291 アルメラとローズ
その日の午後。カイエとローズは、ブレストリア法国から北東に二千キロほどの距離にあるマクスレイ天樹国の首都ダートンに向かった。
ちなみに天樹国という名は――首都ダートンの中心部にある千年樹の木々の上に築かれた神の化身の居城に由来する。
ダートンの下町にある開店前の酒場で、二人を待っていたのは……一房だけ白が混じる黒髪で、口元のホクロが印象的な女アルメラと、見た目は冴えない中年男のログナだった。
「『伝言』にも書いたが……ようやく、俺たちもカイエの役に立てると思うぜ」
ログナはすでに酒を飲んでいたが、全然酔ってなどいない。この店のオーナーは買収しており、アルメラが防音魔法を展開しているから、情報が外に漏れる心配はなかった。
「私も今回は頑張ったんだから……ご褒美が欲しいわね。ねえ、カイエ……私の身体は、もう準備万端だから……」
アルメラは科を作って、カイエにすり寄るが――途中で、蛇に睨まれた蛙のように動けなくなる。
ローズが笑顔で、極寒の視線を向けて来たからだ。
「あなたがアルメラね……カイエから話は聞いているわ。私はローズ・ラクシエル――カイエの妻よ、よろしくね」
ローズが放つ凄まじい殺意に、アルメラは一瞬走馬灯を見るが――アルメラが浮かべたのは恐怖ではなく、恍惚とした表情だった。
「さすがはカイエの奥さん……こんな美少女なのに、物凄い力を持ってるのね。本当に人族なの? だけど、嫉妬するなんて……可愛いわ。ホント……ズルいわよ。こんな事をされたら、私……濡れちゃうじゃない」
実は女もイケるアルメラにとって――ローズはドストライクだ。妖艶な笑みを向けるアルメラに、ローズは完全に引いていた。
「何なのよ、この人……呆れるしかないわね」
これ以上アルメラが近づいて来るなら……ローズは迷わず仕留めるつもりだったが。当のアルメラは、それすら『ご褒美』だと歓迎するように笑う。
「おい、アルメラ……話が進まないからさ、その辺で止めておけよ。そうじゃないと……解っているよな?」
カイエの冷徹な目が――アルメラの心臓を鷲掴みにする。
「あら、解ってるわよ……仕事の出来ない女は、カイエの好みじゃないのよね?」
慣れた感じであしらわれて、アルメラは大人しく引き下がるが――ローズとしては複雑な気分だった。
「カイエ……もしかして、アルメラと仲良しなの?」
疑いの目を向けられて、カイエは苦笑する。
「いや、ローズ。完全に誤解だから……痴女なんて、俺は女として見てないからな」
「ふーん……」
まだ納得していないローズを――カイエは強引に抱き寄せて唇を塞ぐ。誤魔化すのではなくて、想いを伝えるために。
「ローズ……何度でも言うけどさ。俺にとって特別なのは、おまえたちだけだよ」
「うん……解ってる……」
互いを求め合い舌を絡ませる二人――それを見て興奮するアルメラに、カイエは意地の悪い笑みを浮かべる。
「おい、アルメラ……そういうのはウザいから。おまえたちが掴んだ情報を、さっさと教えろよ」
※ ※ ※ ※
ログナとアルメラは、二週間ほど前にカイエと別れた後――当たりを付けてからマクスレイ天樹国に向かった。
元々、白金等級の冒険者であるログナとアルメラは、長いキャリアの中で各地に人脈を築いており。その情報網をフルに使って、不審な動きをしている神の化身や魔神がいないか探りを入れた。
だから、マクスレイ天樹国のある噂に辿り着くのも、それほど難しい事ではなかった。ログナとアルメラは噂の出所を探って、その信憑性を確かめると行動を開始した。
高速な移動手段を、二人は予めカイエに借りていたが――転移魔法ではないから、それでもマクスレイ天樹国までは三日ほど掛かった。
そこから諜報活動を続ける事十日ほど……ようやく情報の裏が取れたので、アルメラがカイエに『伝言』を送ったのだ。
「この街、ダートンには……だいたい一ヶ月に一度という頻度で、捕虜として捕らえた魔族が数十人単位で護送されて来るんだが。カイエも知ってるように、神の化身と魔神たちは捕虜を取るような戦い方はしていない」
神の化身と魔族たちのゲームに参加しているのは、『使徒』や『血族』と呼ばれる権能持ちだけであり。権能持ち同士の戦いで、相手を捕虜にするという穏便な結末はあり得なかった。
「だから、俺たちは……『捕虜』と呼ばれている奴らの出所を探したところ。マクスレイ天樹国の周辺の中立地帯で、襲撃を受けたという魔族の氏族に辿り着いたんだ」
こちら側の世界には、元々神の化身も魔神もいなかったからだろうか。直接神の化身や魔神に仕えずに、独自の生活圏を築く人族と魔族も多い。
そんな彼らが住む地域は、中立地帯と呼ばれており。版図を広げるという欲望が希薄な神の化身と魔神たちから、見過ごされて来たのだ。
「氏族って言っても、人族で言えば村程度の規模だがな。魔族たちの証言から……襲ったのがマクスレイ天樹国の『使徒』たちで、もう何百年も前から定期的に魔族を攫ってる事が解った」
ログナとアルメラは幾つもの氏族を周った――勿論、アルメラの魔法で魔族に化けて。そして、どの氏族を訪れても、同じ答えが返って来た。
「天樹国の『使徒』が連れ去るのは一度に十人ほど。抵抗さえしなければ、他の魔族は殺される事はないって話だ……一つの氏族が襲撃を受ける頻度も、数年に一回という程度。それくらいなら、氏族の存亡に関わるような事はないな」
だから、魔族たちは諦めてしまっているが――氏族を殲滅するのではなく、まるで放牧した家畜から獲物を選定するようなやり方に、強かな悪意を感じる。
「捕らわれた魔族たちは『捕虜』という名目で神の化身の居城に連れて行かれて……そこから二度と出て来る事はない。まあ、天樹国は人族の国だからな。魔族を処刑したところで、誰も疑問を懐かないだろう」
ディスティが支配するビアレス魔道国などの例外はあるが――こちらの世界でも、神の化身を崇める人族と、魔神を崇める魔族は、互いの種族を敵対視している。だから、マクスレイ天樹国の国民も、敵である魔族を殺すのは当然だと考えているのだ。
「奴らの目的までは解っちゃいないが……魔族を生かしたまま攫って、わざわざ神の化身の居城まで連れて来るなんて、面倒な事を繰り返しているんだから。単純に処刑してるって訳じゃないだろう」
ログナは薄ら笑いを浮かべる。
「俺の想像力じゃ……この国の神の化身自身か、あるいは上層部を含めた連中が、猟奇的な殺人趣味か、魔族に対する嗜虐的な性的嗜好を持ってるって事くらいしか思いつかないけどな」
ログナの説明を聞いて――今度は本気で、カイエは冷徹な笑みを浮かべる。
「なるほどね。趣味でやってるのか、他に理由があるかは別にして……奴が悪趣味なのは間違いないな」
目的が何だとしても――カイエは見逃すつもりなどなかった。




