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メリサの不安と、苛立ち。

 ──何が起こるか分からない。




 メリサにそう言われて、俺は不安になる。

 確かにそうだ。

 あの時陛下から『婚約を破棄する』との言葉は

 結局、もらえなかった。


 だけど確実にこれはスキャンダルだ。

 皇室にとっては、手痛い出来事だったのに違いない。


 そんな不名誉を招いた俺たちゾフィアルノ侯爵家が

 再び婚約者候補へ返り咲く……なんて、もう

 有り得ない気がするんだけど?


 だから『何が起こるか分からない』なんて

 そんなのメリサの杞憂(きゆう)なんじゃないのかな……?

  俺的にはもう『婚約破棄』一択しか

 ないように思うんだ。



「……ヒック」



 相変わらず、しゃっくりが止まらない。


 でももう ここまでくると、

 正直どうでも良くなっちゃうよね。

 婚約の件も しゃっくりも。


 俺は無花果(いちぢく)のヨーグルトを食べながら、

 そのままスプーンをくわえる。


「……おいひぃ。ヒック」



 大好きな無花果を口に運ぶと

 独特の甘みが口いっぱいに広がって

 本当に婚約のことなんか どうでも良くなった。


 もう 、無花果の季節も終わっちゃうなー……。


 そんな事の方が、

 婚約破棄よりも しゃっくりよりも

 重大な事件のように思えた。



 夏から秋にかけて収穫されるこの無花果は

 残念なことにあまり日持ちしない。


 保存したければドライフルーツにしたり

 蜂蜜漬けにしたりするって手もあるけれど

 やっぱり生の無花果の方が俺は好きだ。


 プチプチと種の潰れる食感と

 独特の香りがたまらなく好き。



 ……いや、『種』じゃなくて

 本当は『花』なんだけどね。


 遂にこの無花果ともおさらばだなー。なんて

 考えながら、俺はベッドに腹這いになって

 足をばたつかせる。

 

 魔法のはこびるこの世界では

 どこで誰が魔法で覗き見ているか分からない。

 だから俺は、朝食をベッドの上で摂る。


 え、行儀悪いって?


 いやいやこの世界、少なくとも貴族であれば

『朝食』をベッドでとっても許されるんだ。


 小さい子どもだと、行儀作法を

 ちゃんと身につけるまで、家族との食事すら

 一緒に出来なかったりもする。

 だから自分の部屋での食事は、ごくごく当たり前。

 なんの問題もない。



「……ヒック」


 あー……でも、うちの場合は……違ったけどね。

 どんなに俺たちのマナーが悪くっても、父上も母上も

 笑って許してくれて、一緒に食べてくれた。


 父上や母上の前で、フィデルと喧嘩して

 フォークでフィデルの頭を刺すとか、

 スプーンでお皿を叩くとか、昔は結構

 やらかしていたけれど、今はやらない。(あたりまえ)


 今はマナーをきちんと守って

 ちゃんと食事を摂ることが出来るんだ。だって俺、

 天下の侯爵令嬢だしね?(これは関係ない……)


「……」


 だけど一緒に食べていたのは、子どもの時だけ。

 今は俺 別邸にいるし、朝食はみんなバラバラだ。

 夕食だって、一緒に食べることはあまりない。


 ……だけどそれは、家族仲が悪くなったから

 じゃなくって、みんなの時間が合わなくなったから。


「……ヒック」


 ううん。きっと子どもの頃だって、父上も母上も

 今と同じくらい……いや、今よりももっと

 忙しかったんだろうと思うんだけど、

 俺たちのために時間を作ってくれていたんだと思う。


 今は……今はもう、俺たちは子どもじゃない。

 1人でだって食べれるから……。




 俺は窓の外を見る。


 別邸のまわりには、誰かが来る……なんて事はない。

 だからこそ俺はこの別邸で過ごすことに決めたけれど、

 きっと本邸の方は、忙しく働き回る人たちで

 賑やかなんだろうなぁ……。




 ピチュピチュピチュ──




 小鳥が楽しげにさえずりながら、窓のそばを横切った。


 そう──

 父上も母上も、……それに今やフィデルだって

 俺みたいに暇じゃない。


 お貴族さまっていうとさ、優雅にゆったり

 暇を持て余しながら過ごしているイメージあるけれど

 現実はそんな事ない。忙しく立ち回っている。


 屋敷にいる使用人たちだってそうだ。

 その動きは穏やかだけれど、けして止まりはしない。

 いつも何かの仕事を手掛けていて、

 時間は確実に進んでいく──。




 父上は現役バリバリのゾフィアルノ侯爵。


 ヴァルキルア帝国全土に散らばる

 ウチの領地を見て回ったり采配をしたりするのは

 あたりまえの事だし、

 帝国の会議や軍議にも顔を出すほどの重鎮。

 そもそもあまり家にはいない。


 フィデルはフィデルで、皇太子の側近。

 護衛も兼ねているから、いつもはたいてい

 夜遅くまで皇宮にいて、食事もそこで食べる事もある。


 母上は、侯爵家で運営している企業を

 見て回るのが仕事だ。

 商品の仕入から品物のでき具合、

 それから収支決算、財務の仕事もこなしている。

 だから外出先で食事をする事も多いし

 帰ってきてからも軽食片手に書類とにらめっこ……

 なんて日もある。


 結局のところ、なーんにもしていないのは

 この俺ただ1人。

 だから食事はいつもみんなバラバラ。




「……」

 いやいや、そーじゃなくてさ、

 俺ってさ、こんなんでいいのかな……?

 みんな一生懸命『今』を生きているのに、

 なんだか俺だけ、取り残されている。


「……ヒック」


 そんな事を考えながら、ヨーグルトを口にする。

 甘酸っぱいその味が、ひどく虚しく思えてくる。


 確かにさ、こんな状況。人前には

 あまり出られない。出るなって言われてる。


 確かに皇太子の婚約者として、最低限度の社交には

 参加していたよ? けれど、それだけだ。

 後は暇で暇でしょうがなかった。


 え? だったら貴族の名前を覚えろって?


 ……そんなの面白いわけないだろ?

 もちろん、全くしないわけじゃないよ? メリサが

 うるさいから。


 だけど毎回毎回しようとも思わない。

 思わないからするわけない。


 暇を持て余してても、イヤなものはイヤ。

 嫌いなものってのは、どんなにやっても頑張っても

 なかなか覚えないしね? だから基本やらない。


 その反面、魔法の研究には勤しんだ。

 魔法の方が断然、面白かったから。


 その結果、あんな氷の城なんてものが

 出来上がる羽目になったんだ。

 おかげで侯爵領の名物には、なったけどね。

 けれど、だからなんだって言うんだ?


 そもそもここヴァルキルアは、天災なんて

 起きやしない。

 雨量も1年を通して安定しているから、

 水の貯蓄なんてそもそも必要ないんだ。


 それなのに、あの氷のキューブ。



「……はぁ、ヒック」


 あれ(・・)もさ、結果、罪作りだったよねー……。

 と、俺は今更ながら、少し反省している。


 だってさ、侯爵令嬢が作った物だよ? みんな

 その扱いに困っているはずだ。

 だって、簡単に撤去出来ないし、廃棄もできない。

 言うなれば、とんだお荷物でしかない。

 場所取るし。


 ……。

 そりゃね、修道院は喜んだよ?

 あそこには孤児院があって、たくさん人が

 住んでいるし、貧困で救済を求める人たちの

 憩いの場となっているから、外部からも人が押し寄せる。


 けれど、それだけの人数がいるとなると

 みんなが飲む飲み水を確保するのだけでも大変で、

 けれど他に仕事がないわけじゃない。


 必然的に、まだ複雑な仕事が出来ない

 小さな子どもたちが水汲みをする事になる。


 力はまだ弱いから、小さな手桶に水を汲んで

 1日何回も川と修道院を往復する。


 小さい子どものことだから、川の急激な変化には

 当然まだ気がつけない。

 ついでに夏場になると、遊び盛りの子どもたちは

 こっそり水遊びなんてのもしたりする。

 そうすると毎年何人かは、増水した川に流されて

 死んでしまう事案に発展したりするんだ……。


 だけどこのキューブのおかげで

 そんな危険を冒す必要がなくなった。

 俺は時々修道院を訪れて、キューブの魔力を解除する。

 そうしておくと、簡単に生活用水が確保できた。

 これは純粋に、俺の功績と言っていい。


 ……だけどそれだけ。

 あとはただの穀潰し。



 まあ、だからって

 何か出来るわけでもないからね?


 俺の役目は、ひたすらこの秘密(・・)

 バレないようにするくらい?


 ……それくらいしか、出来ないんだ。情けないよね?




 チンチン……とヨーグルトの入っていた

 ガラスの器をスプーンで弾く。


 中は、既に空っぽ。

 だからなのか澄んだ高い音が、部屋の中に拡がった。

 その音がとても綺麗で、思わず何度も叩いてしまう。


「フィアさま──っ!」


「ひっ、く……あ。ご、ごめん……」


 メリサに睨まれて、俺は思わず肩を竦める。

『全く、まだ子どもなのだから』……と小言を言われ

 立つ瀬がない。


 ……う。ごもっとも。



 俺の場合はさ、ほら特殊だろ?

 だから誰にも見られず好きなように朝食を

 食べたかった。


 小さい頃は何でも許された。

 お転婆なお姫さま、お兄さまの真似をする

 男の子みたいなお姫さま。


 ……だけどもう16歳にもなって、それは許されない。


 この歳になると言葉遣いも所作も、

 嗜みとして洗練されている事が望まれる。

 だけどさ、俺……男だから。無理だから。


 ずっと女でいるって違和感に、

 苦しくなってしまったんだ。

 だから別館に来た。



 少しでも息抜きが出来るように──。




 ……だからさ、俺はベッドの上で朝食を摂っている。


 呑気だよね。

 何もしない俺が、朝からベッドに寝っ転がって

 食事とかさ。


 本当はね、さすがにこれは行儀が悪い部類に入るんだ。




 ──家族別々に自分の部屋で、

   思い思いに食事をする……。




 確かに、ここの貴族たちは、それが許される。

 でも、そうは言っても、ベッドで食べるのは

 俺くらいのものかも知れない。


 部屋にはテーブルがあるから、食事の際は

 そのテーブルを使うのが普通だ。

 なにもベッドに寝っ転がる必要なんてない。


 だけどね、この策略にまみれた貴族社会。

 そこが自分の部屋だからといって、必ずしも

 安全だとは言い切れない。

 ……もしかしたら、誰かが魔法でこっそり覗いている

 かも知れないんだ。


 そんな事になったら、寝起きの無防備の俺は

 絶対にバレちゃいけないこの秘密を、無意識に

 バラしてしまうかも知れない。



 前世だってあっただろ?

 盗聴器とか隠しカメラとか。


 今世では、それが魔法(・・)で行われる。


 魔法……ホントいったい何なのって感じだよね?

 盗聴や透視、それらは属性のない魔法に分類される。

 ようは誰にだって使える魔法。


 確かにここは天下のゾフィアルノだよ?


 そのゾフィアルノ侯爵家の防護魔法を乗り越えて

 覗き見……なんて、そんじょそこらの人間が

 できるわけない。


 出来るわけないんだけれど、でもそれは

 可能性として(ゼロ)じゃない。

 もしかしたらいるかもしれないんだ。覗けるヤツ。

 魔法に特化した諜報員とかさ。

 特に皇族……陛下の諜報員クラスとなると

 簡単に覗けるかも知れない。


 陛下が俺を覗き見……なんて有り得るかな?

 ──いや、『陛下が』じゃなくて、陛下に出来るのなら

 ほかの貴族だって、出来なくはない……そう思うんだ。


 覗かれる可能性がある限り、その対策を

 怠ってはならない。

 俺、こんなだし。だから用心しなくちゃいけないんだ。

 無防備に食事しているところなんて、俺たちの

 シッポを掴みたいヤツらの、格好の餌場に

 違いないんだから……。


「……ヒック」



 このゾフィアルノ侯爵家では、屋敷全体に

 防御魔法を施した上に、更に私室ベッド、浴室や

 トイレを厳重に守り抜いている。


 だから安全なの。

 ベッドの上は特に。


 二重三重に防護魔法が展開されているこの場所からは

 声すらも外には漏れない。──はず。


 たとえここで、胡座(あぐら)かいて食べようが

 寝て食べようが、はたまた男言葉で喋っていたとしても

 誰にも見られないってスグレモノ。


 

 でもね俺としてはね、それでもちゃんと

 作ってて欲しかった。

 千里眼を規制する法律とか、妨害魔法とか。


 多分、そこまでの規制が出来るのは、まだまだ

 先の話なのかも知れない。

 そーゆープライバシーなところって、意外に

 盲点だったりするんだよね。



 難しいのかな? 取り締まるの。



「……はぁ……ヒック、」

 ううん。でもそれは多分違う。


 上部の人間だと、スパイを送り込むより

 自分の力駆使してコッソリ政敵の生活を覗いた方が

 早くて確実だから、それを禁止する法律は

 都合が悪かったのかも知れない。


 そう思うと、貴族社会の闇がうかがえる。

 ……確かにこれは、俺の勝手な想像ではあるけどね。



 だけど事実、この千里眼は上手い具合に

 法の目をくぐり抜けて、今も当たり前のように

 使うことが出来るから困るんだ。


 だから当然、防御策も発達したけれど

 それはあくまで、個人の責任。

 覗かれたらそれまで。

 これじゃあプライバシーもへったくれもない。

 

 魔力量の少ない人たちとか

 どうしてるんだろ? 見られっぱなし?

 ……いやいや、そんなわけないか。


 魔力量が少なければ『覗き見』なんてできないし

 そもそも政敵でもない限り、覗く必要もないしね?

「……」

 でも、俺はこんなだから、油断は出来ない。


 それにココは侯爵家。

 政敵なんて腐るほどいる。

 確かに味方もたくさんいるけれど、その分

 追い落とそうと狙うヤツらも多い。


 魔法だって完璧なわけじゃないから、たとえ

 強力な魔力で守られていると分かってはいても

 心の底から安心は出来ない。


 だから予防策として、完璧に『女』を演じている。

 いや、なるように(・・・・・)心掛けてきた。


 女になりきる時は、頭の中まで

 女になりきるようにしてるから、秘密を知ってる

 人間だって、俺の変わりようを見ると目を丸くする。

 ふふ……この反応が、意外に面白いんだ。


 これはね、俺がそれほど苦もなく女でいられる理由でも

 あるんだけど、みんな面白いほどに騙されてくれる。


 ラディリアスがいい例だろう?

 小さい頃から一緒にいるのに、全然俺の秘密に

 気づかないんだから!

 ……俺が男だって知ったら、アイツどうするんだろ?


「……」

 それを見てみたい気もするけれど、恐ろしくもある。

 きっとすっごく怒るだろうな。

 そして俺は……後悔するに違いない。


 騙してごめんって──。


 友だちでいることすら、きっと出来なくなる。

「…………ヒック、」





 呆れるのを通り越して、驚きの域。

 これだけ一緒にいて、気づかせなかったんだから

 俺って凄いよね?


 

 ……確かに、ここまで気を張る必要もなかったとは

 思うよ?


 だけどそれでも、油断はしない。

 俺だけじゃなくて、これはウチの領民にも

 関係してくる話だから、自由が完全に

 自分のモノになるまでは気を許さない事にしている。


 ……俺はみんなを、路頭になんか

 迷わせたくはないから。


 

 

「はぁ……それにしても、良かった……ヒック。

 フィデルが対応してくれたのなら……ヒック……

 俺の秘密は、守られたって事なんだよね? ……ヒック」

 

 俺は微笑んでメリサを見上げ、固まった。

「……ヒッ……ク。……えっと、メリサ?」


「………………」

 メリサは無言で俺を睨み、それから悪魔のような

 笑みをその顔にのぼらせ楽しげに笑った。


 俺はゴクリと唾を飲む。


 

「ええ、そうですわ。

 フィデルさまは それはもう見事な所作で──


 ……あぁ、可能であれば お嬢さまにも

 お見せしたいくらいでございましたわ……」


 メリサはそこで、ほぅ……と溜め息を漏らす。

 

「フィデルさまのあの

 愛しげにフィリシアさまを見る目。


 まさに誰がどう見ても恋人同士にしか

 見えませんでしたもの……。


 ──あれは、なんなんですの?

 そういう策を練られたのですか?


 ……あぁ、そう言えばフィアさま?

 このヴァルキルア帝国には、こんなお許しも

 あるのをご存知ですか?

 なんと! ご兄弟姉妹(きょうだい)でも

 婚姻出来ますのよ?


 皇太子殿下との婚約がなくなった今、

 いずれフィデルさまより

 婚約の申し込みがあるやもしれませんわね……?」


 それを聞いて、俺は思わず

 飲んでいたお茶を吹き出した。


「……ふぐっ」



 ちょ、『婚約の申し込み』……?

 フィデルが? 誰に?

「……」



 目を丸くしてメリサを見ると

 メリサは眉根を寄せ

『当然フィリシアさまにですわ』と

 言いたげな目線を寄越した。


 は。冗談だろ? 俺たち兄弟だぞ?


『兄』と『妹』じゃなくて

 おとうと(・・・・)なんだぞ!?




「…………」

 あまりの驚きに、笑顔が凍りついた。

 メリサ、ほんと何言ってんの?

 冗談に聞こえないんだけど?



 黙り込んだ俺を横目で見て、メリサは先を続ける。


「今どき『許されてるから』と言って

 本当に婚姻まで結ぶ人なんていませんけれど

 すでに口さがない者は噂しているのですよ?

 ゾフィアルノ侯爵家のご子息とご令嬢は相思相愛。

 いずれご結婚なされるのでしょうねって。


 けれどフィリシアさまは、皇太子殿下のご婚約者。

 その事実がありましたから、この噂は

 存在自体不敬罪にあたる。

 ですから人々は口をつぐんで、陰でこそこそと

 言い合うだけに留まっていたのですわ。


 フィリシアさま、……その事は

 知っておられましたよね?」


 う。

 ……いやそれは、……それは知ってた。


 だけどそれはあくまで噂だ。そもそも有り得ない。

 兄妹じゃない実際は兄弟。

 しかも双子。

 絶対に有り得ない。


 例え裏工作としての偽装婚約だとしても有り得ない。

 そうなれば、いったい誰がフィデルの

 お嫁さんになってくれるっての?


 立場上、俺が正妻になってしまう。

 フィデルに本当に好きな人ができたとして

 その人と結婚する時、いったいどうなるの?

 弟が正妻、本命が側室とか現実問題

 有り得ないからね!?


 

 だいたいそんなウワサ、真に受ける

 メリサがどうかしてる。

 どのみちそれは、単なる嫌味で、俺たちのこの

 恵まれた状況をひがんで(・・・・)

 悪質極まりないジョークだ。


 そんな事、誰でも分かる。



 兄弟姉妹(きょうだい)間での婚姻じゃ

 子どもは、確実に出来ない。


 それを高位貴族であるゾフィアルノ侯爵家が

 選ぶという事は、事実上ゾフィアルノ家が

 断絶することを意味する。

 

 力を持った家門の没落を望み

 噂でその名を(おとし)める。


 それはどこにでもある、単なる嫌がらせ。

 真に受ける方がおかしい。


 メリサだって、そんなこと百も承知じゃないか。

 それなのにここにきて、そんな事を言う?




「…………」

 心の奥底からジワジワと怒りが込み上げてきた。

 信じていたメリサに、裏切られたようなそんな虚無感。


 ……いや、メリサの事だ。

 またいつもの嫌味に違いない。


 俺が約束を破って、昨日大イビキかいて寝てたのが

 よほど癪に障ったんだろう。


 ……だけどさ、言っていい事と悪いことがある。


 俺だけならまだしも、これはフィデルを貶める。

 それだけは、いくらメリサでも許せない!



 俺はムッとして、メリサを睨んだ。

 けれどメリサの目は、笑ってなんかいなかった。

「……っ、」

 真剣なその目付きに、俺は思わず息を呑む。

 だけど、怯むわけにはいかない。

 

「何言って……。

 知ってるだろ? 俺は男で、フィデルは

 俺の双子の兄なんだぞ?


 お前まで妙な噂に(ほだ)されるのか──?」



 その言葉に、メリサの眼が悲しげに揺れた。

「メリサ──」


 ……メリサ? いったいどうした?

 絶対おかしいだろ?




 ──いつの間にか、しゃっくりが消えていた。

 それどころじゃなかった。




「……フィリシアさま」

 震えるようにメリサが口を開く。


「よく、お考えになってくださいまし?

 これは決して、フィデルさまを貶めて

 申し上げているのではありません。


 ひとつの可能性として

 申し上げているのです……」

 


「──可能性?」

 俺はすかさず言葉を返す。

 メリサは落ち着きを払って、ゆっくり頷いた。


「はい。そうでございます。

 今現在、フィリシアさまの存在は

 宙に浮いておられるのです。


 よく考えてみてくださいませ。

 今の状況は確かに

 皇太子殿下との婚約は宙に浮いた状態です。

 例えばそれが仮に(・・)であったとしても

 ラディリアスさまは一歩引いた状況になっています。


 ……そこは、ご理解出来ておられますよね?」


 念を押すようなメリサの言葉に、俺は素直に頷く。


「……そうだ。

 陛下は、明言はされなかったけれど

 ほぼ婚約破棄は決まったと思って間違いないと思う」


「そうです。

 けれどそれは、『確実』ではない──

 それもまた事実」


「……」

 確かにそうだ。俺は口を閉じる。


 メリサはそれに構わず再び口を開いた。


「ではフィアさま?

 そのような状況になった時、フィアさまなら

 いかがなさいますか?


 例えば、フィデルさまとフィアさま、

 そのお立場が逆転していたのなら……?」


「──逆転?


 ……なにが、言いたい?」


 俺はメリサを睨む。




 ──けれど、言いたいことは

   嫌というほどに分かった。


「…………」





「……いいえ、ただフィリシアさまがこれから

 どのようにお過ごしになるおつもりなのか、

 メリサは心配になるのです」

 それだけ言って、メリサは背を向ける。

 



「けれどこれは、きっと、メリサの

 杞憂でございましょうね。


 あの時(・・・)のお着替えは、わたくしが致しましたが、

 さすがに湯浴みはフィデルさまが

 手伝ってくださいましたのよ?」


「──え"、フィデルが?」

 その言葉に、動揺で瞳が揺れる。

 ……フィデル……いったい、何やってんの?


 そんな俺を見て、メリサは眉を寄せた。


「……勘違いなさらないでくださいまし?

 手伝ってもらったのは(・・・・・・・・・・)浴室まででございます。

 さすがにこの歳でフィアさまを抱きかかえるのには

 多少骨が折れますもの」

 不可能ではありませんけれど、……とメリサは続ける。


「……フィデルさまが途中まで連れて行く……と

 そう仰られて──」

 そこで再び顔をくもらせる。


「フィデル……が?」


「はい。

 わたくしは、部屋まででよいですと申し上げ

 ましたのに、フィデルさまが どうしてもと

 仰られて……」

 メリサは深い溜め息をつく。


「後はわたくしが髪と顔を洗い、

 お体を拭き上げたのですわ。


 ……ったく。

 子どもではないのですから、

 それくらいご自分でして欲しいものですわっ」


「……」

 いやそこ、あんな話の後に、着替えだの湯あみだの

 話せば、流れから言ってフィデルが

 風呂に入れてくれたって思うじゃんか。


 ……まあ、さすがにこの歳で知らない間に

 素っ裸にされて風呂に入れられてたら

 ちょっと嫌だけどね。

 相手が男だろうと女だろうと……。

 ましてや家族なら尚更。



 ホッする俺を見て、メリサは溜め息をつく。

「けれど、フィアさま?

 状況は、そこまで来ているのです。

 お分かりですよね?」

「……」

「……特に、昨日のフィデルさま。

 対象は、わたくし達ではありましたが

 フィアさまを愛しげに扱われていたのは確かです。


 フィリシアさまが眠っておられるのをいい事に、

 フィデルさまはその髪に口付けまでなさった

 のですよ?

 仮にもそれが髪であろうと頭であろうと

 キスをする……など、恋人同士でなければ話が

 通じません……!

 しかも、わたくしが固辞したのにも関わらず、

 どうしてもと言われ、フィリシアさまを抱き抱えられ

 私室の浴室にまで踏み込まれました。

 先程フィアさまは勘違いなさって、焦ったのでは

 ありませんか?

 あの状況を見れば、誰しもフィアさまの体を

 フィデルさまがお洗いになったのだと勘違いしても

 おかしくはありませんっ!


 現実そうでなかったとしても

 もしも万が一覗かれでもしていて、この事が

 外部に漏れでもしていたら、

 きっと明日には、この話題で持ちきりです……!


 フィデルさまは、抜かりないお方。

 そのフィデルさまが、あえて(・・・)そのような行動を

 取られたということは、どういうことなのか……

 フィリシアさまはいったい、そこのところを

 どう思われているのですか?」


「……メリサ」


 だけど、そんな事を言われても正直分からない。

 あれは、単なるウワサだと思っていた。

 それをフィデルが利用するなんて、思ってもみなかった。


 だけどその行動は、明らかにそれ(・・)

 狙っている。

 今の時点で、俺とフィデルが婚約を発表したのなら

 世間は大騒ぎになるかも知れない。

 だけど反対に、俺は大腕振って自由になれる。




 ──俺とフィデルの立場が逆転していたら……?




 そんなの、答えは簡単だ。

 きっと俺もそうしたと思う。


 正妻? 側室?


 そんなの関係ないんだ。

『妻』という立場を与えるだけで、簡単にその身が

 守れるんだから。


「……」

 ……だったら俺は、どう出たらいいんだろう?

 フィデルがそんな事を提案してきたら、

 それを受け入れた方がいいのか?

 それとも突っぱねた方がいいのか?



 メリサは黙り込む俺を見て、再び溜め息をつく。


「……フィデルさまは賢くおいでです。

 そのお考えを垣間見、わたくしも驚くばかり……。


 確かに一番安心出来る案ではございますよね?

『フィアは私の妻にする。

 以前からそう言っていたのに、殿下の婚約話の

 おかげで、引かざるを得なかった』などと言えば

 忌避される兄妹(きょうだい)婚でも

 世間は多少の同情はするでしょうし、

 それがもし上手く行けば、フィリシアさまは大腕振って

 このゾフィアルノ侯爵領に居続ける事が出来ますもの。


 ……フィリシアさま? よくお考えになってくださいまし?


 自分たちの都合で、不自由を強いられた家族を

 あなたはどのように対応なさいますか?」


「──対応……」


 メリサは頷く。


「フィリシアさまは自由になりたいと仰られます。

 それはそうでしょう。

 今の状況は自由には程遠く、有り得ない状況です。

 けれど、自由になりたいからと、平民にするのとは

 また話が違うのです。


 そこのところは、お考えになりまして?」


「……」

「……」

 メリサは軽く息を吐く。


「……確かにフィリシアさまは、貴族令嬢にしては

 色々なことが出来ます。


 掃除や洗濯、料理などは、貴族ならば

 しなくてもいいものですのに、フィアさまは

 苦もなく成し遂げられます。それは賞賛に

 値すべき事柄でしょう……。

 きっと平民として、十分やっていけます。


 これはメリサが保証致します。


 けれどフィアさま? 分かっておいでなのですか?

 貴族と平民の生活は、それこそ雲泥の差。

 たとえフィリシアさまに生きる力があったとしても

 平民の生活はそう、甘くはないのです」

 キッとメリサは俺を睨む。


「メリサ……」


「──わたくしは平民です」


 キッパリと言い切ったメリサの顔は真剣だった。

『平民を甘く見るな!』そう、怒鳴られたような

 気持ちになって、俺は黙り込む。

「……」


「確かに、フィリシアさまの心構えは立派です。

 ……けれど、『平民』の何たるかはご存知ない。


 どんなにひっくり返ったとしても、平民は平民。

 貴族は貴族。


 たとえ我が身が無事であっても、まわりを取り囲む

 友人知人となる者は、そうはいかない。

 飢えもするし、病気にもなる。


 もしかすると、貴族に虐げられるようなことが

 起こるかも知れない。


 そうなった時、フィリシアさまはどうなさるのですか?

 平民として、自分に火の粉がかからないよう、

 黙って見ていられますか?

 それとも手を差し伸べますか?

 たとえ手を差し伸べたとして、救えない命があったとき

 フィリシアさまは、ご自身が傷つかないと言えますか?


 ……わたくしは、そんな辛い場所へフィリシアさまを

 やりたくはないのです。

 心安らかに、このゾフィアルノ侯爵家で

 過ごして欲しい……それがメリサの本当の

 気持ちなのです。

 

 フィデルさまのお考えは、確かに

 常識的ではございません。

 けれど確実に、フィアさまをお守り出来ます……」


 そこでメリサは悲しげに微笑む。




「わたくしがフィデルさまであったのなら、

 間違いなく──」




「……」


 メリサは、目を伏せた。

 俺は、……何も言えなかった。


 確かにここは、前世じゃない。


 平民にとっての『法』は、あるようでない。

 例え法に反するとしても、相手が貴族だったのなら

 泣き寝入りする事もある。


 俺は貴族だから、そんな目には合わなかった。

 けれど平民になれば……。

 メリサは、そのことを言っているんだって思った。



 フィデルやメリサは、俺よりも世間を知っている。

 知っているからこそ危惧する。

 (フィリシア)は平民でやっていけるのか? って。




「わたくしはフィアさまに

 幸せになって欲しいのです──」


 


 ポツリと呟いたメリサのその言葉は、

 ほんのり色づき始めた真っ青な秋の空に

 吸い込まれて行った。

 

   ┈┈••✤••┈┈┈┈••✤ あとがき ✤••┈┈┈┈••✤••┈┈



     お読み頂きありがとうございますm(*_ _)m


        誤字大魔王ですので誤字報告、

        切実にお待ちしております。


   そして随時、感想、評価もお待ちしております(*^^*)

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