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優しい嘘は悪魔の囁き  作者: Peco*
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乱舞

「さぁ、戦闘開始よ」

 美花 (みか)は薔薇の細かな装飾が施されたお洒落なコンパクトをパチンと閉じた。そして鏡に顔を近づけ左右に顔を振って最終確認をすると、今度は姿見の前で全身を見渡し長い髪をサラッと後ろ払った。瞳 (ひとみ)も素早く身だしなみを整えてパウダールームを後にした。

 ここは駅ビルに隣接されたPホテルの最上階。受付を済ませ会場へ入ると、どこか甘さを含んだような異様な匂いが溢れて来た。シャンパンと、きっと高価であろう香水の匂いだ。瞳は一瞬眉をひそめたが周りに悟られないように平然を装った。


 ウェルカムドリンクを片手にのんびりと夜景を眺める。駅前のロータリーには多くのタクシーがまるで板チョコのように綺麗に整列していた。視線を戻すと窓ガラスに映った自分の姿が目に入った。シックなモスグリーンカラーのイブニングドレスにハイヒール。まるでナイトウエディングに参列しているかのような錯覚に陥るほどだった。しかし胸に付けた名札で現実に引き戻された。瞳はを改めてその名札を観察した。ハートの形をしていて、そこには名前と年齢が記載されている。


 

 ―カルチャーセンターで働く紺野瞳 (こんのひとみ)は何の取り柄もなく平凡に暮らす36歳。職場と家を往復するだけの冴えない日々を送っていた。それでもカルチャーセンターでの仕事に不満がある訳でもなく平穏に過ごしていた。上原美花 (うえはらみか)と出会うまでは……。

 

 その日、新宿の小料理屋を貸し切って送別会が行われていた。俳句の授業を担当していた遠藤修二は81歳と高齢でありながら、どこか若々しく俳句のクラスもいつも定員オーバーするほどの人気があった。引き続き講師を務めて頂こうと打診していたが「さすがにのんびり過ごしたい」と断られ、慰労を兼ねての送別会だった。カルチャーセンターの職員と、そして多くの生徒が参加しての送別会は大盛況の内に幕を閉じた。午後9時を回り迷惑だと制止を試みたが、生徒たちが強引に先生をカラオケスナックへと連れ出してしまった。職員のほとんどがフェードアウトする中、瞳は上機嫌だった受講者のひとり・池上喜代子に腕を掴まれ、強制的に二次会へ参加する形となった。

 婦人たちは慣れた手つきでカラオケのリクエストを始めると、それぞれ十八番を披露した。センター長の坂本もマイク片手にデュエットを楽しんでいた。カウンター席に移動した遠藤を気遣い、瞳は隣の席に腰を下ろした。


「お時間大丈夫でしょうか?」

「まぁ、楽しんでいるよ」

 遠藤は口調も穏やかで紳士的だった。

「グラス、空いていますね。同じものでよろしいでしょうか?」

 瞳はキョロキョロと辺りを見渡してママさんの姿を探した。

「それより、河岸を変えて飲み直さないかい?」


 瞳は坂本に断りを入れると、遠藤と共にカラオケスナックを後にした。遠藤はスマートにタクシーを止めると瞳を先に座るように促した。瞳は慌てて「先生、お先にどうぞ」と声を掛けたが、遠藤は

「私からエスコート役を奪わないでもらえるかい?」

 と微笑んだ。

 

 銀座のクラブでは豪華なソファー席に緊張しつつ、先生に恥をかかせまいと精一杯大人の振る舞いに努めた。ムードある雰囲気を楽しむ余裕もなく、高価なワインの味もわからなかったが、なんとか先生の機嫌を損なうことなくお付き合いを果たすことが出来た。

 最後に遠藤と握手をして別れると途端に瞳の携帯電話が鳴った。相手は池上喜代子だった。


「瞳さん? 坂本さんがあなたのことを探しているんだけど。あなた、どこにいるの?」

 坂本には伝えてあったのだが記憶にないようだった。

「坂本さん、だいぶお召しになったみたいだから……」

 喜代子の困り果てたその口調で坂本が酔ってくだを巻いているのだと直感した。瞳は「すぐに戻ります」と答え、来た道をひとりタクシーで戻った。


 カラオケスナックに到着すると客のほとんどが入れ替わり、スーツ姿のサラリーマンが90年代のヒットメドレーを歌って盛り上がっていた。坂本は酔いが醒めたのか、ソファー席で小さくなっていた。喜代子にお詫びをすると、

「いいのよ、今日は無礼講よ。私も楽しかったから。だけど、そろそろ主人が迎えに来るの。お願いしてもいいかしら?」

 喜代子を見送り、そして坂本をタクシーに乗せると、瞳はようやく肩の荷を下ろすことが出来たのだった。カラオケスナックのママに挨拶をして家路を急いだ。

 

 終電の逃すまいと駆け足で改札に向かったが、無情にも目の前で電車は出てしまった。瞳は大きくため息をつくと踵を返してタクシー乗り場へ向かった。


 タクシー乗り場では数人の客が列をなしていた。瞳は列の最後尾に並び静かに時を過ごしていると、突然声をかけられた。

「あなた、同じマンションの!」

 確かに見覚えのある女性だった。名前は知らなかったが、マンションのエントランスでは何度か見かけたことがあったし、(会釈する程度だったが)挨拶もしたことがあった。

「あ、こんばんは……」

 瞳は人見知りな性格が災いして遠慮がちに挨拶をしたが、その女性は上機嫌で「一緒に帰ろう」と人懐っこい笑顔を見せた。


「私、805号室の上原美花よ。よろしくね」


 美花は瞳と同じ36歳。名古屋の出身で、目黒のサロンで働くネイリスト。華やかで明るく瞳とは正反対の性格だったが、お互いの部屋を行き来するような仲になるまで時間はかからなかった。そして、美花の強引な誘いを断れずに気乗りはしなかったが、このパーティーに参加することを承諾したのだった―。



 しばらくすると司会者の女性が現れた。なにやらルールのような注意事項のようなことを説明している。

「見て! あの人、テレビに出てた……」

 美花の指さす方を見ると、スタイリッシュなストライプ柄のスーツを身にまとった長身で短髪の、まるでモデルのような男性が大勢の女の子に囲まれていた。

「テレビで見るより男前ね」


 そのとき、司会者から

「お見合いパーティーのスタートです! どうぞお楽しみください」

 と掛け声がかかった。


 

 美花が注目したのは老舗旅館の御曹司。旅番組でその旅館が紹介されたのだが、彼のルックスの良さが話題となり、若女将候補を募集中だとおどけていたのだとか。


「私たちも行くわよ!」


 美花はその輪の中へと颯爽と歩み寄った。美花は背が高く(ヒールを履くと170CMを超える)美しい顔立ちをしている。一方、瞳は美花に無理矢理履かされたハイヒールのせいで、足元はふらつき立っているのもやっとだった。

「こんばんは。ご一緒してもいいかしら?」

 美花がニッコリ微笑むと、彼の周りにいた大勢の女性陣は表情を曇らせ、一歩退いた。


 美花がお目当ての彼と談笑してる隙に、瞳はそっとその場を離れた。壁にもたれ会場を見渡す。男性はもちろん、女性も積極的なようだった。瞳はお見合いに関心はなかったが、美花と過ごす時間は嫌いではなかった。人付き合いが苦手で友達の少ない瞳にとって、美花は特別な存在になっていた―。

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