龍王様は触られたい
「……………」
「どうしたんです? シャロン様、私なんか見ても何もありませんよ?」
「いや、そうではなくてな……」
そう屈託のない笑顔を向けるではない。妾が変態みたいに見えるではないか。
妾の召使いの人間にして龍泉の巫女、タオレイの不思議そうな顔をみて、妾は目をそらす。
まったく……妾は龍王ぞ。この地の河川をつかさどる龍神ぞ。
「なーう」
「最近シャロン様が変ですよね。……ねー、マオマオ」
「にゃー」
「うっふふ。マオマオは可愛らしいですねぇー。お利口さんです」
「……」
だから、猫なんぞに嫉妬しているわけがない。
その四肢にある柔らかきものに、妾が負けるわけがない。
……最近タオレイが冷たいなど、微塵も思っていない。
龍泉の草の上でじゃれる猫をあやすタオレイに、妾は声をかける。
「なぁタオレイよ。前々から気になっておったのだが、その生き物はなんだ?」
「え? 嫌ですねー、シャロン様。猫ですよ、猫。西洋で家の守り神とされている神聖な生き物です。なんでも皇帝様が貿易商人から貢物として何匹か貰ったようで。そのうちの一匹をシャロン様にお供えしたんです」
「いや……それは分かっているのだが……。タオレイ、うぬが猫を得て一番得をしておらぬか?」
「そんなことはありませんよぉ。私は龍泉の巫女、シャロン様を第一に考え、シャロン様に最も利益のある行動をとります。この泉で最も尊い存在はシャロン様です」
「……」
タオレイの純粋な反応に、またも妾は泉に顔を沈める。
タオレイに邪まな気が無いのが腹立たしい。そうすればこのやり場のない怒りを抱えずに済んだものを。
「……のう、タオレイよ」
「はい? なんでございましょう」
「その猫の肉球を触って、楽しいか?」
顔を半分出して、タオレイに問う。
ここ最近……正確には三日と半刻。タオレイは常にマオマオを傍らに置き、肉球を触り続けている。
それほどまでに飽きぬものなのか、その作業は。
妾の問いに、なおもタオレイは猫の肉球を触りながら答える。
「ええ、楽しいですよ。この子の肉球はまさに極上の反物の如き肌触りなんです。私はマオマオの肉球を触ると、まるでふかしたての饅頭を思い出します。さらに、マオマオの肉球からはとってもいい匂いがするんですよ。この龍泉には多種多様な香草が自生していますから、その上を駆けたマオマオの足は香草の匂いが染みついています。天然の香料みたいなものです」
「……」
……えらく饒舌になるではないか、この小娘。
妾に仕えていて、こんなに喋った龍泉の巫女は歴代でもうぬが初めてだ。それも話題が妾ではなく西洋の守り神とな。
「ねー、マオマオ。今日もいい匂いですぅ」と肉球を鼻にあてるタオレイを尻目に、妾は自身の掌を見る。
そこにはつややかな肉球が四つ。
……何が違う! そこの畜生と妾の肉球に何の差がある!
たかだかネズミ捕りで守り神ともてはやされた分際で龍王たる妾よりも優れていると!? 思い上がりも甚だしい!
ふと、タオレイに抱かれる忌々しい毛玉と目が合った。
「なーう」
「……なんだ」
「……フッ! (訳:これが俺とてめぇの愛嬌の差だよ、わかったかクソでか蛇畜生)」
「貴様ッ!」
「どどどどうしたんですかシャロン様!? なにか私めに気に入らないことが!?」
憎い! この尊大な身とこの新参者の浅はかさが憎い!
怒りに反応して、水柱が上がる。
「シャロン様! どうか気をお静めになられて!このままでは下の人間に被害が出てしまいます!」
「う……む……」
タオレイの呼び掛けに、はっと我に返る。
ぐぬぬ……妾としたことがそこのブサイクな獣に本気になってしまったらしい。
我ながら短気になったものだ。
「もう、一体どうしたんですか? 望まれるものがおありならハッキリ言ってください。すぐに手配させますから」
「……いや、なんでもない」
「それなら変な癇癪を起こさないで下さいよぉ……。シャロン様、最近おかしいですよ?」
「何もないと言ったら何もない!」
誰が言えるか、猫に嫉……違う違う。猫に煩わしさを感じているなんて。
貴様の利用価値なんぞその毛皮と肉球だけのくせに。死んだら楽器の素材にでもなっておれ。
「……シャロン様」
「む? なんだ?」
妾が水面に映る我が身をみていると、タオレイが意味深な笑みを浮かべて妾を見る。
……もしや、悟られたか!?
タオレイは猫を抱えて立つと────猫を前につきだす。
「……わかってますよ。シャロン様もマオマオの肉球を触りたいんですよね? 私には分かります」
「にゃふ(訳:俺様の愛されボディに屈服するか?)」
「…………ッ!」
なんだそのドヤ顔は! 無性に腹が立つ!
特にそこの毛玉! 貴様はさっきからなんなのだ! タオレイを手なずけたからと調子にのりおって!
人間など全員妾の下僕だわ! その気になれば妾の一声で言うことを聞くわぁ!
はぁ……はぁ……、もう怒るのにも疲れてきたわ。どれもこれも猫のせいだ。
……もう飽きた。龍王の妾とて、言わねば心は伝わらぬ。
勇気を出して、言葉を発する。
「タオレイ」
「はい? なんでございましょう」
「……そんなに肉球が触りたいのなら、妾のを触ってみるか?」
「いえ、シャロン様の尊きお体に下賎なる私が触れるなど誠におそれ多きことでございます。私めにはマオマオのもので十分です」
「なーみゃ(訳:どうやらお蛇様も難儀なご身分らしいなぁ! プギャーm9(^д^))」
「クッ……!」
百点満点の回答で断られた。
こんな屈辱は初めてだ。己の崇められる身分が憎い。
「……もうよい。寝る」
「え? お休みになるんですか? まだ日は落ちておりませんが」
「少しばかり退屈なのでな。こういう時は寝るに限る」
水の中にもぐり、泉の底にて流れに身を同化させる。
……猫ぐらい、なんだというのだ。バカバカしい。
そのまま、妾はまどろみの中に沈んだ。
* * *
「……眠ってしまわれましたか」
「なーう」
シャロン様がなぜか眠ってしまわれました。シャロン様は機嫌が悪いときによくふて寝をなさるんです。シャロン様なりの処世術というわけですね。
「でもまぁ……私としては至福の時間なのですけど。……よいしょっと」
マオマオを野に放って上着を脱ぎ、泉に飛び込みます。
龍泉の巫女は古来より泳ぎが得意なのです。泉の底に足をつけるなんて造作もありません。
シャロン様はすっかり寝息を立てていますね。泉の魚がたてがみをかき分けて泳いでもピクリとも動きません。
よしよし。
「では、シャロン様……失礼」
無礼を許してもらうよう小さく礼をして────私はシャロン様の手にダイブ!
ひゃー! ぷにぷに―! 全身がぷにぷにに包まれるぅ―!
最近、ぷにぷに欲の禁断症状が出そうだったのでずっとマオマオの肉球を触っていたんですよ。
シャロン様から「……そんなに肉球が触りたいのなら、妾のを触ってみるか?」と言ってきたときはバレたのかと焦りましたが、どうやらバレていないようです。
シャロン様のぷにぷにが私を優しく包みます。もう最高です、これ以上の極上はございません。
……え? 「なんでシャロン様から許可が出た時に触らなかったのか?」ですって?
分かっていませんねぇ。そう思ったあなたはド三流肉球愛好家です。
健やかに寝息を立てるシャロン様を見て、私は微笑みながら世界の誰かに向かってつぶやく。
「肉球は滅多に触らせてくれない背徳感がたまらないんじゃないですか」
肉球は貴重であれ。それが肉球の価値なのだから。
……そう思いますよね? シャロン様♪