329 考え方と感覚
カイエの認識阻害によって――グラハドが制約を破ったと、他の神の化身と魔神たちに知られる事はなかったが。
グラハドの魔力が完全に消失した事に彼らが気づくまでに、大した時間は掛からないだろう。
「それで……おまえたちは、どうするよ?」
カイエは結界を解除して、グラハドの権能を失った元『獄炎の使徒』たちと対峙する。
彼らもグラハドの死の瞬間は目撃していないが。カイエだけが結界から出て来たのだから、状況を察する事は容易だった。
暴虐の国ランバルドに君臨していた絶対的支配者の敗北を知った上で、尚もカイエに立ち向かおうとする者などおらず……『力が全て』だと豪語していた者たちが、危機を察したネズミのように我先にと逃げ出して行く。
「ねえ、カイエは……『獄炎の魔神』を殺したの?」
仲間たち以外に、誰も居なくなった城の広間で。レイナがカイエに問い掛ける。グラハドを殺すと事前に伝えていた訳ではないから、戦いの結末にレイナは戸惑っていた。
リンドアを半壊させた『暴食の魔神』イグレドも、何万という魔族を実験で殺した『棘の神の化身』リゼリアも、カイエは殺さなかったのに。どうして、グラハドを殺したのか……
レイナとて冒険者であり。戦いの中で人族や魔族、半分同族であるエルフ族すらも殺した経験はある。
明確な理由さえあれば、レイナも殺す事を躊躇ったりはしない。今回だって、先に襲い掛かって来たのはグラハドであり、カイエが殺した事を非難するような理由はないが……
カイエが怪物以外を殺すところを見た事がないから……レイナはカイエならば誰も殺さずに解決すると思い込んでいたのだ。
「レイナは勘違いしてるみたいだけどさ……これまで俺が殺した奴は、万の単位じゃ収まらないし。俺は目的のためなら、手段なんて選ばないからな」
人族と魔族の混じり者だった頃から、カイエの日々は戦いに明け暮れていた。初めは混じり者故に、人族と魔族の両方から裏切者だと命を狙われて……
それから、千年前の神の化身と魔神が支配する世界で。彼らに操られて争いを続ける人族と魔族に疑問を持って。カイエは二つの種族の争いを終わらせるために戦いを挑んで……命を落とした。
そして、エレノアに魂を分け与えられて復活してからも、全ての元凶である神の化身と魔神から世界を救うために彼らを殺し……結果的には、世界そのものすら滅ぼし掛けたのだ。
世界を滅ぼし掛けた事については、もっと上手い方法があったのではないかと後悔している。しかし、自分の大切なモノを守るためならば、今でもカイエは一切躊躇う事なく相手を殺す……その罪を背負う覚悟があるから、カイエが迷う事はない。
「そうよ、レイナ……カイエは私たちのためにグラハドを殺したのよ」
ローズたちも、それを理解しているから……たとえカイエが世界の全てを敵に回したとしても、最後まで一緒にいると決めていた。
ローズたちにも親や、他にも大切な人はいるが……自分たちの次にカイエが彼らを守ってくれる事は解っているし。万が一、そんな人々がカイエの敵になるなら……ローズたちは絶対にカイエを選ぶ。
「何だよ、ローズ……そんなんじゃないって。俺はグラハドが制約を破ったから、良い機会だと思って……」
「カイエ……解ってるから」
ローズの方からカイエの唇を塞ぐ――カイエはくすぐったそうに微笑むと、ローズを思いきり抱き締める。
「もう……ローズだけズルいよ。私だって……」
エマが背中から抱きつくと、エストとアリスが左右から密着して。温もりを伝えながら、カイエの唇を求める。そして、ロザリーとメリッサも身を寄せて……
いきなり発生したピンク色の空間――アランたちは気まずそうに目を逸らすが、レイナは逆にじっと見つめる。ローズたちの想いが解ったからだ。
「レイナは……魔神を殺したカイエが怖くなった?」
悪戯っぽく笑うロースに。
「そんな事……あり得ないわよ!」
レイナは迷いの消えた笑顔で応える――レイナは普通の冒険者だから、ときどき戸惑う事もあるが。カイエを想う気持ちだけは、決してブレたりしない。
「アランたちは、話が大き過ぎて動揺してるかも知れないけど。私の方は、そういうのはもう諦めたから。カイエのやる事に、いちいち驚いたりしないわよ」
「俺は……完全にビビってるよ」
アランは素直に認める。虚勢を張っても意味がないと思ったからだ。カイエが規格外な事は解っていたが、まさか本当に魔神を殺してしまうとは。
「ああ、俺も同感だ……こんな場面に、俺たちが居合わせている意味が解んねえよ」
ギルが溜息を漏らす……ノーラに対する気持ちを自覚した今。カイエたちが相手をする者たちから、自分がノーラを守れるなんて微塵も思えない。
正直に言えば、ノーラを連れて逃げ出したいが。仲間たちは裏切れないし、カイエの傍が一番安全な事も解っている。結局のところ、自分もビビっているだけだと……歯ぎしりをするギルの手を、ノーラが優しく包み込む。
「ノ、ノーラ……」
「ギル、大丈夫……私たちがいる意味はあるから」
「え……ノーラ、それって……」
「……」
口下手なノーラが説明に困っていると。
「全く……ギルはしょうがないな。僕たちがカイエと一緒にいる事の意味は、こうやってビビっている事にあるんだよ」
ニンマリと笑うトールに、ギルが顔を顰める。
「トールが何を言ってるのか、俺には全く解んねえんだけど?」
「すまない、トール……俺にも理解できないな」
「俺もだぜ……もっと解り易く説明してくれよ!」
アランとガイナが疑問を重ねると――トールは仕方ないかと言葉を続ける。
「つまりね……カイエたちは強過ぎるから、他の人と感覚がズレるかも知れないよね? そんなときに僕たちがいれば、普通の感覚の意見を言えるでしょ」
やっている事のスケールが違うのだから、カイエたちの感覚の方が正しいかも知れない。それでも異なる意見聞く事とは、決して無駄にはならないだろう。
「何だよ……おまえたちは、そんな事も解ってなかったのか? まあ、金等級冒険者が普通かどうかって話もあるけどさ。少なくとも、俺たちの感覚とは違うだろ?」
優先順位は二番目と三番目だが……カイエはイグレドを操った奴から、こっちの世界で知り合った者たちや、その他の罪のない者たちも守りたいと思っている。
しかし、彼らと感覚がズレてしまうと、命以外の守るべきモノを見失う可能性があるから。自分たちと異なる目線の意見を聞きたいのだ。
「だから、遠慮なく思った事を言ってくれよ……だけど、トールは余計な事を言い過ぎるからさ。少しは遠慮しろよな?」
「酷いよ、カイエ……もしかして、僕ってイジメられてる?」
カイエとトールのやり取りで、明らかに空気が変わった。これまでは訳も解らないまま同行しているだけだったが。目的を意識する事で、周りの見え方も変わって来る。
「そうか……普通の感覚か……」
しかし、生真面目なアランは、かえって考え込んでしまい。
「おい、アラン……難しく考えるなよ。あくまでも自然に感じた事を、素直に言ってくれれば良いだけの話だよ」
「そういう事……ギルとガイナは解ったみたいだね。アランは自分が頑張らなくちゃとか思わないで、いつも通りで良いと思うよ」
カイエとトールのフォローも、イマイチ伝わっていないようだが。アランなら自分なりの答えを見つけ出すだろうと、トールは思っていた。




