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第一話・目覚めは水色

全くもって理解できない現象が続いている。

オレはガラスの内側に浮かんでいて、そのくせ全く体のコントロールが効かない。

確かにオレは炎天下で(・∀・)と会話していたはずだ。そして、あの真っ黒い銃口が見えてからは何も覚えていない。

ここは死後の世界という奴だろうか?にしては、あまりにお粗末すぎやしないだろうか。

水槽の内部らしい。水中で目を開くことなどできなかったはずが、目の痛みもなく随分快適に過ごしている。

呼吸も正常だ。脈もいつも通りに動いては、しきりに血液を送り出している。

しかし、体は少しも動くことができなかった。

「目を覚ましたみたいね、ハナシ=カケルナ君」

女性の声が聞こえる。鮮明に耳の底を通過する済んだ声。

オレが何か言うまでもなく、彼女は話し続けている。

「ここはサバの味噌汁推奨の会研究部のラボよ。簡潔に言えば、あなたは一度死にかけたの」

まるで何でもないことみたいな語り口で、淡々と話される。オレはそれを黙って聞く。こちらからは話せないらしいのだ。

「水面があなたに汚されることはなくても、水面はあなたを汚すように。あなたは彼に撃たれたのよ。たった一発、頭部に鉛の重い銃弾を放たれ、勢いよく血液を流す君を私たちの組織は保護したの。」

デモの声。彼のやけに聞こえやすい喋り方。あの時のことで耳が覚えているのはそれだけ。あとは一切が不可知の世界だ。

オレは水色の視界をぼうっと眺め、大丈夫な呼吸にも目にも違和感を覚えながら、ひたすら唯一の情報源である声に耳を傾けていた。

「あなたは治療…いえ、改造されたわ。脳は無事な部分をかき集めて洗浄、培養の末再構築した。頭蓋骨や視神経は…代替品で補ったわ。生憎、資源が無尽蔵ってわけでもないから」

つらつらととんでもないことばかりが説明されたが、オレは至って冷静だった。いきなり友人に銃を突きつけられるという衝撃的な体験は、あらゆる現象を容認するような後天性の免疫を与えたらしかった。

何のにおいもしない。単に水の中だからというわけではないらしい。目覚めてからずっと俺の中枢神経の周りを漂う違和感は鈍い脳にひらめきを与えようと必死だったが、まったく何も浮かばずに無機的で含蓄のない時間だけが過ぎてゆく。どこかがつながりそうな予感はしているのだが、つなげ方が分からない。

頭蓋骨や視神経は、代替品。

…別の人間の物というわけでもなさそうだ。

「気づいたわね。あなたの首から上は、特殊な超硬質プラスチックよ。薄い肉は他の家畜の肉を用いて合成したけれど、その下にはあなたの脳の一部とプラスチックが存在しているってわけ。神経系はUSBやLANケーブルで、記憶野の一部はデータDVDで代替できる。随分大雑把な施術ではあったけど、まずは無事目覚めたようで何より」

纏めると、オレの首は吹き飛ばされ、首から上がサイボーグと化したらしい。

頭だけ『わたしはロボット』ってわけだ。

別に変だと思わないことが、かえって変だった。こんなことになったら普通は極度のパニックに陥ったり絶望したりするらしいが、ただ単に現実というソースファイルの拡張子が対応しておらず、読み込めないでいるだけだ。オレはコンピューター化しかけていたが、本物のコンピューターならとっくに廃棄されていてもおかしくないレベルの低スペックを抱えている。今は自分で動けない有様だ。

「こちらの都合から、あなたは喋ることが出来ないようになっているわ。まあ、舌の筋肉であるはずの部分がケーブル類や生命維持装置で埋まってしまったというだけの話よ。気にしないで頂戴。食事の邪魔にはならないようには設計されているから」

オレは方向感覚を失いつつあった。声がどこから聞こえてくるかもわからないが、内容だけはしっかり入ってくる。

「あなたには今、二つの選択肢があるわ。一つは、このままそこの生命体保存ゲルを液化して、あなたを溺れさせ自分を葬り去る選択肢。もう一つは、私たちとともに『人道主義的サバの味噌汁革命軍』として『サバの味噌汁支持者殲滅国軍』と戦う選択肢。どちらをとるか、今すぐ決めて」

視界に、赤と青の二つのスイッチが現れた。

そのスイッチの上に光る文字が浮かび上がっている。

青の上には『溺死』。赤の上には『戦闘員』とある。

オレは赤を押した。

迷うことも許されなかった。

水槽内の温度が上昇するとともに、視界は蒸気で一気に白くなる。徐々に空気が流れ込んでくるのが分かった。体中が、光を跳ね返す銀色のしゃかしゃかした断熱材で覆われており、外の気温は分からない。

しばらくして蒸気が消滅したとき、オレはしなびた海藻のようにその場に寝転がっていた。

蒙昧な意識に侵食されていると、背後から車輪の音が聞こえるのが分かった。のろのろと体をひっくり返して逆側を向くと、黒いスーツとズボンに水色のネクタイを着用した女性が車いすを引いてこちらに向かってきていた。

「ここに座れるかしら」

さっきと同じ声だった。

どうにかして体勢を起こし、這うように車いすの足置きにしがみつく。それを見て、女性はオレのわきの下に手を通して「んっ」という声とともに持ち上げて、車いすの上にもたれかかっているようなかたちにオレを乗せた。

「自分で向きは変えられるかしら」

一つ頷くと、右手で背もたれの端をつかんでぐるりと向きを変える。完全に座ると、車椅子がゆっくりと動き出した。

「私はヤキィ=モヤキィ。新人の教育と、作戦におけるあなたのパートナーを務めます。よろしく」

喋ることができない俺は、首を縦に振った。

「よろしい。では今から、新人教育プログラムを履行します」

オレよりもロボットみたいな口調で、ヤキィは言う。

「『サバの味噌汁支持者殲滅国軍』とは、その名前の通り、サバの味噌汁を否定する国連主導の軍事機関よ。私たちは今や食卓に欠かせないサバの味噌汁を守るために命懸けで『サバの味噌汁支持者殲滅国軍』を殲滅しなくてはならないわ。あなたはここで短期訓練を積み、私とともに兵士として作戦に臨むことになります。」

作戦。つまり、戦争のことだ。

オレは銃なんて握ったことがないし、そもそも殺し合いにすらなったことがない。

そんな不安を見透かすかのように、ヤキィはオレに言う。

「人を殺せるようになるための訓練よ。武器が握れないような訓練なんてさせません。もっとも、私たち二人は情報工学に関する研鑽を積み、現地でプログラムを組んだりハッキングしたり、資材を集めたりするような役回りだけど、このコンピューター制御が主軸となった兵器開発競争が進む戦争世界では最も狙われる存在よ。」

殺しの兵器なんてないような世界が最良なんだけどな、と思いながらオレは周囲を見回した。

オレ達はエレベーターに乗り込み、B15のボタンを押す。

暫くしてドアが開くと、目の前には鉄の黒い扉が待ち構えていた。

「反逆者はここで裁きを受けることになっています」

不安を感じながら前進する。オレは抗えない。

中から暗い空気が吐き出されていた。

「今裁かれているのは三等潜入員、フール・シロカメ元隊員。敵対組織の一つであるナルシズム教の潜入調査を行っていたところ、教祖に洗脳されて自動小銃を乱射した咎で拷問を受けているわ。具体的に内容を言うと、寝台に固定されて、腕を猛犬に噛み千切らせる拷問。モニターで質問して、答えなかったり罪を認めなければ犬に噛ませる。」

防音室のようで音は聞こえないが、ひたすらにこの場を離れたいと思った。

ヤキィは方向転換して車椅子を押す。

地獄の入り口のようなエレベーターの扉が開く。

何が人道主義組織だと思いながら、エレベーターが上昇する感覚を味わう。


次に、オレは会議室のような場所まで運ばれた。

「敵についての情報がここに置いてあるわ。私たちの相手はこの写真の男よ」

今まで水中にあったオレの意識は、その瞬間びりっと音を立てて震え、ナイフに刺されたようにはっきりした。


(・∀・)の顔が、そこに映し出されていた。


散々馬鹿な話をしていた。

室内で服を脱ぐ癖をからかわれたり、深夜の悪ノリでふざけたこいつを長いこといじり続けたり、形状而学の話を聞いたり、女性の好きな部位について話したり、オレがこいつの鎖骨を写真に撮ってコラ画像を作ったり。


あの炎天下の情景は、思い出すにはあまりにも眩しすぎた。

夏が信じられなくなりそうだった。

オレはこいつに銃口を突きつけられた。

そしてオレは、突きつけられた銃口を突きつけ返さなくてはならない。

信じたくなくて顔を両手で覆う。

泣きたいはずなのに涙は流れてこなかった。

額を思いきり拳で叩く。本来よりもはるかに痛みは少なかった。

オレは作り替えられたんだった。

そしてオレは、突きつけられた銃口を突きつけ返さなくてはならない。


腕がぶるぶると震えた。いや、腕だけでなく心臓の近くが震えている。

「大丈夫?」

ヤキィがオレの顔を覗き込む。睫毛が長かった。肌が白くて、顔立ちは整っていた。

役目上の心配ではないような声と綺麗な顔に、オレはさらに動揺した。

多分泣きそうな顔をしていただろう。

「…本当はこの男について説明しなきゃならないけど、あなたはきっとよく知っているでしょうから」

敵である(・∀・)について説明されるかもしれないと思ったが、ヤキィは黙ったままだった。


時刻はもう夜だった。オレは自分の部屋に運ばれた。

「今日はお休み。私は通信システムの整備に取り掛かるから、ずっと起きているわ。ベッドの隅のスイッチを押してもらえれば駆けつけるわ」

真っ白くて硬いベッドにオレは寝かされた。

明日には体調がだいぶもとに戻っているだろうから、安心してとヤキィに告げられた。

オレの両親はこんなオレを見てどう思うだろうか。中立派だが、いつ狙われるか分からない。

そして、(・∀・)。

あいつに、どんな顔で会えばいいのか分からなかった。



三か月が経った。

オレは兵士となって、会議室の椅子に座ってミーティングが始まるのを待っている。

ヤキィ=モヤキィ

女性。苦労人で、あまり自分の感情を表に出さない。ハナシ=カケルナのパートナーとして、心の支えになる。

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