竜胆の花と、林檎の木。
今日は思いのほか天気がよくて、お茶会を
するのにはちょうどいい。
テーブルに少し飾ろうと思って摘んで
いるのは、庭に咲いた竜胆の花。
別邸の近くにある川岸に、たくさん
咲いていたのを見つけたのです。
花言葉は《あなたの悲しみに寄り添う》?
ふふ。今のわたくし達にピッタリかも知れません。
庭には林檎の木がいくつもあって
たわわに実っておりました。
それをいくつかもぎ取って
カゴへと入れると、りんごの甘い香りが
ふんわりと立ちのぼる。
そのまま食べるのも美味しいけれど
アップルパイを作るのもいいし
林檎ジャムもいい。
焼きリンゴ……という手もあるし
サラダに忍ばせて爽やかな酸味を
楽しむのも良さそう。
「いい匂い……」
わたくしは、何に林檎を使おうかしらと
頭を捻りながら、家路を急ぐ。
もうすぐクッキーが焼ける頃合いかも知れない。
この世界のオーブンは、いわゆる窯。
現世のような電子レンジなんてものはないし
ましてや焼き加減をAIで管理して
設定出来るわけでもない。
窯に薪を入れて焼いて、炭を出し
余熱で料理を焼き上げる。
「……」
……これがね、言葉で言うほど簡単じゃない。
一度火を起こせば、後戻りが効かない。
その日の天候に合わせて火加減を
調節しないと、寒い日と暑い日、それから湿気の
多い日少ない日で、その焼き上がりは大きく
変わってしまうのです。
前世のオーブンと違って、勝手に電源が
落ちるわけでもチーンと鳴るわけでもない。
引き上げ時を間違えると、すぐに
焦げてしまうのです。
ですから、出来るだけ早く帰って
焼き上がりの様子を見ないと
いけないのです……!
いつもだったら、傍にメリサがいてくれる。
けれどあいにくと今は、メリサがいない。
え? どこに行ったのかって?
それはね、本邸の方へ出かけてしまったの。
わたくしは普段、人目のつかない別邸の方で
暮らしているのですが、当然本拠地は本邸なのです。
ここでの様子を伝えたり、本邸での動向をこちらへ
知らせたりするのに、やっぱり誰かが
橋渡しをしなくてはいけないの。
今回わたくしは、こうして謹慎処分を受けることに
なってしまったので、そのやり取りに
メリサが動いている……と、そういう事なのです。
メリサはとても頼りになる。
こういう事務的な事もさることながら、
窯の火入れも完璧だし、お菓子の
焼き上げも不思議なくらい綺麗に
焼いてくれるのです。
ですから、メリサのいない今は──
あ。わ、わたくしだって、出来ないわけでは
ないんですよ? 釜に火を入れるの。
でも、ついほかの事に夢中になってしまって、
焼き加減が疎かになってしまう。
……前世にあった、便利な道具に慣れ親しみ
過ぎて、未だに、この世界に馴染み切れていない。
ホントおかしいですわよね。間違いなくこの世界に
生まれ落ちたと言うのに。……反省しなくては……。
「はぁ……」
正直、前世を思うと溜め息ばかりが漏れる。
確かに魔法のあるこの世界は、とても魅力的では
あるけれど、いかんせん不便なのです。
料理を作る道具ですらままならなくて、便利だった
前世が偲ばれる。
ここでは娯楽という娯楽も特になくて、わたくしは
本ばかりを読んで過ごすことが多くなった為か
前世よりかしこくなってしまったんじゃないか
って思うくらいなのです。
男の人だったのなら、他にも剣術や馬術、格闘
なんて……面白いこともたくさんあったのかも
知れませんが、残念なことにわたくしは
中途半端な存在ですしね……。
「はぁ」
……いや、ホントこれって、どうにか
ならないものなんだろうか?
確かに、剣術とか馬術はそれなりにやってるよ?
だけどそれは全てこっそり行われる。
俺は元々男だぞーって言って、これみよがしに
剣なんて振ろうものなら、すぐに悪評が
立ってしまう。
余計な憂いは作りたくないから、そんなこと
しないけどね。
だけど、それなりにストレスは溜まる。
女として過ごすしかないと分かっていても、
こればっかりはどうにも出来ない。
だけどそう決めたからには、この生活を貫く
しかなくて、そしたら生きることの楽しみと
言ったら、お茶会や刺繍くらいしか
なくなってしまった。
有り得ないよね、お茶と裁縫……とか。
「……」
料理を作ることも許されるから、かろうじて
助かってはいるけれど、こんな生活を
続けていたら、さすがの俺でも、参ってしまう。
俺は遠くに見える本邸を見た。
ゾフィアルノ侯爵家の敷地の、ほぼ中央に
たたずむその本邸……。
本邸っていうか、もう『城』に近い。
前世では考えられなかったよね、『城』に
住むとかさ。
別邸……とは言っても、前世の家族と住んでいた
3LDKとは雲泥の差。ここでも、かなりの
部屋数がある。はっきり言って、落ち着かない。
部屋ってさ、片付けるのが面倒で、ついつい
物を放ったらかしにして『部屋、狭っ』て
なるんだけど、だからって広けりゃいいって
もんでもない。
やっぱりあの広さは、生活するには
丁度いい広さだったんだなって、今更ながら
そう思う。
なんだろ? ……孤独を感じてしまう?
広い敷地に、メリサと2人きり。
……いや本邸でもそうだよ? 広い屋敷に
驚くほど使用人がいて、呼び鈴鳴らせばすぐに
誰かが来てくれるような環境でも、
なんだか孤独を感じてしまう。
愛情がない……わけじゃない。
なんだか分からない、漠然とした虚無感。
「……」
だからかもな、別邸に引っ越したの。
本邸にいるよりか、ここにいる方がくつろげた。
使用人なんてメリサ以外いないのに、
ホッとできる空間。
上手く言えないけれど、俺はこの別邸に来て
良かったって思う。
ゾフィアルノ侯爵家の敷地内にはたくさんの
建物がある。
当然だよね。『敷地内』と言うか正確には
『ゾフィアルノ領』。
郊外にも領地はあるんだけど、基本となるのは
この帝都にある領地で、その中で様々な人たちが
生活しているんだ。
だから、お店や畑、農場なんかもあって
領地は活気づいている。
その建物の中で一番高いのが本邸、ゾフィアルノ城。
落ち着いたオリーブ色のその屋根は
敷地内広しと言えども、どこにいても必ず
その姿を見ることが出来るほど大きい建物だ。
その本邸を取り囲むように、人口池が設けられ
山から流れ出る自然の川の水は、ここで
いったん温められ、そこから更に
農業用水として利用することになる。
なんの変哲もない川が、城の防衛となり
糧となる。
ひとつの事柄を突き詰めて、どのように
したら楽に生活出来るのか。
そして、どのようにしたら多くのものを生み
出せるのかを常に研究しているゾフィアルノ……。
そんなゾフィアルノ家の使用人は全て
そういった研究熱心な人たちで構成されている。
信念を持って、この侯爵家へ来た人たちばかり
だから、ちょっとやそっとじゃ揺り動かない。
俺の じいちゃんと、ばあちゃんが十数年前に
亡くなり、ゾフィアルノ侯爵家は一時
その力を弱めた時期もあったけれど、今や
メキメキと力を、回復させつつある。
そんなゾフィアルノ侯爵家の跡取りが
俺の双子の兄のフィデルだ。
ほぼ、自給自足が可能な一族。
その頂点に君臨する……なんて言うと、誰もが
羨むに違いない。
その上ゾフィアルノ侯爵家は、このヴァルキルア
帝国屈指の軍事力を誇っている。
その全ての指揮権を持つ事になる
フィデルを前にすれば、そりゃ誰だって
しっぽを振りたくなるだろう。
しかもあの容姿、モテないわけがない。
「……」
でもだからって、俺がフィデルを羨ましいと
思っているとは限らない。
アイツはアイツで世間に揉まれ、自分とこの
広大な領地、それから市民を守りながら必死に
生きていかなくちゃいけないから、想像以上に
大変なはずだ。自由なんてそれこそない。
俺は俺で、変な自由を奪われてしまったけれど
それはそれ、これはコレ。
いずれ自由を手にできる俺と違って、フィデルには
それなりの重圧が常に掛かってくる。
……なんだろなー、貴族って。
そこまでして家を守らなくちゃいけないってのが
理解出来ない。
確かに裕福かも知れない。
だけどそれでホントに、満たされているんだろうか?
「……」
いつもどこかしら、解せない思いが拭えない。
あぁ……そして、恐ろしい話がこれだ。
メリサから聞いたんだけど、今朝から俺宛の
手紙で本邸は大騒ぎなのだそうだ。
……なんの手紙かだって?
そりゃ、求婚のだよ!
ラディリアスとの婚約が解消された今、まさに
申し込みが殺到しているらしい……。
「……」
『らしい』と言うのは、実際この目で
見たことがないから、正確なことは分からない。
だけどそれが本当なら、寒気がする、
だって俺、そんなに顔出ししてないからね?
確かに皇太子の婚約者として名は馳せた
けれど、顔出しまではしていない。
社交にもあまり出ていないし、交流も無い。
そりゃそうだよ? この生活だからね?
だけど婚約解消の次の日に求婚とか
ありえなくない? しかも顔も性格も
よく分からない人間に求婚してるってことだぞ?
「……っ、」
俺は身震いした。
相手は俺を女だと思っているかも知れない
けれど、実際は俺、男だからね?
そんなヤツに求婚だよ?
ホントありえないよね?
だけどその手紙は一通も、俺のところには
来なかった。……ま、来ても困るんだけど……
多分フィデルが、全部綺麗に処理して
くれているんだと思う。
ホントお兄さま、さまさま……。
「……」
だけどさ、とんだお荷物だよね、俺ってさ……。
舞踏会や、先の夜会でもそうだ。
フィデルは自分のパートナー探しだって
しなくちゃいけないのに、いつも俺に
ベッタリくっついて、守ってくれている。
「……俺、これでも男なのに」
誰にも聞こえないように、俺はボソリと呟く。
そう、俺は男だ。フィデルに守って
もらわなくったって、自分の身くらい
自分で守れる。
──だから、ほっといてくれればいい。
だけどフィデルは、俺を放って置いて
くれやしない。いつも何かと目をかけて
いつも傍にくっついている。
俺だけじゃない。フィデルは自分自身の
求婚ですら、全て断っているって話だ。
実際、俺たちの年齢だと、婚約者がいても
おかしくないし、早いやつだと既に
結婚していたりする。
それなのにフィデルには、そんな女性は
存在しない。
おかしいよね? モテるのに。
気に入った令嬢でもいれば、受け入れれば
いいのに、フィデルは俺に義理立てでも
しているのか、誰も相手にしない。
そりゃ、暇がないって言うのなら
そうだとは思うよ?
だって、しなくてもいい俺の護衛をして、
宮廷では皇太子であるラディリアスの補佐を
しなくちゃならないんだから。
そしてフィデルの仕事は、それだけじゃない。
これだけ大きな家門を支えるためには、
それなりの労力が費やされる。
ゾフィアルノ侯爵家は、軍事の他
商業にも手を広げているから、フィデルには
休む暇もない。
「……」
前にメリサも言ったけれど、大好きな
乗馬ですら楽しめないってボヤいてたのを
俺も聞いたことがある。
それくらいフィデルは多忙なんだ。
ようやく出来た暇な時間だって、俺との
食材採取で西の森へ行っているから
事実上休みなんてない。
……一体あいつは、なにを楽しみに
生きてるんだろう?
……迷惑かけてる俺が言うのもアレなんだけど。
だけど、俺が迷惑掛けているのは
フィデルだけじゃない。
「……メリサもだ」
俺は唸る。
今だって、俺がやらかした昨日の後始末の
ために、本邸へと呼ばれている。
ああ見えてメリサは他家へと顔が効く。
だから、こう言った他家との連絡が必要な
事柄の時は、伝令的な仕事も任される。
家からは出られない俺だけど、メリサの
情報網のおかげで、俺は外界から完全に
隔離されることなく、巣ごもっていられる。
メリサは、色々と秘密を抱える俺たちには
なくてはならない存在だ。
……迷惑ばかり掛けている俺は、本当に
頭の上がらない。
「なにもメリサが、奔走する必要はないのに……」
そう、思ってはいるけれど、メリサを
手放すことなんて出来ない。
とても必要な人間なんだ。
いつもいつも、いつもいつも、2人は
自分の事を差し置いて、俺の事ばかり……。
「……」
だから思うんだ。
早くここを出よう。……って。
足枷でしかない俺は早くここから出て
みんなを自由にしてあげようって。そう
心に決めたんだ。
「……」
藤の蔓で編んだカゴに、林檎と竜胆の花を
忍ばせて、わたくしはハッとして慌てて
立ち上がる。
クッキーの事が、とても気になったのです。
……つい考え込んでしまいました。
もしかしたらもう、焦がしてしまったかも
知れません。
慌てて帰るその途中、屋敷の近くに生えている
大きなイチョウの木に、わたくしは目を
奪われました。
小さな銀杏の実が実っているのが見えたからです。
「──ふふ。まるで金色の鈴みたい……」
これが、鈴なりとでも言うのかしら……?
丸々とした金色の銀杏の実は、本当に鈴が
ぶら下がっているかのように、たわわに
実っていたのです。
本当にこの領地は豊作続き。
林檎に銀杏、それから葡萄に蜜柑の木。
食べ物好きなわたくしのために、わざわざ
新しく植えたものまであるのです。
広い屋敷で孤独を感じる、わたくしですが
そんなわたくしを想ってくださる人も
確かにいるのです。
わたくしはそれを想い、1人微笑む。
お礼に何か作って差し上げなければ。
熟れて黄色くなった銀杏は、すごく臭いの
だけれど、わたくしはその種子が大好きなの。
前世でもよく食べていたけ……。
あの時は、紙袋に入れて、電子レンジで
チンしていたけれど、ここでは落ち葉を
かき集めて、焚き火をして、その中に
銀杏の種子を放り込む。
するとしばらくしてそれは弾けて
透き通るような緑色が顔を覗かせる。
まるで宝石のように艶やかな、銀杏の実。
そう言えば前世では、銀杏を入れた
茶碗蒸しを作ったりもしましたっけ。
「……」
思い出に少し微笑みながら、わたくしは
悲しくなる。
あのまま現世で生きていたのなら、
お兄さまやメリサは、なんの憂いもなく
この世界で幸せに暮らしていたのに違いない。
双子として生まれず、フィデルだけ
産まれていたら……。
「……」
俺が不注意だったせいで、全てが台無し……。
悔いても悔いても、悔やみきれない。
反省したとしても、もう後戻りは出来ない。
今更後悔しても遅すぎる。
……だから、ただ、
ただただ、前に突き進むだけ──。
「ふふ」
悩んでも仕方がない。
だってもう、俺はここにいるから。
産まれてしまったから。
わたくしは、木々を見上げる。
実は確かについてはいるのだけれど
まだイチョウの木の葉は、紅葉していない。
だから、その種子を食べれるのは
まだまだ先で、前世のあの日を想うのは
まだ時期が早い。
前世を想って、結局悔やむことになる
この銀杏の実。
けれど、その日が待ち遠しくて
わたくしは思わず苦笑してしまう。
そうそう。この木には、こんな思い出も
ありました。あれはいつだったかしら?
『臭いから切ってしまおう!』とお父さまが
仰って、銀杏の木を切ろうとした時が
ありました。けれどわたくしが、止めてくれと
泣いて頼んでしまったの。
だからお父さまは、この1本だけを残して
くれたのです。
大きなこのイチョウの木は、この1本だけでも
十分な種子を落としてくれますから
わたくしはとても満足なのです。
そして、この大銀杏のあるあの角を曲がれば
わたくしの暮らす別邸は、もうすぐ目の前!
「あ、クッキーの匂い……」
クッキーの焼ける、良い匂いがして参ります。
その匂いを嗅いで、わたくしは少し
焦り始める。
けれど匂いからして、まだ焦げてはいないみたい。
わたくしはホッと、胸を撫で下ろしました。
銀杏の実と、お菓子の焼ける
ほんのりと甘いその香りは、
前世の記憶を蘇らせ、わたくしを少し
悲しくさせる。
わたくしが死んでしまったあの時作ったのは
シフォンケーキだったけれど、焼き加減が
とても気になって、こうやって急いで
帰っていたの。
「……」
それを思うと、いたたまれなくなって
しまうのです。
もう少し、落ち着いて過ごしていればよかった。
焦る必要などどこにもない。
時間はたっぷりあったのだから……。
角を曲がったところで、わたくしは
ふと顔をあげる。
「……え?」
不意に辺りが暗くなったように思ったのです。
「──!」
……途端、息が止まるかと思うほど驚く。
持っていたカゴを、思わず取り落として
しまいました。
わたくしは目を見開く。
……あぁやっぱり、お菓子を焼いている時に
出かけてはダメだ。
ホント心臓に悪い……。
悪いことしか起こらない。
せっかく摘んだ林檎と竜胆が、ゴトゴトと
音を立てながら、辺りに散らばっていく。
「ど、うして……?」
わたくしは真っ青になって、ただ
それだけをどうにか呟きました。
「あ、えっと……あの、フィア?
昨日はごめん。
今日はその……少し、話がしたくって……」
目の前の人物は遠慮がちに、そう呟きました。
その声を聞いて、わたくしの血の気が
引いていく──。
「……っ、」
わたくしは息を呑む。
だって目の前に、あのラディリアスさまが。
……ここには絶対いるはずのない
ラディリアスさまが
そこにはいたのですから──。
┈┈••✤••┈┈┈┈••✤ あとがき ✤••┈┈┈┈••✤••┈┈
お読み頂きありがとうございますm(*_ _)m
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