静かな、フィデルの怒り。
地団駄を踏みたいのをグッと堪え
私はガジール男爵の話を聞いた。
皇弟派の下心丸出しの下卑た笑いとともに
暴かれるフィアの不義。
例えそれがフィアの家族が話し合って
画策した事であったとしても
私にはとても許せなかった。
噂は確実に、フィアを陥れる。
どう考えてみても、フィアが不幸になるのが
目に見えていた。何故それを、
ゾフィアルノ侯爵家が
容認しているのかは分からない。
こうなる事は、初めから分かっていたはずなのに……!
「……っ、」
だから、今にもこぼれ落ちそうなほど、
涙をたたえたフィアの目を見て
私は思わず怒鳴った。
怒鳴らずにはいられなかった。
……どうにも、我慢出来なかった。
ここで、注意しておかなければならないのは
父上がその場にいた……という事だ。
いや、だから何でいるんだ?
私としては、父上のいない場所で、
尚且つ貴族たちが集まるこの夜会場を
婚約解消発表の場に選んだ。
あの父上相手に、真っ向勝負で
勝てるわけがない。
とにかく結果だけを貴族たちに知らせ、
愚かな皇太子が妙な発言をした……とでも
思わせようと思った。
報告してしまえばこっちのもの。
皇族の前言撤回は基本的に認められていない。
……いや、認められていないわけではないけれど、
少なくとも父上は、その事を嫌悪する。
発言力のある高位の者が、下の者を惑わす
発言はしてはならぬ! と
常日頃私は、そう言われて育ってきた。
そんな父上が『あれは間違いでした』……などと
言うわけがない。
そう思った。
なのに、乱入するとか……。
「…………」
他にも父上は、私にこう仰っていた。
──『上に立つ者は、
けして感情的になってはならぬ』
高位の者はそれだけで、他の者を威圧する。
そんな立場の人間の感情は、時として
凶器になる。
父上は、皇帝というこの国最大の権力を手にし
……けれどそれに奢ることなく、
様々な立場の人間を気に掛けた。
そんな父上から見れば、今の私は失格だ。
感情に任せ、怒鳴り散らしてしまった
後だったのだから。
けれど思い出した時には、もう遅い。
『しまった』とは思ったけれど
それほど醜態は晒してないつもりだ。
挽回など、後からどうとでも出来る。
そもそも、父上の命令に背き、
フィアとの婚約を解消してしまった時点で、
もうどうしようもない。
こうなったら、堕ちるところまで
堕ちるしかない。
そう思うと、あとは気が楽だった。
自分の好きなように動けばいい。
私が心配なのはフィアだ。
フィアだけが、私の全てなのだから……。
どうにかして、泣きそうになっている
フィアの傍に行きたいと私が思っていると、
幸運なことに、父上がフィアを呼んだ。
私はもちろん、素直に喜んだ。
フィアは父上に呼ばれ、真っ青になりながらも
前に出て来る。
それをいいことに、私はすぐさま
フィアを捕まえた。
ずっと傍にいたかった。
目の前で震えるフィアを
放っておくなんて、私には到底無理だった。
「フィア……」
フィアの不義を暴いた上に、邪な目で
フィアを見るガジールにも
我慢出来なかったし、フィアが手放しで
助けを求めるフィデルの存在も
私には許せなかった。
けれどそのフィアが今、私の傍にいる。
フィデルではない、私の傍に──!
無意識に手が出た。
フィアは驚いたようだったけれど
手を取ってくれた。私は有頂天になる。
いったん自分の欲望のままに行動すると
後は堰を切ったように
堪えが効かない。
……確かに婚約解消は、自分で宣言してしまったから
しょうがない事ではあるけれど、
今は……今は、自分の思うままに行動したい。
「フィア、大丈夫?
済まないこんなことになってしまって……」
言いながら手を伸ばす。
あぁ……やっぱり私は、フィアを諦めたくない。
可憐な彼女は、微かに震えながら
深い新緑の瞳を潤ませている。
……どうしよう。
めちゃくちゃ可愛いんだけど……。
「……っ」
思わず息を呑む。
『婚約解消』……それは、フィアの命が
安全になることと引き換えに、
自由に誰とでも婚姻が結べるという事でもある。
その事実に、酷く後悔する。
やっぱり無理だ。
フィアを手放せない──!
更に自分の傍へ、フィアを抱き込もうとすると
置かれた状況にハッと気づいたフィアは
私の腕から逃れようと必死に
兄へ手を伸ばしていた。
けれど私はそれを遮った。
何もかもが我慢ならない。
私の腕の中にいるというのに、他の男に
手を差し伸べるなど許すものか!
……たとえそれが実の兄だろうと
家族であろうと、もう堪えられない。
フィアの求める者全てが憎らしくて羨ましくて、
……助けを求めるフィアのその腕を掴んだ。
腕の中でフィアが身を強ばらせたのが分かった。
けれどやめられない。
私を拒否するようなフィアのその
何気ない反応すら許し難く、私は
自分のした事を後悔する。
いっそ何もかも黙ったままで、
婚姻を結んでしまえば良かった──。
……そう本気で思っている自分に、嫌気がさした。
けれどそれの何が悪い?
世界で唯一の存在を目の前にして
指を咥えながら手放すのか?
精神衛生的に見ても、私の今の現状は
あまり良い状態とは言えず
少なからず混乱していた。
ただ噂を聞いた……と言うだけのガジールを
私は怒りに任せ、大衆の面前で怒鳴ってしまった。
その醜態を、きっとフィデルは
ほくそ笑みながら見ていたに違いない……。
少なくとも父上は、そんな私を見て
試すように微笑んだ。
『ならば調べよ』──と。
──『皇宮医師団に診せれば、全て分かる』
「……!」
……一瞬私は、調べさえすれば
フィアの潔白は、証明される。そう思った。
事実、フィアは潔白なのだから
いくらでも調べればいい!
そしたらそのまま再び婚約者となり
今度は黙ったまま結婚しよう。
そしたらまた、この腕の中に
フィアが戻ってくる……!
……そう思った。
戻ってきたのなら、今度はもう手放さない。
こんな思いをするくらいなら
嫌われても傍にいて欲しい。
本気で、そう思った。
だから、何も言わなかった。
言えなかった。
期待……していたから……。
けれどそれに憤りを見せたのは、フィデルだ。
私はハッとする。
フィデルはきっと、腹の奥底は
煮えたぎっていたに違いない。
望まぬ婚約。
そして私からの勝手な、婚約解消の依頼。
解消しやすいようにと
走り回ったのにも関わらず
それを握りつぶされ、
しまいには体を調べてみろと言われる。
そしてそれは全て、
大衆の面前で話は進められている……。
「……」
フィデルが、怒らないはずはない。
──『兄として、容認できません』
キッパリとそう言いきったフィデルを見て
私は『負けた』と思った。
フィデルはもう、私の事なんか見えていなかった。
ライバルとかライバルじゃないとか、
もう、そんな次元を越えていた。
フィアの名誉が掛かっていたんだ。
「……」
私は……私は自分の事しか、考えていなかった。
何もかも、私の我儘だ。
フィアの傍にいたいと思う。
けれどそれは、フィアの希望ではない。
調べれば、汚名は晴れる。
けれどフィアにとってそれは
屈辱的なことかも知れない。
婚約解消の話にしたって、私があの時
フィアにちゃんと『そういう意味じゃない』と
否定すれば済んだ話なのに
私は否定しなかった。
だからフィアは、わざわざ気を利かせて
妙な理由づけをしたんだ。
それなのに私が妙な嫉妬を振りかざし
中途半端にそれを揉み消した。
だから、
こんな事になった──。
……何もかも、私が愚かだった。
「……」
フィデルは怒っているにも関わらず、
受け答えは落ち着いていて
あの父上ですらも感心していた。
私よりも歳は下だと言うのに
つねに落ち着きを払い
行動する事のできるフィデル。
もう、認めるしかない。
私の完敗だった。
フィデルは言った。
──『婚約破棄は、けして軽いものではない』
確かにそうだ。
ただの貴族なら許されたかも知れない。
けれど私は皇太子だ。
それなりの影響力を与えてしまう。
それなのに、ゾフィアルノ侯爵家は
文句一つ言わず、それに従ってくれた。
このヴァルキルア帝国での地位が
地に落ちるかも知れないのに……。
その声はひどく落ち着いていて……
いや、確かに穏やかではあったけれど、
フィデルは確実に怒っていた。
丁寧な言葉とそつない動作──。
激怒しているはずなのに、大衆の前で
怒鳴り散らすこともなく
傍目にも動揺した様子は見られず
事は淡々と進んでいく。
父上が 微笑み、
満足気に頷くのが見えた。
フィアを私の婚約者に選んだのは
なにも家柄だけではない。
臣下として、自分の陣地にフィデルを
囲いたかったからもあるのだろう。
だからあの時私は、
黙ってフィアを手放すよりほか
為す術がなかった──。
┈┈••✤••┈┈┈┈••✤ あとがき ✤••┈┈┈┈••✤••┈┈
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