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心の寒暖差の事情(2)



 客人に菓子や軽食に茶を配り終え、イリヤの前には彼女が好んでいる茶にジャムを落としたものを置き、アロネは軽く唇を閉じ湿らせる。かなり緊張していた。


 鼻で小さく息を吸ってからそっと吐き、何でもないことのように他人行儀(・・・・)に言葉を紡ぐ。


「……従者の方々もいかがですか?」

「お構い無く――」

「あ、あなたのおすすめのものはどれですかっ?」


 シュウが断ろうとすると、間髪入れずリョカが顔を真っ赤にしながらアロネに尋ねた。気持ちが入りすぎたのかやや声が上擦り気味で大きく、シュウの拒否は掻き消される。


 アロネは思わず破顔した。シュウの気まずげな表情(かお)には気付かなかった。

 油断すると感極まって涙が溢れそうになるのを堪え、自身が作ったジャムクッキーと、煮込んだ鹿肉を挟んだ出来立ての蒸しパンを皿に乗せ、蜂蜜をたっぷり入れたお茶をワゴンに置いて渡した。


 その視界の端にイリヤが映る。


 顔色を思わず窺うも、表情からは何も読めない。

 もしかして従者(我が子ら)に声をかけ、振る舞ってしまったのは良くなかっただろうか。


 これまでのイリヤであれば、むしろ率先して従者といえども労うように言うだろう。けれど彼女が絶対言わない、やらないであろうこと。

 今のイリヤのやることなら、もしかしすると咎めるかもしれない――そう考えて落胆し、次の瞬間にはそう思ってしまった自分自身にうんざりとした。


「――アロネ」

「はい」


 来た。


 まだ叱責されると決まったわけではなく、そうであっても客人の前ではないはずだと己に言い聞かせる。


(ああ、機嫌を損ねないようにもっと気を付けないといけなかった……何て私は気が回らないのだろう……)

『愚図、間抜け、気も利かない! 与えられた仕事すら満足に出来ないのかねえ!』

(本当にそうだ……どうしてきちんと出来ないのか……これじゃあゲイルさんのことがなくても見限られて仕方ないのかも)

 置いてきた過去のはずの、自分を苛む姑の言葉が久し振りに過って心に刺さる。


「あなたの話をなさい」

「はい! 申し訳ありませ――はい?」

 イリヤが茶の入ったカップを持ち上げ、再度アロネに言った。


「あなたがわたくしに仕える以前(まえ)、どこでどうしていたか、どんな風に誰と暮らしてきたか話して頂戴。まず落ち着いてそちらに座って。従者のお二人もそちらに」


 嫌だとは言わせない圧のある言い方だった。人前であるためだろう、身分の高いものらしい彼女の言葉遣いは久しぶりに聞いた。


 叱責ではなかったことにアロネは安堵しつつ、空いている長椅子に座れと言われた三人は落ち着かない様子で微妙な距離感のまま座る。


 イリヤ側に座ったアロネ、ブレア側のシュウ。その間に狼狽えているリョカ。

 アロネが横目でちらりと窺えば、真っ直ぐ前を見据えるシュウが見えた。そしてリョカはこちらを気にしていたようで、バッチリ目が合った。


 思わずアロネは微笑んでしまう。


 乳幼児に向けるような慈愛の満ちたそれに、リョカは目を何度か(しばたた)かせると照れたのか俯いた。


「皆様。こちらにおりますアロネはわたくしの付き人です」

 イリヤが言葉を続ける。

「客人の方々もご存じかと思いますが、詳しくは彼女からお話してもらいましょう」


 アロネが何を、と驚いてイリヤを見、すぐブレアたちを見、シュウとリョカを見つめた。

 シュウは前を向いたまま、リョカもまた俯いたまま。


 彼ら以外の視線は、使用人であるアロネに集中していてそわそわと居心地が悪かった。


「さあアロネ、これまで何があったのか、あなたがわたくしに仕えるようになった経緯(いきさつ)をきちんと話して。きちんとね」


 子供たちを捨てた理由を話せ、イリヤはそう言っているのだと理解する。


 寒雪季の期間は長い。

 雪解けになるまで時間はたっぷりある。


 それでもアロネは自ら名乗ることはしないつもりでいたし、それをイリヤに見透かされていたことにも驚いた。


 イリヤはこの子たちがアロネの子だといつから分かっていたのだろう

(もしかして、知っていて呼んでくれたのかしら……わざわざ探して見つけてくださったのかしら)


 そうであるなら、とイリヤへの深い感謝が湧き出る。と、同時にゲイルとの関係のことでイリヤを悩ませたことがキリキリと胸を締め付けた。だが今はそれよりも。


(私が親だと名乗ってもいい……)


 きっと受け入れられない。何を綺麗に伝えたとしても、彼らを捨ててきたのは自分だ。むしろ追い出され捨てられた。


 そしてここでイリヤに仕えることになったのは本当に幸運だった。


 もう会うことはないと思っていた二人にまた会えた。

 この子たちに苦労自慢するほどの苦労はしていないことも幸せなことだとアロネは思う。

 母親を知らない子供たち、産んだだけの母親、そこには分かりあえない溝があるかもしれない。


 それでも。


 自分が母だと言っていい。第三者からそう言外に言われたことが彼女の背中を押す。


 アロネは客人に、というよりも隣のシュウとリョカに聞かせるために口を開いた。



       * * * * *



 語られたアロネの人生の半分。

 黙って耳を傾けていたシュウとリョカに――ついでゲイルにも――かなりの衝撃を与えた。


 彼女の語る内容は、自身らの祖母の元気だった頃の様子を思い起こさせるものだった。特にシュウは優しかった祖母からキツく当たられるようになったことをよく覚えていた。


 シュウがアロネに似ていたのが気に食わなかったのか、祖母の思うように動けなかったからなのか。


 それはそれとして、あの頃の自分たちからアロネが逃げだしたことは責められないと改めてシュウは思う。


 祖母にとって、彼らの(アロネ)は便利な道具であったと同時に、憎い「女」でもあったのだろう。


 そこまで父親に対して祖母が甘かったかといえばそうでもないので、もしかすると単に『若さ』への嫉妬だったのかもしれない。


 思い出せば祖父とも、夫婦というよりはもっと冷えた関係に感じる。

 自身の血の出所を考えれば、祖父と祖母の関係は家族という枠組みに入れただけの表面上のものだったのだろう。

(それに、終わったことだ)


 祖父は先に逝くことを憂いて、シュウに国境地を頼るための証を渡し、それを教会に持っていけと命じた。

 それは国境地前領主を示す印璽の彫られたボタンと、彼の家の紋章。紋章は祖父が鎧に付けていた物で、階級なども分かるようになっている。


 そうやって祖父は祖母や自分たちが誰かに利用されたり、命を脅かされることを避けたかったのだろうとシュウは学んだ後にそう思った。


 託されたものについて当時は何も分からなかった。

 分からなかったなりに守っていられたと思っている。


 ――そして。


 それとはまた別の重い(もの)もシュウは隠し持っていた。







 

 

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