恋煩う事情(2)
以来そうしてゲイルはタイミングを見計らっていたのだが、アロネと二人きりになるチャンスが中々ない。
あっても、余りにも私的な、彼女の内側に向けた質問だ。
これがあの日の夜の出来事がなければもっと簡単に、何の気なく聞けたのかもしれないが、何にも動じず微笑んで流しそうな彼女の意外な一面――と言うほど長く深い付き合いなどは全くないのだが――を知ってしまったためにやはり躊躇う。
そうこうしている内に、ここで特別に側仕え兼教師として雇われることになり、ますますアロネと会える時間が減った。
側仕えといっても、この邸の主人であるイリヤにはアロネがいるため実は全く必要ない。
しかもイリヤは女性なので、正式な側仕えではないゲイルが彼女の私室を簡単に出入りするわけにも行かない。
それで一応教師として、自分が見聞きした他国の話題をイリヤに提供し、ナイナたちにもちょっとした村外の常識を教えている。
そのため夕食などの食事時などにしかアロネに会えないが、彼女はイリヤと共に女性使用人の中心にいる。
中々その輪に入り込んで「夫とはどうなってる?」などとは聞けない。
これまでの人生、プライドなどズタズタにされることには慣れているが、やはり今後の事を思えばフラれた時に気まずくなりたくはない。
(ないない尽くしで何もできない……!)
まさか自分が片想いでこれだけ拗らせるとは思っても見なかった彼は、先々を考えすぎて男性たちにも何も聞けずにいる。
実のところ、イリヤですらゲイルの心が誰に囚われているか分かっているような状態の中、当のゲイルだけが知られていると分かっていない上、アロネもそこら辺は考えないよう避けていた。
使用人たちといえば、この二人を応援したいものの、主人のイリヤもゲイルに懸想していることも知っている。
ゲイルの生まれを考えると、イリヤであれば「結局落ち着くところに落ち着く」のでぴったり合う。
だが、イリヤではなくアロネが好きだという彼の気持ちを蔑ろにはできないのに、やはりイリヤの手前表立って頑張れと応援することも憚られる。
他人の恋路――しかもややこしい三角関係に茶々を入れてもろくなことがないと分かっている彼らはこの中の誰の味方にもならないでおこうと決めた。
茶化したくとも茶化せない。
イリヤがどれだけ気の良い主人であろうと、どこで気が変わって勘気を被るか分からない。
となれば知らん顔で静観するしかない。
ゲイルはそういう訳で、ある意味孤立無援であった。
彼がアロネを気にすればするほど、何だか会える機会が減っている気がした――実際イリヤがアロネをやや遠ざけたので、彼女がイリヤの側にいる時間が少なくなったからなのだが。
そうしてモヤモヤしていることが続いて、今日は教師としても仕事のない日だった。
仕事と言えるほどの内容ではないものの、やはり一応気は張っている。
イリヤも今日はゲイルではなく、女使用人たちを呼んでいるらしい。
アロネは彼女らの代わりに働いていたので、こうして堂々と付きまとうことができている。
「……ええと、じゃあ、好きな男とかは」
ぽろっと口から零れた言葉は、確かに聞きたかったことのひとつではあったが今ではない。
手で顔を覆いたくなったが、あいにく塞がっている。
立ち止まり振り返ったアロネは怪訝な顔をしていた。
あんな質問を何の脈絡もなく投げてしまったらこれは告白しているのと同じではないのかとゲイルは焦る。
(もし夫だと言われたらその時は――いや他の男だったら……いやいやいやそれでも別に好きな男を聞くくらい――あ! もし俺だったらどうしよう! 嬉しい!)
想像に思わずニヤついてしまう。
アロネはやはり難しい顔をして言った。
「……いませんが?」
「あ、え」
「なぜそんなことを聞かれるか分かりませんが、特におりませんよ」
「ハイ」
何だか声にトゲがあり、思わずゲイルの顔はきりりと真面目に背筋までしゃんと伸びる。
「これまで、恋愛という意味で男性を好きになったことはありません」
「……あー、じゃあ旦那とは」
「――夫とは昔に死に別れてますし、出会いも紹介です」
「そ、そっかあ~~!」
急にゲイルの身体から力が抜けて、シーツを取り落としそうになったが耐えた。
アロネがどうして、と呟くのが聞こえた。
真っ直ぐこちらを見る彼女の焦げ茶の瞳に赤い色があるのを見つける。
「ど、して……そんな……笑ってるんですか?」
「……え?」
笑っていることに指摘されて初めて気付く。
「笑ってますか? 俺」
アロネが首を傾げながら頷くと、ゲイルはますます破顔した。
「俺、好きみたいなんです」
「――は?」
アロネの瞳が丸くなり、ぽかん、と口が開く。
そんな間の抜けた顔も可愛いなんて、何なんだろうな、とゲイルは思う。
だから伝えたいことを伝えてしまおう。
「貴女のことが。アロネさんのことが、みたいではなく、好きだ」
「……ええとそれは」
「恋している」
「勘ちが――」
「違う」
言おうとしたことを封じられたアロネは視線を彷徨わせたが、軽く目を瞑りすぐに何か決心したように開いた。
「お返事が必要ですか」
「いいや」
今のアロネはきっと断る。
ゲイルはそう予感して、返事はいらないと伝えた。
「俺がアロネさんを想う分には自由だし、止められることでもない」
「それは……そうですが……私は多分――」
アロネは言い淀む。
連れ添った夫からただの一度も、上辺のお世辞ですら貰えなかった言葉。
確かに恋仲からの夫婦ではなかったけれど、それでも大事にされたかったし、嘘でも『愛してる』や『好き』という言葉が欲しかった事を、それを彼女に与えたゲイルによって唐突に思い出す。
でもそれは逆に言えばアロネ自身も夫に言ったことのない言葉だった。
もし、お互いに欲しがっていたならば。
もし、アロネから踏み出していれば。
嫌いじゃなかった、でも好きでもなかった。
――だけど少しでも歩み寄っていたら。
(ううん、私は何度も話そうとした。それを無視していたのは夫!)
でももしかしたら今頃――。
今さらの後悔と諦念とあり得ないはずの未来に心が苛まれる。
それでも彼女が思い出すのは夫の顔ではなく、他人を見るような無機質な二対の目を持つ子供たちの顔だった。
(私も夫を愛していなかったんだから、愛してくれるはずがない)
「わ、私は自分の子供すら愛せなかった女です……今さら誰かを好きになったり、愛することなんて――」
私には無理です、と言おうとすると目の前にシーツがどざどさと落ちてきた。
ゲイルが落としたのだ。
すぐに目の前の視界が固く熱い何かに遮られた。
それがゲイルに抱き締められているのだと理解するまで時間がかかった。
抗議の声を上げようとしたが、ゲイルの言葉が頭の上に落ちてきて止めた。
「子供を置いてきたのはアロネさんのせいじゃないんだろ? ずっとあんなに泣いていた。本当に子供を捨てた親はそんな風に思い出さない。俺はそういう親たちを見てきたから知ってる」
アロネは結局何度もこうやって他人に泥沼から掬い上げられている。
自分を知る誰に話しても、アロネは悪くないといってもらえている。
責められたいわけではない。
落ちた泥沼でもがき続けて、沈みそうになるのを掬われ救われたい。
けれども掬われてもまたすぐ泥沼に沈んでしまうのだ。
いつもなら他人からの慰めで浮上するのに、今は更に泥濘に足を取られたように心が身動きできなくなっているように感じて、アロネはゲイルの腕の中に彼の心臓の音と共に捕らわれたままになっていた。
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©️2024-桜江




