彼が旅に至る事情(1)
うっかり茶を吹き出してしまったゲイルは、布巾で自分の粗相を片付けながら、イリヤの言葉に溜め息を吐いた。
「……ああ、自領が油断ならないってのはそういう。付き人ならイリヤの縁者だもんな……そりゃ微妙な関係になるか。カイユがその辺の町娘と手に手を取って逃げたんならウチが悪いからぐうの音も出ないが、ソッチの付き人なら身元調査が甘いとか、本当はソッチが結婚したくなくて女を使ってカイユを唆したんだろうとかで責任逃れは出来るからなあ」
「似たようなことは言われた」
イリヤはケーキを口に入れる。まだ浸して二日ほど。食べ頃は一週間だが、酒が効いていてほろ苦い。しっとりというよりはひたひたとしていてこれはこれで美味しい。
「……うあ!」
ゲイルは突然唸ったと思うと頭を抱えた。
「どうしたの?」
「えっ、何!?」
ナイナと二人驚いていると、ゲイルが死にそうな声を上げる。
「俺、家帰らない方がいいような気がしてきた……」
「今さら?」
「ええー、帰んないの? 俺、着いてくつもりだったのにー」
「は?」
ゲイルがナイナを見る。ナイナはへらりと笑う。イリヤは彼がそうしたいんだろうなと思っていたのでそれについては触れない。
「ねえ、帰らない方がいいと思ったのは何で? 帰れば帰ったで、帰らなければ帰らなかったで、どちらにしろマイルは怒ると思うわ……本気で帰らないつもりなら生存は絶対知られない方がいいんじゃない?」
ケーキを口に運びながらイリヤが言えば、ゲイルは腕組みをして天井を向いた。
「マイルが怒るのは当然だから、それはいいんだ。聞いてるとウチの親の出方がマズい方向に行く気がするんだよ。それに生存報告はそもそもしている、とっくの昔に、何度もな」
「――どういうこと?」
イリヤは手を止めてゲイルを見た。
「手紙を何度も出してる。それこそ国境検問所からも、こっちに入ってからも」
「そんな手紙が来てるなんて聞いたこ……? いや待って。あー……あるわ、あるある、聞いたことあったわ」
ゲイルが行方不明と知ってから、何度もその国から『悪戯』の手紙が届いたと彼の両親は言っていなかったか。
「内容はめちゃくちゃだって言ってたわよ、おばさま。手紙の表はゲイルの筆跡っぽいのに、中身は幼子の手習いのような筆跡。内容も支離滅裂だったって。少なくなってきてたけど、定期的に届いて気味が悪いって」
「……俺はちゃんと書いてたぞ。最初の頃は『何とか助けてくれ』とか『口添えしてくれ』とか書いてたんだが……」
「そんな手紙は来ていないはずよ。それだったらおじさまもおばさまも尽力したはずだもの……」
「じゃあ、ゲイルさんの手紙は誰かにすり替えられたんだろ」
「……誰かって」
「それをして得するやつがいるのか……」
「俺はそこまで分かんないけどさ、ゲイルさんは出したって言って、まともに届いてないんだよね? 手紙なんてすり替え放題だろ。俺は手紙なんて書いたことないけど、荷物なんてやりようによっちゃどうにでもなるって聞いてるぞ」
「誰によ」
堂々とろくでもないことを言い出すナイナに半ば呆れた声でイリヤは聞いた。
「商人の連中だよ、村にはちゃんとしてるのから怪しいやつまで色々なのが来るからな。怪しいやつは村の外で悪さをする奴らで、村では悪さはしない。ただ
、自慢しいで何でも喋っていくんだよ。それを村長さんたちが外の人らに教えてるんだと思う。そういうのをリョウシュに教えるのも村の決まりだって言ってた。ヒドい商人は二度と村に来ないし」
「そう……」
そういった村と外の決まりごとまでイリヤは把握していない。きっと後継者教育に含まれていて、代替わりの際に教示されるのだろう。
「……でも本当に誰なのかしらね。私たちが聞いてるのは、『行方不明になった』『遺体は獣に荒らされていた』『遺品が送られてきた』ってことだけ。野盗に身ぐるみ剥がされたなんて知らなかったもの……ん? 身ぐるみ剥がされたのに遺品があるってことは――」
「――遺品を送った奴らが、俺を襲ったってことだろう」
ゲイルは眉間を寄せ渋面のまま、苛立たしげに吐き捨てるように呟いた。
「……ゲイルあなたそんなに怨まれるようなことをしたわけ? だって、こんなこと……手紙だって……こっちに戻ってきてからも出してたんでしょ? そんな執念深いことって」
ある? と言おうとしてイリヤは止めた。
執念深い輩がいたとして、虚偽の報告と本物の遺品の提供が出来て、両国間の荷を預かる商隊もしくは運搬役人に顔が利くような人物でなければこんなことは出来ない。
もしこれが平民の間の話だったならば、残念ながらそこまで大した問題にはならない。
けれどもゲイルは領主令息であり、家は中位身分。そして彼の旅は友好関係にある複数の国の上流階級の青年たちに推進しているもの。
これが公になれば大事だ。
ゲイルには思い当たる人物の顔が思い浮かんでいるのか、ぎりりと歯を食い縛った。握りこぶしをテーブルの上に置いていたが、その色は力が入りすぎて白くなっている。
「……『それをして得するやつがいる』のね」
「得かどうかは分からないがな」
ゲイルは忘れたくても忘れられない男の顔を思い出して、吐き戻しそうになる。
せっかくの食事を身体に留めておきたくて、彼はそれを堪えた。
* * * * *
ゲイルの住むこの国は元々ひとつの大きな国であったが、ある時三つに分かれた。
この国との境に険しい山々と深い森に阻まれた北側が遠い国、乾燥した気候を持ち、砂漠を有する西側が間の国、三国で一番広いが鉱石などの資源に乏しく、さしたる特色も国力ないのがこの国だった。
そのため、この国は争いを回避するために近隣諸国と同盟や協定を結び、守ることに徹した。
では文明が他国より遅れているのかといえばそうでもない。確かに地方は長閑だけれども、国の東に位置する王都は栄え賑わっている。
それに資源に乏しいと言っても全くないというわけではない。金山や銀山なども小さいながらある。鉱脈は枯渇すると知られていたので国内需要のみに留め、国が管理していた。
そして、近隣諸国と良い関係を築いていることを内外に知らしめるための「教養旅行」という制度。
各国が連携し、お互いの国の未来を担う前途洋々な若者たちに広い知識と教養を深めてもらうため、留学や移住ではなく旅行という形で巡る。
ゲイルの世代より上、父世代より下から始まったこの制度は概ね好評だった。
大陸の西ではなく主に東周りの国を自国も含め巡るので危険も少なく、上流階級でも高位身分の青年たちには人気があった。領主の息子の身分は本来そこまで高くない。中流の上といったところだが、ゲイルの父は高位身分を持っている。いずれゲイルがそれを受け継ぐため彼は上流階級の者でもある。
だがそれは別段特別なことでも何でもなく、高位身分に与えられた領地を領主として直接治めているだけのこと。
イリヤの場合は母である夫人が他国の王家出身、父のレアス卿に与えられた身分は当然高位。領地は本来国の直轄。
当のレアス卿と夫人は身分に表向きこだわらないので、知らない者らからは軽く見られていることが多い。レアス卿も直接領地を治めている。
ダナレイの場合は雇われ領主で――とはいっても代々高位の家に代わり治めている実績がある。
だから太守が彼の家の上にあり、領地経営においては孫請となる――但しこの三代ほどで事実上はダナレイの領地と見られているため、当人たちはそうと理解していない可能性がある。
若い頃のゲイルは後継者という立場ではあったが、男ばかりの三兄弟であったので、正直言えば「面倒な立場は押し付けてしまえ」という思いがあった。
父親が将来的なことを考えて、彼を王都にある修学院で学ばせたのも、縛られない生き方に憧れを抱かせた理由として大きい。
そもそも、ゲイルはこの国の歴史に興味を持っていた。
そして後継者教育を受ける中で、国内に点在する「村」と呼ばれる集落が国でありながら国のものでないことに疑問を持ったのだった。
読んでくださってありがとうございます。
以降しばらくゲイルの話が続きます。
※ゲイルの家を高位→中位に変更しました(8/17)




