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優しい嘘は悪魔の囁き  作者: Peco*
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喪失

 瞳は両親が離婚してからは母親と暮らしていた。父親はすぐに再婚していたが子宝に恵まれず、しばらくすると瞳を引き取りたいと申し出があった。母親も再婚を考えていて、小学校に入学すると同時に父親の下で暮らすことになった。しかし、その数年後には弟が誕生したのだった。


「弟が2歳のとき、私がちょっと目を離した隙にソファーから落ちてしまって。下にあった飛行機のおもちゃでまぶたの上を切って流血させてしまったんです。それで母が怒って……」

 そこまで話すと、瞳は左耳に手を添えてうつむいてしまった。


 ―瞳はこのときのことを鮮明に覚えていた。弟の隼 (はやと)はリビングのソファーの上でハーモニカを吹いていて、瞳は側で宿題をしながら弟を見守っていた。継母の絵里は庭で煙草を吸っていのだが、騒動に気がつくと慌てて駆け寄り泣きじゃくる弟を抱いて『この馬鹿が』と怒鳴りつけて瞳の頬を平手打ちしたのだった。


「ごめんなさい。辛いこと思い出させたわね」

「いえ。でも検査をしても異常はなかったんです。結局、自分自身で耳を塞いでしまっているんです」

 紀子は瞳の頭を優しく撫でて、

「雅紀が、あなたの支えになれるといいんだけど」

 と、言った。


 瞳は桜井と交際していると嘘をついて紀子を騙していることに心を痛めた。本当のことを打ち明けた方がいいのかもしれないと罪悪感でいっぱいになってしまった。しかし、言ってしまうと桜井に二度と会えなくなるような気がして言い出せなかった。


「ちょっと混んできたな……」


 病院までは目と鼻の先。時刻は15時を回ったところだった。帰宅ラッシュには早かったが、すっかり渋滞に巻き込まれてしまった。


「大丈夫ですか?」

「私は大丈夫よ。あなたは?」

 紀子の優しい言葉に、瞳はこれ以上黙っていられなくなり、本当のことを打ち明けてしまった。


しかし、紀子はニッコリと微笑んで、

「わかっていたわ」

 と、言ったのだった。


「あなたみたいな若いお嬢さんが、あの子の恋人だなんて」


 瞳は急いで首を振り、

「雅紀さんは素敵な方です。私は……」

 言葉を詰まらせた。すると、急に紀子は胸を押さえて苦しみだした。


「大変! 大丈夫ですか?」

 瞳は預かっていた薬をリュックから取り出して紀子の口に含ませた。そして、急いで病院に連絡すると、そのまま救急入口に向かうように指示された。


 意識はあったが、とても危険な状態だった。徹也と瞳は無言のまま待合室の長椅子に座ったまま、時間だけが過ぎていった。しばらくするとタクシーが到着して、桜井と真理子が病院に駆け込んだ。


「ごめんなさい」

「……君のせいじゃないさ」

「違うの。私たちは付き合ってる訳ではないと、お母さまに。それで……」

 すると、桜井は眉間にしわを寄せて険しい顔をした。

「もういいよ。悪かったね、迷惑かけて」

「……」

 瞳は何も言えず、病院を飛び出してしまった。


 余計なことを言うんじゃなかったと後悔した。あのまま黙っていれば、桜井の側にいられたのかもしれないと。


 しばらくすると、紀子の容態は落ち着いたと報告され、桜井と徹也、真理子も胸をなでおろした。紀子は狭心症を患っており、胸の痛みや圧迫感が引き起こされるため、冠動脈を広げる薬を投与していたのだが、発作を起こしてしまったのだった。この日はこのままICUで病状を観察することになり、桜井たちも病院を後にした。


「どうして瞳さんと?」

 徹也が運転する車内。桜井は答えなかったが、真理子が横から口を挟み、

「私が彼女にお願いしたのよ。お母さまが喜ぶかと思って」

 と、しおらしく言った。

「あら? これ、あの子の……」

 真理子が足元に落ちていたパスケースを拾い上げた。瞳のIC定期券だった。

「彼女、すごい慌ててたから。ばぁちゃんの薬を取り出すとき……」

 徹也はルームミラーで桜井に視線を送り、

「明日、出勤するとき困るだろうから、俺が届けておくよ」

 と言った。しかし、桜井は窓の外を見つめ、微動だにしなかった。

 

 瞳は自宅に戻ると、目を真っ赤に腫らし、こぼれる涙も底をつき抜け殻のようになっていた。紀子の容態だけが気がかりだったが、どうすることも出来なかった。

「頭がガンガンする……」

 瞳はフラフラと歩いて冷蔵庫からミネラルウォーターのボトルを取り出すと一気に飲み干した。そのとき、スマホが鳴った。徹也からだった。


「もしもし! 紀子さんは?」

「ばぁちゃんは大丈夫。ご心配おかけしました!」

 徹也が明るく言ってくれたことで、瞳は気持ちが救われた。

「パスケース? わかった。待ってて」

 瞳は急いでマンションのエントランスに向かった。


「連絡先を聞いておいてよかったよ。はい、これ」

「ありがとう。わざわざごめんね」

「いいさ。それより、社長と……」

 徹也が何か言いかけたが、瞳は言葉を遮って、

「そう、嘘よ。付き合ってなんかないわ」

 それだけ言うと、瞳は大粒の涙をこぼした。


「あら? 瞳じゃない。どうしたの?」

 泣いている瞳の姿をみて声をかけたのは美花だった。

「あなた、誰?」

「俺は……、あ僕はSコーポレーションの小池徹也です」

 徹也は礼儀正しく自己紹介をした。

「桜井さんの会社ね。私は上原美花。ここで何してるのよ」

「いや、その……」

「とにかく、上がって。車は……」

 美花は玄関を出ると、徹也を手招きして来客用の駐車スペースを指差した。


「さ、上がって。私の部屋じゃないけど」

 美花は徹也を強引に瞳の部屋に連れ込んだ。美花の思惑にまんまと乗せられて、瞳の涙はすっかり渇いていた。


「そう。それはよかったわね」

 この日の出来事を美花に話してきかせた。

「瞳は顔を洗って目を冷やしなさい。明日は仕事でしょ? 徹也クン、食事は?」

「いや、まだ」

「それどころじゃなかったわよね。瞳! ピザでも取る?」

 すると、洗面所から「冷凍庫に……」と返答があった。美花は慣れた手つきで冷凍庫からピザを取り出した。

「私の好きなマルゲリータだ! 徹也クン、冷凍でも構わないわよね?」

 美花は陽気に鼻歌を歌いながら電子レンジで冷凍ピザを温めた。瞳の部屋の1LDKで、リビングは広々としていた。円形のダイニングテーブルの上にはガーベラの花が一輪飾られていた。


「瞳も食べるでしょ?」

 瞳はソファーに背をあずけタオルで目を冷やしながら「食べたくない」と答えた。すると、美花は取り皿にピザを一切れ乗せると、瞳の隣に腰かけた。

「ほら、ア~ンして?」

 瞳はおとなしく口を開けた。


「ところで、徹也クン?」

 美花は徹也の顔をジーっと見つめ「あなた綺麗なお顔してるわね」と言った。すると、徹也は

「なんすか? 急に」

 と言って、耳まで真っ赤に染めた。

「友達がカットモデル探しているのよ。今度、コンテストがあって。あ、私はネイリストなんだけど、系列店のヘアサロンに勤務してる子がいてね……」

 美花はバッグから自分の名刺を一枚取り出して徹也に渡した。

「ほら、ここの店長なんだけど」

 名刺の裏面に記載されているヘアーサロンを指差した。

「いや~、俺なんか」

「いいわよ。ねぇ?」

 美花は瞳に同意を求めたが、瞳は知らん顔をした。

「ヘンな子ね。あ、無理にとは言わないけど……」


「とにかくさ、また今度食事でも。今夜はこれで失礼するよ。ご馳走さまでした」

 瞳が立ち上がろうとすると、美花が「私が行くわ」と言って徹也の後を追った。


「瞳さん、社長のこと?」

「好意を寄せていることは確かよ。だけど……」

「耳のこと?」

「知ってるの? そうね。そのことも負い目に感じてるのかもしれないわね」

「気にすることないのに」

「徹也クン、あなたっていい人ね」

 美花は笑顔で徹也を見送った―。

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