288 許さないから
「『深淵の学派』という組織の構成員や戦力、知識や目的や利害関係など、全てカイエ様にお話します。その代価として……貴方が手に入れた魔法の深淵なる知識を、この私に教えて頂けませんか?」
他の全てを生贄に捧げても、更なる高みに昇ろうとするシャーロン。彼女は『曇天の神の化身』アルベルト・ロンダルキアに似ていると思うかも知れないが――本質的には真逆の存在だった。
シャーロンが見ているのは理想ではなく現実であり。神の化身や魔神と比べれば、自分が弱者であることを自覚した。
だからこそ、手段を択ばずに、形にも拘らずに。孤高ではなく、他者よりも高みに昇ろうとしていた。
このときクロウフィンは、自分が切り捨てられた事に気づいていた――冷酷で利己的なシャーロンは裏切った事を隠すために、クロウフィンを殺すだろう。
この場を切り抜けるには、自分の価値をシャーロンに再認識させて、裏切りに加わるか。あるいは……
クロウフィンがシャーロンを警戒しながら、生き残る方法を模索していると――
「ああ、シャーロン……魔法の知識を教えるくらい構わないさ。だから、おまえが『深淵の学派』について知ってる事を全部教えろよ」
カイエはアッサリと交渉に応じるが。
「カイエがそう言うなら、仕方ないけど……私はこの人が好きになれないわ」
ローズが不満そうに割って入る――ローズを拘束していた束縛の鎖も、彼女が動いた瞬間に砕け散った。
「シャーロン、貴方はカイエの知識を自分のために利用したいだけなのよね? そのために仲間を裏切るとか……貴方は全然信用できないわ」
シャーロンは何と返答するべきか決めかねて、横目でカイエを窺う。
ローズはカイエの同行者だが、その正体も実力もシャーロンは知らない。ローズの立ち位置が解らない以上、無闇な返答は避けたかった。
カイエは別に助け船を出す気などなかったが。腹の探り合いをするは面倒だった。
「ローズ、俺もシャーロンみたいな奴は嫌いだけどさ。綺麗事を並べる連中よりは信用出来ると思うよ」
相手に善意を強要する面の皮の厚い連中は信用できないが。利害で動く相手なら、こちらも割り切れば良いだけの話だ。
「カイエ様……冷静な判断をして頂いて、ありがとうございます。私はカイエ様を決して裏切りませんよ……カイエ様以上に、価値のある対価を提示されない限りは」
シャーロンは強かに笑う――世界を滅ぼし掛けた『混沌の魔神』が相手だろうと、対等以上の利益を求める。
「ああ、解ってるよ……話は決まりだな。おまえが知ってる事を、洗いざらい教えろよ」
「カイエ様、お待ちください……勿論、私が知っている事は全てお伝えしますが。全部喋ったら用済みだと殺されてるのは、私も嫌ですから……私自身がカイエ様のお役に立つ事を証明させてください」
「つまり……おまえが『深淵の学派』の奴らに探りを入れて。俺の知りたい情報を聞き出すって事か?」
「さすがは、カイエ様。話が早くて助かります……私は情報を提供するだけではなく、カイエの都合の良いように立ち回ります。邪魔者を消したり……あるいは『深淵の学派』そのものを壊滅させる事をお望みでしたら、全力でサポートさせて頂きます」
シャーロンは本気だった――ここまで聞いてしまったクロウフィンを、シャーロンが生かしておく筈がない。
いよいよ死の危機が迫ったクロウフィンは、生き残るために動き出そうとするが――
「貴方みたいな人が、私は一番嫌いなのよ」
ローズは褐色の瞳でシャーロンを睨んでいた。
何度も水を差されて、シャーロンは不快感を顕にする。
クロウフィンの束縛の鎖が効かなかった事から、ローズがそれなりの実力者だという事はシャーロンも解っていた。
だからと言って、所詮は人族の小娘であり。カイエもローズの意見を退けたのだから、そこまで価値を認めている訳ではないだろう……
シャーロンはそう判断して、ローズを煽ってやろうと思ったが――
用心深いシャーロンは、念のために確認する。
「カイエ様……先程から話をしているこの方は何方ですか?」
本人ではなくカイエに訊いたのは、ローズなど相手にしていないという意思表示だ。
「ああ、言っていなかったな……こいつはローズ。光の神の勇者で、俺の嫁だよ」
「……へ?」
シャーロンが間抜けな声を上げたのは、ローズが予想外の大物だった事も理由の一つだが。それ以上に――
無視された事を宣戦布告と受け取ったローズが、獲物を狩る絶対的強者の目で、正面から見据えていたからだ。
「私はローゼリッタ・ラクシエルよ。貴方の方は私に名乗っていないけど……シャーロン、よろしくね」
ローズは微笑むが――当然、目は笑っていない。
今でもローズは本来の力を隠していたが……シャーロンは本能で悟る。この女だけは、怒らせてはいけないと。
「はい、ローゼリッタ様……こちらこそ、よろしくお願い致します」
背中に冷たい汗を感じながら、シャーロンは必死で取り繕うが。
「シャーロン、そんなに畏まらないでよ……貴方の事は本当に嫌いだけど。堅苦しいのはカイエも私も好きじゃないから」
再び『嫌い』だとハッキリ言いながら、笑顔でにじり寄るローズは――剣を抜いた訳でも、魔法を発動した訳でもないが。彼女の存在感が、シャーロンを圧倒する。
(この私が……こんな小娘に! そんな事……あり得ないわ!)
シャーロンは内心では怒りを覚えていたが――
「ねえ、シャーロン……私に何か言いたい事があるみたいね」
至近距離からローズに瞳を覗き込まれて……シャーロンは凍りつく。見た目は小娘だが……この女は、本物の化け物だ!
「なあ、シャーロン。そんなに怯えるなよ……おまえが利用出来るうちは、俺もローズも切り捨てたりしないからさ」
いつの間にかカイエが、シャーロンの横に立っていた。この状況を面白がっている残酷な笑み――
絶対に手を出してはいけない相手と、取り引きした事にシャーロンは気づくが……もはや遅過ぎた。




