秘め事
「せんせー、ちょっといいですか?」
躊躇なく声をかけに行ったルークを陰から見送り、周囲を気にしながら階段を駆け上がる。
目的の階まで来ると、そこに人影はなくフロア全体が閑散としていた。試験後ということもあり、各々思い思いの時間を過ごしているのだろう。
空き教室の扉に手をかけると、それは拒絶することなくあっさりと開いた。鍵がかかっていないことを確認すると、音を立てない様扉をゆっくりと開ける。慎重に開いても、古い扉は木材が軋む嫌な音を立てた。
室内に足を踏み入れると、以前も感じた埃臭さが空気に乗ってミリセントを襲う。
眉を顰めつつ、床に描かれた魔星図の元へ一直線に向かった。
椅子や机をどかし、できる限り見やすくする。
埃を被りかなり薄くなっているが、イヴァンに教えられた魔星図で間違いない。長年放置されているのか、染料は劣化していた。
(問題はこれをどう解くのかって話だよね…。)
細かな魔法が苦手なミリセントにとって、対になる「現しの魔法」は使えなかった。
あまり派手な魔法を使っても勘付かれる可能性がある。頼りになるかもしれないステルラフィアは無反応、おそらく眠っているのだろう。
どうしたものかと顎に手を当て、うろうろ室内を歩き回る。
(魔法を解除しないと…でも対の魔法は使えないし…魔法を消すには………消す?)
しばらく硬直したままだったが、逡巡し真っ直ぐ魔星図へ向かう。
役立ちそうなものがなかったため、杖を振り掌より少し大きな水の球体をその場に作り上げた。
球体はミリセントの指示に従い、魔星図の上にパシャリと落ちる。水は石畳に吸い込まれる様に消えていく。
(魔星図の効力が消えれば…。)
硬いローファーの裏で、力任せに魔星図を擦る。変わり映えのしない紋様がそこにあるだけだったが、足を動かしているうちに中心部分が滲んだ。
「!やったっ!」
元の形をなくした魔星図はその効力を失ったのか、少し空気が変わった様な気がした。
辺りを見渡すが、変化はない。最初から何もなかったのでは、と落胆し視線を魔星図に戻す。
先ほどまでただの石畳の床だった。が、一瞬目を離した隙にそれは姿を変えた。魔星図があった床の真下、そこに地下へ続く古びた階段が暗闇へと伸びていた。
「うそっ!!」
(でもここ3階だよね?2階につながる階段かな…?)
喜びと困惑が入り混じり、その場でぱたぱたと足踏みをする。
一度耳を澄ませてみるが、地下からはなんの音も聞こえない。そして、教室の外からも。
意を決し、ミリセントは階段を降りていった。
階段はかなり古いのか、ところどころ丸く削れて滑りやすくなっていた。段差も急で、何度かミリセントは転げ落ちそうになる。
下へいくにつれて黴臭さは強くなり、暗闇もその深さを増す。自分の周りに灯りを浮遊させながら、慎重に階段を下る。
予想より、その階段は短かった。地下は想像よりも狭く、雑な作りになっている。
どこからか水が染みているのか、至る所に苔やカビが生え、ムッとした暑さを覚える。
(…そんなに変わったものはない気がする。)
想像を遥かに下回ったその光景に、ミリセントはがっかりした。
階段を降りてすぐ横には本棚が、そして小さな机に布が被せられたドレッサーの様なもの。ちょっとした秘密基地の様な印象を受ける。
「なぁんだ…なんもないじゃん。」
さっと目を通し、落胆する。
ここまで頑張る必要もなかったのではないか。
ため息をつき、何気なく手をついた本棚に目をやる。そこでミリセントはようやく気がついた。
どの本もカバーが黒く、何も書かれていない。
首を傾げ、隙間なく詰められた本を一冊抜き取る。やはりタイトルもない。
パラパラとめくり中身を少し読んでみるが、異国の言葉で綴られておりミリセントには読めなかった。
なんとなく負けた気がし、ムキになって他の本も数冊手に取る。
どれも見た目は同じだが、中身や言語は異なっている。
ようやくミリセントが読める本を見つけ、嬉々として中身を捲る。が、すぐにその手は止まった。
「…なんで?」
知らず知らずのうちに、自分の声が震えていた。すーっと血の気が引いていく感覚を覚える。
そんなはずはない。認めたくはない。それでも、そこに書かれた文字がこの本がなんであるかを示していた。
何ページにも渡り綴られた「夜」を讃える文章。いかに夜が強大で、いかに星が有害であるかを訴えるもの。人を苦しめ、恐怖の淵へ追いやるためだけに作られた魔法について。
間違いない。この本はノクスに向けて書かれた本だ。
本棚を一瞥する。おそらく、ここに詰められた本の全てがそうだろう。
ミリセントの中で、点と点が結ばれていく。この部屋が隠されていた理由、この本がここにある理由、そしてこの部屋に入り浸っていた人物のこと。
心臓が破裂しそうなほど強く拍動し、冷や汗が背筋を伝う。
動揺し、正常に働かない頭を現実に引き戻したのは耳障りな羽音だった。
羽音のする方を向くと、高速で何かがミリセントの顔面に衝突する。
痛みに呻き、額を抑え何が起きたのか理解しようとする。床に落ちたのは小さな黒いコウモリだった。ミリセントはそれが何か知っていた。
(ルークの使い魔…!)
慌ててそれを拾い上げると、力無く羽を動かした。言葉はなくとも、何を伝えようとしているかがぼんやりとわかる。それが使い魔の役目の一つだ。
伝わってきたのは謝罪と焦りの輪郭。すぐにぼやけた輪郭ははっきりとした形を示す。
___ウーズレーがこちらへ来る。
まずい。
要件を伝えると、ルークの使い魔はふわりと消えた。
震える足を叱咤し立ち上がる。眼帯に隠れた左目に激しい痛みが走ったのと、背中に強烈な痛みを感じたのはほぼ同時だった。
「っが…。」
鈍器で殴られた様な痛みが体を走り、次いで胸部にも同じく激しい痛みを感じる。みしりと骨が嫌な音を立てた。弾みで手から杖が投げ出され、石畳の上に落ちる。からんと乾いた音を立て、くるくると床を滑っていく。
肺から空気が押し出され、呼吸ができなくなる。世界が回る様な感覚を覚え、思わず吐き気が込み上げた。
床に倒れ込み、酸素を求めるが咳き込むばかりで空気が入らない。背中を丸め、体は思う様に動かせなかった。
ようやくミリセントは、自分が弾き飛ばされ壁に激突したのだと理解した。
「騒がしいと思い来てみれば…。」
その声はいつもの苛立ちを滲ませたものではなく、込み上げる笑いを抑えた楽しそうなもの。
無理やり目を動かし、その姿を捉える。
杖を携え、ゆっくりとこちらへ歩くその男に持つ感情は畏怖だけだった。
「取るに足らない、馬鹿なネズミが一匹か。」
ウーズレーは悦びに顔を歪めた。




