282 ちょっと、待って!
今でもカイエはアルベルトが理解出来ないし、理解したいとも思わない。それでも復活したアルベルトを無視する事は出来ないとも思っていた。アルベルトはこんな奴だが――本気で戦えば、ヴェロニカに匹敵する実力を持っているのだ。
「それにしても……アルベルト。おまえがこんな人気のない場所で、結界を張って鍛錬してるなんて。どういう心境の変化だよ?」
他人の存在を無視するアルベルトが、誰も立ち入らないような場所をわざわざ選んで、結界まで張って他者を遠ざけている――嘗てのアルベルトなら、考えられない事だ。
「そんな事か……俺は学習したのだ。何処であろうと、剣を振るう事は出来るからな。誰も居ない場所なら……貴様のような奴に邪魔される事もない」
アルベルトが制約を掛けて力をセーブしているのも、結界を張って人里から離れた場所で鍛練をしているのも――他の神の化身や魔神たちの制裁を恐れているとか、打算とかそんな理由からではなく。他人に煩わされずに自分だけの世界に没頭したいだけだ。
そもそも、力をセーブしたところで、アルベルトの剣技が衰える事はない。美しさを求めるアルベルトの剣の道に、魔力はさほど必要ではないのだ。
嘗ても、アルベルトは神の化身である己の力を野放しにしていただけで――そのせいで都市が滅ぼうが、人族や魔族が死のうが、全く興味が無かったというだけの話だ。
「そうかよ……まあ、おまえのせいで犠牲者が出ないなら。理由なんてどうでも良いんだけどさ」
アルベルトの本質は何も変わっていないが。結果的に被害が出ないなら、カイエも文句はなかった。
本音を言えば、剣技に美しさだけを求めるアルベルトに、それ以上の技を見せつけて叩きのめしたい嗜虐心が無い訳ではないが。そんな事をしても、アルベルトは『自分が求める美しさとは違う』と納得しないだろう。
それに万が一、アルベルトがその気になって、殺すしかない状況になってしまったら……この世界の肉体を失ったアルベルトは、カイエたちの世界へ帰還してしまうかも知れない。
制約から解き放たれて、本来の力を取り戻したアルベルトが、自分だけの世界に没頭して好き勝手に剣を振るえば……その巻き添えになって、幾つの国が亡ぶ事になるか。向こうにはアルジャルスやエレノア、エストたちだっているが、被害が出る前にアルベルトを止められるとは限らないのだ。
隣りで完全に引いているローズは、アルベルトに冷ややかな視線を向けながら……アルベルトの実力も、カイエが考えている事も理解しているから。いつでも反応できるように身構えながら、下手に手出ししようとはしなかった。
(ホント……ディスティとヴェロニカを連れて来なかったのは正解だな)
あの二人なら――アルベルトに無視された時点で、我慢なんてしないだろう。
カイエは二人の反応を思い浮かべながら、もう一つの本題を切り出す。
「なあ、アルベルト……おまえにもう一つ訊きたい事があるんだよ。このブレストリア法国って国は、おまえが支配してるって事になってるんだが。何か心当たりはあるか?」
カイエの質問に、やはりアルベルトは剣の動きを止める事なく、少しだけ考えると。
「ああ、確か少し前……八百年くらい前に、人族と魔族が此処に来て。俺の名の下に国を創りたいと言っていたな……邪魔されるのも煩わしいから、好きにしろと言ったのは憶えているが……たぶん、そいつらが国を創ったんだろう」
こちらの世界で八百年前というのは――遺跡に残された文献に書かれていた『深淵の学派』が異世界に旅立った時期と大体一致している。
カイエたちの世界の時間軸で言えば、神の化身と魔神たちが消えたのが三百年ほど前で、『深淵の学派』が旅立ったのが百年ほど前だ。カイエはアルジャルスとエレノアに依頼して、人外の情報網を使って裏も取っていた。
こちらの世界はカイエたちの世界よりも約十倍速く時間が流れるから、計算が合わないと思うだろうが――二つの世界で時間が流れる速度の差は一定ではないのだ。
こちらの世界に神の化身と魔神たちが降臨したと言われる時期と、彼らがカイエたちの世界から消えた時期を考えると、計算が合わなかった事から。カイエは失われた魔法を駆使して検証したのだ。
こちらの世界に神の化身と魔神たちが降臨した頃は、おそらく二つの世界の時間は、ほとんど同じ速度で流れており。それから次第に、こちらの世界の方が速く流れるようになった。
また、約十倍という差はピークのようで、すでに徐々にだが速度の差は縮まり始めている――カイエが二つ世界を行き来する度に僅かながらズレが生じており、こちらは検証済みだった。
それはさておき――
ブレストリア法国を実際に支配している奴らが、『深淵の学派』の末裔だと断定できる訳ではないが。それなりに可能性が高い事は解った。
「アルベルト。そいつらは、おまえの結界を破って侵入して来たって事だよな?」
「そうだ……俺はずっと結界を張っていたからな」
アルベルトの結界は、神の化身として本気で展開したモノではないが。だからと言って、権能持ちの人族や魔族でも破れる代物ではない。そこまで軟なら、他の神の化身や魔神たちの配下が侵入してしまうし。カイエも実際に突破したから、その強度は解っている。
「まあ、その程度の実力はあるって事だな」
『深淵の学派』ならば異世界への扉を開く魔法装置を作ったくらいだから、相応の力と魔法技術を持っている筈だ。
「ブレストリア法国を創った奴らについて、他に何か知っている事はあるのか?」
カイエは期待せずに質問を続けるが。
「いや、ない……俺が覚えているのはそれだけだ」
案の定な応えが返って来る――まあ、とりあえず聞きたい事は全部聞いた。
アルベルトは嘘をつくような性格ではないが、ブレストリア法国を支配している奴らに関する情報は八百年も前の事だし。そもそもアルベルトにとって興味のない事だから、何処まで信憑性があるかは怪しいところだが。
アルベルトのスタンスが解っただけでも収穫はあった――カイエがブレストリア法国をどうしようと、そのせいでアルベルトと殺し合う事にはならない。
ブレストリア法国を支配している奴らが、本当に『深淵の学派』の末裔なのか。そして奴からが何を企んでいるかは、直接聞けば良いだけの話だ。
「アルベルト、邪魔したな……もう、おまえの邪魔はしないと思うけど」
「ああ、そうしてくれ……」
カイエはアルベルトとは関わりたくないし、アルベルトもカイエになど興味はないのだ。
面倒だから、結界の中に永久に留まっていろよと。カイエは思いながら、立ち去ろうとするが――
「カイエ……ちょっと待って!」
ローズが引き止める。いつもと違う声色に、カイエが嫌な予感を覚えながら振り向くと――ローズは思いきりアルベルトを睨みつけていた。
「『曇天の神の化身』アルベルト・ロンダルキア。貴方にとって私たちは、勝手にやって来た邪魔者に過ぎないんでしょうけど……カイエを侮辱した貴方を、私は許さないわ!」




