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第三話・さまよい歩く

もうどこを歩いているのか分からない。砂嵐はディスプレイに出るものよりも乾燥して、乾いて、古かった。

砂漠だということは分かる。黄色い砂に満ちた曖昧さを湛えた世界が、オレを潰そうとしている。

遮熱材を直接毛布のように巻いて、ひたすらに歩く。歩き続けたらどこかに出るはずだ。


二日前のことだった。

例のごとくサ=ツク・シクッシード司令官に呼び出されたオレとヤキィは、新たな作戦を告げられていた。

大型画面に映し出された地図のある地点を指示棒で指し、とんとんと叩く。

「君たちは、ここを襲撃してもらう。情報ではここに(・∀・)の参謀が滞在しているとのことだ。狡猾で残忍な下衆だが、頭は切れる。…だが、今回はあえてシンプルに決めようと思う。」

こほんと咳払いをして、司令官は続ける。

「正面突破だ。他で何が起ころうとも、わき目もふらず前進せよ。こちらが単純に出たら、向こうもわざわざ複雑な対応はとらぬ。ただ効率を求め、結果が出たら捕虜をいたぶりつくす。そういうやつだ、こいつは」

司令官は指示棒で画面を軽く二度叩いた。すると、その周囲がズームアップされて、黒に近いすすけた灰色の建物が現れた。

「ここには『サバの味噌汁支持者殲滅国軍』のマザーコンピューターである『ムーンスケール』のサブユニットが保管されている。このAIはICBMを誤差0.1mmのレベルで正確に発射できる危険な代物だ。追加で入った情報によると、新型のウイルス兵器『SPK』を封入したミサイルを発射してわが軍にパンデミックを引き起こす計画も立てられているらしい。これは何としてでも阻止せねばならん。」

厳格な口調で司令官は告げる。

「このA地点までは我々が運搬できる。そこからはただ最速で直進しろ。スピードが勝負だ。君たちにはコンピューターウイルスが入ったUSBメモリーを、中枢のコンピューターに差し込んでもらう。『ムーンスケール』のサブユニットから共有ネットワークを介して本体を攻撃する狙いもある。さすがにこれだけでは不可能だが、ほかの作戦でも別のコンピューターウイルスをサブユニットに送り込むつもりだ。複数の別々のウイルスがあれば、いかに『ムーンスケール』といえども手出しはできまい」

…今回の作戦の難易度は、いままでよりはるかに高い。

不安を隠すようにお辞儀をして、オレは部屋を出た。


敵の手は、予想よりもはるかに早かった。

A地点にたどり着く前の地点で、全軍をもって襲撃してきたのだ。

本部はがら空きだったが、他から軍が向かっている様子はない。

大型コンテナトラックに扮したオレ達の運搬車は、全速力で車道を走るが、背後から迫る軍用トラクターのほうが遥かに早かった。

一般人のいる車道だというのに、容赦なく銃弾が撃ち込まれる。

甲高い鳴き声を上げて、運搬車はドリフトした。

そのままガードレールを突き破って、真下の砂嵐に飲み込まれた。

ヤキィは寸前でコンテナから抜け出したが、オレは間に合わなかった。


一体、今のオレは何だというのだろう。

頭部は機械に挿げ替えられた。脳みそも、他人の手が加えられて今の形になっている。

ところが、思考はオレで、意思もオレだ。

心という臓器があるなら、そいつは無事なのだ。

でも、自分の体じゃないのに、自分だなんて名乗りを上げることが可能なのだろうか。

肉の下に埋まるスクラップ。神経代わりのケーブル。今も使えるかどうか分からない発音装置。

自分の声でもなく、自分の視界でもなく、自分の嗅覚でもないすべての感覚は、死ぬまでを期限として人から借りたものだ。

発音装置は砂にまみれて、ヤキィがこだわって作ったスケルトンの素材ではなくなっているように見えた。

脱出するとき、ヤキィはオレの方を見ずに飛び出していった。

必要がないのだ。オレのことは、あの状況ではどうでもよかった。

(・∀・)に撃たれた。ヤキィに切られた。

オレには必要性がなかった。誰からも求められずに、ずっと過ごしてきた。人に決められた必要性がそのまま人間の価値となるなら、俺には値札もついていなかった。

炎天下のイメージに、銃口を向ける(・∀・)の無機的な表情。

オレは、いろんなものが必要だったし、いろんな人に甘えてここまできた。

甘えられることは、よしとしなかった。

自分がどんな奴で、どんなふうに物を考えて、どんなふうに動いていたかは知っている。

でもそれは、あくまで自分で自分を見たときに自分がそう思っただけだ。

他人によって道筋を決められるような、人がいなければはるかにだめになってしまうような、自分の見解にすぎない。

そんな奴の見解なんて、どう信じようとしても信じられないだろう。

心のどこかで、オレは大丈夫だと信じていたかった。もっと他に、自分以上に信じなくてはならないものがたくさんあったにも関わらず。

勝手ばかり言った。周りに無茶もさせた。

オレは随分心が弱っていた。環境がそうさせるのか、自分でそうなっているのか分からないが、とにかくボロボロだった。

どこからこうなったのか分からない。自分の肌と大気との境界線を理解する感覚すらも失われつつあるほどに、自分の存在は不確定的であやふやになっていた。

あの時、銃を突きつけられる少し前に、「自分語りかよ」と(・∀・)を馬鹿にしたことを後悔していた。

そんなセリフで笑ったオレが、今やこの様だ。他人のことだったからああいうふうに言えたのだ。しかし今はうつむいてひたすら自問自答を繰り返している。

(・∀・)への言葉は、違う何かから自分への言葉になりつつある。

耳鳴りのような音がした。それは実在する音だ。

ポケットの中でタイマーが震えている。オレ達は時間を厳しく管理されていた。

既に夜だということを示す音だった。こんな状況で寝ている場合ではないはずなのだが、体力と精神的疲労は限界に差し掛かっていた。

ダメだ。眠たい。

正しい判断能力など存在しなかった。判断を下す裁判官であるオレが不安定なものなのだから、あるはずがなかった。

上司から怒られるだろうか?ヤキィに失望されるだろうか?

もう抗う力は残っていない。折りたたんでバッグにしまってある耐寒シーツをかぶって、淵についているボタンを止める。

砂は酷かったが、シーツまで入ってくることはない。

すぐに内側は温かくなった。意識はまどろみの底に消えていく。


「…何読んでるんだよそれ」

「トルストイ」

(・∀・)はベンチに座っていた。あまり退屈している様子はなかった。

俺だったら5分で訳の分からないことを大声で叫んで飛び上がってしまうだろう。

よくそんなに集中力が続くものだと感心しながら見ていた。

「そんでそれ、面白いのかよ」

「うん」

本から目を離さずに、(・∀・)は答える。

じゃんけんで負けた俺は、自動販売機で俺のコーラと(・∀・)の缶コーヒーを買いにいっていたが、それがどこにあったのか忘れてしまっていたため、少し長い間迷子になっていた。

本屋に並んでいる、小難しい読み物ばっかり取り扱っている出版社から出た文庫本だった。

「で、これ。買ってきたぞ」

「ありがとう。気が利くね」

「お前がさせたんだろ」

半ば呆れながら、オレはひょいっと缶コーヒーを放り投げた。(・∀・)は狂いなく正確に受け取る。

本をヒップバッグにしまい、銀縁の眼鏡をくいっと直して(・∀・)は缶コーヒーのプルタブを手前に倒した。ぷしゅっと音がして狭い飲み口が開き、甘いような苦いような香りがふわりと漂ってきた。

「喫茶店で飲むのもおいしいんだ。おススメしておくよ」

「俺のようなヲタクには荷が重いな」

「大丈夫、喫茶店は全てを受け入れる。ホームレスからブルジョワから宗教団体まで。」

「そこ絶対喫茶店じゃねえな」

白い肌と対照的な黒い缶は、その銀色の縁を光らせる。

俺は黒い炭酸をごくごくと飲んでいた。もちろん一気飲みなんてできないのでふうっと一息つく。

「ねえ、ハナシ=カケルナ君はさ、もし世界が終わってしまうとしたら、最後にどんな風景が見たい?」

「え…なんだ急に。」

缶コーヒーを両手で持ちながら、(・∀・)は俺に妙な質問を投げかける。

別に神妙な雰囲気というわけでもなかったが、質問の内容は随分突飛だった。

「いいから、教えてよ」

「俺は…そうだな、友達とか、好きな人とか、そういう人たちがいて、朝日が見える風景がいいな…」

「そっか」

ちょっと格好つけて答えた俺を、(・∀・)は微笑で迎える。

手ごたえのなさに動揺して、俺は聞き返す。

「お前はどうなんだよ」

「分からない」

持っているコーラのペットボトルの底が抜けるくらいの虚脱感に襲われて、思わず口が開いてしまった。

「はあ?分からない?なんだそりゃ」

「だから君の意見も参考にしたくて聞いたんだ。ごめんね」

「そもそも世界が終わるまでなんて生きてられるのかよ、俺たち」

「まあね。そういってしまえば身も蓋もないけど」

ふふっと笑う(・∀・)はとても聡明に見えた。俺がするくだらない話を思い出して、少し恥ずかしくなった。

「…あれ?ハナシ=カケルナ君に(・∀・)君?珍しい取り合わせだね」

背後から、聞き覚えのある澄んだ声がした。


「変な夢だな…相当いかれちまったみたいだな、オレも」

シーツの内側で髪を掻きむしる。このタイミングで、昔の他愛もない一瞬が脳裏をよぎるなんて思わなかった。

しかも、ヤキィが、それもスーツでなくゆったりした服のヤキィが声をかけてくるとは。案外似合ってたな…。

いやそれどころじゃない。

ひどい夢だ。唸りながら、オレはシーツを片付けた。

ただ…もし、夢ではなくて記憶だったとしたら?

砂嵐の中に浮かび上がった可能性に、オレは立ちすくんでしまった。

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