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別邸の事情(1)



 ――しゃらららん

 

 ――かろろろろん

 

 定期的に響き渡る高い金属音は深夜の村中に響き渡っていた。

 

 音が鳴らされ、消えてから十数えたらまた鳴らされる。

 それは当然、山の中腹にある領主の別邸にも聞こえていた。

 寝付けず、寝台の中で寝がえりを打っていたイリヤがぼそりと呟いた。

「……見に行きたかったな」

「まだ起きてらしたんですか!?」

 

 それは火の見回りのため各部屋を回っていた使用人の女――シャルの声だった。

「今夜はシャルなのね、見回り」

「そうですよ。奥さまは早く休んでくださいな……まあ、音が気になったら耳について中々眠れませんものね。煩いわけじゃないんですけれど」

 シャルは持っていた手持ちの蝋燭立てを置いて、イリヤの側に寄った。驚きでまだ胸が煩く喚いている。

 

「見てみたかったわ、結婚式」

「うちの夫と子供たちが見に行ったので、話を聞けるかもしれません」

「……そうなの? 通りで静かだと」

「今夜は村長のところにお泊まりです。甘いお菓子が貰えるんだそうですよ。私の夫も喜んで行きましたから」

 シャルの夫は家事使用人(コック)をしているので、村の結婚式で振る舞われる料理が気になったのだろう。村の子供たちと遊ばせていてよかったら、と招かれ彼が喜んで付き添った、と簡単に想像できてイリヤに笑みが溢れる。

 

 イリヤの付き人のアロネ、使用人としてシャルとノーラと他に二人――これは夫婦。護衛が三人。家事使用人が三人。

 護衛は夫婦ひと組とノーラの夫。

 家事使用人はシャルの夫と見習いの男性の二人。

 男手が必要なときは護衛の他に家事使用人たちも駆り出される。

 そして護衛夫婦には四歳になる子がいて、シャルにも三歳になる子がいる。

 

 イリヤがむくりと起き上がった。

「おかし!」

「はい。何でしたか、結婚式を挙げた夫婦は山神に愛されてる? だったかしら。そういう夫婦の結婚式やお祝い事には明らかに普段と違う山の恵みがあるんだそうで」

 シャルはイリヤの目の輝きに苦笑しながら言う。

 五年前はいかにも身分の高いお嬢様らしい人だと思っていたが、実際はもっと気安く好奇心に満ち溢れている人なのだと今は分かっている。お菓子も大好きで、シャルは主というより妹と接する感覚に陥ることが多々ある。

 

「私には山のことはちっとも分かりませんけど、今日は山が狂ってるのではないかというほど時期外れの花が咲き乱れて、果樹には唸るほど実が成ったそうですよ」

「まあ!」

「それで、沢山果実が採れて食べきれないので、干したり酒に漬けたり焼き菓子にするんだそうですよ」

「……あら、いいわね」

「明日には夫が教わって帰ってきますから、楽しみにしておきましょう」

 シャルが果実酒を好むイリヤに笑いかけると、また高い音が聞こえた。

 

 酒は怖いと言っていたイリヤだったが、シャルたちがこっそり酒盛りしているのを目にして、混ぜてくれと言ってきたのは本邸から離れてすぐの事。

 

 イリヤの気位は見た目ほどには高くなく、寂しがりやで人懐っこい性分だ。この性格をダナレイも知っていれば何か変わったかもとシャルは考えたが、やはり何も変わらなかっただろうなと思い直したのはその時。

 

「遠いはずなのに、わりと近いようにも聞こえますね」

「不思議よね、これまで日中に聞いていたのは重い音だったのに。今は澄んで綺麗な音だなんて。どんなものなのかも見てみたかった」

「そうなんですね、日中の音は気になりませんでした」

「シャルたちは忙しいもの。私はほら、暇人だから。手伝いたいって言ってもやらせてもらえないし」

「まあまあ! それはアロネに感謝ですね。私たちの仕事を奥さまにさせるわけにいきませんから」

 シャルはふふふ、と含み笑う。

 

「でも本当に聞こえませんでしたよ」

「気分が憂鬱になる音だったのよ、だから結婚式ってお祝いなのになんだか、ね」

 イリヤにとって、結婚は良いものではなかったろう。シャルは結婚式から以降を思い出すと自分が受けた仕打ちよりも、イリヤの辛さの方が胸に迫るものがあった。

 

 もしかしたら他人の結婚式も不幸に感じるほどなのかしら、とシャルは思った。けれどもこれまでシャルたちが結婚していくのをそんな風に見ていたように思えない。

 この村に来てから人と接する機会がずいぶん減ったのも良くないのかも、とシャルは内心で眉をひそめた。

 彼女も元は身分ある身。感情に嘘を吐いて表情を作ることは出来る。

 

 毎日同じ顔ぶれ、来客もなく代わり映えのない毎日。

 “奥さま”と使用人から呼ばれていても、実際はまだ若いお嬢様だ。婚約から結婚して今まで。八年という歳月をただダナレイからの嫌がらせで費やしている。

 それはきっとこれからもで、イリヤがこんな状況でも離婚できないことが全てを物語っている気がしてシャルは居たたまれない気持ちになる。

 

(別にここは戦場とか敵地ってわけでもない。建前でも領主さまの領地なんだし、奥さまが見て回ったっておかしくないじゃない。そうよ、奥さまが村人に気を使うほうがおかしいのよ)

 シャルは村というものが国の枠組みから外れていることも、イリヤたちが村人にとってよそ者であるという認識しかないこともここに来るまで知らなかった。

 でもそうと知っている今、遠慮したり拒絶したりするような付き合い方は逆にやめたほうがいいと考えている。それにイリヤを引きこもらせていては良くない気がしていた。

 

 村人に会うなら山を降りなくてはならない。でも別にイリヤは山道を苦にはしない。それはここに来るまでに実証されているから問題ではない。

 シャルは明日アロネに話をしてみよう、と思い立った。

 

「そうだ! 奥さま、結婚式は終わってしまいましたが、村に降りて話を聞いてみたら良いのでは?」

「嫌がられない? 行くならお祝いも持っていったほうがいいかもよね」

 

 最近の沈んだような瞳が、どんどんきらめいていくのを見て、シャルは微笑んだ。

「とにかく今夜はもうお休みください。また明日、ですよ奥さま」

 渋々寝具に入り直すイリヤにおやすみなさいと声を掛け、ランプを確認するとシャルは蝋燭立てを手にそっと部屋を出た。

 

 

       * * * * *

 

 

 アロネがイリヤの朝の支度のために部屋に入ると、イリヤは既に起きていて大窓の側に立っていた。

(またあんな側に。身体が冷えるのに)

 そう苦笑いしたアロネは、おや、とイリヤの様子が普段と少し違うことに気が付いた。

 

 大窓の向こう側、外を見る目がきらきらと輝いている。

「――イリヤさまおはようございます。起きてらっしゃったのですね」

 何だか声を掛けるのが勿体ない気がして、アロネは一瞬だけ躊躇(ためら)った。

 振り向いたイリヤは満面の笑顔で、機嫌はすこぶる良い。

(久しぶりにちゃんと笑顔のイリヤさまを見た)

 

「ねえ、アロネ。村に遊びに行ってもいいかな?」

 まるで幼い子供のように、イリヤがもじもじとアロネに許可を取る。

「村にですか? ええ、もちろん。ようございますとも」

 アロネには当然イリヤを止める権利はない。イリヤが行きたいと言えば付いていくのがアロネの使命だ。命の危険があるような場ならともかく。それを分かっていてもまるで母親にねだるように聞いてくるイリヤにアロネは胸がいっぱいになった。

 

 ただ、イリヤが他人に関わりたがるのが珍しいとアロネは思う。過去に滞在してきた領地ではイリヤの存在が引っ張りだこで、彼女は人前に出ることにむしろうんざりしていたくらいだったのだから。

 

「お祝いになるようなものを用意したいの」

「あらまあ」

 イリヤは確かに、ここ数日村の結婚式を気にしていた。アロネが食材を届けに来た村の女たちから聞きかじった話をすれば、彼女は興味深そうに聞いていた。それで降りてみようと思ったのだろうかと至る。

 

「ご夫婦には今日はまだ会えないかもしれませんね。昨夜(ゆうべ)が初夜ですし。こちらではどのような決まりか分かりませんけど、初日にお邪魔するのはどうでしょう?」

 さすがのアロネも、自分の淡々とした初夜が割と珍しいものだということはこの五年で理解していた。

「……そ、そうね。そういうものよね。トニ(家事使用人)が村に子供たちを連れて行って今日には帰ってくるっていう話だから……明日か明後日くらいなら邪魔にはならないかしらね」

「シャルから聞いたんですね」

 

 シャルの夫であるトニは家事使用人としての研究欲もあってか美味しいものに目がない。主であるイリヤが甘味を好むので、甘味の開発にも余念がない。それで子供たちが招待されたのにいそいそと付いていったのはアロネも知っている。

 

「夜、眠れなかったのよ。シャルが火の見回り番だったから、それで」

「呼んでくださればお話相手になりましたよ」

「そう言うと思ったから呼ばなかったの」

 ちゃんと眠らなきゃダメよ、とイリヤが言う。それにアロネは微笑んで答える。

「……とにかく。お話は分かりました。続きは朝の支度が終わってからにしましょう」

 はあい、とイリヤは幼子(おさなご)のように不貞腐れた返事をした。

 

 

 





 

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