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吹雪く事情(1)



 ざわざわとした人の気配は遠くにあるのに、緊張感を漂わせた妙な静けさの中、イリヤは思いを巡らせる。


 ――アロネたちに親子の名乗りをさせて、話しをさせる。


 もちろんそこにイリヤは仲介人として同席する。国境地からの客人方(・・・)にもそうしてもらうつもりでいる。


 彼らの――親子間の、ごくごく個人的で繊細な問題ではあるけれども、これまでの誤解や行き違いというものがある。

 彼らの身分は平民なのだから、自分たちのように血統や家柄にこだわることはないのでそこまでする義理はないのだ、本来は。


 けれどもアロネの存在はこれまで(・・・・)イリヤを慰めてくれた。


 そもそも関係自体構築していたわけではなかったのだから、誤解やすれ違い、一方的に酷い環境に捨てられたというわけではない。


 当然親子だけでなくどんな関係であっても、分かり合えないことはある。だからこそ離れてしまった方が良いこともあるだろうが、彼らの場合はお互いに思いを伝えないままで生きていくでなろうことにイリヤはやるせなく感じる。


 余計なお世話であろうが、こんな機会はもう二度とはないかもしれない。


 そしてそれはイリヤ自身にとっても。


 アロネに対して、またむくむくと燻った負の感情が顔を出していた。

 ぬるりと隙間に入り込むように湧くのは『このまま雪解け後にアロネを子供たちと共に国境地領主に引き取ってもらえば良い』という考え。 


 グレイの手紙をそのまま信じるならば、縁があって(・・・・・)拾うことになった兄弟が、偶然(・・)イリヤの付き人であるアロネの息子たちで、たまたま(・・・・)イリヤの父と親交があり、お優しいことに会わせてやってほしいということ。


 (そんな出来すぎた話をまるっと信じられるわけないでしょう)


 どこか面白がっている風の国境地の兄弟らと一癖ありそうなブレアには胡散臭さも感じている。


 イリヤの父からはそこには一切触れられていなかったし、グレイもその後どうしろという指示はない。

 アロネたち親子を会わせた後から(・・)何があるというのか。


 ブレアたちの思惑として、逆にこちらがアロネの息子たちを面倒見てくれということかもしれない。

 いくら使用人たちはイリヤ一人だけに仕えているとはいっても人手は足りない。本来ならしなくて良い下級使用人の仕事まで役職だけ見れば上級使用人であるはずの彼らに任せてしまっている。


 だから本来ならば、それならそれとしてありがたく任されるのだが。

 今現在イリヤの身内には複雑な心情が渦巻いているのでよしわかったとすんなり言えない。


 ふう、と息を吐いて肩の力を抜いてみれば、外の壁を叩くように雨混じりの雪風が吹き付けている音がエントランスに寒々しく響いていたことに気付く。


 窓や玄関には鎧戸があり、雪が本格的に降り始める前に皆が閉めて回っていた。

 それでもどこか隙間から入り込む冷気が辺りを冷やしていて、訪問者のために置かれた炭火の入った鉢の幾つかでは到底暖まらない。


 まるでイリヤの心模様のよう。


 誰も言葉を発しないまま、しばらく。


 どのくらいの時間が経過しているのか、ついさっきのようにも永遠にも思えたその時、小走りの、しかし煩くはない潜めた足音が聞こえた。


 イリヤは軽く微笑み、よそ行きの表情を改めて顔に浮かべ客人を見渡す。


 アロネが腰を落とし頭を下げ、イリヤの背後に控えた。

 イリヤも微笑みのまま軽く腰を落とすと口を開いた。


「皆さま、本日は遅うございますしお疲れでしょうが、少しばかりお話の続きを致しましょう。このままでは夢見も悪いでしょうし。わたくしの客間にてささやかながらお茶などご用意致しましたので、どうぞ」


「ありがたく呼ばれよう」


 ブレアが目を細めて頷き、一同は階上(うえ)へと向かうことになった。



       * * * * *



 ランタンを持って先導するアロネは、イリヤに指示された後、普段は節約のため消している廊下のランプに慌てて火を点けて回ったが、部屋へ案内しながらも視線を左右に動かして漏れがないか確認していた。


 背後の視線が痛い気がして、余計に落ち着かない。


 抜かりはないはず、としずしず歩きながら、あれはしたこれもした、と一人で再度脳内チェックする。


 客人が来ることは知らされていたが、いつ頃になるというハッキリしたものはない。天候や彼らの体調にもよるためだ。

 恐らくこの辺りだろうという目算を立てていて、ややそれよりは遅かったのだが、この間のいつでも大丈夫なようにしていたつもりだった。


 それでもやはり突然の、しかも本来なら眠りに入る時間にやって来るとは思ってはいなかったので、バタバタしてしまったのが悔やまれる。


 (せめてかっこよくビシッと仕事したところを見せたかったな……)


 リョカは別れた時に三歳だ。アロネの記憶などないだろう。シュウは六歳だった。姑に愚図だの何だのチクチク言われていたことを覚えているかもしれない。


 少しはアロネも成長したところを見せたかったのだが。


 仕事ぶりを見ているかもしれない。

 彼らが侍従ということはアロネと殆ど同じ仕事をしているので、先輩のような気持ちもある。


 (……そんな風には見てもらえてないかもしれないけど)


 うっかり口から溢れそうになった溜息を急いで飲み込む。

 憎まれているだろうと予想している。

 置いて――捨ててきたアロネに理由はあっても、子供たちには関係のないことだ。


 彼らがどのように生きてきて、国境地に引き取られることになったかなど聞くまで当然知らなかった。

 姑のあの様子であれば可愛がられてきたはずだと――いや。

 (私がいなくなって、子供たちに矛先が向いたかもしれない)


 その可能性はこれまで考えなかったわけではないけれど、もう関係ないのだと切り離して考えないようにしていた。


 自分が穏やかな暮らしをしているのだから、きっとあちらもそうだろうと思い込むことにしていた。


 夫の母、義母――姑は鬱憤をアロネで晴らしていたと思っている。


 なぜか舅も夫も、彼女のやることなすことが間違っていても黙認していた。


 激昂したら手が付けられない人だった。

 さすが現役の頃は食堂を切り盛りしていただけのことはあって、口も回るし手も早い。

 それなら引退せず、舅と共にそのまま食堂をやってくれれば良かったが、姑は食堂などやりたくなかったと良く言っていた気がする。


 あの頃のアロネの記憶は遠く曖昧になっていた。

 辛い記憶は心の奥深く沈めたせいか、あれから八年は過ぎたせいなのか。


思い出せる姑は『アタシが生きるのは本当はこんなところじゃないんだ、アタシはもっといい暮らしをしてたはずなんだ』とアロネに時折零しては暴れる姿が強い。


暴れる、は言い過ぎなのかもしれないが、機嫌を損ねればほうきや杖で叩かれる、熱い湯や汁物をかけられる、皿を投げつけられるといったことはしょっちゅうだった。


それでも怪我をすれば仕事が出来なくなるということは頭にあったようで、そのせいで切り傷を作ることも酷い火傷をすることはなかった。

せいぜい青アザかかすり傷程度。


あれだけ激情家な姑だ。


舅も夫もアロネと同じように諦めて受け入れていたのかもしれない。


頭の中で忘れていた姑の怒声を思い出し、ぞわり、と怖気が走る。


アロネは目的の客間の扉の前に立つと、息を小さく吐いて気を引き締めた。











この世界での簡単な使用人の区分け。


付き人→上級使用人。基本的におはようからおやすみまで主人の身の回りの世話をする。必要身分は中~上位だが、付き人を付けるのは基本的に上位身分者。


家令 →上級使用人。使用人頭とも。家計を取り仕切っていたり使用人を監督したり献立決めたりと仕事は多く幅広い。必要身分は下~上位


従者 →上~中級使用人。基本的に主人のお出かけ先に付いて回って世話をしたり安全を維持する。必要身分は様々。


侍女 →上級使用人。付き人よりは下位にあたる。身に付けるものの用意や片付けに管理。髪結いなど付き人がいる場合、それとは違う主人のお世話をおはようからおやすみまで。必要身分は下位から上位。


家事使用人→料理人。中級使用人だが、料理長は上級使用人扱い。必要身分は様々。身分がなくても上級使用人を狙える仕事としては人気があるが能力重視のため離職率も高い。


護衛 →そのまんま。中級使用人だが体力と能力と判断力と忠誠心が一番求められる。必要身分は様々。身分がなくても狙える仕事で、当たり前だが腕に自身があるものに人気が高い。


下級使用人→掃除や洗濯、薪割りなど多岐に渡る下働き。身分は下級から下。とにかく汚れる前提の体力仕事。

イリヤと別邸にいる使用人の中にはいない。そのため皆で協力してこの仕事をしている。


※他庭師や常時滞在する医師など色々ありますが、とりあえずイリヤに関わる人たちの職務について。



※2025.1.23

 侍従という言葉を従者に統一。

 ナンバリング(1)を各話に追記。




読んでくださってありがとうございます。

イリヤもアロネもまだぐじぐじと悩んでちくちく状態になっておりますが、今後ともよろしくお願いします。


ちなみに前回前々回のep.81,82 は後々入れる予定のものを前倒しでうっかり入れちゃいました。

┏(ε:)و ̑̑唐突な感じしたらすんません

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