賢帝、ラサロ皇帝陛下。
陛下は確かに、近くに侍るわたくし達にとっては
恐ろしい存在ではあるのですが、なにも鬼のように
怖いことをするから……という理由ではありません。
その業績は計り知れず、隙のない陛下の存在は
『怖い』というよりも『畏れ多い』……
畏怖の念が強いのです。
結局のところ数々の良策を打ち立て、帝国民の
生活の安定を守っておられる陛下は、多くの人々から
『賢帝』と呼ばれ慕われています。
わたくし達の住むこの世界には『魔法』という
ものが存在し、その強さ弱さはあるものの基本
誰もが使うことが出来る代物なのです。
その中でも王侯貴族たちの魔力は
質も量も他に引けを取らないほど膨大で、強いのです。
その中で、皇族ともなればまた違った特殊な
力を使う事が出来ると言われています。
『秘法』と呼ばれるその特別な力は
何故なのか、その国の『王』にしか発現しない。
……けれどこのラサロ皇帝には、その『秘法』がない。
残念なことながら、現皇帝陛下は秘法を持たずに
お産まれになった方なのです。
王族にしか現れない、その特別な魔法──。
けれどそれは、必ず現れるという訳でもなく
ラサロ陛下のように、その魔法を獲得する事なく
王位を継ぐ者がほとんどなのです。
幻とさえなってしまった『秘法』の存在。
今や文献の中でしか、その実態を知ることは
かなわなくなりました。
秘法はその力の特殊さゆえに
持って産まれることは非常に稀なこと。
必ずしも発現するとは限らないのです。
ですから、秘法を持っていることが
皇位継承の条件にはなりはしないものの、
持っていれば確実に後継者となり得る魔法なのです。
そして陛下は、ご自分がその秘法を持って
お産まれにならなかったその事に対して、
とても負い目を感じていらしたらしいのです。
特別な力を持ってお産まれになっていたのなら
他を圧倒し、皇帝となり得た。
そうすれば今現在、ヴァルキルア帝国を二分する
二大派閥である現皇派と皇弟派は、存在しなかった
……いえ、派閥自体は存在していたとしても、
もっと国の為になる、有意義な派閥が
生まれていたのでは……と陛下はお考えなのです。
確かに、政治においていくつかの政党があるのが
望ましい姿ではあるのですけれど、
ふたつの政党とも主たるものが皇族……と言うのは
望ましくありませんよね?
しかも会議の度に、その二派が争うのですもの
話は中々まとまらない……と以前、お兄さまが
嘆いていたのを思い出します……。
けれど、……わたくしは思うのですよ。
例え、そのような魔力を陛下がお持ちであったとして、
果たして本当に、今の皇弟派が黙って、陛下に
付き従ったのかしら? ──って。
下手をしたら、もっと苛烈な行動に出たかも
知れないって、そうも思うのです。
けれど実際問題、陛下は秘法を持ってはいなくって
今も、異母弟である皇弟殿下とは折り合いが
つかないでいるのが現状なのです。
そのため陛下は、その事をとても悔やんで
おられるのだとか……。
自分ではどうすることも出来ないその『力』。
けれどその力を得ることが出来なかった陛下は
それを補うべく別の分野で、血のにじむような
努力を重ねられ、今や『賢帝』とまで呼ばれるまでに
なったのですから凄いものですよね?
政治を行うその手腕。
思考、行動、それから人脈。
ありとあらゆるものが、陛下に恩恵を
与えてくれたのです。
それは紛うことなき、陛下の努力の賜物。
この帝国に生きる者は誰もが、そう思っているのに
違いありません。
味方ならまだしも、敵にすれば、決して
かなう相手ではない。
ラディリアスさまは、そんな皇帝陛下の命令を
ねじ伏せようとされているのですから
並大抵の苦労で済むはずはないのです。
当然、身を切る覚悟で挑まなければ逆にこちらが
喰われてしまう──。
長い年月を掛けて努力して来られた方に、
浅はかな希望だけで動くわたくし達は
きっととても小さな無力なヒヨコのように
見えるに違いありません……。
「……」
笑いを分散させるかのようにフッと息を吐き、
陛下はわたくしから目を外されました。
けれどその意識は依然、わたくしの周りを蠢いていて
注意深く動向を観察しているのが分かるのです。
そんな緊迫した空気を感じながら、わたくしは
身を強ばらせた。
「……」
全く、油断ならない──。
ラサロ皇帝陛下とは実際、このような方なのです。
静かに獲物に狙いを定め、相手が油断したところで
躊躇なく攻撃する。
その攻撃は静かで素早く、そして決して逃れられない。
ですからわたくしは、正面切って戦うのではなく、
人心を動かすこの計画を立てたのでした。
陛下を唸らせるには、多くの人たち……
『数』を味方につける必要があったのです。
ですから、わざわざわたくしの逢い引きの現場を
皇弟派の者たちに目撃させたと言うのに……。
「──」
けれどそれも、なんだか無駄足に終わりそう。
わたくしの苦労はいったいなんだったのでしょう?
「……」
あぁ、もう! いったいなぜラディリアスさまは
それを陛下へお伝えにならないのでしょう?
確かに予想はついてはいましたけれど、
これほどまでに綿密な計画を立てて実行した
策でしたのに、こうもあっさり無駄になるなんて、
思ってもみませんでした。
本当に、口惜しくて仕方がない……っ。
あのウワサを一言出すだけで
ことの全てが終わったと言うのに……!
けれど、どのみち陛下はこの事をご存知のはずですし
今更ラディリアスさまが必死にウワサを隠したところで
もうどうしようもない事なのです。
そのウワサさえ明るみに出れば
婚約解消などさほど苦もなく、実行されるはず……。
幸いにも、この会場には多くの貴族たちが
いらっしゃる。
その貴族たちが一斉に異を唱えて下されば
ウワサをなかった事にしようとするラディリアスさまも
婚約破棄を快く思わない陛下も
共に打ち負かすことは可能でしょう。
まだ、可能性は残っている──。
「……」
わたくしは、ラディリアスさまをそっと見上げてみる。
ラディリアスさまは、婚約破棄をないものに
しようとするかのような、父皇帝のその言葉に
グッと言葉を呑み込まれ、次の言葉を
探しあぐねているご様子でした。
……おそらく、ラディリアスさまにも
何か思うところがあるのかも知れません。
けれど、よくよく考えてみれば、それもそうですよね?
ラディリアスさまにとっても、この婚約は
ご自分の望む形ではなかったのですもの。
確かに破棄なされたいはず。
けれどそんな婚約であったとしても、
一度は婚約者となってしまった、このわたくし。
きっとそれなりの情が芽生えたのかも知れません。
そんな婚約者に、そっと別れを切り出してみれば
大喜びで不義の証拠を作り上げてきたのですから。
……そうなればきっと、ラディリアスさまから
してみれば、面白くない状況だったのかも
知れません。
自分の想いと異なることが起こると、
得てして人は、抗いたくもなるものです。
例えそれが、自分が望んだ結果を生み出すとしても……。
「……」
そのためラディリアスさまは、意地でもその噂を
使わないと決め、別の理由をお考えになられた
のかも知れません。
……わたくし達も、その事を考慮に入れるべきでした。
ラディリアスさまの気持ちを無視し
強行突破したがためのこの状況。
けれど、やってしてしまった事は
もうどうしようもないじゃない?
ここは1つ、更なる突破口を作りたいのですが──
「……」
しかしこれは、どうしたものでしょう……?
いくら考えても答えが出ないのです。
だって考えてもみて?
断罪されるべき わたくしが、横から色々言う訳にも
いきませんし、まさかのお兄さまが わたくしの
不義のウワサを晒すのも、おかしなものです。
かと言って、知り合いの方々に合図を送ろうにも、
その皆さま方に、今回は不義のお相手役をお願い
致しましたから、その方々から暴露するのは
やはり、おかしいですものね……?
「はぁ……」
いやもうホント、どうすりゃいいの?
思わず忌々しげな溜め息を漏らすと
陛下がそれにお気づきになり
再び微かな笑みを そのお顔にのぼらせる。
「……──っ、」
その表情にイラッとはなるものの、
それをあからさまに表に出すことも出来ず
わたくしは苦虫を噛み潰したようなその顔を
必死に床へと向け、陛下の目から隠したのでした。
もうこの計画は、ダメなのかしら? ──
「……っ、」
せっかくここまで頑張ったのに!
どうして他のみなさまは、何も言われないのでしょう?
皆さまご存知でしょう? わたくしのあのウワサ。
それなのに誰も何も仰ってはくれないなんて……──っ!
悔しくて、今にも泣きそうになったその時。
突如会場から、その声は上がった──
「……おそれながら、皇帝陛下!」
「──!?」
ハッとして見上げれば、先程のガジール男爵が
深々と頭を下げ、陛下に言葉を掛けています。
「おお、何だ? 男爵。
男爵は何か、知っておるのか……?」
陛下は嬉しそうに目を細め、ガジール男爵を見る。
当然わたくしも目を細める。
けれど、喜んでいる……なんて思われないように
眉根はきちんと寄せて──。
「ええ……と、言いましても『単なる噂』を聞き知った
だけ……なのですが……」
ガジール男爵は、さも言いにくそうに
そう言いおいて、陛下を見ました。
「よい。噂でも構わぬ。言うてみよ」
「は」
するとガジール男爵は、わたくし達の方を向いて
ニヤリと笑ったのです。
「……」
一重にこの発言で、何か不測な事態が
起こったとしても、自分はただ聞いただけのこと。
──それをあくまで貫き通せるように、防御線を
張ったのでしょう。
さすがは男爵。抜かりないことです。
それはとても狡猾で、自分より遥か上の
身分である わたくし達を追い詰めるのには
とても理にかなった、賢い言葉の選択でもありました。
「ふぅ……」
わたくしは誰にも気づかれないように
小さく溜め息を吐く。
……いったい今日は、なんど溜め息を
ついたことでしょう?
そもそも今のこの状況は
わたくしには喜ばしい展開ではあるのですが
少し疲れてしまいました。
ハッキリしない、この様な曖昧な
物言いをする政治の場で、お兄さまは常日頃
過ごしておられるのかと思うと、それがなんだか
申し訳なく思ってしまい、どっと疲れが
押し寄せて来たのです。
けれどまだ終わったわけではない……。
まだ気を抜くわけにはいかないのです。
勝負はここから……。
ここからが、本番なのですから──!
┈┈••✤••┈┈┈┈••✤ あとがき ✤••┈┈┈┈••✤••┈┈
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