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とばっちりの、恐怖

 ニヤニヤとほくそ笑む男爵の問いに

 さすがの殿下も言葉を詰まらせる。

 

『追及は認めない』とはおっしゃられても

 さすがにそれが ご自身の我儘(わがまま)なのだと

 ラディリアスさまご本人も、ちゃんと

 ご理解なされているのでしょう。

 ムッとしながらも足を止め、

 男爵の方へと向き直りました。 

 


 それを見て、わたくしは少しホッと

 胸を撫で下ろす。


 殿下には、余計な憂いなど

 残して欲しくはないのです。

 ここは穏便に、わたくし達が用意をした

 例の理由を告げることこそが、今は得策なのですよ。

 

 確かに皇太子としての殿下の身分からすれば

 そのまま男爵を無視し、退場することも

 出来たかもしれません。


 けれどそうなさらなかったのは、

 ラディリアスさまのお心の中で

『これではいけない』と引っ掛かるものが

 あったからなのでしょう?

 で、あるならばここは一つ、

 素直にその理由を述べることこそが

 得策だと言えるでしょう。

 

 


 ──ラディリアスさまはけして、愚鈍ではない。

 

 


 常に自分の行動一つ一つ手に取って

 状況を(かんが)み、

 理想とする行動を見つけ

 実行に移すことが出来る。……そんな人なのです。

 

 けれど今ひとつ、非情にもなりきれない。

 

 人の上に立つものは時として

 残酷にもならなければいけないのですが

 ラディリアスさまは

 変に優しいところがあるのです。

 

 わたくし達の事など、切り捨てるなら

 徹底的に切り捨ててお終いに

 なられればよろしいのに、

 こんな場面においても冷酷に

 なれないでいる。


 たかが家臣の一人と、打ち捨ててくだされば

 こんな面倒くさいことにもならなかったのに……。

 

 そう……男爵の方ではなく

 このわたくし達(・・・・・)を。

 

「……」

 


 そうなさらないのは、そのお優しさゆえ。


 ご自分が切り出したこの計画に

 わたくし達を巻き込んでしまったと

 思っていらっしゃるから。


 けれど……と、わたくしは思う。


 確かに、庇わなくてもよい わたくし達を庇うなど

 本来は愚かしい行為ですのに、

 どうしても切り捨てられない……

 そんなラディリアスさまのそのお心が

 わたくしには少し、嬉しくもあったりする。

 

 

「……っ、」

 そこまで考えて、わたくしはハッとする。

 

 いえいえ! そんな事を思ってはいけません!

 そもそもそれは

 無用のことだったのですから!


 そんな温情を掛けるくらいなら

 初めから婚約破棄の話など

 なさらなければ良かったのです!


 わたくし達は、助けて頂こうとは

 これっぽっちも思っていなかった。

 どちらにせよ最終的には、

 この婚約がなかった事になるよう

 取り計らったはずですもの。

 

 ……そりゃ、まぁ。最悪の結末

『死罪』は、避けたいとは思いましたよ?

 けれど……。

 

 けれどわたくし達は

 しっかり後々のことを考えて

 行動しているのです!


 わたくし達だって、愚か者ではありません。

 たとえ死罪を言い渡されたとしても

 それをすり抜けるくらいの力を

 わたくし達は持っているのです。


 ですからラディリアスさまはそれを……

 わたくし達ゾフィアルノ侯爵家の力を

 信じていて下されば、それだけで良かったのです。

 

 それなのに、余計な温情をお掛けになったが為に

 こんな歯牙にもかからないような

 平凡な貴族男などに

 噛みつかれる羽目になるとは──!


 

 わたくしは眉根を寄せ、思わず溜め息を漏らす。

「はぁ……」

 

 目の前の男性には、見覚えがあった。

 この計画を遂行するにあたって、

 真っ先にリストアップされた人物。


 皇弟派でもかなりの発言力を有する彼は

 その身分は低いものの、

 けして一筋縄ではいかない。


 用心に用心を重ね、対応するべき相手なのです。

 ここはひとつ慎重に、

 ことを運ばなくてはなりません。

 

 

 そもそもこの婚約破棄は、ラディリアスさまが

 持ち掛けたものではありますが

 口にこそしませんでしたが、

 わたくし達ゾフィアルノ侯爵家でも

 是非にと望んでいたことでもある。

 

 ……いいえ。

 必ず実行に移して欲しいと願っていたのは

 ラディリアスさまではなくて

 こちらの方だったに違いありません。


 想いの重さは、きっとこちらの方が

 ずっとずっと重いに違いない。

 

 ですからこの『婚約破棄』は

 こちらの言わば『我儘(わがまま)』と言うべきもの。


 その我儘のせいで、皇家と

 その他大勢の貴族たちの間に

 軋轢が生じるような、そんな状況に

 させるわけには参りません。

 

 ラディリアスさまが民から

 悪く言われるかもしれないこの状況は、

 こちらとしても後味が悪く

 けしてそうならないように、こちらとしても

 取り計らう必要がありました。

 

 それに殿下は、この国の皇太子である前に

 わたくしの大切な幼なじみ。

 余計な(いさか)いも憂いも

 出来るだけ起こしたくないのです……!

 

 

「……」

 わたくしはそっと

 例の(・・)男性の方へと目を向ける。


 

 男性は、皇弟派(・・・)の者。


 いわゆるラディリアスさまとは

 敵対する派閥の人間。

 

 明らかに『目の上のコブ』……では

 あるのですけれど、

 敵対するからと言う理由だけで

 捕らえることは出来ません。


 それが政治と言うものであって、

 常に政務の場とは、政敵との戦いの連続なのです。

 

 色々な意見が出るからこそ、

 新たな希望が生み出される……。

 そのため敵対者は、本当ならいた方が

 いいものでもあるのです。

 

 

 けれど、あの男……。

 

「……」

 わたくしもお兄さまも、スっと目を細める。

 

 

 確か彼は、盲目的な皇弟崇拝者。

 以前 彼は、よりにもよって わたくしの兄

 フィデルを買収し、自分の手中に

 収めようとした経緯があるのです。

 

 

 我が家の身分は侯爵家。

 片やあの男は、その当時伯爵の家門でした。

 

 同じ貴族ではありますが、彼とわたくし達

 侯爵家とでは、その身分を比べれば、

 そこには雲泥の差があるのです。


 財力武力、それから名声……どれをとっても

 彼は、わたくし達 侯爵家の足元にすら

 及ばない状況でした。


 けれどあの当時、お兄さまは

 まだまだ政界に足を踏み入れたばかりの

 若輩者(じゃくはいもの)


 今ですら、ようやく政治の

 何たるかが分かり始めた状況なのですから、

 当時は右も左もわからない

 言わゆるヒヨっ子(・・・・)だったのは、

 言うまでもありません。


 付け入る隙など、それこそ沢山あった事でしょう。

 

 そんな兄を目の前に、彼は

『たとえ家柄は自分よりも

 格上であったとしても相手は若造。

 手駒としては使えるのでは』……などと

 思ったに違いありません。


 甘く優しい言葉でお兄さまに近づき、

 恥ずかしげもなく皇弟派に入るよう

 誘いを掛けてきたのです。

 

 けれど、それに引っ掛かるような

 兄ではありませんでした。

 逆に、当時伯爵だった彼を手玉に取って

 陥れたのは、実はお兄さまの方で、

 その事に気づいた わたくし達の父に、

 今度は政治的に負い落とされる

 羽目になったのです。


 伯爵の地位についていた彼は、

 男爵へとその身分を追われ、今に至っています。

 

 

 確かに兄はヒヨっ子ですけれど、

 内面はあの可愛らしい

 ひよこ(・・・)なんかではなくって、

 爪を隠した小虎なのに違いありません。

 

 獲物を見つけて、嬉しそうに

 オシリを振っては狙いを定める……

 そんな状況が目に浮かびます。


 だって、あの時のお兄さまは、

 本当に楽しそうでしたから……。


 お父さまがその事に

 気づいたから良かったものの、

 そうでなかったのなら

 いったいどうなっていたことか……。

 

「……」

 考えるだけで恐ろしくなる。

 

 お兄さまは何をお考えになっているのか、

 双子のわたくしですら

 分からない時があるのです。


 そう簡単に、(ぎょ)せる相手ではないのです。

 

 けれどそれからと言うもの、

 あの時の腹癒(はらい)せもあるのか

 ことある事にあの男爵は

 わたくし達のことを目の敵にし

 あることない事吹聴(ふいちょう)するようになりました。

 

 

 ……まぁ、その噂も可愛らしいものでしたので

 特になんの支障もなく、……。


 いえ。確かに、時として

 迷惑に思った事も確かにありはするのですが、

 けれど……こと、この今回の件に関しましては

 とても頼りになる助っ人……と

 なり得るようなので、男爵のその存在には

 それ相応に感謝しなくてはいけません。

 

 名前は、なんといったかしら?

 ガジル? ガデル……そう。ガデル・ガジール男爵。

 

『男爵』という、

 けして高い地位にあるわけではない

 彼なのですけれども、元々は伯爵家……。


 その上『皇弟派』という事もあり、

 その存在を軽んずるわけには参りません。


 その為ラディリアスさまも掛ける言葉を

 選んでいるのか、少し目を伏せ

 黙りこまれました。

 

 

 その間ガジール男爵は、蛇のような

 そのいやらしい目をこちらに向け、

 舐め回すように……値踏みするように

 このわたくしの頭からつま先までを

 ジロリ……と見たのです!

 

「……っ!?」

 

 何を食べたのか、テカテカと脂ぎった

 その分厚い唇をペロリと舐め上げ

  わたくしを見定める。

 わたくしは思わず後ずさる。

 

 せめてその舌が真っ赤であれば良かったのに

 どこをどう間違えたのか

 どう見ても紫色としか言えないその舌の色合いが、

 この世のものとは思えないほど

 不気味な雰囲気を醸し出し、

 わたくしの喉がひゅっと鳴る。

 

 うぅ……気持ち悪い……っ。

 なんて品がないの!?

 

「い、いや……」

 思わず悲鳴をあげると、お兄さまが

 わたくしに手を差し伸べて、

 わたくしを庇ってくれる。

 

「フィア……。俺から離れてはいけないよ……?」

「……お兄さま」

 

 その言葉が、わたくしには

 どれほど心強かったことでしょう!

  わたくしは小さく頷くと、

 震えながらお兄さまの腕へと(すが)りつく。

 

 そして男爵から出来るだけ

 離れた所にそっと移動し、

 その気持ち悪さから少し涙目になりながら

 わたくしは殿下の言葉を待ったのです。

 

 震えながら見上げる わたくしと、殿下の目が重なる。

 

「「……」」

 

 

 それは本当に偶然の出来事で、

 わたくしの事を気にかけているような

 そんな殿下のその視線に、

 わたくしは不覚にも驚いてしまって、

 我慢していた涙が一雫こぼれ落ちてしまいました。

 

「あ」

 わたくしは慌てて、その涙を隠す。

 こんな事で涙を流すなんて……。

 

 

 途端 殿下の、空のように深い(あお)

 ギリッと細まり、わたくしを睨む……!


「……ひぐっ、」

 一瞬わたくしは、息が出来なくなる。

 なぜ殿下は、わたくしを睨むの!?

 

 殿下に睨まれたそのショックで、

 一度は必死に(こら)えた涙が

 ポロリ、ポロリと溢れ出す。


 じわりと歪んだ視界の先にいる

 ラディリアスさまが、突如声を荒らげた。

 

「……っ、ガジール!!」

 

 

「……っ!」

 ラディリアスさまの口から

 叱責にも似た叫びが漏れ出て、

 わたくしは思わずその身を震わせる。


 わたくしのみならず、他の貴族たちも

 身を震わせ、静かに膝をついた。

 

 そもそも わたくしから目を逸らさずに

 ガジール男爵を呼ぶなど、

 とんだとばっちりもいいところなのです……!

 

 ただでさえ いつもが穏和で、

 叫ぶどころか声を荒らげる事など

 なさらない殿下のその怒りの声に

 その場にいた誰もが(おのの)き、

 思わず膝をついたくらいなのですよ?

 実際睨まれた わたくしなど、

 どうすればいいと言うの……!?

 

「………………。」

 当然わたくしも、ガクガクと震えながら

 その場にしゃがみ込んだのです。

 恐ろしくて恐ろしくて仕方がなかった。


 張り詰めた緊張の糸が

 プツリと切れたかのように、

 その場へと崩れ落ちる……。

 

 だってそうでしょう?

 怒鳴られた者の名前は違うけれど、

 わたくしの方を見ながら

 大声を上げたのですもの。

 恐ろしくなるのも当然ではないでしょうか?

 

 わたくしは膝をつく……と言うより、

 むしろ怖くて立っていられなくなって

 半ば倒れ込むように地べたに這いつくばる。

「フィア……!」

 

 倒れ込むわたくしを、お兄さまは

 優しく気遣ってくれ、支えてくれながら

 共に膝をついてくれる。


 わたくしは思わず(すが)るように

 そんなお兄さまの腕を抱き締めたのでした。

 

 

    挿絵(By みてみん)

 

 

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