第四話・砂塵と女神と
砂塵は相変わらず吹き荒び、並の人間なら吹っ飛ばされてしまいそうだった。
枯れた大気に淀む遠方の風景が霞み、いっそう先行きの見えない不安を煽っていた。
そろそろ同じ光景にげんなりしていたオレは、前方に灰色の構造物を認めた。
最初は前世紀の遺物かと思ったが、そういうわけでもないらしい。
スキャンの結果、生体反応が確認されたのだ。
「…こんな砂嵐の中で、立っているなんていったい何なんだ…?」
暗い疑問が頭をかすめる。未知の勢力が控えているかもしれない。そもそも、ここがどこかもよくわかっていないのだ。
いや、もしかすると一般人かもしれない。捨てられた建物を見つけて住んでいる…。
そこまで考えて、オレはその可能性を放棄した。ありえない。余計なことは何も考えるな。
次第に近づくにつれて、それが随分大きい建物であることが分かってきた。しかし、遠くからでもわかるくらいにのっぺりして無機的な佇まいであることは変わらなかった。
念のため光学ステルス迷彩のスイッチを入れる。音は砂嵐がかき消してくれるので、何も問題はなかった。
オレは体勢を低くしてにじりよった。砂がばさばさと覆いかぶさるのが痛かったが、カモフラージュだと思うと少々は気休めになった。
いきなり、壁面が縦の直線状にぱっと割れた。中から出てきたのは、特殊軽金のプレートが入っていると思われる濃い緑の軍服を着た人型で、マシンガンを装備していた。
腕章もついている。簡易スコープで拡大して、そこに刻まれた模様を見る。
「『サバの味噌汁支持者殲滅国軍』のマークだと…?」
ということはつまり、ここは作戦の目標としていた地点だ。
心臓が鳴る。
ここで爆弾を仕掛けておけば、今までのミスも全部チャラにできる。
そして、ヤキィにも会えるかもしれない。
…向こうがどう思うかは分からないが。
「異常はないか。」
「はい。今のところはありません」
「そうか。引き続き警戒を怠るな。一度撤退させた敵ではあるが、再び現れるかもしれん。」
「了解しました」
声が遠ざかってゆく。オレは扉が閉まる前にさらに接近し、じっくりと観察する。
兵士がただ歩いて扉の前で少し立ち止まるだけで信号は赤から緑に変わり、認証システムは瞬時にその兵士の情報を認識する。
ここは、誰かに成りすますよりも別の場所から侵入した方がよさそうだ。
入り口で声がする。上官らしき男が兵士を呼び止めているらしい。
「おい、管理者ICチップをもっていけ」
「ICチップですか?どういった理由でしょうか」
「ここの兵士は『ムーンスケール』と『SPK』を管制する管理者権限を持つことになった。そして、これがお前たちの身分証の代わりとなる。このことはデジタル的な情報漏洩の危険を防ぐために口伝えで各兵士に触れまわることになっている。外回りの兵士に配布すればひとまずICチップが全兵士にいきわたることになる。」
「そういうことでしたか」
「お前に渡しておくから、外回りの兵士に配ってから交代してもらえるか」
「分かりました」
その会話の間に、オレはすぐ足元まで接近していた。
ケースに厳重にしまわれているICチップを受け取ろうとした兵士が、突風にあおられてケースを取り落とす。
「おい!しっかり受け取れ!」
「す、すみません!」
絶妙の好機だった。
落ちたケースの下にオレの持っていた磁性鉄板を滑り込ませる。
ICチップは精密機器ゆえに、磁気が近ければだめになるはずだ。
まさかこんなところで生活の知恵が役立つとは思わなかった。何が助けになるかなんて案外分からないものだ。
「ではこれを配ってきます」
「頼んだ。扱いには注意しろよ」
それからしばらくして、予想通り兵士たちは騒ぎはじめた。
「こちら外周哨戒隊、ICチップに異変が発生した模様」
そんな声が聞こえる。兵士たちは扉の前に集まって指示を待っている。
「諸君、とにかくまずは中に入ってもらいたい。一時的に全警備システムを停止する」
ここまでくればあとは簡単だ。ステルスのまま侵入すればいいだけだ。
オレはうつぶせの状態からようやく起き上がる。ステルス迷彩とはいえ、砂が付着していれば居場所がばれてしまうので、こういった砂嵐の環境では着用しないのが鉄則だが、あえて着させてもらう。
とにかく、常識や理解から外れて作戦を遂行しなくてはならないのだ。
風がますます強くなる。砂塵が扉の内側に勢いよく流れ込む。
「急いで入れ!」
行軍速度が速まるのに紛れて、オレはするりと体を滑り込ませて侵入した。
そのまま近くに見えたお手洗いの個室まで駆け込む。一つ大きなため息をついた後、砂を入念に落とす。背負っていたバックパックの隙間の砂を丁寧に取り払い、外に人がいないのを確認して個室から出た。
警備システムはいまだに停止しているらしい。バックパックの中の爆弾を仕掛けるなら今が好機だろう。
建物内のマップは作戦準備の段階ですでに頭に叩き込んである。迷いはなかった。
白い廊下は複雑に曲がりくねっており、方向感覚を失うところだったが、兵士と出会うかもしれないという緊張感の方が上回ったため、幸か不幸か間違えた道に逸れることもなかった。
大規模な研究室を抜け、システム管制塔に入る。
この中に『ムーンスケール』のサブユニットがあるはずだ。
管制塔侵入専用の偽造パスはうまく作用した。コンピューター管理に関しては心配なかった。入口は強制的に破壊し、どさくさに紛れて侵入するというのが当初の作戦だったが、入り口がICチップ式に変わったのは思いもよらぬ僥倖だった。
ここからが正念場だ。
黒く細い鉄の螺旋階段をのぼってゆく。巨大な女性のような形をとる、鏡面加工された銀の塊を囲むようにこの建物の壁は作られている。
『ムーンスケール』とは、月の質量が何斗であるかすらも瞬時に理解できるほどの知能を持つという意味でつけられた名前だそうだ。
そして『ムーンスケール』は知性の象徴としても認知されている。
「皮肉な知性もあったもんだな」
知性に苦しむのは、感情があるからだ。(・∀・)に撃たれてからのオレはずっとそうだ。
でも、『ムーンスケール』は悲しまなくていい。苦しまなくていい。ただ従っているだけだからだ。情は干渉しないからだ。
頭頂部の排気口に爆弾を投下すれば、すべてが解決する。
…オレはいいかげんに飽きてきたし、何も願わなくなっていた。
多分生き延びたら、(・∀・)やヤキィとの記憶を身勝手に弄繰り回して死んだように過ごすだけだ。
誰にも顔向けできない。
ここで人造の知性のサブユニットと死のう。
あとくされだけはないようにと願っていた。思うように死ぬことが最上級の目的となってオレの脳に君臨していた。
「ひどい矛盾だ。感情に苦しむものと、感情のないものが一緒に死ぬなんてな」
途中途中に部屋があった。一部にはMAGURO-4爆弾が山積みになって置かれていた。
サバの親であるマグロ(生物の教科書ではそう説明されている)は、その肉を少しでも体内に取り入れると体内の血管を硬化させて摂取したものを死に至らしめるという恐ろしい性質を持っている。そのため、WHOから使用を禁止されていたが、WHOの会長であるヒ=マカロン・ナが不正に所持していたとして随分大騒ぎになったこともあった。
そのマグロの粉末を散布する兵器がMAGURO-4であり、相当優れたガスマスクを着用しておかなくては周辺の人物は全員死に至るという恐ろしい生物兵器だ。
普段のオレだったら、既に激怒してそんなものは窓から投げ捨てていただろうが、今はもうそんな気力も湧かず、ただ横目にみながら黙って通り過ぎていくだけだった。
人はいない。全てコンピュータープログラムがコントロールしており、メンテナンスの時以外は入る必要がないからだ。
ただ金属を踏む音だけが響き渡る。オレにはギャラルホルンの音色にも等しい。
「しかし大きいな…本当にサブユニットなのかよ」
ゆっくりと登っているからなのかもしれないが、随分てっぺんまで着く時間が長いように思える。
本体はいったいどれだけ大きいのだろうと思うとぞっとした。こんなちゃちな爆弾の一つや二つでは破壊できないだろう。多機能であるがゆえに、その器は必然的に大きくなくてはならないのだろう。
もう少しで全部終わるんだと考えると、若干気がまぎれた。
顔が見え始めてきた。
目を閉ざしており、口元には含み笑いか沈黙か分からないような表情を浮かべていた。
輪郭は少し丸っこく、子どものようでもあった。しかし、見直してみると大人の女性だ。
まるで芸術作品のような多角性を持っている。なんでこんなものを破壊兵器のビジュアルにしたのだろうと不思議だった。
排気口から吐き出される風は、思ったより熱くて強かった。ただ投げ込んだだけではうまく排気口に落ちない。
やはりオレが自ら突っ込むしかないようだ。
赤子をあやすようにバックパックを抱く。落ちると同時にフックを投げて排気口にひっかけ、そこをつたっていけば登れるはずだ。
いよいよだ。
いよいよ、終わりだ。
たいして何の感慨もなかった。どうにも思えなかった。
一切は虚無的で変化し続ける欺瞞のようだった。
「ハナシ=カケルナ君だね」
ばっと振り向いた。
参謀が、そこに悠然と立っていた。