335 結末の手前
「案外、アッサリとした終わり方だったね。結局のところ……僕の方がカイエ・ラクシエルよりも、世界に選ばれたという事かな!」
『闇の魔神』ギルニス・シュタインヘルト――かつて『深淵の使徒』第十二席ロザリオ・カミールだった少年は、子供のように無邪気な笑みを浮かべる。
数々の神の化身と魔神を殺し、もう一つの世界を滅ぼし掛けた『混沌の魔神』カイエ・ラクシエルを倒したのだから――自分こそが最強だという事だ。
「ギルニス、貴様……約束が違うぞ! カイエは俺の手で殺して構わぬと言っておっただろうが!」
歓喜の瞬間に水を差したのは、激怒する『激震の神の化身』ダルジオだった。『破滅の大槍ダルグレン』の切っ先をギルニスに向けて、怒りに歯ぎしりする。
「ギルニス、ふざけんじゃねえぞ……俺の獲物を横取りしやがって!」
「本当に……舐めた事をしてくれたな!」
『憤怒の魔神』ボルドも『竜巻の神の化身』ゼガンも怒りの矛先を向けて、今にも襲い掛かって来そうな勢いだったが。
「君たちは何を言ってるのかな……僕の手助けがなければ、殺されていたのは君たちの方だろう?」
ギルニスは見下した目で人外たちを見る。
「それでも、僕に文句があるなら……相手になっても構わないよ。だけど、忘れているみたいだけど……君たちは僕の精神支配を受けているんだからね」
三人の人外は一瞬のうちに自由を奪われる――彼らはカイエを殺す力を得るために精神支配を受け入れたが。ギルニスはこういう状況も想定して、他にも幾つもの命令を仕込んでいたのだ。
やろうと思えば、さらに魔力を暴走させて、精神体を一気に崩壊させる事も出来る。
「ギルニス、貴様という奴は……」
歯ぎしりする三人の人外に、ギルニスはニッコリと笑う。
「今、君たちを殺しても良いけど……神の化身と魔神が三人も同時に消滅したら、色々と面倒な事になりそうだからね。今日のところは生かしておいてあげるよ……これからも、僕のために働いてくれるかな」
ギルニスが望んでいるのは、世界を支配するなどという世俗的な事ではない。魔法を極めた至高の存在――神の化身や魔神すら超越した唯一絶対の存在となる事だ。
ギルニスの望みを叶えるために、一番障害となる可能性の高い相手が『混沌の魔神』カイエ・ラクシエルだったが……カイエが消滅した今、ギルニスの道を阻む者など存在しない。
しかし、現時点で全ての神の化身と魔神を敵に回せば、ギルニスも無事では済まないから。せいぜい手玉に取って、利用しようと考えていた。ダルジオたちには精神支配を施しているのだから、彼らの口からギルニスの思惑がバレる心配もない。
「さてと……僕は後始末をしてから、帰る事にするよ。今はゴミみたいな存在だけど……彼女たちを放置しておくのは危険だからね」
かつて人族だったギルニスは、ローズたちの可能性に気づいていた。神の化身や魔神にはない『強くなる才能』を彼女たちは持っているのだ。
「ロザリオ、おまえさ……調子に乗るのは、それくらいにしておけよ」
不意の声とともに――周囲を包み込んでいた闇色の結界が消滅する。
そして、結界の外に立っていたのは、前髪が少しだけ長い黒髪の少年――カイエだった。
「どうして、君が……精神体が消滅した筈なのに!」
「ああ、おまえが消滅させたのは……俺が創った偽物だよ」
『闇の魔神』ギルニス――ロザリオ・カミールが、カイエが消滅したと確信したのも無理はない。カイエの偽物には精神体が確かに存在しており、膨大な量の『混沌の魔力』を帯びていたからだ。
「あれが偽物だって……そんなモノが創れる筈がない! もし可能だとしたら……神の化身や魔神すら……」
「まあ、信じないのは勝手だけど……ロザリオ、おまえの敗因はさ。こんな事すら理解できないレベルで、俺に喧嘩を売った事だよ」
ロザリオ・カミールは『世界を創り出した者たち』の記録を発見して、魔法の原理に辿り着いたが――ロザリオが知った事は、魔法を発動させる法則と公式だけだ。
二つの世界の全ては――世界そのものすら、魔力によって創り出されたモノであり。魔法とは魔力を発動する事象の一つに過ぎないのだ。
それを真の意味で理解する『混沌の魔神』カイエ・ラクシエルにとって、自分の偽物を創り出すなど簡単な事だ――『混沌の魔力』とはあらゆるモノを飲み込み、あらゆるモノを創り出す事が出来る原始の魔力だから。
「黙れ……『隔絶空間』!」
ロザリオは再び『闇の魔力』を封じ込めるオリジナル魔法を発動するが――闇色の結界は出現しなかった。
「どういう事だ……」
「おまえの魔法は解析済みだからさ。俺が無効化しただけの話だよ」
カイエの魔力解析は、魔力の性質や強度、魔法の発動原理さえも解析する事が出来る。原理さえ解ってしまえば、魔法を無効化する方法など幾らでもあった。
「オリジナル魔法の無効化だと……魔法無効化領域を展開したという事か? だったら、君の魔法だって……」
「いや、だから。おまえの魔法だけ無効化したんだって。ああ、説明するのが面倒臭くなってきたな……とりあえず、黙れよ」
カイエがそう言うと、ロザリオは身体の自由を奪われる――カイエが発動した精神支配によって、自我と肉体が分断されたのだ。
「こういう魔法は俺の趣味じゃないから、嫌いなんだけどさ……まあ、今回は特別に使ってやるよ」
おまえに出来る事が俺に出来ない筈が無いだろうと、カイエが意地の悪い笑みを浮かべると。
「カイエ、こっちも終わったみたいね」
戻って来たローズたちを見て、ロザリオは驚愕する――彼の感知魔法が一瞬前まで偽神と戦っていた彼女たちを捉えていたからだ。
「そんなに驚くなって……感知魔法を誤魔化すくらい、大した事じゃないだろ」
『竜巻の神の化身』ゼガンと『憤怒の魔神』ボルド、そして十二体の偽神が出現したときから、カイエは偽物をエサにして認識阻害で潜伏していた。
カイエとローズたちを分断する事が目的だとは解っていたが。分断した後に、ローズたちの方が狙われる可能性を考えたのだ。
そして、ロザリオが偽物に掛かった後。カイエは感知魔法を解析して、ロザリオに偽りの情報を掴ませると。偽物を操りながら、ローズたちの支援に回ったのだ。
「それじゃ……ロザリオ・カミール。俺に喧嘩を売った代価を払って貰おうか……言っておくけど、今さら俺は魔神を殺す事を躊躇ったりしないからな」
カイエの漆黒の瞳が冷徹な光を帯びる――イグレドを操ってリンドアの市民四万人以上を殺して。リゼリアの部下の『棘の使徒』や『深淵の使徒』のエリックを操って、悪戯に揺さぶりを掛けて来たロザリオを、カイエは許すつもりなどなかった。
このとき……身体の自由を奪われた筈のロザリオが笑う。
「まだ、僕は終ってないよ……」
次の瞬間、ロザリオは転移魔法を発動して消える――条件付きで自分に仕掛けておいた精神支配によって、カイエの精神支配を上書きしたのだ。
※ ※ ※ ※
魔法で上書きしても、カイエの精神支配が完全に解けた訳ではなく――金属の壁と天井に覆われた場所に転移したロザリオは、身体を引きずるようにして回廊を移動する。
「『闇の魔神』ともあろう者が、無様な姿だな……いや、ロザリオ・カーミル。カイエ・ラクシエルに敗北した貴様に、もはや『闇の魔神』を名乗る資格はないな」
ドーム状の空間に浮かぶ玉座で片肘を突くのは、眼光に金色の焔を灯した黒光りする骸骨――『冥府の神の化身』ヴォルフガルド・シュテッツェハーゲン。千年前の戦いを生き残った数少ない神の化身の一人だ。
「ヴォルフガルド……嫌味は後で聞くから、早く精神支配を解除してくれよ」
ロザリオは唯一認める自らの盟友に笑い掛けるが――直後、ヴォルフガルドの指先から放たれた黒い光が、ロザリオの額を貫いた。
「な、何で……」
精神体である魔神は、肉体を破壊されても消滅する事はないが――高濃度に圧縮された『冥府の魔力』によって、ロザリオの精神体が喰われたのだ。
「何でだと……自分が犯した二度目の失態にも、気づいていないのか?」
「だからって、いきなり殺す事はないだろ。ヴォルフガルド……いや、おまえの正体は解ってるんだけどさ」
カイエはロザリオの転移魔法を解析して、転移する先を突き止めた。
魔力を解析したカイエは、ロザリオが自らに仕掛けていた精神支配にも気づいていたが。魔法の原理の表層しか理解していないロザリオの背後に、本当の敵がいる可能性を考えて泳がせたのだ。
「ああ、そういう事だ……私は『冥府の神の化身』ヴォルフガルドではない。ロザリオは気づいていなかったが、ヴォルフガルドこそが貴様以外で世界の理に最も近づいた存在だ。しかし、貴様以上に身の程知らずで、我らに成り代わろうと企んだからな……始末した」
この瞬間、骸骨の姿が歪み――ヴォルフガルドを騙った存在が本来の姿になる。




