ゲイルの事情(1)
こうしてゲイルは教養旅行に――すったもんだあったものの、何とか旅立つことが出来た。
出発前、参加目的と意欲を修学院と国の機関に提出する。
これについてはグリエルのおかげもあって滞りなく許可された。修学院の優秀生としての修了見込みもある。
しかし両親の説得はグリエルの予想通り難航した。
両親はゲイルに過大ともいえる期待を抱いていたこと。
弟のマイルの出来は確かに良かったが、彼は身体に不都合があり、本人も親も長男を蔑ろにするつもりは全くない――これがゲイルにとって誤算である。弟に後継を譲ると言えばすんなり行くと思っていた。
だがまだ道はある。
後継教育だけなら父か家庭教師が担えば済むところをわざわざ王都修学院にゲイルを入れた。その理由が「将来的なこと一割、高位としての見栄九割」と分かっていたのでそこを上手く突付くことにした。
王都での教養旅行の目的に後学のためは当然だが、優秀ではあるものの、騎士も官吏もいまいち……といった者たちの「経歴の箔付け」という見方もある。
もちろん後継者でない次男以降の婿入りの釣書にも有用される。今やむしろそちらの方がメインですらある。
だがそんなことを田舎の領地に引っ込んでいる彼の父は知らない。高位であっても。
だから今となっては上っ面の理由であり、最初に掲げられていた「前途ある優秀な生徒に他国を学び教養を深め国を支える力に~」を押し通した。
それに期間も無制限ではない。二年から五年と協定でそのように決まっているし、それぞれの国の賓客とまでは行かないが、留学生扱いで安全を約束されている。
代わりにそれなりの成果を出さなくてはならない。
更にゲイルは帰国後、速やかに両親の勧める相手と結婚する約束もさせられている。
だが「無事帰る」に絶対などない。
両親は後継者はゲイルしかいないのだと言い切っていたが、万が一の際は弟が二人いるし、大体自国にいても「喧嘩に巻き込まれて」とか「急な病を得て」とか。どこにいたって死ぬときは死ぬものだ、ゲイルはそう考えていた。
教養旅行は修学院の修了後に出発する。そのギリギリでゲイルは数年の自由をもぎ取った。
「家を出たかったのか、知りたいことを知りたかったか……鶏問題だな」
鶏と卵のどちらが先か。それと同じだとゲイルは嘯いてみた。
修学院が用意した四頭立ての乗合馬車に乗り込めば、既に数名が座って出発を待っていた。
旅行の内容自体は個人(本人と下級使用人など一人から数人付く)で巡るが、自国を出るまでの馬車の旅には同じく教養旅行に出る者がいるので、各々の目的地に至るそれまでは集団移動になる。
彼らに軽く挨拶して空いていた手前に座り、広がる世界へとゲイルは胸を高鳴らせていた。
――こうして彼の旅は始まった。
最初の一年は東の国で過ごした。
この国には村という集落はあったが、自国での村のようなものではなかった。
いや、自国にある村もこの村も大した違いはない。
だが、土着信仰はない。東の国はこの国と近しいため信じる宗教も同じ。自国と同じく国教であるので、国民――村人たちも敬虔な信者だった。
二年目にはその東隣の国に渡る。
三年目にはそこから南に下りた、東南の小国へ移動する。土着信仰が残っていると聞いたからだ。
南へ行くほど寒さが厳しい。
自国でも、南側の領地は雪が多く降るという。自国の南は北よりさらに高く険しい。
その山脈を越えればまた別の国はあるが、永久に凍っているのではないかと言われるほど雪と氷に阻まれるため、自国から渡る酔狂者はいないだろう。
遠回りになるが、一旦東に渡り南下していけばその国まで辿り着ける。その代わり数年かけての道行きになるので、やはり酔狂染みているといえる。
さらに国境検問所があって、越えるためには自分を証明する木製のタグなどが必要だ。
自国の焼印の入ったタグに、渡った国の焼印を検問所で入れる。タグは両手広げたほどの大きさだが、焼印自体はとても小さい。焼きごてに描かれた国を示す絵柄は国ごと国境ごとに違っていて面白い。緻密で繊細な模様になるのは偽造を防ぐためだという。草花や文字がモチーフになることが多いのはそのせいだろう。
ゲイルの場合は更に教養旅行者である焼印もある。その旨が書かれた証明書も。それを肌身離さず首から下げておく。証明書は文字が擦れ消えてしまわぬよう気をつけて畳み、大きめのロケットペンダントに丸め入れてやはり首に下げていた。
道中死んでもそれが身分証明になり、自国に連絡が行くようになっている。
国境でこんな手の込んだことをやり始めたのは間の国との終戦以降から。
それまで旅人や商人の行き来は自由に行われていたという。
国境検問所は古い制度ではなく割合新しいものだが、どの国でもきちんと機能していた。
ゲイルの旅はこの東南の小国で最後になる。
父親から引き出せた最短年数は三年。最長で五年。
現在がその五年目だった。一年の終わりにはもう半年もない。
手紙での近況報告は年に数回。それなりの援助と共に父から荷が届く。内容はいつ戻るのかばかりだった。
帰る道のりにかかる時間を考えればもう引き延ばせないだろう。
ゲイルは自由自由と浮かれていたが、国や家からの援助なくしてそれを享受することはないと、今になって痛感していた。
家からの助けは領地の上がりを納めることによる国からの報酬。民の頑張りの結果。
いずれゲイルが後継者となり、各国を見て回った経験が領地で生かされるならばまだしも、自由でいたい戻りたくないなど無責任の極みだ。
そこを顧みない性分なり気付かない傲慢さがあったならただ楽しく過ごすままで良かったのかもしれない。
それに、帰国しなければならない要因がもう一つできたことも大きい。
それについて考えれば気分が重くなるだけなので、頭を振って追い出した。受け取った手紙と援助された金品の返礼のため家へと手紙をしたためる。
帰る予定は直ぐにでもというのが本音だが、およそ一年後には領地に戻ると書いた。そしてこれまでの援助への感謝。それらを封に閉じ込めて使用人に出してくるように命じた。
手紙は商隊か、運搬役人に頼む。前者は馴染みある商人からの紹介や縦横の付き合いから馴染みになるものだが、運搬役人は決められた国家間を名の通り荷を運ぶために作られた組織であり、役人ではなく「運ぶことが仕事の人」という意味になる。
元々は民への税の一つだった力仕事や荷運びなどを、国の仕事として独立させたものだ。現在も賦役はあるので、例えば子供が運搬役人になればその家の賦役は免除される上に給金も与えられるため成り手は多い。
まして国同士のやり取りに関わる。護衛なども金重視の傭兵崩れや荒くれ者ではなく、国の騎士団から派遣されるため背後から斬られる事もなく安心安全だ。
教養旅行に出た者が利用を推奨されるのも運搬役人である。その代わり民が頼むには値が張り、身分証明も必要なので難度が高い。
言付かった使用人は速やかに彼の部屋を出て行く。そして入れ替わるように男が一人入ってきた。
※それぞれが連れている下級使用人たちは馬車に乗らず、掴まり立っての移動。荷物は馬車の上に積んで縛ってます。
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