夜の魔法
忘却の魔法を使い記憶を消し、回復の魔法か何かで傷なども消したのだろう。
おそらく、ミリセントと同じような目にあっている生徒は予想以上に多い。少なくとも、これほどの夜の魔法が使えるようになるくらいには。
人が来ないフロアの空き教室とはいえ、これまで誰も魔星図を見つけられていないはずがない。
ミリセントは自分の体に鞭を打ち、ゆっくりと立ち上がる。身体中が軋みくらくらと眩暈がする。しかし、そんな苦痛はどうでもよかった。ただ目の前の男に、一発でも魔法を喰らわせてやりたかった。
ミリセントはめちゃくちゃに杖を振り、杖先から次々と赤い光の筋が放たれる。
痛みに気を取られているからか、元からなのか、あまりにも精度が悪い。どの光の筋も明後日の方向へ飛んでいく。
その様子を嘲笑うように、ウーズレーは悠然と杖を振る。
何度目かの夜の魔法に、ミリセントは声も上げずに崩れ落ちた。正確には、声を上げようとし、ただ空気が漏れ出ただけだった。
杖は弧を描き後方へ吹き飛ぶ。
視界が暗転し、意識はあるが体が動かせない。ぴりぴりと痺れるような感覚を覚える。
「少し時間をかけすぎた…。…一人問題児が消えたところで、いくらでも言い訳は効く…そうは思わないか?」
頭上から笑いを含んだ声が聞こえる。
無理矢理にでも体を動かそうとするが、やはり少しも動かない。
視界が暗くなったまま戻らない。呪詛の様な言葉を口の中で転がすが、吐き出せない。
怒りで押し殺していた恐怖が徐々に湧き出る。ぼんやりとした頭が本能的に死を悟った。
「ひぃっ」
降り注ぐと思われていた魔法の代わりに、情けない小さな悲鳴が聞こえる。次いでドサッと座り込む鈍い音が聞こえた。
何が起きたのか確認しようとするが、何も見えない。とにかく、今なら逃げられるのではないかと動かない身体を動かそうとする。
「な、…なぜ…。…ま、まあいい。すぐに殺してやる…!」
一瞬明らかな狼狽を見せたが、すぐにその声は語尾を強め怒気を含む。
___今度こそ終わりだ。
再び死を覚悟し、自然と手に力が入る。
「なっ…」
動揺を見せる声の後、ばちん、と弾ける様な音が聞こえた様な気がした。
地鳴りの様な轟音が響き、暴風がミリセントの髪をはためかせる。一瞬肌を焦がす様な熱を感じ、次に来る衝撃に身をこわばらせる。
が、一向にその時は訪れない。
まだ霞んだままの右目を瞬かせ、ようやく視力を取り戻す。
焦点が定まらないまま、何が起こったのか理解しようとする。
先ほどまでウーズレーが立っていた場所には何もなく、ただやたらと部屋が開放的___天井から壁にかけて敷き詰められていた石畳が全て吹き飛ばされていた。
この部屋だけでなく、上部のフロアと下部のフロア、左右の空き教室に至るまで破壊されていた。
薄暗くじめじめとした半地下室とは打って変わって、空が視界に映っていた。
徐々に視力を取り戻し、目を動かすが、やはりミリセントが見た景色は見間違いなどではなかった。
消えてしまったウーズレーの姿を視線で探すが、かなり後方に行ってしまったのかどこにも見当たらない。
「スコーピオン!」
頭上から焦りをはらんだ声が聞こえ、どうにかそちらを向こうとする。
それより先に、何かがミリセントの目の前に落下してくる。それは軽く着地すると、ミリセントの顔を心配そうに覗き込む。
見覚えのある白銀の髪が、ミリセントの頬を撫でた。
「…ロラン、先生?」
いつもへらへらとした態度をしている彼はいつになく真剣な表情をしていた。
少し遅れて、ミリセントの手にふわふわとした何かが触れる。
視界の端に真っ白な毛玉が映る。それは力無く床に投げ出された手に優しく体を擦り付け、その腕に寄り添って寝転がる。
「ネーヴェ…。」
ようやく、ミリセントは理解できた。
あの時、ウーズレーにめちゃくちゃに魔法を打った時、爆発に乗じて放った使い魔ネーヴェが助けを呼んできてくれた。そして、その助けが今ここに立つ青年、ロランなのだろう。
いい子いい子と力無くネーヴェを撫でる。
次第に辺りが騒がしくなり、複数の足音が聞こえてくる。
ロランがミリセントを抱えて、誰かと会話している様な気がした。
安堵と疲れが襲い、音が遠くなる様な感覚を覚える。
急に動いたからか、思い出したかの様に全身が痛む。痛みに顔を歪めるが、その感覚すらも遠のいていく。
ただひとつ、ようやく全て終わったのだという安堵を残し、ミリセントの意識は暗闇の中に落ちていった。




