微かな、希望。
確かにこの場で、婚約解消の『報告』は
出来たのかも知れません。
けれど、その説明があまりにも曖昧過ぎて
逆に人々の不信感を煽る。
……そりゃそうでしょう。
当事者のわたくしですら
面食らってしまいましたもの。
皇族や、ゾフィアルノ侯爵家を
貶めようとする輩にとっては、
殿下のその『婚約解消発言』は
格好の餌食となるのではないかしら……?
わたくしはそのように感じ、頭を抱える。
なぜ、ラディリアスさまは、このような
杜撰な説明をなされたのでしょう?
理由ならちゃんと、わたくし達が用意しましたのに……。
「……」
けれどこれは、わたくし達
ゾフィアルノ侯爵家としても好都合でもある。
このまま婚約破棄がなされるのなら、
わたくしは黙ってことの成り行きを
見ていた方が懸命というもの……。
わたくしのワガママで、起こったこの出来事。
ラディリアスさまが わたくしに『不備はない』と
仰るのなら、ゾフィアルノ侯爵家には傷はつかない。
ましてや今の状況からすると、
婚約解消されたゾフィアルノ家のことよりも、
理由が曖昧のまま、勝手に
婚約解消宣言を行ってしまった殿下への
不信感の方が募っていて 、
わたくし達の存在が薄くなっているのです。
これは紛れもなく、
ゾフィアルノ家門としては好機。
けれど──。
下手をすれば、
理由もなく婚約解消をしてしまった殿下に
反感が募り、暴動……
いえ。暴動が起こるまでにはならないとしても、
一度芽生えたこの不信感が、今後皇帝となられる
殿下の将来に傷を付けるのは
言うまでもないこと……。
それを殿下を守る陣営が
黙って見ているのかしら……?
「……」
いいえ。
それだけは絶対に避けたいはず。
ましてや今は、現皇派と皇弟派との
派閥が亀裂を深めている。
そんな中でのこの不祥事。
絶対にこの状況が見過ごされるわけが
ないと思うのです。
……となるとですよ?
ここは慎重に、考えなければなりません。
例えば、このわたくしが殿下を守る側だとすると、
それをできるだけ回避する手立てとして
一度成されたこの婚約解消を
何らかの理由を添え『あれは間違えでした』
などと言って、婚約解消発言を
なかった事にするのではないかしら?
えっと、例えば
次期皇帝としての責任の重さを考え、
婚約ではなく、まずは地盤固めに力を注ぎたい
だのなんだの……?
成年を迎え、気持ちが不安定になっていた為の
突破的な発言でした……と。
そうなると、その発言の責任は問われても、
それほどの反感は、買わないのではないかしら?
その可能性もまた、無きにしも非ず……。
しかも、殿下を守ろうとする陣営は
あの皇帝陛下の
側近たちなのではなくって?
陛下は、殿下とわたくしの婚姻を
待ち望んでいらっしゃる。
そんな陛下の側近たちが、
この婚約解消を認めるわけがない──!
「……っ、」
わたくしはゴクリ……と唾を飲む。
そうなってしまったのなら
あれだけ苦労して作り上げた
婚約破棄への理由づけですら、
握りつぶされる可能性が出てくる。
……いえ、もうもしかしたら、
握りつぶされているかも知れない……!
「!」
わたくしは、目の前が真っ暗になる。
だからこの場に来てからの様子が
どことなく、おかしかったのでしょうか?
どう考えてもみなさま、わたくしの噂を
している風ではなかったもの。
冷たい視線も浴びなかった。
わたくし達に挨拶に来られる貴族の方々すら
いらっしゃったのですから……。
「……」
そうであるならば、わたくしは何のために
奔走したのでしょう?
あんなにも頑張って、噂作りに精を出したのに、
全てが無になってしまう……。
いえ……もうすでに、
──ムダになっている……?
「……っ、」
わたくしは悔しさのあまり、唇を噛み締める。
い、いいえ。そんなハズはない。
確実にことは運んだのですから……。
揉み消すにしても、それなりの労力は
必要なはずです。
けれどそんな素振りは見かけなかった。
いえ──例え仮に動いていたとしても、
完全にあのことを消すのは
不可能に違いない。
「……っ」
けれどどうして?
どうして、そんな手抜かりをするの?
素直にわたくしの作り上げた噂に
乗っかってくれさえすればよかったのに……!
わたくし達が考え、作り出した計画をそのまま
言ってくれさえすれば、事は簡単に丸く収まった。
誰もがこの婚約破棄を
認めてくれたはずなのです!
確かに、あの噂が流れれば、
ゾフィアルノ侯爵家は、タダでは済まされない。
それなりの制約は受けるはずです。
けれど!
それはそれ、これはこれなのです。
考えてみてください。
一国の皇太子と、タダの貴族娘ですよ?
その重さたるや、一目瞭然ではないの?
一国の皇太子が地に落ちるのと
一介の貴族娘が地に落ちるのとでは、
どちらを取るか……なんて、悩むまでもない。
どう考えても、わたくしが罰を受ける方が
傷は浅くて済むのでしょう?
「……」
あぁ……もうホント、どうしてこうなった?
殿下は、取るに足らないわたくしの立場などを
考えてくださったのでしょうか?
そうだと言うのなら
なんて愚かなことでしょう……!
ありがたく思え?
……いいえ! そんな事は絶対にありえません!
あの噂を作るのに、このわたくしが
どれほど苦労したと思っているの?
反対するお父さまやお母さまを
説得するのにも骨が折れたのですよ!?
それが全て水の泡とか……っ!
考えただけでも地団駄を踏みたくなる。
わたくしの名誉など、どうでも良いのに。
どの道わたくしは、この貴族社会から
抜け出す手筈になっているのです。
そんなわたくしが、どれだけ傷が付こうが
貴族社会から罵られようが
ちっとも痛くも痒くもありませんのに……!
「……っ、」
わたくしは思わず爪を噛む。
明らかに、相互の理解が足りなかった。
あまりこちらの手の内を見せると、
殿下からの婚約破棄の申し入れですら
なくなってしまうかも知れないと
妙に勘ぐってしまっていたから、
殿下との綿密な話し合いをしてこなかった。
「……」
いいえ。
ちょっと待って……。
相談?
話し合い?
そんなの本当にできたと思ってて?
第一わたくしは、殿下の事を
信用してはいなかったじゃないの。
提案を受けた時も、心の奥底では
何かがおかしいと感じていた。
『殿下の好きな方が
わたくしではないだけ……』
そう自分に言い聞かせてはいたけれど、
でもラディリアスさまは明らかに
様子がおかしかった。
そもそも『好きな人』以前に、
そんな浮ついた噂一つ聞かなかった。
どこかの令嬢と親しくお話していただとか、
お茶会に招かれていたとか
どこかへ一緒に出掛けていた……とか。
だから、トドメを刺した。
……トドメを、刺したつもりだった。
ありもしない『噂』を自らでっち上げて、
殿下の逃げ道を塞いだつもりだったのに……っ!
それが確実だと思っていた。
絶対に逃れられないって。
確実に婚約破棄はなされるって、
だからわたくしは、有頂天になっていたのです。
これでやっと終わる!
確実にラディリアスさまから離れられる──って!
……けれどまさか、それをなかった事にするなんて。
そんなこと、思いもよらなかった……。
そんな事、出来るはずがないって、
わたくしは完全に、高を括っていたの。
「……」
サーッと血の気が引いていく。
いったい今まで自分がやってきたのは、
何だったんだろう?
全てが泡のように弾けていく──。
『相談しなかったわけ』
そんなの簡単だ。
殿下に相談しても、この考えは
すぐに却下されると思ったから。
だから話さなかった。
殿下が、
わたくしの提案を受け入れてくれない可能性は
ものすごく高い気がしていて、だから殿下には、
初めから相談などしなかったのです。
相談しよう……などという考えすら
持ち合わせていなかった。そう言った方が
正しいかもしれない。
……けれどそのツケが今、回ってきた。
相手のことが信じられず、本音が言えなくて
後手後手に回ってしまった。
これはもう、殿下の発言ミス……と言うよりも
わたくし自身の判断ミス……。
「──」
今更後悔しても遅い。
ここはもう、なるようにしかならない……。
──そうわたくしが諦め、
溜め息を吐きかけたちょうどその時、
人々のどよめきを打ち消すかのように
一人の壮年の男性が声を上げました。
『それは、いかなる理由でしょうか──?』
その場が、しん……と鎮まる。
そこでわたくしはハッとして、息を呑む。
「!」
これぞまさしく、天の助け!
少しだけ、希望が見えた気がしたのです!
わたくしは思わずラディリアスさまを見上げました。
『追及は認めない』と言われ動揺した貴族たちもまた、
一様にラディリアスさまを見上げる。
思うところは、みんな同じなのでしょう。
みんな、『婚約解消』の理由を
聞きたいのに違いありません。
……いいえ、理由など初めから
みなさんは知っているはずなのです。
あの噂が完全に握りつぶされていないのなら!
あぁ……良かった。
あの噂は、完全には死んでいない……。
わたくしは人知れず、ホッと溜め息をつく。
さぁ、あの方には頑張って頂かなければ!
期待に満ちた目を、わたくしはそっと
その男性へと向ける。
何故ならそうなるように仕向けたのは
紛れもなく、このわたくし達。
きっとみなさまは、
皇太子に断罪される侯爵令嬢……を
見たいのに違いないのですから。
わたくしは、ほくそ笑む。
日がな一日、暇を持て余している
貴族の方々ですもの。
噂はみな、大好物。
きっとわたくしの事も、みなさま
聞き及んでいるに違いない。
知らない方々も、きっと興味を持って
聞いてくださる。
侯爵家と言う位置づけは、
皇家を除きますと、公爵家に継ぐ身分。
そもそもこのバルキルア帝国では、
その公爵家ですら皇家……と言っても
差支えのない身分なのですから、
事実上わたくし達は皇家に次ぐ身分。
その侯爵令嬢がまさかの不貞を働き
断罪されるのですもの、
みなさまさぞ面白く思っておいでのはずです。
頂点に立つ者が転がり落ちるさまほど
甘美なものはないのですから……!
「……」
退室しようとしていた皇太子はその場で足を止め、
小さく溜め息をついて振り返る。
振り返ると共に、発言をしたその男性を睨んだ。
さも、『余計なことを……!』と言わんばかりの
憎々しげな表情で……。
けれど、……そう。
……それはわたくしだって思いましたもの。
皇太子の婚約破棄の理由。
例えそれが『解消』という、当たり障りのない
柔らかい言葉にすり変わったとしても、
元々あったものをなかった事にする……
ということに変わりはありません。
理由は必要です。
ましてや国の要である皇太子の婚約。
みなさまが、その理由を
知りたくないはずはないのですから!
わたくしはぐっと息を呑み
ラディリアスさまの言葉を待つ。
遂に……遂に、断罪の時は来るのです……!
わたくしの手を握りしめていたお兄さまの手が
更に力を増す。
そしてわたくしは、そこで再び自覚する。
そう。この断罪は、わたくし一人では終わらない。
わたくしの家族……ゾフィアルノ侯爵家にも
それなりの傷を負わせる力のある、
そんな不祥事。
「……っ、」
わたくしは目を固く閉じ、その痛みに耐える。
ごめんなさい。
お兄さま。
お父さま。
それからお母さま。
けれどこれは、ゾフィアルノ侯爵家のためでもある。
「……」
複雑なその気持ちを、ぎゅっと胸に押し込んで、
わたくしは顔をそっと顔を上げた。
┈┈••✤••┈┈┈┈••✤ あとがき ✤••┈┈┈┈••✤••┈┈
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