアと呼ばれた少女の耳に何かを囁いている。俺は数歩離れて素振りを再開した。どうせこの子もすぐ嫌な顔をして離れるだけだ。
「へぇ! あなたが奴隷から生まれた王子なのね!」
その声に驚いた。似たような言葉は何度も聞いてきたが、大抵その声には蔑みや嫌悪が入っていた。でもこの子は事実をただ言っただけ、もしくはそれ以上の興味が宿っているように感じたのだ。
それが間違いじゃない証拠に、興味津々に俺に近づいてきた。しょうがないので、剣を振るのを止めると、さらに俺の顔をのぞき込んでくる。
「どんな王子なのかと思ってたけど、なんだ、私たちと何も変わらないのね!」
そう言って、その子は笑った。赤い髪の俺を見て「変わらない」と言って笑ったその顔に、俺は見入ってしまった。
「エ、エイシア様……! 参りましょうっ!」
「そう?」
侍女が慌てたように言うのを、その子は不思議そうに見たが、すぐ俺に雪兎の乗っている右手を差し出した。
「あなたにあげるわ! じゃあね!」
「え……」
俺の手に雪兎を乗せたその子は、貴族令嬢らしくなく大きく手を振って去っていった。その子が、兄である王太子との婚約のため、王城を訪れていたと知ったのは、その翌日だった。