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吹雪く事情(2)



 客間に通された一同は、イリヤに勧められるまま彼女の向かいにある長椅子に座した。


 壁一面に、複雑に絡んだ植物が対称に刺繍で描かれた図柄の大きな絨毯が掛けられている。

 糸の色合いはイリヤの髪と同じ牙色をベースに深い緑や濃い赤や黄色などが使われていた。イリヤが花嫁道具として持たされたもので、相当手の込んだ品だと分かる。


 ブレアはそういった方面に疎いので一瞥しただけだが、それなりに見る目を肥やしているタキラとマキラは声には出さないものの感嘆していた。


 彼らの従者であるシュウとリョカは長椅子からやや離れた場所で控えている。リョカの方はちらちらと何かを探すかのように目を動かしているが、シュウは視線を落とし無表情。


 イリヤの側に佇んでいるゲイルもまたイリヤの私室に通じる客間に足を踏み入れたのは初めてで、見事な絨毯に目を奪われていた。


 ゲイルは名目上、イリヤの従者という扱いなのでこの部屋に通されたが、ナイナとモイは使用人の仕事を手伝ってもらうために階下(した)にいる。


 イリヤとしては、こんな夜中に雪の中を歩いて来たから休ませてやりたかったのと、彼らが下級使用人希望であることも考慮した結果だ。


 きっとシャルかノーラが彼らに温かい茶を客人に出すついでだと振る舞い労っているはずだ。いくら働ける年齢とはいえ、忙しくても疲れている彼らを酷使するほど自分たちそこまで鬼ではない。


 さてこれからどう話を切り出そうか、イリヤは目の前の客人たちを見つめる 。



       * * * * *



 万が一にも間違いのないように、可能性は限りなくないもののダナレイの付け入る隙がないように、イリヤの私室とそこに繋がる部屋への入室をゲイルは従者といえども男性であるため禁じられており、初めての入室となる。


 護衛のエドは部屋の外でキャスは部屋内扉近く、アロネはもてなしの準備のため別室に。


 ゲイルはアロネの落ち着かない様子も気になったものの、この室内の見事な装飾品に気を取られていた。


 大木を切り出し、丁寧にオイルの塗られた木目の美しいテーブルに掛けられたランナー。ベースは牙色よりもう少し黄味のかかったミルク色で、こちらは鮮やかな青の糸がふんだんに使われたこれもやはり複雑な柄の刺繍だ。


 この青はイリヤの母の生国である遠い国では王族を表す貴い図柄と色。

 改めてゲイルはイリヤの血の高貴さに息を呑む。


 ランナーにしろ壁に掛けられた絨毯にしろ、そこかしこにそっと置かれた置物ひとつ取っても心得のある者が見たならば『どこの国の王家の別邸に招かれたのか』となるだろう。そのぐらい金も手間も惜しまぬ、入手も難しい品ばかりだ。


 最近の流行品ではなく、やや年代物というところがまた怖いところだ。実際これは王家からイリヤの母に持たせた物なのだろう。そう考えるとその価値と精神的な重さに冷や汗が出る。


(よくもまあたかだか地方領主にティシア様(イリヤの母)が降嫁なされたものだ)


 イリヤの住む領地は本来なら王家直轄領だった。とはいえ王都からは離れた田舎であり、代官ものんびりしていて基本的に王家が直々に絡んでくることはない。気安いといえば気安いお隣さんであった。

 それがどうやら当時の王太子がやらかした尻拭いのために、王家の血が薄からず入っていた神官を還俗させ、遠い国の姫に頭を下げて彼を娶らせ、直轄領を差し出して溜飲を何とか下げてもらったという話だ。


 神官を還俗させることはそこまで難しいことではないが、王家の後継者問題や中枢に関わらないようにするために入れられた者であるならそう簡単なことではなかった、とゲイルは過去に学んだ記憶を手繰る。


 だからこそ、血の重要さに輪をかけてわざわざ(・・・・)還俗させたという手間、見栄、更に直轄領という譲歩に次ぐ譲歩をあえて分かりやすく見せた。

 遠い国の助力がなければ、間の国との冷戦は続き、盟約どころではなく、今の平和などなかったのだから。


 当時のゲイルはまだ七、八歳の子供であったが、ティシアの輿入れの行列の見事さに息を呑んだのも、花嫁の冷たい泉のような美しさに驚き、怖そうだと思ったのも覚えている。


 母親似のイリヤもまた美しいが、やはり遠い国らしいどこか冷たく見えるところはやや怖くもある。本人の本来の性質はお転婆でお喋りで素直なのだと理解はしているが、無意識なのか時たま覗く王族らしさが酷く苦手だった。


 後は小柄で細身なところが、彼のトラウマを呼び起こしてしまうことと。


 それは全くもってイリヤのせいではないし口にするつもりは一切ないが。


 このところそのイリヤの様子が変化していた。自惚れではない。

 イリヤからあの女の残像と残り香が漂うようで恐ろしかった。


 アロネをあからさまに遠ざけたこともそうだ。

 イリヤは気付かれていないと思っているのかもしれないが、丸分かりだ。


 だからこそ使用人たちの視線も気遣うものばかり。

 その中でノーラだけはこっそりとアロネの現状と行く末の予想を彼に耳打ちしてくれたが。


 浅慮。

 聞いたときには頭痛がした。


 甘やかされて育った――ようには思えなかったが、やはり王族の姫が母親だとそうなってしまうのか、自身が望んだものは全て手に入るとでも思っているのだろうか。


 ノーラからはイリヤの想いまでは聞いていない。ただ、アロネがこの先追い出されるかもしれないということだけだ。

 それでもしかしたらというものが確実になった。


 本人が無意識なのか意識的にか、瞳というものは口以上に物語る。籠められた熱に、彼女より十も歳上でそれなりの経験もあるゲイルが気付かないとでも思っているのだろうか。


 まあそうなのだろうなとは思いつつも、そこには知らない振りをした。

 仮にゲイルがその心に応えようとしても、死んだことになっている男と、仲は冷えても伴侶のいる女では結ばれることなどない。

 もしかすると愛人にということなのかもしれないが、それならゲイルはここからアロネを連れていつでも逃げてやろうと考えている。


 昔馴染みだからと世話になったのが良くなかったのか、末弟であるカイユがイリヤとの結婚をすっぽかしたせいで、彼女は今しなくて良い苦労を強いられているのだからと昔のように兄のつもりで優しく接したのが良くなかったのか。


 悪夢のような過去、アシュのことを語ったときに腹を立てていてくれたのではなかったのか。


 カイユと共に可愛がっていたつもりの、義妹になるはずだった少女もまたあの女――アシュと同族だったということか。

 あの狂った深い底無し沼のような瞳が、今度はイリヤに宿ってまたゲイルを捕えようとしてくるのだと思うと、外の吹雪以上に風雪に吹き荒んで心が凍り付きそうだった。


 ましてイリヤはアシュよりも権力(ちから)がある。

 その気になればゲイルを強固な鎖で縛り繋ぎ止めることはアシュより容易く可能だろう。


 アロネの返事こそ聞いていないが、嫌われているのならばあの時腕の中に大人しく収まってはくれなかったはずだ。

 ゲイルを男として意識していなかったとしても、あの時に。そして自身を受け入れる気持ちが彼女にはあった、これも自惚れではないと願いたい。


 だが流石に思考だけが先走り過ぎている。

 イリヤの恐らく抱いているだろう好意も、あからさまにアロネとの逢瀬を妨害されていることも、イリヤの口から確かに聞いたわけではないのだから。


 だからこそゲイルも自身の恋心を隠すことなく分かりやすく態度に出していた。

 そうすることで淡い想いを諦めてくれるだろうという腹積もりがあった。実際は失敗してしまっているけれど。


(あの日から彼女とはすれ違っている……)


 まともな会話も出来ないままだ。


 もしかしたらアロネ自身が避けたくてイリヤに頼んだのかもと思っていたが、ノーラが不安視するアロネの今後を聞けばそうでないと分かる。


(イリヤもそういう(・・・・)女だったというだけのことだ)


 期待していた分落胆する。


 人の想いは縛れない。

 まさか冷めていると思っていた自分が恋心に燃える日が来るとは思わなかった。


 だからアシュたちのように自分勝手に押し付けてくることを嫌悪していたが、いざ同じ立場に立ってみれば多少理解できることに苦笑したのはつい最近だ。


 ――それでも。


 それでもだからといって人の恋路を邪魔して良いものではない。


 イリヤに対して嫌悪感を抱いてしまった。


 ゲイルの心を一瞬でも高揚させ愉しませることに成功したはずの、贅沢に織り込まれた複雑な刺繍も、年代を感じさせる柄や素材の素晴らしさも一気に色褪せていった。






 

 

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