杜撰な、理由。
しん……と、広間に静寂が拡がっていく。
「……父上」
ラディリアスさまは息を呑みながら
その静寂を苦しげに割いていく。
「……お恥ずかしながら、私は未だ若輩者。
皇太子として過ごしてはおりますが
未だ何の功績も実績もあげてはおりません。
課題はまだまだ山積みで、
やらなくてはならないことが
たくさんあるのです。
不甲斐ない今の私のこの状況のままで
フィリシア嬢を娶るのは忍びなく……。
けれどずっと婚約者のままで
フィリシア嬢を待たせる訳にも参りません。
……ですから ひとまず
婚約を解消しようと思ったのです」
少し震えながら……けれどよく通るその声は
緊張で張り詰めたこの場の空気を
ほんの少しだけ、柔らかくほぐしたのです。
……まあ、あれですよ。
ほら、理由が可愛らしいですしね?
ピンと張り詰めた空気が、その愛らしい理由のお陰で
ほんの少しの溜め息と共に、ふんわり和んだのです。
──けれどご本人は必死です。
それでもきっと、ラディリアスさまご自身も
そのことを分かっておられるのでしょう。
苦し紛れのその言い訳に、殿下は深い溜め息を
つきながら、顔を伏せられました。
射抜くようなするどい眼差しを向けられる皇帝陛下に
さすがのラディリアスさまも目を合わせられないで
いるようでした……。
「……っ、」
けれどそんな愛らしいラディリアスさまの言葉に
お兄さまとわたくしは、眉をひそめる。
だって、それはそうでしょう?
端で見ている人たちと違い、わたくし達は
当事者なのですよ?
婚約破棄を切に願っている当事者!
場を和やかにするのではなくって、断罪されるのを
待ち望んでいるのですよ?
この場の雰囲気が険悪だとか、針のむしろだとか
そんな事は関係ないのです!
とにかくこの婚約を なかったことにしたいのです!
「……」
けれど今のラディリアスさまのあの
仰りようでは、ご自身が何かしらの
功績をあげれば、……はたまた、なにかしらの
課題を解決してしまったのならば
また婚約を復活させても構わない……そんな風に
聞こえてしてしまうのではないかしら?
現に、思い返してみれば、ラディリアスさまは
『今後はどうなるか分からない』……みたいなことを
仰っていたようにも思います。
そうなると皆さまは、この婚約破棄が深刻なものでは
ないと、思ってしまわれたのではないかしら?
ですから、安堵の溜め息すら漏れたのでしょう……。
けれどそれは、わたくし達にとって
望む結果ではない──。
きっぱりハッキリ『フィアが嫌だから!』
とか何とか言って切り捨てて頂ければ
それで済む話ですのに……!
ほら、よくありますでしょ?
『もうお前のことが嫌いなんだ!
だから別れる! 今はこの令嬢を愛している……!』
とかなんとか……?
「ふむ。ならば功績をあげてみるか?」
「──! ……陛下!?」
お兄さまとわたくしは、ギョッとなる。
ほら! こうなると思ったのです。
ですから わたくし達は、わざわざ婚約破棄に
もってこいの理由付けをあの手この手で画策し、
いろんな方々を巻き込みながら、苦労して
実行にまで移しましたのに、何故それを
使おうとなさらないの!?
いいえ、いいえ。それどころではありません。
ラディリアスさまがラディリアスさまなら
ラサロさまもラサロさま。
帝国一……いえ、世界一優秀な諜報部隊を
お持ちだと名高い陛下なのですよ!?
それなのに、あの不義の噂が
聞こえていないはずがない。
絶対に、わたくしのあの醜聞は、そのお耳に
届いていますでしょう!?
それなのに何故そのような世迷いごとが
言えるのですかっ?
「……っ、」
頭を掻きむしり
地団駄を踏みたくなるようなこの気持ちを
ぐっと堪えて
わたくしは人知れず唇を噛み締める。
こんな事になるのなら
初めからラディリアスさまと
よく計画を練ってから、事を起こせばよかった……。
軽く息を吐き、
わたくしは更に眉を寄せ、そっと目を閉じる。
「……っ、」
いいえ……でも、それは出来なかった。
分かっていたから。
……そう、分かっていたのです。
こうなる事を。
たとえ殿下にこの事を伝えたとしても、
認めては下さらないだろうって。
きっと、反対なさるだろうって
分かってはいたのですから……。
「……」
わたくしは震える思いで目を開く。
静かに目を開けるとすぐに映るのは、
艶やかな夜会会場。
けれどそれは煌びやかでもなんでもない。
暗く重く沈んだ闇の中。
華やかだった大輪の花々たちまでもが
わたくし達の動向を注視しているのか、
泡沫のように
淡く霞みながら、儚げに佇んでいる。
そう──。
わたくし達は、分かっていた。
ラディリアスさまが わたくし達を貶め
ようとして、この婚約破棄の相談を持ち掛けた
わけではない……ということを。
「……」
……ですから。
ですから殿下には、この計画を話さなかったのです。
──いいえ、話せなかったのです。
言えばきっと、拒絶される──。
それが、痛いほどに理解出来た。
けれど、そんなわけにはいきません。
わたくし達は、確実に婚約破棄を願っているのですもの。
ラディリアスさまのお気持ちは、確かに
有り難いとは思いますけれど、そのような甘い考えで
目の前にいらっしゃるこの皇帝陛下の目を
あざむけるわけがないのです。
より真実味を帯びた、非難されるべき失態……。
そんな理由が絶対に必要なのです。
『ひとまず』だの『しのびない』だの、そんな
曖昧な気持ちでは、到底 婚約破棄など出来るわけがない。
そうではなくて、確実に婚約破棄につながる何かを
模索しなくてはならない。
そこに『情』なんてものは、ハッキリ言って
邪魔なのです──!
本当であれば、殿下と共に画策すべき事柄でした。
わたくしとしましては、このような提案を
ラディリアスさまの方からして頂きたかったのですが、
それは到底ムリな話……。
……いいえ、待ってはいたのですよ?
言いやすいような雰囲気だって作りました。
けれどラディリアスさまは、わたくし達に
そこまで踏み込むことはなさらず、ただただ月日
ばかりが虚しく過ぎ去ったのです。
ですから、このわたくしが率先して、計画を
進めるしかなかったのです!
言い訳じゃありませんよ?
待っていたのは本当ですもの。構想はしっかり
練ってはいましたけれど……。
……けれどこの計画は、殿下に反対されてしまえば
露と消える──。
殿下に相談し、万が一
拒絶されるような事にでもなれば、わたくし達は
この計画を実行に移すことが出来ないまま、
指をくわえて、今日と言う日を
迎えることになったでしょう。
──それが1番恐ろしかった。
そのような事にだけは、絶対なりたくなかった……。
この婚約破棄がなされないとなれば
わたくし達はもう、生きてはいけないのです。
わたくし達のため……引いては
わたくし達家門に繋がる様々な方たちのために、
この計画は確実に実行へ移す必要があったのです。
わたくしの不義のウワサをばら撒く──。
それこそが、確かな婚約破棄への第一歩なのだと、
わたくし達はそう判断しておりました。
ですからこの計画の内容は、ラディリアスさまには
敢えて知らせずゾフィアルノ侯爵家だけで
決行したのです。
「……」
どの道わたくしの不義の噂は
そう簡単に消えるものでもありません。
噂好きの貴族たち──。
それにゾフィアルノ侯爵家という
大きくなりすぎた わたくし達の家門。
誰もがこのゴシップ記事のような、この甘美な噂の
虜になる。
そして一旦そのエサに喰らいつきさえすれば、
それはもう、こちらの勝利を意味するのです。
噂が独り立ちしてしまえば、この計画を仕掛けた
わたくし達ですら、
どうする事も出来ないのですから──。
「……」
けれどそれが、ここに来て覆される──?
いいえ、そんなこと有り得るはずがありません。
有り得てはならないのです……!
わたくしの罪が晒されず、ましてやそれを
陛下が容認されている?
そんな事があっていいのですか!?
──いいわけないでしょう!?
「……っ、」
何が起こっているのか理解できず、わたくしは唇を
噛み締める。
重い沙汰……どころではなくって、
婚約破棄すらも危うくなる? そんな事って
あるのでしょうか?
この計画を練るにあたって、様々な
シュチュエーションを考えてはいましたが、
まさかのラディリアスさまのこの発言。
これはいったい、どういう事なのでしょう?
ラディリアスさまは、婚約破棄を
なさりたいのですよね? だって、発起人は
ラディリアスさまご本人。けして、わたくしからでは
ありませんもの。
それなのに、いったいどうして
そのような発言をなさるの!?
「……」
しかも皇帝陛下までもが、わけの分からない
譲歩案を出されるなんて──!
「……」
全てがなかった事になりそうな上に、
何もかもが わたくしの計画とは、真逆の方向へと
進み始めているのを感じて軽いめまいを覚える。
あぁ、ラディリアスさまに事の流れを
ちゃんとご報告していたのなら、
少しは状況が変わっていたかしら?
もしかしたら、反対などなされずに
この計画に乗って下さったかも知れない。
そんな風に思うと、わたくしは少し後悔する。
後悔してよくよく考えて、それから頭を振る。
いいえ……けれど待って?
そうでなかったのならどうするの……?
認められるよりも反対される確率の方が
高かったじゃない。
あの時は、こうする他に手はなかったのよ?
ラディリアスさまに反対されれば
相談した手前、この計画は実行には移せない。
現に今こうして、ラディリアスさまは
わたくしの不義を晒すことなく
穏便に話を進めようとなさっている。
この計画に同意なさる意思がおありでしたのなら、
今こうして、話をはぐらかす……なんて事は
なさらないはずなのです。
しかも、それを伝えようとしたガジール男爵に
叱責の声まであげたのですよ? ──となると、
やはりあの時、わたくし達が黙って行動に出たのは
最善の策であったと思うのです。
「……っ」
わたくしはそこまで考えてから
軽く頭を抱える。
あぁ、わたくしは何をしているのかしら?
そんなこと、今考えたところで
いったい何になると言うの?
結局のところ わたくし達は
殿下に対してなんのお知らせもしないまま
この件を実行に移したのですから。
今更どんなにその事を後悔しても反省しても
それはもう後の祭り。
過ぎ去った時間は戻りはない。
──大丈夫。
わたくし達は『最善』を尽くしたではないの。
計画は少し、
思わぬ方向へと進んでしまいましたけれど
けれどわたくし達は、最善を尽くした。
どんなに足掻いたとしても、
わたくし達が創り上げた『不義の噂』は
消えて無くなりはしないのだから──。
「……」
わたくしは顔を上げる。
そう。
今は毅然としているべき。
きっと断罪の時は、必ず来る。
そしてその時わたくしは、できる限り
醜態を見せないように心を強くして行動しなければ
ならないのです。
ゾフィアルノ侯爵家のために──!
┈┈••✤••┈┈┈┈••✤ あとがき ✤••┈┈┈┈••✤••┈┈
お読み頂きありがとうございますm(*_ _)m
誤字大魔王ですので誤字報告、
切実にお待ちしております。
そして随時、感想、評価もお待ちしております(*^^*)
気軽にお立ち寄り、もしくはポチり下さい♡
更新は不定期となっております。