290 彼らの目的
シャーロンから『深淵の学派』に関する情報を一通り聞いたが――現時点で彼女が知っている情報は、カイエにとっては多少興味がある程度というものだった。
こちら側の世界にやって来た『深淵の学派』の目的は、神の化身や魔神たちの力の理を解き明かす事だったが――
人族や魔族に過ぎない『深淵の学派』に対して、神の化身と魔神たちは隷属以外を認めず。偽りの隷属を装って近づいても、神の化身と魔神たちも愚かではなく。考えを見透かされて、殺される事になった。
結局のところ、『深淵の学派』は『曇天の神の化身』アルベルト・ロンダルキアの名を借りて、ブレストリア法国という国を起こし。神の化身と魔神たちのゲームに参加しながら、独自に研究を進めるしかなかった。
それでも『深淵の学派』の研究はやがて実を結び。『魔神の魂の欠片』を取り込み、人外の力を手に入れた者たち――表向きには『曇天の使徒』と名乗っているが、彼ら自身は『深淵の使徒』を自称する――が現れるようになった。
『深淵の使徒』となった者は、現在までに十三人いる。その内の八人は、シャーロン同様にブレストリア法国に留まり、国の実権を握っているが。残りの五人は、それぞれの理由からブレストリア法国を離れた者だ。
そして、もう一つ……『深淵の使徒』には、そもそもブレストリア法国に集わなかった一派が存在したが。袂を分かってから、すでに八百年近く時が経っており。特に目立った動きもなかった事から、ブレストリア法国は彼らの末裔が生き残っているのかも知らないらしい。
「ふーん……シャーロンの話を聞く限りだと、『深淵の学派』の連中は特に何かを企んでるって感じじゃないな」
カイエは長椅子の肘掛けに頬杖を突きながら、詰まらなそうな顔で応える。隣りではローズがベッタリと密着して、幸せそうな笑みを浮かべていた。
普通の感覚で言えば、『魔神の魂の欠片』を取り込んで人外化する事自体が大きな事件だが。カイエとしては、制約によって力を制限している神の化身や魔神たちにすら遥かに劣る相手などに興味はなかった。
「少し気になるのは、ブレストリアに来なかった一派の奴らと、行方不明の『深淵の使徒』第十二席の事だな」
シャーロンは『深淵の使徒』の個々のメンバーについても、カイエに説明していた。
国を離れた『深淵の使徒』たちは、現在もブレストリア法国と繋がっているが――人外化した直後に消息を絶った第十二席だけは例外だった。
「第十二席ロザリオ・カミール……あの坊やは、何を考えているのか解らない奴でしたから。最年少の十七歳で『深淵の使徒』となって、すぐに姿を消したのも……自惚れて、無謀にも神の化身か魔神に戦いを挑んで殺されたに違いありませんわ」
ロザリオの話をするシャーロンから、嫌悪感が滲み出る。
「つまりロザリオって奴は、それなりに実力があるって事だよな?」
ロザリオが本当に神の化身か魔神に戦いを挑んだとしたら――その結果、自分も害を被る可能性が高いロザリオの行動を、シャーロンは見過ごした事になる。
だから、少なくともロザリオにはシャーロンを出し抜く事が出来るか、シャーロンが制御出来ない程度の実力があるという事だ。シャーロンの態度からも、まず間違いないだろう。
「だけどさ……ロザリオの事も、別の一派の奴らの事も、シャーロンは情報を掴んでいないんだよな? 今の話だと他の『深淵の学派』の奴らも知らなそうだけど……まあ、何か情報を持ってないか、一応当たってくれよ」
カイエは別に面倒事に首を突っ込みたい訳じゃないから、『深淵の学派』が問題を起こしていないなら、それに越した事はない。ロザリオと別の一派についても、情報がないというだけだから。急いで行動を起こす必要性は感じなかった。
「カイエ様、そうは仰いますが……私以外の『深淵の使徒』たちは、手に入れた人外の力によって徐々に勢力を伸ばしています。現にブレストリア法国は中立地帯へと侵攻しており、いずれはカイエ様にとっても目障りな存在となるでしょう」
カイエの反応の薄さに肩透かしを食らったシャーロンは――自分の価値を必死にアピールする。カイエに役に立たないと思われる事は、シャーロンにとって死活問題だった。
「いや、一方的な侵略戦争なら、俺は侵略される側に付くけどさ。普通に勢力争いをしてる分には、いちいち口を挟むつもりはないよ」
しかし、やはりカイエの反応は薄い。
「おまえたち『深淵の使徒』が幾ら勢力を伸ばしたところで、この世界のパワーバランスに影響が出る訳じゃないし。力を求める事自体を俺は否定しないからさ……まあ、好きにしろって事だな」
結局、自分の情報に価値を認めてくれないのかと、内心で愕然とするシャーロンに――カイエは意地悪く笑う。
「そんなに心配するなって……シャーロン、おまえがそれなりに役に立つ事は解ったからさ。今のところは切り捨てたりしないし……情報の分だけ、魔法に関する知識を教えてやるからさ」
「カイエ様……ありがとうございます!」
シャーロンは深々と頭を下げて跪くが――話はそこで終わらなかった。
「ねえ、カイエ……シャーロンにちょっと、構い過ぎだと思うのよね」
ローズの目が怖い――怯えるシャーロンを傍らに、カイエはローズの頬を指先で撫でて、優しい笑みを浮かべる。
「ローズ……そんな事ないって。俺は情報収集をしてるだけで、おまえたちだけが何よりも大切だからさ」
「カイエ……」
重なる唇――絡み合う舌と、互いを求めて抱きしめ合う二人。
シャーロンとクロウフィンが唖然として、目を逸らすべきかと逡巡していると。
「ああ、そう言えば……あいつの事を忘れてたな。ローズ……」
「そうね……ちょっと可哀そうな事をしちゃったから、そろそろ助けてあげないと」
何を言っているのか、シャーロンには解らなかったが。カイエとローズはおもむろに立ち上がって、部屋を出て行こうとする。
「外に人を待たせているんだよ……ああ、良い機会だから。シャーロン、おまえには紹介しておくよ」
※ ※ ※ ※
小一時間も結界に閉じ込められていたクレア・オルガンは――突然結界の中に入って来たカイエに憮然とした顔を向ける。
「カイエ・ラクシエル……どういうつもりだ?」
「よう、クレア……どういうつもりも何も、勝手に動いたおまえが悪いんだよ。まあ、気持ちは解らなくないし、問題にならなかったから良いけどさ」
カイエは何食わぬ顔でそう言うと、いきなり転移魔法を発動させる――同時に二つの結界と広域認識阻害を解除して、何の痕跡も残さずに姿を消す。
そして移動した先は――カイエとローズが昨日から宿泊している高級宿屋の一室。そこには先に転移魔法で移動したローズとシャーロンがいた。
(無詠唱で短距離転移……いや、転移魔法か?)
クレアは内心で驚愕していたが、そんな事に気を取られている場合ではなかった。
「ローズ……その人は!」
『深淵の使徒』であるシャーロンの顔をクレアは知っており――咄嗟に剣に手を掛けるが。
「その必要はないわ……一応、シャーロンも私たちの協力者だから。一応ね……」
不機嫌な空気を漂わせるローズに、クレアは判断を迷う。
「まあ……利害関係だけで協力してる奴って事だよ。だけどさ……俺が絶対に裏切らせないから、安心してくれ。シャーロン……こいつはクレア。『暴風の魔神』ディスティニー・オルタニカの部下で、俺の情報収集に協力して貰ってる。シャーロンについては……クレアは知ってるみたいだな」
「はい、カイエ……『曇天の使徒』第三席シャーロン・フォルセリア閣下ですね。初めまして、私はクレア・オルガン。ビアレス魔道国の一級特務官です」
クレアはカイエの意図を察して、シャーロンに敬礼するが。
「ああ……私たちの国を嗅ぎ周っている『暴風の魔神』の番犬ね。上手く隠れて立ち回ってるつもりみたいだけど……貴方たちの動きは全部掴んでいるわ」
挑発的なシャーロンの発言に、二人の視線がバチバチと音を立てるようにぶつかる。
魔力だけで比較すれば『深淵の使徒』であるシャーロンの方が上だが。クレアもディスティから特別な権能を与えられており、単純にクレアの方が弱いとは言えない。シャーロンもクレアの実力に気づいた上で、挑発したのだが――
「ク、クレア・オルガン特務官……今の発言は撤回するわ。カイエ様とローズ様のために貴方たちが行う活動に、私は全面的に協力させて貰います!」
ローズに睨まれて――シャーロンは慌てて掌を返す。
だったら初めからそうしろよと、カイエは苦笑しているところに――『伝言』が届いた。
「ローズ……もう一人、情報収集を依頼してる奴から連絡が来た」
『伝言』の送り主はログナ――元は『雷の神の化身』トリストルに仕えていたが、スリルを味わいたくて『色魔』のアルメラと一緒に仲間になった。
「ちょっと面倒な事が起きてるみたいだけど……そろそろ時間切れだからな。とりあえず状況を確認して、必要なら先に手を打つか」
シャーロンとクレアを置き去りにした台詞――元の世界に夕食の時間まで帰るには、明日の昼がタイムリミットだった。
「私はまだ情報不足だから、カイエに任せるわ」
本音としては、カイエと二人きりの最後の夜を楽しみたいところだが――それを口にするほどローズは我がままじゃない。
「ああ……悪いな、クレアにシャーロン。俺たちには別の用事ができたからさ。二人は協力して、情報収集を続けてくれよ。それじゃ……」
「「ちょっと……カイエ(様)!」」
引き止める前に――カイエとローズは、再び転移魔法を発動させて姿を消す。
取り残された二人は……気まずい雰囲気の中、暫し無言で睨み合っていた。




