手のひらの上で、踊る子どもたち。
陛下からお兄さまが呼ばれたその瞬間、
ラディリアスさまからは、微かに
動揺の色が見て取れました。
動揺の『色』とは言っても、
それは一瞬のことで
すぐにその動揺は消え失せたのですが
けれどその事実に、わたくしの心は乱れたのです。
そもそもラディリアスさまは
わたくしの背後にいらっしゃいますから
そのお顔を十分に見ることは出来ません。
けれど、わたくしの肩に置いたその手が
微かに震えておられ、
動揺しているその事実を教えてくれる。
それと同時に、ラディリアスさまが
微かに息を呑んだ音すらも
近くにいた わたくしには聞こえたのです。
「……っ」
その息を呑む音が何故か少し悔しげで、
わたくしは目を見張る。
先程感じた違和感が
妙な現実味を帯びて、再び
目の前に叩きつけられたように感じたのです。
──ラディリアス、さま……?
不思議に思って
ラディリアスさまを覗き見ようと
後ろを振り返ったその瞬間、
わたくしの肩を掴んでいた
ラディリアスさまの手に
突然力が入ったのです……!
「──っ!」
ギリッと骨が軋むかと思うほどのその力に
わたくしは思わず呻き声を漏らす。
い、痛い……っ。
鋭い痛みが体中を駆け巡る。
苦痛に顔を歪ませてはみたけれど、
その事には誰も気が付かない。
助けを呼ぼうにもこの状況下では、
到底それも叶いそうにない。
今は婚約破棄の話であって
肩を掴まれて痛い……など、
話題にもないことを言う訳にもいかず
わたくしは仕方なく、
1人顔をしかめ、耐え抜いたのです。
「フィア……?」
唯一その事に気づいたお兄さまの目に
一瞬にして、怒りの色が宿る。
──本当にお兄さまは、何故こんなにも
わたくしの気持ちが分かるのでしょう?
その時お兄さまは未だ、先程わたくし達のいた
広間の壁際……つまり、この上段からは
ずいぶん離れた所にいますのに
わたくしの今の状況を瞬時に察知し、
事もあろうか、殿下に向かって
殺気を放たれたのです──。
「──っ、」
当然、わたくしは焦る。
お兄さまの放った殺気に、
近くにいた護衛騎士たちが
微かに反応を示す。
カチリ……と武器と武具の動く音が聞こえて
わたくしは身構える。
もしもお兄さまに対し、何らかの動きを示すのであれば
わたくしだって黙ってはいない。役に立たないとは言え
一矢報いるくらい……。
「っ、」
そんな事を思いながら
わたくしはラディリアスさまを仰ぎ見る。
離れているとはいえ、ラディリアスさまは
騎士の資格をお持ちになる。
きっとお兄さまが微かに放った殺気に、殿下も
お気づきになったはずです。
「……」
けれど殿下は護衛騎士たちと違い、それを軽くいなす。
何事も起こっていない……という風に
微かな微笑みをその顔にのぼらせたのです。
──!
逆にそれが挑発にも見えて、
わたくしは更に焦り、あわててお兄さまへと
視線を向けました。
途端、お兄さまの目が鋭く尖ったかと思うと
キッとラディリアスさまを睨んだのです──!
な……、
何をなさっているの? 2人とも。
……ダメ。お兄さま!
ここで感情的になられてはいけません──!
掴まれた肩の痛みに堪えながら、
わたくしは薄く目を開け
必死になってお兄さまに合図を送る。
今の状況は、わたくし達にとって
あまりいい状況とは言い難い。
不義を働いたわたくしを断罪し、
皇太子殿下との婚約破棄を
多くの貴族たちへ知らしめるこの夜会。
何も必要以上に
心象を悪くする必要はないのです。
……いいえ、だからこそ、
あまり悪い印象は残したくない。
わたくしは将来、この貴族社会から
抜け出ることが出来ますが、
お兄さまや わたくしの家族は
これからもこの貴族社会の中で
生きていかなければならないのですから……。
「……っ、」
わたくしの想いが伝わったのか、一瞬目が合い
お兄さまはグッと堪えるような表情をされ
軽く目を伏せられる。
その姿が痛々しく見えて
わたくしは胸が痛む。
わたくしが不甲斐ないために、
お兄さまには、嫌な思いばかりをさせてしまう。
いっそ、わたくしなど
消えてなくなればいいのに……。
お兄さまは しばらく目を伏せた後
落ち着きを取り戻したのか
『こちらへ』とおっしゃったラサロ皇帝陛下へ
穏やかな仮面を貼り付けたその顔を静かに向け、
落ち着きを払った返事をされました。
「──はい。かしこまりました」
その声は静かだけれど揺るぎがなく、
凛としていて清々しい。
ですから、貴族の方々からは
感嘆とも安堵ともとれる
複雑な気持ちが入り交じった
溜め息が漏れたのです。
「……」
本当のところ、このような場での
余計な争い事は、誰も望んではいない。
そう、……きっとみなさまは
既にお気づきなのです。
陛下が、本当は
ものすごく怒っていらっしゃるのだという事を。
ですからみなさまはきっと
怯えていらっしゃるのです。
もう既に、『面白い噂話』や
『侯爵令嬢の断罪』などと言う
次元を遥かに超え、
皇帝陛下のお怒りを買わないよう
それはもう、みなさま必死なのです。
陛下は笑ってはいらっしゃいますが、
その奥底で
とても憤っていらっしゃるのに違いない。
何をそのように、怒っていらっしゃるのか……?
そんなの分かりきっています。
自分が取り決めた婚約を
ないものにする為に
不義を働いたわたくしへ
心の底から嫌悪感をお示しになって
おられるのでしょう。
……全てはこの、わたくしのせい。
ですからこのお怒りは
わたくしが受け止めなくてはならないの。
「……」
妙に張り詰めた空気が
ピリピリと肌に突き刺さる。
妙な殺気が、先程から
辺りを覆い尽くしていて、
気を抜くとそれだけで
意識を持っていかれそうになる……。
これは紛れもなく、陛下の怒気。
「……はぁ」
陛下のお怒りも、当然ですわ。
わたくしは誰にも気づかれないように
軽く息を吐く。
誉れとなるはずのこの婚約。
けれどそれをわたくしは、
不用心な行動でなかった事に
しようとしているのですもの。
怒られて当然。
不敬……を通り越し、これはもう
反逆に近い。……いいえ、
確実に反逆罪に問われる事案に違いありません。
面白おかしく広める噂とは
少々趣が異なり始め、
みなさまにも少し、焦りの色が見え始める。
今は、ギリギリのところで
耐えていらっしゃるようですが
この怒りが爆発したその時に、
とばっちりだけは受けたくない……
みなさまはきっと、そのように
思われているのに違いありません。勘のいい方々は
既にダラダラと、あぶら汗を掻いておられましたもの。
「……」
……さきほどの扉事件が、その思いを
更に助長させているかのようにも思えました。
あれほどの魔力。
きっとどんなに優れた魔法士でも、
同じようなことをすれば魔力枯渇で
倒れてしまう。
それをいとも簡単に
やってのけてしまった陛下に対して、
恐れの念を抱かない訳がありません。
あれも1つの『策』だったのでしょうか……?
「……」
確かに時間を掛けさえすれば
あの扉を飛ばせるくらいは
わたくしにでも出来る。
……けれどあの状況下で、咄嗟の判断が出来なかったのも
また事実。誰もが驚くあの短い時間で
それをこなし、圧倒的な力の差を見せつける……
そんな事が出来るのは、帝国ひろしと言えども
それは陛下ただお一人に違いない。
ギュッと凝縮した魔力を瞬時に放出するのには、
それなりの技量が必要となるのです。
膨大な魔力量に加え、手の届かないほどの
その技術力。
加えてその行動力を併せ持っておられるのですもの
到底、皇帝陛下に適う者がいるとは思えません。
ですから、誰も手が出せなかった。
本能的に『負ける』と分かっていましたから……。
「……」
貴族は狡猾なのです。
身分が自分より高位の貴族には、けして手を出さない。
なぜなら負けると分かっているから。
権力に、その魔力量……どれをとっても
敵う相手ではありません。
真正面から立ち向かい、その上勝てる見込みなど
ほとんどないのです。
ですから、ほとんどの貴族は、それを暗殺によって
事をなし得たり、議場の場で多数の仲間たちと
申し合わせ、政的に追い落としたりするより
他はないのです。
いいえ、公の場で追い落とすのもまた難しいでしょう。
ひとたび目をつけられれば、今度は自分の身が
危うくなりますもの。
ですから、確実に陥れられる状況かどうかを見極め、
皆さま行動に移られるのです。
ましてや、今目の前にいらっしゃるのは皇帝陛下。
皇帝陛下に楯突くなど
そんな命知らずの行為をするのは──。
「…………」
そう。……わたくしの
わたくしのお兄さまくらいのもの……。
お兄さまは普段から、
皇族の方々にも意見をなされる。
けれどそれはけして、愚かであるからではなく
譲れないモノがあるから。
『間違っている』と思ったならば、
相手が皇帝陛下であろうと何であろうとも
その諌言を惜しまない。
だからこそ陛下のお気に入り……。
陛下にしてみれば、いつでも握りつぶせる
小さな相手。
けれど今一時は、楽しめる面白いおもちゃに
過ぎないのでしょうね。
「……」
その陛下が今日は、機嫌が悪い。
その原因は……その原因は、きっと
わたくしに対してだと思うのです。それ意外に
あるでしょうか?
不義を働いたこの わたくしに
陛下はきっと、お怒りなのでしょう。
このような時に
反抗的な態度を取るのは望ましくない。
ですから、今日ここにいらっしゃる方々も
お兄さまがラサロ皇帝陛下へ
反論するのでは……と、半ば血の気の引く思いで
様子を見ているのかも知れません。
万が一、乱闘……などにでもなれば、
命が危うい。
もちろん高位貴族であれば
どうにか対応する術もありますが、
一般的な貴族が皇帝陛下の魔力下に晒されれば
下手をすると命に関わるようなことになっても
不思議ではありません。
みなさまは、それを危惧されているのでしょう。
けれどお兄さまは、心を落ち着かせるように
小さく息を吐くと、ゆっくりと立ち上がられる。
それからゆっくりと、こちらの方へと
歩み寄って来られたのです。
確かにその姿は、少しの苛立ちを
見せはしたものの、反抗する様子は全くなく、
むしろそれは穏やかそのもの。好感が持てました。
ですから、みなさまはひとまず
安堵の息をついた……といったところでしょうか。
ただ……わたくしの目には
表面上その姿は優雅には見えてはいても
実のところ、お兄さまは必死に目を伏せており
怒りを鎮めているようにも見えたのです。
お兄さま……わたくしのせいで……。
「……」
お兄さまはわたくしの側まで来ると
ポケットからハンカチを出し
優しく涙を拭いてくださいました。
わたくしはその腕に、そっと手を添える。
傍に来てくれた事が嬉しくて
ホッと安堵の息をつきました。
わたくしは、なんとかお兄さまの怒りを鎮めようと
静かに口を開いたのです。
「……お兄さま。ごめんなさ──」
「──なぜ、フィアが謝るの……?」
「……」
言葉を重ねるようなその返答に
わたくしは言葉を失くす。
思っていた以上に、お兄さまは
お怒りになっているようでした。
ですのでわたくしは、必死に微笑んで、
今度はお礼の言葉を口にしようと前へ出たのです。
「お兄さま。ありが──」
けれど直ぐにラディリアス殿下の手が
それを阻む。
わたくしの肩をおもむろに掴んで、
自分の方へと引き寄せたのです。
「え……?」
不意の出来事で、わたくしはよろけ、不覚にも
ラディリアスさまの胸に収まってしまった──。
──ぽすっ。
「……っ、」
思わず喉から、微かな悲鳴が上がる。
不覚にもわたくしは、
お兄さまが傍へ来てくれた安心感で
すっかりラディリアスさまの存在を
忘れてしまっていたのです!
「あ。何を──」
ありえない事だと、わたくしは焦る。
だってわたくしはもう、
ラディリアスさまの婚約者ではありません。
このように簡単に触れ合うことなど
許されるはずがないのです!
「っ、」
一気に血液が逆流するような思いで
わたくしは慌てふためいたのです。
あぁ、わたくしのバカ!
なんで倒れたりしたのかしら!?
ここはガッツリ踏ん張って
抗うべきところでしたのに……っ。
「……っ、」
けれど、後悔しても後の祭り。
血が逆流するかのような そんな気分に陥り、
わたくしは真っ赤になりながら
それでもわたくしを引き寄せようとする
ラディリアスさまの腕に抗ったのです。
けれど、殿下は離してくれない。
振りほどけない……? どうして……っ。
目の前が真っ暗になるような
そんな感覚を嫌という程に味わい
焦って顔を上げてみれば、
ラディリアスさまは仮面のような微笑みを
その顔に貼り付けて、
お兄さまへと言葉をおかけになったのです。
「フィデル……済まない。
フィリシアを悲しませるつもりはなかった。
もう、大丈夫だから
お前はもう下がってくれて構わない……」
「……っ、」
その言葉を聞いて、わたくしは青くなる。
え、……ちょっと、ちょっと待って。
お、お兄さま!?
嫌です!
わたくしはお兄さまと一緒にいたい……!!
必死になってお兄さまの元へ行こうと
手を伸ばすのだけれども、
それすらもラディリアスさまが許してくれない。
伸ばそうとするその先から、手を掴まれる。
「──!?」
あぁ、もう! いったい、なんなの!?
そして陛下はそれを見て、
再びふふふと忍び笑いを漏らされる。
「おいおい、ラディリアス?
卿を呼んだのは私であろう?
何故お前が下がらせるのだ?
さてはお前は、何か隠しておるのだな……?」
「……っ、」
その言葉にわたくしはぎくりとする。
やっぱり、全部バレているのでは……?
そう思い、動きを止め陛下を仰ぎ見る。
すると陛下は楽しげに笑い、
今度は、わたくしをその視線の内に捉える。
「──!」
……あ。もしかしてわたくし
陛下の策に引っかかりました……?
焦ってお兄さまを見ると、
お兄さまは軽く頭を抱えていらっしゃる。
……。
えっと これは確実に、やらかしてしまいました、ね?
陛下は更に嬉しげな声を上げる。
「いや。
今のフィリシア嬢の反応を見て分かった……。
正しくは『お前たち』が
何かを隠しているのだな?」
「「「……っ、」」」
陛下は目を細め、わたくし達を見回した。
……陛下の眼力の前に、
わたくしは為す術すらない。
グッと息を呑んだのです。
陛下はくくくと喉を鳴らす。
「……いやまぁ、でもそれはいい。ラディリアス。
さぁて、聞かせて貰おうか?
婚約解消の本当の理由を……!」
「「「……!」」」
こではもう、逃げられない──!
有無を言わせないその鋭い視線の先で
わたくしたちはゴクリ……と
同時に唾を飲み込んだのでした。
┈┈••✤••┈┈┈┈••✤ あとがき ✤••┈┈┈┈••✤••┈┈
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