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優しい嘘は悪魔の囁き  作者: Peco*
7/16

幻想

 翌日になっても瞳はずっと寂寥感 (せきりょうかん)に襲われていたが、カルチャーセンターでの仕事は、受付や電話対応・教室の準備があるため、落ち込んでもいられなかった。


 この日は銀座の画廊に花束を届ける予定があった。以前、俳句教室の講師をしていた遠藤の個展が開催されることになったのだ。更衣室で私服に着替えメイクを直すと、重い足取りのまま駅へ向かった。

 

 画廊に到着すると玄関に立派なフラワースタンドが飾られていた。駅前のフラワーショップで購入した花束は少し見劣りしたが、今さらどうすることも出来なかった。送り主は有名な漫画家の塚本二郎からだった。めずらしい組み合わせだと思ったが才能の溢れたもの同士、通ずるものがあるのだろうと瞳は思った。


 受付の女性に声をかけると遠藤は奥にいると教えてくれたので、会釈をして展示スペースを目指した。すると、遠藤は綺麗な女性と談笑を楽しんでいた。声をかけることをためらっていると、遠藤はその女性の腰に手を回し耳元で何かを囁いた。そのとき、女性の方が瞳の存在に気づき遠藤からそっと離れると、

「まぁ! 綺麗な花束。父のために?」

 と、目を輝かせたのだった。瞳は呆気にとられたが、気を取り直してきちんと挨拶をした。

 

 徹也は業務に追われ、桜井と話をする機会をつかめずにいたが、午後になって桜井が外出する際に同行することになった。

「瞳さんの忘れ物、届けておきました。……彼女、すごく塞ぎ込んでいましたよ」

 徹也は桜井の反応を確かめたかったが、案の定感情を表に出すことはなかった。真理子は会社に残っていたので、車内ではふたりきりだった。

「ばぁちゃん、知ってたぜ。社長と瞳さんのこと。騙されてくれてたんだよ」

「……」

「そのことでショックを受けた訳じゃなかったってことさ」

 それだけ言うと、徹也は運転に集中した。


 瞳は自宅に戻っても不穏な気持ちを抱えたままぼんやりとしていた。時刻は夜9時を回り、仕方なくシャワーを浴びて、濡れた髪を乾かしていると着信があった。


「今、いいかな?」

 桜井から紀子の無事を聞かされたが、瞳は「お大事になさってください」と伝えるのが精一杯だった。


「瞳、週末空いてる?」

 美花は仕事が終わると、シャインマスカットを持参して瞳の部屋を訪れていた。

「徹也クンから連絡があったのよ。鎌倉のオーベルジュでBBQしないかって」

「鎌倉?」

「そう。車で行けばあっという間よ」

「ふたりで行けばいいじゃない?」

 瞳はシャインマスカットをサッと洗って、モッツァレラチーズに生ハムを合わせて彩り華やかなサラダを作った。

「瞳を誘うように言われたのよ。あ、ワイン開けていい?」

「もちろん」

 瞳はあまり気が進まなかったが、美花の気持ちを汲んで了承することにした。


「その後、どう? 紀子さんの様子……」

 瞳は遠慮がちに徹也に尋ねた。

「手術することになったよ」

「えっ!」

「ずっと先送りにしてたんだ。だけど、君に迷惑をかけたことで決心したみたいだぜ」


 緑豊かな森に包まれたクラシカルなオーベルジュでは、牛肉・豚肉やチキンのグリルに骨付きフランク、自家農園で栽培された旬の野菜に加え、ドライカレーやコブサラダなどのサイドメニューがついたボリュームのある内容だった。ワイナリーも併設されていて、ご当地ワインや美味しいクラフトビールも飲むことが出来た。


「ここは、じいちゃんが所有してたんだ」

「今は?」

「もちろん、社長が引き継いでるよ」

 

 食後は焚き火を見つめながらホットワインを飲んでいた。

「やっぱり日が落ちると肌寒いわね」

 美花はブランケットにくるまった。瞳は膝を抱いたまま感傷的になって「私は、何を期待してたんだろう……」とつぶやいた。


「そんなに気難しい人なの?」

 美花は瞳の隣に座り、ブランケットで包み込んだ。


「……俺のせいなんだ。社長の心に暗い影を落としたのは」

 徹也は懺悔するように、過去に起きた出来事を告白した。


 独身だったこともあって、徹也は桜井を『お兄ちゃん』と呼んで慕っていた。徹也が5歳のとき、桜井が購入したスポーツカーに乗りたいと駄々をこねて、親に内緒で後部座席に乗せてもらっていた。チャイルドシートなど、もちろんなかった。


「前が見たくて後部座席の中央部分に立っていたんだ。そしたら追突されちゃって」

「それで?」

 そう言って急かしたのは美花の方だった。

「俺は無事だったよ。全身打撲で済んだんだ。だけど、社長は罪の意識に苛 (さいな)まれて」

 徹也は大きく息を吐いて

「社長、いつもサングラスかけてるだろ? あのときからなんだ」

 と、言ってグラスのワインを飲み干した。

 

 事故の後遺症で、光を浴びると、吐き気や目眩や立ち眩みが起きたり、視野に砂嵐が表れる事があるため、日常的に色付き眼鏡 (サングラス)を着用するようになっていたのだ。


「トラウマになっても仕方ないわね」

「いつも自分を責めていて……」

 それだけ話すと、徹也はすっかり黙り込んでしまった。


 瞳はその場を離れ、月明かりを頼りに森の遊歩道を奥に進んだ。すると、小さな建物から暖かく優しい明かりがこぼれていた。

「まるでドールハウスね」

 その建物を眺めていると、急にドアが開いた。

「キャッ!」

 瞳は小さく叫んだ。踵を返し、急いで立ち去ろとしたが木の根に足を取られ躓いてしまった。


「あれ? 君……」

 そこに現れたのは桜井だった。

「どうして……?」

 瞳が不思議そうに尋ねると、桜井は「ここは、親父のアトリエだったんだ」と言って、瞳を招き入れた。


「……今日は徹也君に誘われて。あ、連絡しなきゃ」

 美花にメールを送ると、すぐに『ごゆっくり』と返信があった。


「瞳さん、社長に会えたんだ」

「まさか、自分から見つけるなんてね」

 徹也は桜井がここへ来る予定を知っていて、美花と結託して瞳を連れ出していたのだった。


「どこかにおいでになるんじゃなかったですか?」

「あぁ、ちょっとラウンジに」

「じゃあ……」

 瞳が立ち上がると、桜井は「いいんだ」と言って瞳を引き留めた。


「素敵ですね」

 瞳は部屋を見渡した。暖炉にロッキングチェア、壁一面の本棚には、たくさんの古書が並んでいる。

「見て回っても?」

「あぁ。構わないよ」

 アンティークのソファーにテーブル、コンソールテーブルには深紅のダリアが飾られていた。ガラスシェードに猫足のエレガントなキャビネット。

「綺麗……」

 瞳はスノードームを揺らしてふわふわと舞い踊る雪を眺めていた。桜井がスノードームに手を伸ばしネジを回すと、オルゴールが優しく音色を奏でた。


「聞いたことあるけど……」

「ショパンだよ。ショパンのノクターン」

 瞳はもう一度ネジを回して、オルゴールを鳴らした。


「俺は……、お袋がショックを受けて急変したのかと勘違いして君を責めてしまった」

「……」

「徹也から聞いたんだ。そうじゃなかったと」

「でも、言わなくてもいいことまで……」

「そもそも、こんなことに付き合わせた俺が悪かったんだ」

 オルゴールが静止して、しばらく沈黙が続いた。


「だけど……、俺は君と繋がりを持てるなら嘘でもいいと思ったんだ」

 そう言って、桜井は瞳を後ろから抱きしめた―。 

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