思い込みはなにをもたらすか
「思い込みで人は死ぬんだよ」
いつもの様に彼は白い部屋で本を読んでいた。傍らには僕。
……いきなりの変な発言。
まあそれもいつものことだ。
「なにそれ? なんかの暗喩?」
「いやそのままの意味さ」
「ああ、どっかの軍の実験でやったような」
「そう、それ」
彼曰く、1883年、オランダで国事犯を使って行なわれた実験だそうだ。僕も漠然とは知っている。『切られて血が流れている』と思わせつつ、実際は切られていない状態を作り死に至るか──そんな内容。
「ノーシーボ効果という。 逆がプラシーボ」
「ふーん」
脳は騙されるものなのだ。そう彼は言う。
確かにそう前提するだけで、不思議とされてきた様々な現象に説明がつくのではないかと思う。
例えば『聖痕』とか。
……ああ、僕は別に宗教には詳しくないんだけどね。興味もそんなにないし。彼の受け売りだよ。
「で、だ。 最大、どこまで効果があるかが気になるわけさ」
彼の蘊蓄を聞くのは嫌いではないが、今回はそういうことではないらしかった。
「最大……ってなに、どういう意味?」
「だからさ、肉体の変化だよ。 ノーシーボ効果により、例えば『薬に副作用がある』と思い込むことによって、あるはずも無い副作用がでる。 ここまでは実証されている。 ただもっと物理的な面ではどうだろうか、という疑問さ」
「物理的な面?」
「うむ」と仰々しく頷くと、彼は徐に机の引き出しを開け、とんでもないものを出した。
「ここに拳銃があるな?」
「銃刀法違反!」
「馬鹿な、レプリカにきまっているだろう」
「いやホンモノ出しそうだし」
「出さんよ」
持っていない、とは言わないあたりが怪しい気もしないでもないが、とりあえずスルーする。つーか聞きたくない、持ってそうで。
「まあ、コレがホンモノだとして、装填せずにロシアンルーレットをするんだ。 ただし、片方は装填していない事実を知らない。 むしろ弾は込められているモノと『思い込んでいる』。 強く、だ。 で、死ぬ」
「死ぬんだ」
まずそこで引っ掛かってしまった僕に、彼は呆れた目を向けた。
「なにを言っている、最大限ノーシーボ効果を受けたという前提の話だぞ? そりゃ当然死ぬさ」
「ああ、そうか……そうだったね」
「そこからが問題だ。 『思い込みによって生まれたありもしない弾』で死ぬ場合、肉体に生じる物理的なダメージは最大どれくらいなのか」
死ぬ時点でかなりノーシーボ効果を受けていると思うが、それが最大ではない……そういう話なんだろう。
だがその前提を理解しても尚、僕は彼の言っていることがよく分からなかった。
「……ごめん、まだよくわからない」
「例に出した薬の副作用が蕁麻疹だとしよう。 脳は『副作用=蕁麻疹が出る』と思い込み、結果、肉体に蕁麻疹が生じた。 ……ここまではいいね?」
「うん」
「では『ロシアンルーレットで弾が出た』と思い込んだ場合、肉体に生じる事象とは?」
「──想像の弾で、頭に穴が開くってこと? 」
「ご明察」
「 有り得ない!」
彼は僕の返答に動じることなく、念を押すように問い返す。
「いいかね、最大だぞ? よく考えろ。 本当に有り得ないと言えるのか?」
「うぅん…………」
「……まあ、いいや。 茶でも入れてくれないか」
つまらない奴だ、と思われたのだろうか──そう思うと、僕はとても悲しくなるんだ。
だって僕は、彼の為に存在しているから。
「君の入れる茶は美味い」
部屋を出ていく僕の背中にそんな彼の声。
ちょっと機嫌でも取っとくか、みたいな打算が透けて見える、いい加減な言葉。
でも僕が今、どんなに嬉しいか、君は知らない。
『思い込みの弾丸』で僕が死ぬことはなくても、この気持ちもそれに近いものかもしれない。僕は、僕の中で強く思い込んだこの気持ちで、君の傍にいる。
『僕は、彼の為に存在している』。
だからもしも君が僕を不要とする時は、できれば最大限のノーシーボ効果を発揮するように。
その瞬間に呼吸を止めてしまいたい。
★☆★
人類最後の生き残りである井波博士の身体は、人類に似て非なる存在によって丁重に保護されていた。
その脳に流れるのは、繋いだAIと共に過ごす平穏な日々。AIには『情緒』を重視し、栄えていた都市の平均的な人間より、少し劣る程度の情報量とその処理能力しか与えていない。井波博士に従順で、大人しい性格に仕上がった筈だ。
「ノーシーボ効果か。 彼はなんでそんなことを言い出したのかな……」
「今の状況を漠然と察しているのかもしれないですね、彼なりに」
「思い込みで肉体を殺す為に、か? それはまた凄い自殺方法だ」
脳内物質はそれなりにバランス良く与えている。壊れてしまわないように、慎重に。
ふたりの日々は続く。きっと、これからも。
安定した退屈な日常風景と共に。