夜会の華。
荘厳なオーケストラのゆるやかな音楽と共に
幅広の緩やかな螺旋階段を、ゆっくり降りて行くと
そこは、煌びやかなシャンデリアがいくつも輝く
大広間。
複雑な幾何学模様をあしらった、見上げるほどに
高い天井と、それから庭へと続く大きな掃き出し窓。
その窓には重厚な葡萄色のカーテンが
掛けられていて、白を基調としたこの大広間の
ちょうど良いアクセントになっています。
そして、その開かれたカーテンの向こう側には
様々な花が咲き乱れる、美しい大庭園が見えました。
時間が時間だからか、辺りはほんのりと暮れ始め
闇に沈んでいこうとするその庭園を、魔法の灯篭が
ほのかな抵抗を見せつける。
確かにそれは、ほんの小さな抵抗ではあったけれど
淡く幻想的であるはずのその光は、静かに確実に
その場を侵略し、純白に輝くここ……
ヴァルキルア帝国の皇宮の建物全てを、甘く魅惑的な
夢の城へと変貌させていく。
魔法で完璧に管理された、この皇宮の薔薇園は
昼も夜も関係ない。
魔法で管理された沢山の灯篭に照らされて、
たとえそれが夜であったとしても、見る者全ての
目を楽しませてくれるのです。
そしてそれは、なにも魔法の灯篭だけではありません。
花たちが常に美しくある為の工夫もまた、魔法で管理
されているのです。
年中一定の温度と湿度……それから日射を確保し
いつでもどこでも、どんな時にでも、美しい花々を
愛でることが出来る……それが、このヴァルキルア
帝国庭園の最大の見せ場でもあるのです。
咲き誇る花たちの芳しい香りとその姿。
それから、優秀な設計士と庭師によって、絶妙な
配置で育て上げられたこの花園は
まさに帝国一。
──いいえ。
『世界一美しい庭園』と言いきっても
過言ではないでしょう。
だって、世界広しと言えども、これ程の
薔薇園を、わたくしは未だかつて一度も
見たことがありませんもの……。
大広間の至る所に飾られた、あの大輪の花たちは
恐らく、この庭園から切り取ってきたものなの
かもしれません。
庭に咲く花と、姿かたちがまったく同じものが
この大広間の花瓶の花にも、見受けられますもの。
けれどきっとそれは、庭園に咲いている花の種類
全てではないとは思うのです。
だって、庭に咲いている花の種類といったら
本当に驚くほどあって、それら全てを室内に飾ろうと
思えば、きっと皇宮の部屋という部屋が、花に
埋もれてしまうんじゃないかと、わたくしは常々
思っていたのですもの。
それほど、この花園には、たくさんの花たちが
育てられているのです。
つる型や直立型はもちろんのこと、小ぶりの
可愛らしいものや、大きくて優雅な薔薇の花。
八重咲きのものに、変わった形の花弁を
持つもの。
それから、1本の枝に沢山の花をつけるものや
濃い色合いのものなど、実に様々です。
そしてそれらがみんな、優しく優雅な香りを
放っていているの。
芳醇なその香りは、高貴なこの場に相応しい。
けれど不思議と、くどくはない。
さらり……と、どこからともなく香り
夜会に訪れた方々をふんわり優しく、包み込んで
くれている。
花瓶に挿した花たちが、香っているのかしら?
それとも、外の庭園からの香りかしら──?
確かに切り花として、飾られているその花たちは
すでに、茎から切り離されてしまっているのですから
その香りは、少しづつ失われ始めている。
けれど切り花……とは言っても、どれもこれもまだ
新しくて、瑞々しい。
それを思うと、室内で香るこの花の香りは
切り花から……と、考えるのが普通なのかも
知れません。
だってこんなにも、自然に香る花の香りが
壁や窓を隔てた、あのお庭からのものだなんて
ちょっと信じられませんものね?
お庭では、あれだけの花が咲き誇って
いるのですから、ここまで香っていても
なんら不思議はないのですが、やはり室内の
切り花から……と考えるのが、理にかなっている。
そして室内に飾ってあるその花の種類は、
どうやら統一されているようでした。
大きさや、その色の種類や濃さ。花の香りですらも
一定の基準を満たした花だけが、
飾られている──。
そのためでしょうか?
飾られているその花たちを見ていると
ホッと心が和む反面、なぜなのかとても
悲しくなるのです。
「……」
けれど、何故そう思うのか──。
この花たちと、わたくしの置かれている立場を
混同しているからなのでしょうか……?
わたくしは、選ばれてしまったモノの重圧を知っている。
それは何も、誇らしいことばかりでは
ないのだから──。
「……」
そんな、どうしようもない事を考えて
わたくしは思わず笑ってしまう。
あのように美しく咲き乱れる花々と、この
歯牙にも掛からない、平凡なわたくしを
同等に考えているのかしら……?
そう思うと笑いが込み上げる。
それは、なんておこがましい事なのでしょう?
わたくしは、ひっそりと川辺に咲く野菊のような
そんな素朴な人間になりたいと、常々思って
いましたのに、あのように威厳ある薔薇の花と
比べるなんて……ね?
わたくしはゆっくりと、会場を見回す。
豪華絢爛の会場では、素朴な花は似合わない。
楚々として、飾られているように見える
あの花々も、よく見てみれば、大きくて美しい
八重咲きのものが選ばれている。
そんな選ばれた花たちが、ちっぽけな
このわたくしと、同等であるはずがないのです。
けれど、その選ばれた花たちは、確かに
大振りではあるものの、そのほとんどが淡い
色合いをしていて、決して自分を主張することはない。
慎ましく香る花──。
──主役はあくまで、お客さま方。
そう。
今日、この日。
このヴァルキルア帝国の皇宮では、皇太子であられる
ラディリアス殿下の20回目の誕生祭が
執り行われているのです。
連日続いたお祝いの、その最後の日となる今日。
いつもは威厳を放ち、近寄り難いこの皇宮も
今日だけは、少しばかり趣を変え、魅惑的な
色に染まる。
どこからともなく溢れ出す、その妖艶な雰囲気は
庭園の魔法灯篭のせいだけではなくって、
本日お祝いに訪れた、多くのお客さま方から
醸し出される独特の雰囲気のせいも、あるかも
知れません。
誰かを虜にしようと、狙いを定める貴族たち。
妖艶な香りとその姿で、相手を魅了しようとする。
それを手助けするような、この薔薇園。
現実社会から切り離された、夢のような世界へと
簡単に誘ってくれるのです。
暮れ始めた夕焼けに、ほんのり顔を染めながら
ここへ訪れた沢山のお客さま達は、そんな
夢の世界へと落ちていく。
これでもかと着飾った、自分のその姿に
酔いながら、必死に意中の相手へ自分を
アピールする。
……きっと、みなさま
随分前から、用意していらしたのね?
煌びやかな衣装もその宝石も、簡単には
手に入らないような、そんな貴重な品々ばかり。
つ身に纏う香水や、お化粧のその甘い匂いには
たまに媚薬さえ含まれている……。
けれど、みなさま? なにも着飾っているのは
あなたばかりでは、ないのですよ?
どの方もみんな、そうなのですもの。
どんなに煌びやかで、美しい装飾品をその身に
つけたとしても、
どんなに美しい化粧を施したとしても、
夜会に参加されるみなさま、みんなが
そうであるならば、どんなに贅を凝らしても
それは途端に、色褪せるものなのです。
宝石の中に、優れた宝石を置いてみても
多くの宝物の中に、宝剣を置いてみても
その価値が容易に見い出せないように、
どんなに着飾っても、その他大勢には
変わりない。
──あぁ……なるほど。
わたくしは、途端に納得する。
それを見越しての、この皇宮の装飾なのかしら?
普段とは違う、驚くほど豪華なセッティング。
お客さま方がそれなりに着飾ってくることを
見越し、それに相応しい会場設定を行えば、
このような、豪華な夜会が出来上がる……という
そういう仕組みなのでしょう。
わたくし的には、小さめの宝石の方が好みなの
ですけれども、当然の事ながら宝石の価値は
大きく透き通ったものの方が、より高くなるのです。
自分の権力や財力を示すのならば、『好み』は
この際どうでも良くって、どれだけ
光り輝いているか、どれだけ大きいかが
問題になってくる。
誕生祭の夜会ともなれば、その権力を
他者へと見せつける、絶好な機会でも
あるのですから……。
けれど、『限度』……というものが
あるのではなくって?
「……」
わたくしは手に持っていた、純白の扇で顔を隠す。
……いえ、周りの煌びやかさから自分を守る『盾』に
する。
扇って、暑い時に風を送る道具だって思って
いたけれど、そうじゃない。
時に扇は、自分を守る盾になる。
ですから淑女のみなさまにとっては、必需品にも
なるのです。
時としてその扇に、鉄芯を埋め込み
暗器として使う方もいらっしゃると
言いますから、『扇』と言えども、侮る
ことなんて出来ません。
そしてそれは、この会場もまた同じこと。
品位こそ比べ物にはなりませんが、
この会場もまた、もの凄い時間と手間を掛け
準備したのでしょう。
ただただ美しいだけの皇宮だと思っていると
途端足元を掬われる。
いつもとは違う装飾に、いつもより厳重な警備体制。
全てにおいて、抜かりがない──。
あの皇帝陛下らしい、隙のない夜会。
夢のような会場であっても、ここは現実。
ちゃんとそのことは、理解なさって
おいでなのですね、陛下。
──え?
何故わたくしが『そんな事に気づけるのか』
……ですって?
あぁ、……その答えは、至極簡単です。
だってわたくしは、この皇宮によく足を
運んでいましたもの。
普段の皇宮と、今日の夜会との違いなんて一目瞭然。
実はわたくし、こう見えても侯爵令嬢なのです。
今日の主役の皇太子殿下、ラディリアスさまとは
幼なじみ……という立場なのです。
ですから幼い頃から、お父さまのお仕事に
ついてきたり、お呼ばれしたりもしていて、
この皇宮で過ごすことも、少なからずありましたから
普段の皇宮や、はたまた簡単なパーティやイベントで
飾り付けられた皇宮を沢山見てきました。
今回のこのパーティが、その他大勢の何気ない宴と
違うことくらい、嫌でも分かるのです。
それは、そうですわよね?
だって今日は特別なのですもの。
「……」
そっと息を吐き、わたくしは辺りを見回してみる。
幼い頃に駆けずり回った、あの懐かしい思い出が
今もこの広い皇宮の随所に残っている。
半ば迷子になりながら、皇宮中を探検したり
警備兵をからかったり。
虫探しに木登り……なんて、普通だったら出来もしない
ようなことも、実はわたくしは経験済みなのです。
柱に傷をつけて、ラディリアスさまと背比べを
した事もありますし、お庭の鯉を捕まえようと
池に飛び込んで、侍従たちを困らせたことも
ありました。
こう見えてもわたくし、幼い頃はかなりの
お転婆でしたから、傍に控える者達は
いつも生きた心地がしなかったと、今でもブツブツ
文句を言うくらいなのですよ? ふふふふふ……。
ですからこの大広間も、普段の姿を知っていますし
抜け道……なんてものがあるってことも、知って
いたりもするんです。
「……」
まぁ、……それももう既に、うろ覚えでは
あるのですけれどね……。懐かしい思い出です。
確かに、ここは皇宮ですから、普段から
豪華ではありますよ?
幼いながらも、自分の屋敷とはやっぱり格が
違うのだなって、感じてはいましたから。
けれどそこから更に、こんなにも美しくなるだなんて
反則としか言いようがない。
煌びやかなシャンデリア。
頭を重たそうに持ち上げている大輪の花々。
優美な彫刻に、魔法燈籠の幻想的な光。
確かに例年、ラディリアスさまのお誕生日は
豪華に飾られてはいましたけれど、20年という
節目だからなのか、今日は一段と素晴らしい。
「……」
けれどわたくしは、どちらかと言うと、普段の
皇宮の方が見慣れていていますので、そちらの方が
心安らかに過ごせるようで、好きなのです。
普段はとても、落ち着きのある空間。
静かで安らぎのあるその空間の方が、わたくしには
合っている。
ほら──。
あちらにあるお庭に面した、あの柔らかそうな
ベルベットのソファ。
あのソファは、わたくしの1番のお気に入り。
幼い頃、この大広間にこっそり忍び込んでは
あのソファで、よくお昼寝をしたものです。
フワフワで、とても気持ちいいソファなの。
日当たりがとても良くて、清々しい風が
優しく入ってくる。
庭園から運ばれてくるその風は、いつも
わたくしを甘く包み、優しく夢の世界へと
運んでくれました。
……ふふ、これは本当に可笑しいのですけれど
わたくしは実は、眠るためにここに来ていた
わけではないのですよ? 本当は、読書をするために
そのソファに座ったハズなのに、それなのに
何故なのかすぐに、眠たくなってしまう……。
庭園にある、あの大きな榎の木は
そんなわたくしを強い陽射しから守ってくれて
漏れる出るその柔らかな光は、優しい眠気を
連れてくるの。
ほんの少しだけ横になろうと思って、体を
横たえると、もうおしまい。そのまま夢の世界へと
沈んでいく……。
もちろん大人になってからは、そんな所でなんか
お昼寝はしませんよ? すぐ眠ってしまうと
分かっていますから、残念ではあるのですけれど
不用意にあのソファには、座らないようにも
心掛けてはいるのです。
けれど、その事はちゃんと記憶には残っているし
わたくしを知る近しい人たちなどは、未だに
その事をネタにして笑うのですから、酷いですよね?
……あのソファも、あの頃から新しく入れ替えた
そうなので、もっとふわふわになったに
違いありません。
とても柔らかな生地を使われていて、座り心地は
確かにいいのです。
……今度また、座って試してみようかしら?
「……」
そんな思いが一瞬、頭を過ぎったのですが
そのような機会は、今後もう二度と、巡り会うことは
ないでしょう……。
そして今日はそこに、わたくし……ではなくて
薔薇色のドレスをお召になった、少し
ふくよかな夫人が座っていらっしゃる。
きっと、誰かの付き添いで来られたのね?
お気に入りの場所を取られてしまって、
わたくしは少し、残念な気持ちになってしまった
けれど。
……けれど、そう──
「……」
わたくしは少し考える。
今日のわたくしは、そんなにゆったりとした
気持ちで、この夜会に参加しているわけでは
ありません。ですから、かえって良かったのかも
知れません。
今日の夜会の主役は、なんと言っても
うら若き紳士淑女の方々。
ラディリアスさまの誕生祭、最終日の今日。
実は、お見合いの場も兼ねているのです。
皇太子殿下のお誕生日ですもの。当然国内だけでなく
近隣諸国から訪れた、各国の主要貴族たちも
参加するこの夜会。
その出会いの『濃さ』は、国内で行われる
パーティの比ではないのです。
お見合いだけでなく、商談の話や情報交換、
それから各国の動き……それらを知るいい機会でも
あるのです。
ですからそれらを目当てに来る方々は
とても多くて、誰よりも自分をよく見せようと
皆さま必死に着飾って、アピールしているのです。
そんな誕生祭の夜会。
今日この日、この夜会が1番華やかで
1番盛り上がる。
そして当然、我が子のお見合いの場となる
この夜会場で、お相手を見極めるために
付いてくる親族の方々も、少なくない。
そこのところは、どの家門も抜かりは
ありませんよね?
ですから、先程いらした、わたくしお気に入りの
ソファに座っていらっしゃったあの方も、
そんな親族のおひとりだと思うのです。
夜会に来たというのに、鋭いその眼差し。
見ているわたくしですら、緊張して
しまいます……。
けれどそんな方々だって、お客さまには
変わりはない。
ひっそりと佇むそのソファの傍には、可憐で
かわいいダリアの花が飾ってあって、そこに座る
あのふくよかなご婦人を優しくもてなして
くれている。
オレンジ色とも黄色とも言えない、淡い
グラデーションのその花たちは、誰が生けたのか
品良く添えられていて見ていて好ましい。
そして会場を彩る装飾品は、当然花たちばかりでは
ありません。
至るところに置かれた、目も眩むような調度品。
そのどれもが繊細な造りをしていて、見る者の
心を圧倒させる。
……けれどその全ても、飾られた花たち同様
所詮は家具の1つ1つに過ぎないのです。
煌びやかではあるのに、何故なのか目立たない。
この場の雰囲気に溶け込んでいて、とても自然に
そこにある。
さすがは皇宮……と言ったところなのでしょうか?
こんなに高価な物が我が家にあったのなら
きっと違和感ばかりが目につくのに違いない。
見事な花や調度品。
……それから、所狭しと並べられた様々な料理を
眺めていると、ここはまるでお伽噺の国のよう。
わたくしはなんだか、トランプの国に紛れ込んだ
アリスのような気分になる。
「……」
あぁ……でもそれはきっと、多分……わたくしだけね。
そう思いながら、小さく苦笑する。
だってみなさま、そんなモノには目も
くれませんもの。
周りをゆっくり見回すと、食事に手をつける
方などはあまりなく、美しく着飾った
貴族たちのそのほとんどは、お相手の方との
談笑やダンスに忙しい。
美しい花や調度品……それから、美味しそうな
料理になんて、目もくれない。
まるでそんなモノは、始めからなかった
かのように振る舞われている。
わたくしはそれを見て、思わず溜め息をもらす。
──……だって勿体ないんですもの。
実際のところ、夜会参加者の貴族の方々よりも
花や調度品、見事に飾り付けられたお料理の
方が、断然品がありますものね?
美しく生けられた花々に、品良く並ぶ
可愛らしいケーキ。
食べやすいようにと、切り分けられた
サンドイッチの具材は、よく見ると健康に配慮した
野菜たっぷりのグリルチキンサンド。
スープの種類も豊富で、ポトフにキノコの
ポタージュスープに琥珀色のコンソメスープも
用意されている。
たっぷりの豆料理に、鴨のコンフィには香り高い
オレンジソースが掛けられていて、見ている者の
食欲をそそる。
その他にも、海外からのお客さま用に、異国の
料理も所狭しと並べられていて、そのどれもが
わたくしの心を奪って離さない。
……あぁ。けれど、でも、それもそうですわよね?
そんなモノよりも、将来のパートナーを探すのに
みなさんは、お忙しいのでしょうから……。
「はあ……」
楽団が奏でる軽快な音楽に酔いしれて
噴水のある大きな中庭でも、美しい花たちが
咲き誇る。
ほんのりと あかりの灯るその中庭の片隅では
恋人たちが、密やかな逢瀬を楽しんでいる。
そんな香水の匂いがむせ返る、魅惑的な夜のこと。
今日わたくし、フィリシア・フォン・ゾフィアルノは
双子の兄であるフィデル・フォン・ゾフィアルノに
エスコートされ
ラディリアス・フィル・ド・プラテリス皇太子の
この誕生パーティーに出席しているのです。
「………………」
うう、長い……。
正直、名前が覚えられない。
文章にしたら、名前だけで改行しなくちゃ
いけないじゃないの……!
いやいやいや。分かってはいるのよ?
わたくしも侯爵家の一員として、主要な貴族の
名前くらい、覚えられなくてどうするのって。
……けれど、そうは思ってはいるのですけれど
こうも長い名前にしなくても良いのではなくって?
とも、思っているの。
そもそもそんな事を思うのも、わたくしが
かつて日本と言う国の国民だったからかも
知れません。
日本では、こんなに長い名前はなかったんですもの。
苗字と名前だけ。
そうそう。『漢字』と言うものを使って
いましたから、字面的にもコンパクト。
ほら、あれですって。
日本の苗字って、思いのほか種類が多くって
苗字と名前だけで、十分誰なのか区別が出来るから
ミドルネームが必要ないのですって。
知ってました?
まぁそれでも、同姓同名なんて結構存在して
いましたからね、万能……とは言い難くはあるの
ですけれど。
けれど、それだけで十分でしたのよ?
どこの誰だか分かるし、困った事もありません
でしたから。
ですからわたくしは、この長ったらしい名前が
気に食わない。
前世の日本の、苗字と名前だけでいいと、本気で
思っているのです。
「……」
けれど今のわたくしは、日本人ではない……。
こんなわたくしが、第2の人生の場として
産まれ落ちてしまったのは、たくさんの公国を
束ね、そしてその上に君臨する
『ヴァルキルア帝国』という名の国。
そしてわたくしは、その国の上級貴族と言われる
侯爵家、ゾフィアルノ侯爵家の娘
フィリシア・フォン・ゾフィアルノとして
産まれたのです。
……何が悲しくって、こんなにも長い名前を
考えたのかしら?
覚えるのだって一苦労ですのに、いったい
誰が考えたのかしら……?
どれだけ暇だったのかしらね……?
(……まぁ、わたくしの名前は、お父さまが名付けて
下さったのですけれど。)
あれかしら?
ほらよく言うでしょう?
悪霊に取り憑かれないように、長い名前に
するのだとか、変な名前をつけて嫌がれる
ようにだとか……?
そんな迷信じみた理由も、含まれているのかしら?
それとも、家の威厳を保つため?
あぁ、『愛情』もあるのでしょう。
良い名前をつけたい。愛する我が子のために──?
「はぁ……」
けれどわたくしは、静かに溜め息をつく。
正直、何もかもが嫌なのです。
この贅を凝らしたパーティも
長ったらしいこの名前も
それから権力を誇示するかのような、煌びやかな
衣装に身を包み、噂話に身を投じるその醜態も……。
──どっ……!
ある場所から、不意に笑い声が起こり
わたくしは少し驚いて、思わず身を強ばらせる──。
「──っ、」
「フィア──」
そしてその事に気づいた、わたくしのお兄さまが
気遣わしげに、わたくしを覗き込んでくるの。
「フィア……」
「……」
お兄さまったら、大袈裟ですわ……。
少し、驚いただけですのに。
わたくしは、そんなお兄さまを無視して
声のした方へと、目を移す。
数人の貴族令嬢と子息たち。
令嬢たちの、無邪気なその微笑みを見ている
限りでは、純粋に楽しいお話をされている
のでしょう。
『あはははは……』
『うふふふふ……』
『あら。あちらは賑やかですこと』
『私たちも行ってみませんこと?』
『ええ、そうですわね』
笑いが起こった場所へと、人々が集まっていく。
「フィア、少し……席を外してみては……?」
再び、気遣わしげなお兄さまの声が降ってきて
わたくしは軽く微笑み返す。
「……平気、ですわ。お兄さま。
けれどお兄さま? わたくしは、ここに
いるべき──
そうでしょう……? お兄さま」
「……フィア」
軽くそう答えて、わたくしは歩き始める。
時々起こる笑いの渦に、わたくしは嫌気がさし、
持っていた扇でそっと顔を隠す。
けれどそれは、あくまで優雅に……。
お兄さまも、そんなわたくしを見て、軽く息を吐く。
お兄さま? わたくしは、誰に笑われようとも
ウワサされようとも、そのような事は
もうどうでもいいのです。
ただただ気になるのは、皆さまのそのお話の
内容──。
あぁ、みなさまはいったい、どんな噂話を
しているのでしょう?
もしかしたら、わたくしの事かしら……?
確かに わたくしは、人様から噂されるような
そんな事をしたのですもの……。
仕方のないことなのです。
「……」
わたくしは純白の扇中で、目を細める。
けれど、そう──。
あのことであるならば
大いに噂して頂かなければ。
「……ふふ」
思わず微笑みが漏れる。
「フィア……」
お兄さまの、非難するような声が吐き出される。
けれどわたくしは、そっとほくそ笑む。
これでやっと、自由になれる。
自由に、なれるのですもの……!
そんな風に思うと、本当はあまり好きではない
この憂鬱な夜会も、何故だかとても晴れやかな
青空のようにも見えて
自然と笑みが零れたのです。
┈┈••✤••┈┈┈┈••✤ あとがき ✤••┈┈┈┈••✤••┈┈
お読み頂きありがとうございますm(*_ _)m
今回の作品は、既に書いている『シフォン』の
改訂バージョンです。
長くなってしまったので、短く切って、
シリーズにしようと思っています。
最初はもちろんフィアとラディリアスとの
婚約破棄エピソード。
1つの話になるように、まとめたいと思いますので、
気長にご覧いただけると嬉しいです(*^^*)
また、誤字大魔王ですので、誤字報告、
切実にお待ちしております。
めっちゃありましたよ。誤字。:( ;´꒳`;)
出来るだけ、書き直ししましたけど、
まだあるかもです。。。
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